第一章 代償に得たもの (3)
さかのぼること数時間前。
「寒い……。コートから出た手を温めてくれる彼女がほしい。本当なら今頃おれの隣を歩いているのは
すでに夕日が沈んで薄暗くなってきた放課後、清明駆はコートのポケットに突っ込んでいた手をわざわざ寒空の下に晒しながら愚痴をこぼす。すでに幾度となくこぼれてきた負の言葉だが、それを毎度聞かされている隣の少年はうんざりした顔で、
「もういい加減に諦めろよな、確かに伏見先輩が転校してなかったら付き合えたかもしれないけどよ、実際もう本人はいなくなったんだ。つぎのチャンス目指してがんばるしか」
「うるせえ彼女持ちの師匠におれなんかの気持ちがわかってたまるか! ちくしょーなんだよやっぱり女子はイケメンでちょっと悪い雰囲気の男子が好きなのかよ」
駆は隣を歩くイケメンの
「悪いって言われてもおれは別に不良じゃないんだが。それにおれだって彼女を作るのに努力しなかったわけじゃねえぞ」
「あーはいはい長身で美形でクールなテニス部エース様のお言葉は胸に響きますなぁごふっ!?」
イケメンは卑屈野郎の相手をするのが面倒になったようで、厚手のコートを突き抜けるほどの衝撃で小突き返したあと、「じゃあおれ彼女と待ち合わせしてるから」とナチュラルに駆の傷をえぐりながら去って行った。
宍井将の向かった先は街の中心部にある駅前の広場で、そこでお嬢様学校に通う清楚系彼女とデートに繰り出すわけである。
(おれは同じ学校ですら彼女が作れないっていうのに、かたやテニス部の合宿で偶然一緒になったお嬢様学校の女子と付き合えるんだから、嫉妬もしたくなるよな)
駆は宍井の後ろ姿を見ながら、ここ最近で何度目になるかわからない溜息をついた。
さきほどから話題に出ていた伏見先輩とは、年明けに転校してしまったキレイ系の先輩女子である。文化祭実行委員として一緒に活動する機会があり、奇跡的というべきか、初めてそういう意味で親密な関係になれた女子だった。これはイケるんじゃないか!? と恋愛初心者なりにムードを考えて後夜祭中の校舎裏で人生初の告白を試みたわけだが、伏見先輩は急に泣き出したかと思えば『実はもうすぐこの学校をてんこ……っ、ごめんなさいっ!!』と、その事情がなければ付き合えたのかどうか無駄に期待を持たせる振り方をして本当にすぐ転校してしまったのである。
以来ここ二か月ほど、不完全燃焼な失恋をひきずっているわけなのだ。
実家のマンションへ帰宅するべく道路沿いの歩道を歩いていた駆だが、そういえば今日は漫画の新刊の発売日だったな、と進路を大手チェーン店の本屋に変更した。
街並みの雑踏から離れ、人気のない大きな自然公園の中をぬけていく。きれいに舗装されたアスファルトを歩いていると、公園の中心あたりに来たところで駆は視界に違和感を覚えた。
自動販売機の横に並んだ二つのベンチ――その一方に妙な黒いかたまりが置いてある。
(いや、違う)
置いてあるのではない……座っているのだ。
チカチカと明滅する街灯のせいで見えづらいが、全身を黒いコートでおおっているらしく、目深にかぶったフードの奥からしわだらけの青白い顔が見え隠れしていた。性別は判断のしようがないがどうやら老人らしい。
気味が悪いな、と思いつつも歩みを止めるわけにもいかないので、駆はすこし早足になりながら通り過ぎようとする。
が、
「待ちなさい、少年」
駆を呼び止める、しわがれた声。
周囲に他の人影はない。それは間違いなく駆へ向けられたもの――声色から察するに老婆のようだ――だったが、しかしいったい何のために?
「えっと、なにか?」
無視しようかとも思ったが、さすがに失礼かと考え直して返答する。このあたりに浮浪者がいた覚えはないし、もしも体調不良とかであれば大事である。
しかし老婆が突き付けた次の言葉で、そんな心配は無用だったと悟った。
「あんた、恋愛について悩んでいるね」
「は?」
「彼女がうまいこと作れない、か。若者らしくて良い悩みだね。若さにあてられてこっちが照れくさくなりそうだよ」
あ、これヤバイ人種だ。
関わると危険だと現代っ子として培われてきた不審者センサーが告げている。駆が即座に回れ右をして老婆から距離を取ろうと踏み出したところで、しかし老婆の妖しい言葉は彼の足を縫い付ける。
「あたしが叶えてあげようか、その願いを」
彼女がほしいというその願いを、と。
『彼女』という言葉に必要以上にナーバスになっている今だからこそ、政命駆は老婆とまともに目を合わせてしまった。会話を続ける意思を、示してしまった。
老婆は続ける。
「どうだい、少しはあたしの話を聞く気になったかい。まあボケてるわけじゃあないから安心しな、うさんくさいのも自覚しているからね」
「……なんなのおばあさん、占い師かなにか? おれそんなものに払う金なんてないんだけど」
「占い師ねえ、あたしはそんなチャチなもんじゃあないよ。しいて言うなら、そうだね」
魔女。
分かりやすくて端的に。
しわくちゃの口元をゆがめた老婆は、確かにそう言ったのだった。
……いったい自分は何を血迷っているのだろう。
せっかくの放課後にしわくちゃの老婆とベンチで仲良く並んで座っている現状を客観的に考えて、イケメンな友人との社会的格差に打ちひしがれる清明駆。二人の手にはペットボトルのあたたかいお茶が握られているのだが、これは駆のちょっとした親切心である。
