第一章 代償に得たもの (2)
とまあ、そんな殊勝なことを考えていても駆が現在もつスキルのレベルが上がるわけではなく、
「……」
「……」
沈黙が痛い。
あれから数分、街灯が照らす歩道を本当にただ並んで歩いているだけの二人だった。
そう、勇んで一緒に帰ろうと頼んだものの、駆はこういうときに気が利いた話題をすらすら出せるようなトークスキル(女子限定)を持ち合わせていなかったのである。かといってこれ以上、車の走行音ばかり聞いているわけにもいかない。頭の中をこねくりまわして世間話のネタを探していると、ありがたいやら情けないやら、園原のほうから話を振ってくれた。
「けっこうね、意外だったのよ」
「意外……って、なにが?」
「清明くんって、あんなふうに強気な態度で上級生にケンカを売るようなタイプには見えなかったから」
「あぁ、いや、あれはその……体が勝手に動いたというか」
まさしく言葉通りの意味なのだから、そう言うしかない。
「ふうん、厄介事に巻き込まれるのが嫌だとか、考えなかったんだ?」
「んー……、なんか、考える暇もなかったっていうか」
事実、気が付いたらすでに助けに入っていた。
「そう。わたしだったらね、助けるのにかなり躊躇すると思うの。まず真っ先に自分に危害が及ぶことを考えるから」
大抵の人がそうなんじゃないか、と駆は思う。今回のことだって、もし絡まれている相手が園原ではなく顔も知らない他のクラスの女子だったら、果たして自分は様子を見ることすらしただろうか。
なんにせよ今の委員長は気分が落ち込んでネガティブ思考に陥っているはずだ。駆がすべきなのは彼女のフォローである。
「まあおれが考えなしのバカだっただけで、それが普通の感覚なんじゃ――」
「その通り、あなたと違ってわたしの感覚は正しいのよ!」
「あ、はい」
ぴしっ、と園原の指が駆の鼻先に突き付けられる。とくに落ち込んでいるわけではなさそうだった。むしろ怒りというか、苛立ちを感じさせる口調で彼女は言う。
「だから今日のことだって、本当ならあんな大げさな問題にはならないはずだった。最初に声をかけられたときだって、適当にあしらってさっさと逃げるはずだったのに……」
「……できなかった?」
こくり、と園原がうなずく。
「べつに形だけでも謝罪の言葉をいって終わるんなら、それでいいと思ってた。けど今日に限っては、なんでこんな人たちに頭を下げなきゃいけないんだって無性に腹が立って……結果、あんな口論にまで発展したの」
しかめっ面の園原は、理性で律することができなかった自分自身を悔やんでいるようだった。普段から規律を守る側である彼女だからこそ、平静を保てず事態を悪化させたことへの後悔が大きいのだろう。
「そっか。でも、おれは園原さんが怒ってる姿が見れてよかったけど」
「……いいわけないでしょ、誰にも見られたくなかったわよ」
「だって園原さんって、普段は真面目なとこしか見せないから。自分の感情にまかせて怒ることもあるんだなって、親近感がわいたっていうか」
「勝手に親近感わかないでもらえるかしら。わたしは理性的な人間でいたいの」
「……ねえ、そのわりにさっきからおれに厳しくない?」
「あら、わたしに怒られるのがうれしいんじゃなかったの」
「その言い方だとおれが変態に聞こえるからやめてくれる!?」
なんとか冗談を言ってもらえる程度には話が弾んでいた。というか園原も冗談は言うのか、と駆はその意外な疑問を本人にぶつけてみると、
「まあ、あんな姿を見られた後だから遠慮はなくなってるのかもしれないわね。でもあなたがわたしを怒らせるようなことを言ってるのも確かなのよ。だからあまり調子に乗らないように」
そうこうしている内に、レンガ調の舗装をされた広場にさしかかった。花壇の中に設置された石製の看板には『御霊自然公園』と書いてあり、二人はその横を抜けて公園の中へ入っていく。
と、
「うっ、なんだこれ気持ち悪い……」
きれいに舗装されたアスファルトの道を少し進んだときだった。またしても駆の胸元から正体不明の吐き気がせりあがってきて、思わず駆の歩みが止まる。
「え、急にどうしたの。大丈夫?」
背中を丸めて口を押える駆を心配した園原が、ゆっくりと背中をさすってくれる。
「……うん、大丈夫。マジで吐いたりするほどじゃないから。ごめん、行こうか」
「それならいいけど……。無理しないでよ」
園原の前では強がったものの、駆の吐き気は引くどころか増していた。確かに胃の内容物を吐くような類のものではない。だがとにかく気持ち悪いのだ。足を動かすほどに――そう、自然公園の中心部へと近づくほどに。
