第一章 代償に得たもの (1)
どういうわけか夜の自然公園に一人ぽつんと突っ立っている清明駆なのだった。
「……あれ?」
小一時間ほど前から今に至るまでの記憶がない。
もう少し時間を遡って記憶を探ってみると――そう、今は学校から帰宅しているところだった。途中までは友達と二人で帰っており、友達と別れたあと本屋へ寄る近道にこの自然公園を歩いていたのだ。
街並みの雑踏から離れ、整然とした木々が立ち並ぶ自然公園は暖かい季節であればウォーキングにはげむ住民がそれなりに見られるのだが、寒さの厳しい二月では物寂しい雰囲気を演出するだけ。日も落ちて薄暗くなりはじめた時間帯、電球が切れかけているらしくチカチカと明滅する街灯に照らされて、木製のベンチに黒いゴミ袋が置いてあるかのごとく、その老婆は座っていて……、
「うっ、何だ急に頭痛が……!?」
原因はさっぱり分からないが思い出せるのはそこまでだ。
込み上げてくる正体不明の吐き気をこらえながら、とにかく当初の目的であった本屋へと向かうべく足を進める。自然公園を抜けてすぐの横断歩道をわたったところで大型書店へ到着し、自動ドアをくぐると暖かい空気が冷えた体を温めてくれた。
普段なら目新しい漫画を探して店内をフラフラする駆だが、今日に限っては精神的にとてつもない疲労感があったため、目的の漫画の新刊を手に取ってさっさと会計を済ませてしまう。
名残惜しい暖気に後ろ髪をひかれつつ店を出て、いざ帰宅の途につかんと一歩を踏み出したところで、
「ん?」
なにか人の心を不快にさせる、独特の空気感を持つ光景を視界の端にとらえた。思わず足を止めて、自動販売機やプラスチック製のテーブルとイスがいくつか置いてある休憩所のほうを注視してみると、
(嫌な場面みちゃったなぁ……)
そこにいたのは駆と同じ高校の制服――上はそれぞれ違うコートだが、下は学校指定の灰色と白のチェック柄のスカートだ――を着た、六人ほどの女子生徒の集団だった。当然のことながら、全員が同じ制服だからといってみんなが友達というわけもなく、不穏な空気の正体はその集団の極端な位置取りにあった。
片やただ一人、片やその他五人全員が、向かい合う形で対峙しているのだ。その一人はテーブルとイスを背にしているため逃げ場がなく、ほぼ取り囲まれているといってもいいだろう。
そして、駆はその一人に見覚えがあった。
(あれは……やっぱり
園原
対して他の五人は、見た感じおそらく二年生だと思われる。
御霊高校では二年生から国公立や市立大学進学を重視した特進コースと、専門学校進学や就職を重視した家政科コースとに分かれるため、見た目の特徴から学年が絞れるのだ。彼女らは家政科コースの二年生だろう。
家政科コースの生徒の特徴を端的に言ってしまえば、とにかく派手なのである。化粧の濃さ、脱色してパーマをかけた髪、着崩されただらしない制服、アクセサリーやネイル等々……。もはや同じ学校の生徒とは思えないほどに、特進と家政科には隔たりが生じているのだ。
加えて今は進路も大体決まっている二月だ。ほぼ自由登校状態の三年生がそんな恰好で街中をうろついている理由がない。
そんな二年生のギャルたちと、間違いなく特進コースへ進むのであろう園原委員長がもめている原因はなんなのか。太いコクリート製の柱へ身を隠しながら近くまで移動して耳を傾けていると、要はこんな事情らしい。
『二年女子Aには好きな男子がいたのだが、その男子は園原姫に告白してしまった。そしてあろうことか園原姫はその告白を断った。あんたはいったい何様だ。二年女子Aの立場はどうなるの。この落とし前はどうつけてくれる』
(……えらくこじつけくさい理由でからまれてるな)
こんな理由で因縁をつけて相手に何を望むというのか。どうせ適当に謝罪の言葉を述べたところで帰す気はないのだろうし、どう対処したものか困るのが普通だ。しかしそこはお堅い正義の委員長、実に毅然とした態度で、
『先輩方には関係ありません』
『いいからそこを通してください』
『第一その身だしなみはなんですか家政科コースの昔からの校風ということでいつも見過ごしていますけどやはり同じ御霊の生徒としては第三者からのイメージというものがふじこふじこ』
などと帰ることのできない苛立ちからか、お説教まで始めている。
しかしそんなことをすれば二年生ギャルたちの神経を逆撫でするのは明白。遠巻きに眺めている駆にも上級生のイライラが募るのが肌で感じられ、さらに緊迫した状況へ発展するのを心配したのも束の間、ついに二年生の一人が手を出してしまったのである。
「いたっ」
どんっ、とあまり手加減をしていないような力感で園原姫が肩を小突かれる。
「あーうざ、ほんと生意気なやつ。ねえ、こいつの長い髪ムカつくから切っちゃう?」
ふざけ半分といった感じで笑いつつ、連中の一人が化粧道具を収めているのであろうポーチから軽くのぞかせたのは、
(げっ、ハサミ!?)
