第10話 高槻綾は、青春回路のディストーション。

 高槻の暴走によって事件が終息した翌日の放課後、俺は会長に生徒会室へ1人で来るように言われた。

「お邪魔します」

 生徒会室の扉を開けると、一番奥の定位置に会長が座っていた。

 今日も会長以外の人間はいない。……この会長は、またサボったんだろうか。

「……こんにちは」

「あっ、香山くん!ちゃんと来たんだねー?ふふ、来てくれて良かったよー」

「生徒会長からの呼び出しを無視するほど、俺は誰かさんみたいに自由じゃないですからね」

 あの有名人はもう幾度となくこの生徒会室に呼ばれ、その大半を無視し、そして極稀にこないだのように自ら乗り込んで来ていたらしい。生徒会長を相手にしても動じない辺り、本当に奔放な奴である。

「っていうか俺を呼び出すのに、わざわざ校内放送使うのやめてもらえません?ここに来るまで、すごいヒソヒソって声を周囲から浴びてきましたよ……」

「その方法が一番手っ取り早いかなー、って。だって、無視されたら寂しいでしょ?だから、無視できないような方法を選びました♪」

 会長は嬉々として俺に告げる。

 外堀から逃げ道を埋めていくそのやり口は、しっかりと俺の怠惰な性格に適合していた。

「さて、じゃあ用件を話すことにしようか」

 会長の顔から笑顔が消える。会長が俺の目を真っ直ぐに見る。その表情は、全校集会等で職務を行う時の今井早妃の真面目な顔だった。

「昨日のことは聞いたよ。……ひとまず、ありがとう。生徒会長として、小垣北高校を代表してお礼をします」

 会長が立ち上がり、俺に頭を下げる。世間一般では最敬礼と呼ばれる正式な謝罪。

「ちょっ、会長!?やめてくださいよ!というか、別に俺一人でやったわけじゃないですし……実質的に問題を解決したのは高槻なので、正直俺はお礼を言われるようなことは何も」

 頭を上げた会長の表情がほぐれる。

「うん、分かってる。本当は、高槻さんにもお礼を言わなきゃいけないんだけど……私が呼んでも、高槻さんは来ないでしょ?」

「まあ、そうでしょうね……」

 俺は目を逸らして苦笑いする。

「だから、香山くんから伝えてもらおうと思ったんだ♪感謝してますよー、って!」

「ああ、そういうことなら分かりました。伝えておきます。……あいつのことなんで、素直には受け取らないと思いますけどね」

「それでいーの。だから、香山くんにお願いしてるんだよ?」

「はあ……」

 会長は窓へと移動し、優しく遮光カーテンを開けた。

 差し込んだ夕焼けは会長を包み込むように、生徒会室全体を赤く染め上げる。

 今井会長が、窓の外を切なげに眺める。その美貌をより高めるミステリアスなシチュエーションに、俺は正直少しドキッとしてしまう。静まれ……!俺の想像力……!

 そんな俺の豊富なイマジン能力はさておき、俺は会長に質問する。

「会長……本当は知ってたんじゃないですか?永井先輩のこと」

 俺の言葉を聞いた会長は驚くような表情を見せ、そして照れるように笑った。

「あはは、バレちゃってたんだねー?うーん、私もまだまだだなあ」

 永井先輩の処分は、簡潔に言うと初犯ということもあり執行猶予が与えられた。そのため現在も生徒会書記として役職を果たしている最中である。ただし、アプリの存在とその首謀者が永井先輩であることが発覚した今、その環境下でも生徒会執行部として職務を果たしていかなくてはならないので、ある意味最も辛い処罰とも言えるかもしれない。

 もちろん本人が自分で撒いた種なので、その責任を取る必要があるのは当然だが、役職の解任とまで至らなかったのは、これまでやってきた永井先輩の生徒会執行部としての功績が考慮された結果だと言える。

