しろがねの歌7 御座車――創砥式7305――

『白き羽は勇壮に~

 蒼き空へとはばたかん~』


 行進曲のような歌を、白い鷹が歌う。

 夜霧の空を飛びながら、ずいぶんのりのりで歌っている。


『かがやけ 我がビエール

 はばたけ 我がビエール

 われらの われら・のぉ~』

 

 おのれに酔いしれているようなその歌声は、行進曲風なのになぜかこぶしが効いている。

 

『アリョル・びえーえーるー!』


 僕を背負い、宵空を見上げる金髪男がぼやく。


「うるさいな」

「あう……」

 

 まだしゃべれない僕と金髪男。まったく反りが合わない僕らだけど。

 そのことだけは、意見が一致した。





 僕を背負う金髪のゴランスン卿は、あれよというまに、難なく城から脱出してくれた。

 妹さんに鼻薬をきかされている衛兵たちは、すでに後見人スポンシオンさまの威光で退けられていたからだ。

 「スポンシオン様にたのまれて、後見人代理を静養先に送ることになった」――金髪男は兵たちにそう吹き込んだらしい。

 彼が利用したのは、城の秘密の地下道。

 分かれ道だらけの真っ暗なトンネルを煌々と照らしてくれたのは、使い魔の白鷹だ。

 鷹の頭は、魔法の光で輝いていた。まるであのスポンシオン様の頭頂のように、きらきら煌々と。


『白鷹城は難攻不落の城砦だ。いよいよとなれば籠城するのが定石だが、むろん最後の手段で、非常口から脱出することも容易にできる。その抜け道がこの穴だ』


 金髪男はもったいぶって教えてくれた。

 はるか昔、白鷹城が建てられたのと同時にこの抜け道も作られたと。それほど古い道らしい。

 

『追っ手をまくために道は迷路になっている。正しい道順の判別法は、城内の番地を判別するのと同じ方法だ』 


 たしかにトンネルの壁にはひと区画ごと、数字が描かれていた。

 城の者でないとわからない、あの暗号数字だ。


『魔女にはすぐ気づかれるだろうが、後見人が介入しているからどう出るだろうな? まあ、すぐに追っ手がかかっても、おまえを山に連れて行く時間的余裕はあるだろうよ』

『うう……?』

『アリョルビエールの山は俗名を、剣山というんだ』


 地上に出たとき、白鷹がはりきって飛び出して行った夜空のかなた、西の方角をながめつつ。金髪男はくくくと笑った。


『つまりありていにいえば、俺の領地さ』

 

 そんなわけでゴランスン卿が見事に、城の北にある湖の岸辺に抜け出たとたん。


「アリョ~アリョ~アリョルびええええる!」


 鷹はあの有様。解放感を周囲に放ちまくり、まるで水を得た魚のごとし。せまい地下道がことのほか嫌だったようだ。


「ほんとうるさいな」

「あう……」


 夜空を映す静謐な湖には、周到に小船が用意されていた。鷹の歌声にうんざりしながら、金髪男が僕を船に放り込む。


「うあっ」

「なぜ俺がおまえを助けるのかと、不思議がっているようだが」


 船についているオールを、おもむろに手に取る金髪男。月明かりに照らされている顔は、いつにもまして敵意満々だ。今とってる行動と顔の表情が、まったくかみ合ってない。

 

「実はスポンシオン様には、大きな借りがあるんでな。俺や同腹の弟たちは、あの御方が父上を説得してくれたおかげで、領地持ちの『貴族』になれた。だから俺は、あの御方の思し召しには逆らえん」


 でも、俺はおまえは好かん。

 金髪男はニヤニヤしながらそう言って、懐から薬瓶を出して見せた。

 

「スポンシオン様ご指定の、しゃべれるようになる解毒薬だ。だがここで湖が波打ち、船が揺れると、どうなるかな?」

「う……」

 