「で、魔女のおばあさん。どうやっておれに彼女をプレゼントしてくれるっていうんだ。はっはっはっまさかおばあさん自らおれの彼女になってくれるとかそういう話じゃあ……おえぇっ!!」
「自分で想像して吐きたくなるようなボケをかますんじゃないよ失礼な小僧だね」
「ず、ずびばぜん。彼女ができなさすぎてもう自虐するしかなく」
「だからそれをあたしが何とかしてやろうってんだよ。わりと苦労しているみたいだからね、手を差し伸べてあげようじゃあないか」
いやに自身満々な態度で言ってくる老婆だが、駆にはどうにも分からないことがある。なぜこのおばあさんは駆に彼女ができないことを知っていたのだろうか。詐欺師かなにかである可能性を捨てないのであれば、誰にでも同じように声をかけて引っかかるバカを待っているのだろう。まさしく今の駆がそうである。
(まあ十中八九そうなんだろうけど、もし本当になにか不思議な力があるなら……って、こんなこと考えてる時点で末期だな)
「疑り深いねえ、もうすこし遊び心をもっても人生損はしないよ」
「なぜおれの考えてることが!? まさか本当に心が読めっ……」
「その渋い顔を見たら誰だって分かるさ。疑われるのにも慣れてる。せっかくのお客さんだからね、逃げられる前に本題へ入ろうじゃあないか」
いいかい、と老婆はひとさし指を思わせぶりに立て、
「あたしには人の恋愛に関する運気やその他もろもろが見えるのさ。いま恋人とどんな状態か、もしくはどれだけ恋が実っていないのか……と、そんな具合にね。だからあんたの悲惨な失恋譚も見えたわけだ。ところであんた、名前は」
「え……駆だけど」
「駆だね。ここからが大事なところなんだが、あたしは恋愛運を見るだけじゃあない、その運気を上げることができるんだよ。つまりだ駆、あたしがあんたの恋愛運を上げてやれば、彼女なんてあっという間にできるってことさ。どうだ、少しはこの話に乗ってみる気になったかい」
ああ、やっぱりこういう手合いなのか、と駆は拍子抜けした。
霊感商法なのか何なのか知らないが、いくら傷心中だからといって健全な高校生がそんなものに騙されるわけがない。
「悪いけどおばあさん、おれの懐事情だと厳しいからさ、他の人をあたってくれるかな」
そういってベンチから腰を浮かせる駆だが、
「人の話は最後まで聞きな。いつあたしが金をくれなんて言ったよ」
「……ちがうの?」
「言ったろう、あたしはそこらのチャチな占い師じゃあないって。あたしが恋愛運を上げる代償に要求するものは、ただ一つ」
ぬらりとした粘っこい動きで持ち上げられた老婆のしわくちゃなひとさし指が、駆の着ているコートに突き立てられる。
正確には、その心臓のある位置へと。
「――命、さ」
「いのち?」
「そう、文字通りの命だよ。あたしはもらった命の量に応じて、相手の恋愛運を上げることができるんだ」
「そんな嘘くさい設定を現代っ子であるおれに信じろっての? ちょっと無理があるんじゃないかな」
「まあ最初から信じてもらえるなんて思っちゃいないさ。ものは試しだ、何年か命を捧げてみる気はないかね」
命ねぇ、と駆はしばし思案する。
この老婆の言っていることなんて毛ほども信じる気にはなれない。だが本当に命を対価にするのかはさておき、金銭的なやりとりが発生しないというのであれば一考の余地はある。
(まあタダで占ってもらえると考えれば悪くはないな。うさんくさいのは変わりないけど、このばあさんと会うのもこれっきりだろうし、試すだけならいいか)
「よしわかった、そこまで言うなら早速おれの恋愛運を上げてもらおうじゃないか」
「そうかいそうかい、いい返事が聞けてうれしいよ。ただし命をいただかないことには話にならないからね。ちょいと手を貸しな」
こういう形式的な手順はやっぱり踏むんだな、と元も子もないことを思いつつ手の平を晒す駆。想像上の占い師像から、てっきり手相を見るものだと考えてしまったのだ。
「ちょっとチクッとするけど我慢するんだよ」
「なにその注射する看護師みたいなセリフっていたぁっ!?」
いつの間に持っていたのか、老婆は裁縫に使うような針を使って駆のひとさし指をぶっ刺していた。ぷくっ、と指の腹から血が玉のように浮き出してくる。
――老婆が何度も言っていたではないか、自分は占い師ではないと。
なにすんだこのクソババアと駆がキレる若者らしく暴言を吐くより早く、わりと握力の強い老婆が手首をぐいっと引っ張ってくる。
「あれ、おい、ちょっと待て」
――もっと老婆の言葉を真剣に受け止めていれば、この先に起こる悲劇は回避できたのだろうか。
「こら動くんじゃない、手元が狂うだろう」
しわくちゃの老婆……もといクソババアは駆のひとさし指をどんどんと引き寄せる。
そう、
「え、うそ」
しわくちゃな老婆の、しわくちゃな顔面の、
「それじゃあ、い た だ き ま す」
「は」
しわくちゃな唇へと、健全な青少年の指は吸い込まれていき、
ぱくり、と。
一切の容赦も慈悲もなく、クソババアの口内へと咥えられてしまったのだった。
ヤンデレになった彼女たち いんぷ @imp
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