吐き気を我慢したまま歩いていると、ようやく中心部の象徴である噴水広場が見えてきた。周囲には木製のベンチがいくつか置いてあるほか、二種類の自動販売機が備え付けられている。
(そうだ、あのときは確か自販機横のベンチにあれが……)
似たような光景に刺激され、数時間前の情景が記憶から呼び起こされる。今とは反対方向の道を歩いていた駆の視界がとらえたのは、ベンチに鎮座するゴミ袋のような黒い塊。不審に思いつつも無視して通り過ぎようとしたとき、のっそりとその黒い塊が動きだし、そして――、
「清明くん!」
びくっ、と駆は肩を震わせる。
「あ……」
目の前にいたのは眉根を寄せた園原だった。辺りを見回してみると既に噴水の前まで来ており、駆が意識をさまよわせている間に目的地まで到着していたようだ。
自動販売機の横にあるベンチにあの黒い影は――ない。
「本当に大丈夫なの? 一、二分くらいボーッとして反応がなかったけど。まだ気分が悪いなら家まで送ろうか?」
「いや、ちょっと考え事してただけだから。なんかおれが送ってもらうような形になったみたいで、ごめん」
「そんなことないわ、ここに来るまですごく安心できたもの。送ってくれてありがとう。それじゃあ、また明日学校で。体調には気を付けてね」
ひらひらと手を振りながら、園原は歩き去っていく。その後ろ姿が見えなくなるまでの時間を、駆は立ち止まって休息としていた。
未だに吐き気はあるものの、駆の気持ちはむしろ喜びに満ちていた。女子と仲良くなれたことによる思春期特有の昂揚感が、駆の表情を自然とニヤけさせる。
(まさか園原さんとこんなに話ができるなんてな。人生ってなにがきっかけでイベントが起こるかわからないもんだ)
しばらくそうして余韻に浸っていると吐き気の波も引いてきた。さあそろそろ帰ろうか、とスキップでもしかねないほどのいい気分で歩き出そうとしたところで、
「ずいぶんと機嫌がよさそうじゃないか。よほど新しい女の子と仲良くなれたのが嬉しかったみたいだねぇ」
ぶわっ、と駆の額から冷や汗が噴き出した。
背中にかけられた女性の声には聞き覚えがある。しかしまた押し寄せる吐き気の波が記憶の再生を拒んでいるせいで、後ろにいる誰かの正体を思い出すことができない。
それでも体は警戒心から反射的に振り返ろうとする。見てはダメだ、という考えも一瞬のうちに思考回路を巡るが間に合わない。
(でもなんなんだ、この違和感は)
振り向く駆の視界の端に、黒い服のようなものが映る。数時間前にのっそり動いたあの黒い塊が、フラッシュバックする。
(おれが知っているはずの声よりも……若い?)
そしてついに、駆は後ろの正面にいる消えた記憶の正体と相対した。その瞬間、忌まわしき絶望のトラウマが記憶の奔流となって押し寄せて――
「……………………………………………………………………………………誰?」
――こなかった。
そこにいたのは、ベンチに腰かけて足を組んだ四十代から五十代あたりの、いわゆる熟女と言われる世代の女性だった。年齢予想に幅をもたせたのは、その女性が持つ独特の色香のせいである。
確かに明確に老けてはいるのだが、もともとの顔立ちが整っているのはもちろんのこと、自身の容姿の良さを自覚しているのだろう、真紅の口紅が目を引く派手な化粧が彼女を若く見せていた。
「誰とはまたごあいさつだね。まあ、わからなくなるのも無理はないが」
熟女は黒いコートの胸元に手を入れると、取り出したのはタバコの箱だった。女性が好むスリムなタバコをふかす姿は様になりすぎていて、思わず駆は見入っていた。
すると彼女はこれみよがしに赤い唇で派手にタバコを吸う仕草をして見せて、紫煙を吐きながらこんなことを言う。
「こーんな感じで、情熱的に指を吸ってあげったていうのに、忘れられるなんて悲しいねぇ」
ちっとも残念がる調子ではないどころか、むしろからかうような熟女の声色だが、気にするところは当然そんなところではない。
(いま、このひと、なんていった?)
もう一度、彼女の言葉を脳内で反芻してみる。
ゆびを?
すって?
あげた?
「……あ」
ぶるっ、と駆の体が痙攣のように震える。
「あぁ、あああ」
がたがたと大きく震えながら、駆は頭を抱えてせまりくるトラウマの記憶に怯え、絶望し、そして――すべてを思い出した。
「うわあああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!!」
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