 金髪男の口角が、この上もなく引き上がる。どんっと船底に足を踏みつけ船を揺らすと同時に、金髪男は薬瓶をぽろりと船の外に落とした。

 ぽちゃりという音がするや、悪魔のような顔をした男は、わざとらしく棒読みで大声を上げた。


「あーなんということだー、薬が落ちてしまったー」

「なんですと? なんと愚かな! しもべよしっかりしろ! 報酬を減らすぞ?」

「あー、すみませんな、とりさん」

「だーかーら、ビオレグラーヴァ・グレイシャスクリリエとっ 」

「はいはい、とりさん」


 白い鷹があきれて空から文句を言ってくるのを、頭をかいて愛想よく笑ってごまかす一方で。


「ぐっ……」

「役立たずですまんなぁ、ナッセルハヤート。くくくっ、そこでしばらく無様に転がってるがいい」

「ぐぐっ……」


 僕の横っ腹をこっそり蹴ってくるって、性格悪すぎるだろう。

 やっぱりこの人は、僕の味方じゃなさそうだ……。

 こうして船は漕ぎ出されたのだが。

 背後の闇夜にそびえ立つ白鷹の城は、しかしなかなか遠ざからなかった。なにしろその巨大さといったら……本当に天を突くようで、かなり距離があるのにすぐ目の前に建っているようにみえていた。

 

「我らがビエール! 輝けビエール!」


 僕は金髪男が操る船にしばし揺られた。目指す山には一体何があるのか皆目わからぬまま。輝く頭の鷹を、船頭役として。




 

 湖の向こう岸に渡ると、優美な乗り物が僕らを待っていた。

 先端は鳥のくちばしを模したような流線型の細長い胴体。その中はまるで普通の部屋のよう。箱空間内に、座席やテーブルが置いてある。しかし車輪も引き馬もない……と思ったら、なんとそれは僕らが乗り込むなりふわりと浮き上がり、音もなく滑り出した。


「くくくっ。スポンシオン様の御座車に乗れるのは、今回の役得だなぁ」


 地面から浮くこともすごいが、それが音もなくものすごい速さで推進してるのもすごい。

 床に投げ出された僕は、息を飲んで窓の外をみつめた。木々が飛ぶように過ぎていくどころか、その形すら判別できないほどだ。


「赤妖精社が復刻した古い時代の乗り物だそうだ。スポンシオン様は、いつもこれで州内を行幸なさってるんだぜ」


 御者が一番前の座席にいて、ハンドルのようなものをしきりに回している。

 なんだか銀色の兜みたいなものをかぶっていて、もえるような真っ赤な髪がそこからはみでてる。

 よくみれば――まだうら若い女の子だ。真っ青なスカートはかなり短めで、すらりとした白い足が見えてるので、ちょっとどきりとする。

 

「赤妖精社から出向してきてる運転手だ。この乗り物は普通の馬車とは違うから、専用の運転手が要るんだとよ。それにしても、結構かわいい女の子じゃないか?」


 赤妖精社……きいたことない会社だ。

 閣議のリストでは見たことなかったけど、あれは貿易会社の一覧だったし。たぶん運送関係の会社なんだろうとひとり納得していたら。


「どうだ娘。ちょっとここで車を止めて、俺といいことしないか?」


 はた迷惑にも口説きだす金髪男、約一名。

 白い鷹は乗り物を先導して飛んでいる。運転手はそれをフロントのギヤマン面から見上げて追いながら、ハンドルを複雑に操作してるっていうのに。


「運転中です。ベルトを締めて、席にお座りください」

「おっと。そんなこといわずに楽しく話でもしようぜ、お嬢ちゃん。名前はなんていうんだ?」

「お座りください。でないと強制的に座ってもらいますよ」


 赤毛の娘がにらんできたので、金髪男はチッと舌打ちして引き下がった。

 この人、妹さんにも言い寄ってたけどつまり、節操のない女たらしってことか?

 それにしてもこの操縦席、よくみたら部品がいっぱい。なんだか雰囲気があの、寺院の深淵から出るとき使った真珠玉に似ている。パイプの配線具合とか、まるい時計のような部品がびっしりなところとか。

 鉄兜の女の子が持つハンドルに、あのなんとか式っていう銘が打ってあるんじゃなかろうか。そう思って目を細めて見てみれば、やっぱりその刻印があった。


『創砥式7305』


 年号は違うけど、真珠玉や時計鍵に刻まれていたのとおなじ名前だ。

 そうと。ソート。

 たぶんこれをつくった技師の刻印だ。ほんといろんなものを作ってるんだな。

 でもこの車って、古代遺物の扱いじゃなかろうか。封印所に入れなくちゃならないレベルのものに思えるけど、使っていいのかな。もしかしてスポンシオンさまがこっそり封印所から持ち出したものだったりして。兄弟子さまも躊躇なく真珠玉を使ってたし、我が師は蛇腹扇を僕とリンに持ち出させてたし。

