第9話 異世界召喚さえされれば上手くいく
その後、いくつかの問題でちょっとだけ揉めた。
一つは俺の古文書整理の給金がすっかり黄肌村にとって大事な収入になっていて、俺が辞めてしまうのに反対する村人がいたこと。
もう一つは完全に遺失していた古代魔法の安全性を懸念する声が魔法使いたちから起こったこと。
最後の一つは、俺が見つけた古代魔法では「世界間の通路」をどの世界とつなげるか指定はできないと分かり、良子さんたちがひどく心配したことだった。
でも俺の決心に変わりはなかった。俺が何のために一年の間努力したかを、最後にはみんな分かってくれた。
俺は一年ぶりに高校の制服に身を包んだ。肩周りや脚の部分がきつくなり、全体的に小さくなっている気がした。
俺の隣にやはり制服の美緒が立つ。
「お前まで危ない賭をすることないんだぜ?」
「あんただけ還るなんてズルすぎるじゃない」
何度も繰り返したやり取りをまたなぞる。
「じゃあ、いいかい?」
緊張した面もちの和夫が言った。俺たちはうなずく。
和夫と二人の魔法使いが俺たちを取り囲み、呪文を唱え始めた。
「紫紺の堅固なる境界に風穴を開けん」
これまでに聞いたことのある詠唱とまったく違っていた。
「漆黒の間隙を埋める虚無に光輝を貫き異質なる世界への道筋と成さん」
「猩々の門扉を築きそれを敲き押し開かん」
「出でよ」
魔法使いたちは声をそろえて叫ぶ。
「嬰門!」
その瞬間、俺と美緒のすぐ前に赤い強烈な光が発生した。思わず目をつぶりそうになるのを必死でこらえる。宙に浮いた球状の光は俺よりもでかく、激しく渦を巻いていた。門というより真っ赤なブラックホールだった。その中心の核に、底知れぬ暗黒が垣間見えた。
「英汰」
美緒の声。少しおびえた声。
俺は手を伸ばし美緒の手をぎゅっと握った。
「行くぞ!」
「……うん!」
俺たちは一息に渦へ飛び込んだ。
キキーッという高い響きとガッシャンとけたたましい音。同時に俺は体に強い衝撃を受けた。とっさに動けず、そのまま横たわってしまう。
「事故だ!」
「大丈夫か?!」
「早く、一一九番!」
一一九番? 何だか懐かしい単語に、俺はつぶっていた目を開ける。
視界に飛び込んできたのは青空だった。目を瞬く。でも何度見ても、空は青かった。
「目を開けた!」
「しっかりしろ、意識はあるか?!」
周りがひどく騒いでいる。俺がむっくり起き上がると、さらに騒ぎが大きくなった。
「無理するな!」
「急に動くんじゃない!」
声を無視して俺はきょろきょろする。すぐ横に美緒もいた。
「おい、美緒?」
つないだままだった手を引っ張ると彼女も身を起こした。そのずっと向こうに、ぐしゃぐしゃに折れ曲がっているが見覚えのあるカラーリングの自転車が二台転がっていた。その先には道路を斜めにふさいで停まっているトラック。
「私たち……」
「還ってきたんだ!」
のんきな救急車のサイレンが近づいてきていた。
俺たちはその後、病院へ連行され三日ほど入院を強いられた。脳だの内臓だの骨だの散々検査をされて、しかしどこも異常がないので医者たちは首をひねっていた。俺はへらへら笑って誤魔化しておいた。
さらに四日間自宅療養を命じられ、それからやっと外出を許可された。世間的には一週間ぶり、俺にとっては一年ぶりに、高校へ行くことができた。自転車通学は親からも学校からも禁止されてしまったが、黄肌村と寺院の往復に慣れた俺には徒歩通学でもなんてことなかった。
そしてさらに一週間後、俺は校門を入ったところで取り囲まれていた。
「なあ、うちの部への入部、考えてくれたか?!」
「待て野球部! スカウトは我が陸上部が先だったんだぞ!」
「この高校でもっとも全国大会まで行っているサッカー部としてはだな!」
「あのー……先輩方……勧誘はありがたいんですが、このままだと俺、遅刻になっちゃうんですが……」
しかもこのままだとバスケ部やバレー部や水泳部までやってきてしまうのが一昨日と昨日のパターンだ。回避すべく、俺はとびきり困ったような表情を作った。
「ならこの入部届だけ受け取ってくれ、あとは判子だけでいいから!」
「何、抜け駆けかサッカー部!」
喧嘩を始めそうになった上級生たちに乗じ、俺はやっとのことで逃げ出した。
はるか遠かった下駄箱にたどり着いて靴を履き替える。と、視線を感じて振り返った。ちらっとだが柱の陰に隠れる女子生徒たちの姿が見えた。かすかに聞こえてくる囁き声。それはけっして悪意のあるものでなく、むしろ逆で。
「なーににやけてんのよ」
いきなり頭を後ろからはたかれた。俺を見捨ててさっさと先へ行っていた美緒だ。
「遅刻するでしょ、早く教室へ行く!」
「へーい」
階段を上り始める俺の背後で、彼女はため息をついた。
「まったく、変な有名人になっちゃったわよねえ」
俺たちの「トラック事故からの奇跡の無傷生還」はローカル新聞の記事にまでなってしまい、俺と美緒の高校での知名度が急に跳ね上がってしまったのだった。しかも、
「あんたは農作業で体鍛わっちゃったしね……」
美緒が低い声で言った通り、黄肌村でひたすらやらされた畑仕事で俺の腕肩脚はかなり筋肉ムキムキになっていて、しかも実は一年経過しているせいで体格も一年生にしては良くなっていて。その結果が、各運動部からの熱烈な勧誘だった。
「ったく、調子こくんじゃないわよ」
気づけば再びにやけていた俺をまた美緒がはたく。イーッという顔をしてから自分の教室へ走っていく彼女を見送って、俺はゆっくり自教室へ入った。
とたんにざわめく教室。集まる視線。特に女子たちからのけっこう熱のこもったやつ。
その中を俺は悠然と歩いて席に座る。今のこの状況は、高校入学した直後は考えられないものだった。異世界召喚される前までは。
だから俺は、声を大にして言いたいんだ。
異世界召喚さえされれば上手くいく、ってね。
〔了〕
異世界召喚さえされれば上手くいく 良前 収 @rasaki
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