さすがに明確な凶器を見せられては、強気な園原姫の顔も凍り付いてしまう。
(やばいやばいどうすれば……っ!!)
当然、こんな事態に遭遇なんてしたことのない駆の頭も混乱を極める――はずだったのだが、
パシャパシャパシャパシャパシャパシャパシャパシャパシャパシャッ、と。
緊迫した空気を切り裂くように、カメラの連写音が鳴り響いた。
「は?」
園原も含め、いぶかしげな表情をした女子たち全員の視線がその音源のほうへ向けられる。そこへいたのはもちろん、
「え?」
と間の抜けた声を発しながら、ばっちりとスマートフォンを構えている駆なのだった。
(な……なにが起きて……)
数秒前と変わらず、駆の心の中は戸惑いの言葉をつぶやいていた。だが頭の中だけはやけに鮮明としており、今も『スマートフォンの連写機能で女子高生の集団を撮った』ことを、その行動の意味を含め、この後どうするべきなのかも理解できていた。
「なにアンタ、うちらになんか用なの」
彼女らのリーダー的存在なのか、二年生集団の中でもっとも身長が高く見た目のキレイな女子が代表して話しかけてきた。
ああいやそのぉ……、と思いっきりどもっている心の声とは別に、
「そろそろ、うちの同級生を離してもらおうかと思ったので」
と、駆の口は滑舌よくはっきりとそんなことを勝手に口走る。その言葉に一番びっくりしているのは駆本人なのだが、園原姫も負けず劣らず驚いた顔をしていた。まさか助けに入る人――しかも同じクラスで特に仲の良くない男子――がいるとは夢にも思っていなかったのだろう。
「ぷっ、なに、この子を助けようっての。今とった写真を盾にして? ちょっとからかっただけでうちらまだ何もしてないし、こんくらいのことで大げさに騒がれても反応に困るんですけど」
人を小馬鹿にしたようなクスクス笑いが連鎖する。それだけでも駆は気後れしそうになっているはずなのに、口調だけは一つの揺らぎもなく言葉を発していく。
「おれだって呼んだこともない警察なんて呼びたくないですよ。だからその辺でいいでしょ、刃物ちらつかせてこれ以上やるなら、こっちだって本気で対応するしかないって言ってんの」
(おれこんなに語気強めたの生まれて初めてなんだけど……)
弱気な心とは裏腹に、上級生の嘲笑にも屈しない強気な態度でこの場を収めようとする駆。
『警察』という単語に何人かの女子は少し顔をこわばらせて笑わなくなった。だがリーダー格の女子は余裕の表情を崩さずに、
「で、警察呼んでどうすんの? そのあたしらがただ映ってるだけの写真を見せて何を訴えるの?」
「……」
なにも言い返さない駆に、リーダー格の女子は畳み掛けるように言う。
「さっきの写真、どうせ暗くてろくなもの撮れてないでしょ。ハサミどころかあたしらの顔すら分かんないんじゃないの?」
取り巻きの女子たちが『なるほど』という顔をして歪んだ笑みを取り戻す。
確かに彼女の言うとおり、駆が撮った写真は『ただの女子高生の集団』でしかない。上級生が園原姫を取り囲んでいる構図もよく分からなければ、ハサミが入っているポーチすらまともに映ってはいない。所詮はスマートフォンのカメラで離れた場所から撮影した写真、明らかにハッタリだと確信されてしまっている状況なのだが、
「そうですけど、それで警察を呼ばない理由にはなりませんよ」
「……は?」
今度こそリーダー格の女子の顔から笑みが消えた。
「なに言ってんの、証拠もないのに警察呼ぶって……面倒なことになるだけじゃん」
「そう、だからおれは写真を証拠に先輩たちを追い払おうとしてるわけじゃない。おれはこの状況で警察が呼べるだけの行動力はある人間だってことを伝えてるんですよ」