 導師さまたちって、古代遺物を扱うエキスパートなせいか、それに対する警戒心があんまりないように見える……。

 細い林道を走る車の前方に巨大な山が見えてくると。しばらくおとなしく座っていたゴランスン卿が、瞳をぎらつかせて席から立ち上がった。

 

「おい運転手。ご不浄だ」

「はい?」

「もよおしてきたんだ。ちょっと止めてくれ」

「急ぎですのでがまんしてください」

「いや、俺じゃない。かわいそうなナッセルハヤートが、う○こを漏らしそうなんだよ」


 ちょっ……なにをいいだすんだこの人は。

 

「さっきから、中身が出かかってるようなオナラばっかり、かましてきてね。必死の形相で俺に訴えてくるんだ。だからちょっと止めてくれ。おれが背負って用を足させてくる」


 こんな不名誉、嫌がらせ以外のなにものでもないだろうっ。せめておしっこにしてほしいっ。

 もとい。

 これはよからぬ企みなんじゃないかと思ったら、まさしくそうだった。

 御座車が仕方なく止められる。背負われて出された僕は、闇夜の森の中、一本の太い木の幹に押しつけられ、胸倉をつかまれた。


「さて。取引といこうじゃないか?」


 脅しの内容はしごく単純明快。

 もし金髪男が僕を妹さんに差し出したら、彼女のおぼえがめでたくなるのは必至。

 たぶん妹さんは金髪男に惚れて(僕は絶対ないと思ったが本人はそう豪語した)、礼金どころか夫の地位もくれることだろう。

 その望みを捨ててスポンシオン様に従うのだから、何かそれに見合う見返りをよこせ――


「恩人のスポンシオン様の謝礼など、微々たるものさ。金貨数枚というところだ。しかし俺はあの人には貸しがあってねだれない。だからおまえを脅すのさ」


 貴族というよりほとんどごろつきだなと閉口しつつ、僕はこくりと渋顔でうなずいた。

 助けてくれるというなら、それなりの感謝と礼はするべきではある。請求の内容いかんによっては検討しないこともない。

 が。

 

「いいか、いついかなるときでも全面的に俺に従え。それほどの貸しをおまえは俺に作ったんだ。もし魔女が俺との結婚を万が一躊躇したとしても、おまえが後見人代理として命じれば従わざるをえないはずだ。そのおまえを、俺は意のままに操らせてもらうって寸法さ。さあ、ここで誓え。これから一生、おまえは俺の下僕になるといますぐ誓え」

 

 こいつの狙いは僕が持っている権力。後見人と変わらぬ絶大な決定権。

 うん、これは却下。とりあえない条件だ。

 僕は相手を睨み、自分の喉を震える手で指差した。声が出ないから誓えない、と身振りでしめす。だが僕を見下ろす相手は、にやにやしながら右手を差し出してきた。

 

「手の甲に口づけしろ。それでおまえは誓ったことになる」


 もし誓わなければ、僕はさっき湖に落とされた薬みたいに不可抗力な理由をつけられて、妹さんに引き渡されるんだろう。しかしこいつをはりたおして車に戻ることは、今の身体状態じゃとうてい無理だ……


「ぐ……」

「ほら早く誓え」


 金髪男がいらついて僕の頭をつかみ、手の甲に寄せたとき。

 ぶばっと、白い影が僕らの間を飛び抜けて引き離した。


「ありょ! ありょ! ありょるびえーるううう!」


 使い魔の白い鷹が舞い降りてきたのだ。白い塊は弾丸のようにぎゅんと旋回して、ごろつき貴族につっこんだ。


「まったくほんとに使えんしもべだな! 弟を脅すとは言語道断っ」

「ちっ! おまえ先導して、先を飛んでたはずだろうっ! うぐあっ」

「ばかめ! 鷹の目をなめるな!」


 ぎりぎり歯軋りする金髪男のあごを、鷹の鋭い爪がつかんで一気に押し倒す。

 ずどんと倒れた相手の胸に乗り、鷹は高らかに雄たけびを上げた。もりもりなハト胸を、さらにもりもりさせて。


「ついでに耳もすごいのだ! いままでのことはぜーんぶ筒抜けだ! このまぬけがぁっ!」

「うぎゃああっ」


 暗い森になさけなくも、金髪男の悲鳴が響き渡った。白い輝きのはばたきのもとで。

  