駆がそこまで意思表示したところで、ついにリーダー格の女子が明確に嫌そうな顔をした。警察にびびっているわけではない、これは駆を相手にするのが面倒なことに気が付いたのである。
どれだけガラが悪かろうと、彼女たちとてれっきとした公立高校の生徒だ。生意気な下級生の情けない姿を拝もうとしてハサミをちらつかせたのだろうが、実際にそれで傷害事件になりかねない行為をするほど堕落はしていないはずなのだ。
だからこそ、冗談の通じない相手が面倒くさい。
「あーも、いいよ分かった。みんな行こう、これ以上あいつ刺激するとホントにヤバそうだわ」
なぜか駆がアブナイ不審者みたいな扱いを受けているが、とにかく二年生女子たちの興を削ぐことには成功した。
ちっ、ともはや駆だけに対して舌打ちしたり、『ほーけー』『どーてー』などと――それが真実かどうかはさておくとして――風評被害も甚だしい悪態をつきながら、彼女たちは去っていく。
「はぁ……なんかすげー疲れた」
(あ、普通にしゃべれた)
ようやく思ったことがそのまま口をついて出てきた。つい今しがたまで喋っていた自分は何だったのだろう、と駆は自問する。
「ねえ」
勝手に頭が事態を理解して、これまた勝手に解決策を実行したという感覚しかない。
「ちょっと?」
まさか知られざる第二の人格が……っ!? と中二っぽく戦慄していると、
「清明くん!」
「はいっ!?」
びくぅっ、と駆は肩をはね上げて驚いた。不意に自分の名前を呼ばれたとき特有の焦りを感じながら、駆は声の主に向き合う。
「大丈夫? なんだかぼーっとしてたみたいだけど」
「園原さん……。いや、おれはべつに何ともないけど。園原さんのほうこそ、あの人たちに変なことされなかった?」
聞くと、園原はここで初めて笑みを見せた。
「そこを清明くんが助けてくれたんじゃない。ありがとう、おかげで何もされずに済んだわ」
「いやー、ははは……」
いまひとつ助けた実感のない駆は『どういたしまして』と言うのも憚られるため、乾いた笑いでごまかす。園原はちらりと腕時計で時間を確認すると、
「あぁ、もうこんな時間になってたんだ。それじゃあ、わたしはもう帰るわね。今日は本当にありがとう」
「あ、はい」
園原はきれいなお辞儀をして、あらためてお礼を言ってくれた。まあモヤモヤした事情はあるとはいえ、感謝されるのは悪い気分ではない。
(すごいな園原さんは、あんなことがあってもいつも通り冷静で。やっぱおれみたいな小心者とは出来が違うんだな)
園原の切り替えの早さを素直に感心する駆をよそに、凛とした委員長はぴしっとした姿勢を崩さないまま歩き出そうとして、
「きゃっ」
「え」
がっ、と。
見事なまでに両足をひっかけると、一直線に駆のほうへ倒れてくるのだった。
とす、と園原の頭が駆の胸元に収まった。いやそれどころではない、まるで抱き合っているかのように身体同士がぴったりと密着して……。
「な、なななななっ……!?」
女子と抱き合うどころか手だってまともに繋いだことすらないチェリーメンタルの青少年は硬直してしまう。あぁ、女子の髪ってほんとにシャンプーだかリンスだかの香りがするんだなぁ、などと抗いようのない本能の片隅でそんな感想を抱いていたのだが、
(――あれ、園原さん。もしかして)
「ごっ、ごごごめんなさっ!?」
「おぶっ!!」
ごん、と鈍い音がさく裂する。
いきなり顔を上げた園原の頭頂部が、駆の顎を思いっきりド突き上げた音だった。
「うぐぉおおお……っ」
「あぁっ、ほ、ほんとにごめんなさい!」
思わず膝が折れてかがみ込み、あごを押さえて悶え苦しむ駆は涙のにじむ目で、心配そうに声をかける園原を仰ぎ見る。すると、あの冷静そのものだった委員長の姿はどこへやら。恥ずかしそうに顔を真っ赤にして、どう対処していいか分からずオロオロとうろたえている園原姫の姿がそこにはあった。
「ぶはっ!」
そのあまりのギャップと痛みにツボを刺激されたせいで、駆はつい吹きだしてしまう。痛がっているかと思えば突然ケラケラと笑いだす奇妙な同級生に、園原の表情はさらに困惑を極める。
「な、なにっ、急にどうしたのよ!」
「い、いや、園原さんって意外と天然なんだなあと思って」
「天然!? このわたしが!? 失礼な、そんなことあるわけないでしょ!」
「だって、足ひっかけてこけたあと、さらに頭突きを喰らわせるって。完全にドジっ子のそれじゃん」
「……っ」
かぁ……っ、と園原の頬がさらに赤く染められる。ぶつけた頭を両手で押さえながら、茶化してくる駆を恨めしそうに睨み付けて、
「もういいわっ、今度こそ帰るから!」
ずんずんとした力強い足取りで、今回はこけることなく園原は歩き去っていく。
やばいやばいからかいすぎた、と慌てた駆は急いで園原を追いかける。
「ちょっと待って園原さん、ごめん、ごめんって」
ぴた、と足早に進んでいた園原の歩みが止まる。
「……まだ何か用なの」
(うわ、分かりやすく不機嫌な声だな……)
威嚇するような低い声色にもめげず、駆は変にテンションの上がった勢いそのままに、こんなことを言う。
「一緒に帰ろうよ」
「結構です」
ずばっ、と一言で断られた。
また歩き出そうとする園原を止めようと慌てて前に回り込んだ駆は、
「ごめんっ、今の言い方は語弊があった! 送ってく! そう、家まで送っていくよ」
ふぅ……、と気持ちを静めるかのように一息つく園原。そして口を開いた彼女の口調は、普段通りの落ち着いたものだった。
「べつに大丈夫よ。わたしの家、ここからそんなに距離があるわけでもないし」
「いやでも、世の中物騒だからさ。こんな暗い中を女子一人で歩くのもあれだし、もしかしたらあの二年生たちと鉢合わせする可能性もなくはないし、途中まででも送らせてよ」
二年生という言葉が効いたか、それとも『ね? ね?』としつこいくらいに念押ししてくる駆の誘いを断りきる気力もないほど疲れているのか、拍子抜けするほどあっさりと委員長は折れてくれた。
「分かったわ。それじゃあ、自然公園の中央くらいまででいいから、送ってもらえる?」
「もちろん! いやぁ、あごもぶつけてみるもんだなあ」
「なにそれ、どういう意味」
「え!? 違う違う、べつにへんな意味じゃないよ。ははは……。ほら、はやく行こうよ」
「まったく、あなたがさっきから止めてるんじゃない……」
駆は園原と二人、肩を並べて歩いていく。
同級生の女子と二人きりで一緒に帰るなんてことは初めてな駆だが、表向きの態度とは裏腹に、舞い上がるような昂揚感は心中になかった。あるのは、ただ彼女を心配する気持ちだけだった。
思いがけず園原と抱き合うような形になったあのとき、彼女の体は小刻みに震えていた。足を絡ませてこけてしまったのもそれが原因だろう。
考えなくても当たり前だ。複数の敵対者に取り囲まれて、平常心でいられる人間がそうそういてたまるものか。いくら普段の園原がしっかりしているからといって、さっきの今で本当の自分を取り戻せるわけもないのだ。だから少なくとも一人でいるよりかは、駆でもいないよりはマシだろうと思い至ったのである。
ちなみにこれは勝手に身体を動かしたさっきの変な自分ではなく、ちゃんとした駆自身の意思で行動した結果だった。
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