 導師の使い魔ってなにげにすごいんじゃないかと思う。

 自分――ウサギのピピも、なんだか我が師に絶賛されてた雰囲気だったけど、この鷹もなかなかどうして、強くて賢い奴だ。

 結局鷹は、おそろしい突進力と尖ったくちばしの威力で、あっというまに金髪男をのしてしまった。

 

「ご主人さまに報告しますが、まったくどんだけバカなのでしょうねえ、こいつは」


 ふんと鼻を鳴らして、なんとそのまま、金髪男をそこに放置していくという鬼畜ぶりも見せてくれた。

 どうせおそかれはやかれワルド姫に情報を漏らすだろうから、ここいらへんで捨てていくと豪語して、ほんとにその通りに置き去りにしていったのだ。

 鉄兜の赤毛少女がろくに立てない僕を回収しに出てきてくれたんだが、のびてる金髪男にこれまたきつい言葉を浴びせてたのが、なんだか印象深かった。


「ほんとバカね。おじいちゃんにはあたしたちがついてんのよ」


 おじいちゃんというのは、赤妖精社の社長さんのことだろうか。

 まあたぶん、何もかもお見通しよ、という意味なんだろうと思う。

 鷹はまた鼻歌まじりに先導を始め、御座車は山をめざして走りだした。

 どうも僕が逃げ込む先は、妹さんに別に知られてもいい、というスタンスのようだ。

 とにかく山に入ってしまえば、手が出せなくなる――そんな状態になるらしい。

 

「もうすぐつくわ」


 運転席からくるりとふりむいて教えてくれる赤毛の子の顔は、ひどく優しげだった。

 

「ねえ、今いくつ? まだ十代?」


 えっとこれって。

 興味もたれてるってこと? いや、心配してもらってるだけだよな? そうだよな?

 

「そうよね。十代よね。でもほとんど変わらない……」

「う???」

「私シアン・プトリっていうの。覚えておいてね」


 鉄兜の赤毛少女はにっこり微笑み、目的地につくと僕を抱えて車から下ろしてくれた。

 

「ねえ、約束よ。ほんとに私の名前、忘れないでね」


 え? えっと? これって……


「シアン・プトリ。おじいちゃんが、そうつけてくれたのよ。私この名前、とっても好き。このスカートの色も」


 スカートの色どおりの名前。って、な、なんかえらく、気に入られた? 僕はこんなていたらくだっていうのに。

 しかし社長さんが名付け親なんだな。親戚の娘さんか何かなんだろう。

 

「しあ……し……」


 うう、口がまだうまくまわらない。


「かわいそうに。でももう大丈夫」


 青スカートのシアンが僕を支えおろしたところは。

 

「鷹のお膝もとにきたから、だれも手出しできないわ」


 目を見張るほど大きな洞窟の中。しかも。

 

「さあ、奥へ行きましょう」


 そこはでこぼこの岩壁なんてまったくなく、一面、真っ白でつるつるの壁に覆われていた。

 あきらかに人工的に作られた空間だ。

 

「もう大結界の中に入ったわ。いちおう、アリョルビエールに挨拶してね」

 

 誰に挨拶するって?

 青いスカートの少女が優しく微笑み、僕の肩を支えていざなう。

 空洞の奥へと、まっ白い空間をひたすら進む。

 

「わが父! 偉大なる鳥の王! 鷹の中の鷹!」


 羽音をたて、白鷹が僕らの脇をすうと飛んで抜き去る。勇壮なる使い魔は、はるか前方にある卵型の丘のようなものの上に舞い降りた。


「白鷹家の守護神獣! ごきげんよう! ごきげんよう! 白銀のアリョルビエール!」


 その巨大な宝石のような丘の中には、何かがいた。

 煌々とそれ自体、光を放ちながら。

 眠っている、何かが。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

アスパシオンの弟子 「黒の章」・「灰の章」 深海 @Miuminoki777

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