 その処分が如何であるかということについて、俺は言及するつもりはない。全てこの会長が決めたことだから。俺たちはただ今後の永井先輩の様子を見ていくだけだ。

 俺は再度会長に問いかける。

「どうして言わなかったんですか?……会長が言えば、永井先輩だって止めたかもしれないのに」

 俺の言葉に対して、ふうと一呼吸置いた会長は目をつぶって首を横に振った。

「私が言って直してるんじゃダメなんだよ。彼にはね、自分で気付いて欲しかったの。だって、永井くんにはそれだけの力があったんだから」

 そうやって口を開く会長の表情は、少しだけ憂いを帯びているように見えた。

「……性善説ってやつですか?」

「んーん、そんな大層なものじゃないよ。私はね、同じ生徒会のメンバーとして、一人一人の力を信じてるの。それは今も変わらない。私の周り、優秀な人ばっかなんだよねー?みんな仕事が出来すぎちゃって、私は何にもしてない感じになっちゃう。だから私はいつも頼っちゃうんだけど♪」

 会長はそんな自分の情けなさを、あっけらかんと笑う。

 それがこの会長の人柄で、みんなから信頼される理由なのだろう。『この人を放っておけない』という気持ちが、メンバー全員で共有されて、うまい具合にバランスが取れている。素人感覚ではあるが、各々が優秀な生徒会は、この人が会長じゃないとまとまっていなかったと思う。誰かをまとめる、というのはこういうことなのかもしれない。

「まっ!とりあえず、この件についてはおしまいってことで!今の、内緒だよ?」

 会長がウィンクをしながら、人差し指を立てて、自分の口元にあてる。

「『生徒会長とかわいい一年生の秘密の約束』みたいな?ほら、こうやって言うと、なんだかすごくエッチな響きに聞こえない?」

「はあ……どうしても本音を言うつもりはないんですね」

 俺は軽くため息をついて、肩をがっくりと落とす。

「ふふ、ごめんね?……でも、私も悪気があって言ってるわけじゃないんだよ?」

 会長はカラカラと窓を開けて、上半身を少し外に出したまま壁にもたれかかる。

「……君にもきっとすぐに分かる日が来るよ。誰かを信じて生きていくってことはさ、言葉で言うより全然難しいんだなって」

「そういうものなんですかね……?」

「うん、そういうものなんだよ。ほらっ!少年よ、大志を抱けっ!ってね!」

 そう言って会長は俺に向かって親指を突き立てた。どこか憂いを帯びたその笑顔は、写真の点数には加味されない先輩の魅力そのものだった。

「あ、そうだ」

 突然何かを思い出したかのように、会長がハッとした表情を見せる。

「……次はなんですか?」

 俺は疑いの眼差しを会長へと向ける。

「大事なこと言い忘れてた!破滅部の創部証明書、私が出しておいたから♪」

「はい……?」

 突然の報告に、俺はポカンとする。そんな俺に向かって、会長は嬉しそうな表情でニコニコと微笑み続ける。

「いや、俺たちは別に部活として活動していこうなんて、そんな気はさらさらないんですけど……」

 戸惑う俺に、会長はふふんと鼻を鳴らして語る。

「だって、君たちは本当に盗撮システムを壊滅させちゃったんだから、実績を残してるわけでしょ?」

「そりゃまあ確かに壊したのは事実ですけど……あれを実績って言われちゃうと、正直考えちゃうところはあります」

 物理的に壊そうとしてたわけじゃないから、不慮の事故と言えなくもないけどね?最初から最後まで、全て高槻の暴走によるものだ。あいつがやりたいようにやった結果、今回たまたまこんな結果になったというだけだ。だから実績なんて言葉、到底当てはまらないと俺は思う。

「私は実績のある集団を、そのまま野ざらしにしておくような無能な会長じゃないよー?」

「いや、無能とか有能とかそういうことじゃない気がするんですが……」

「これは生徒会長権限を利用した正当な権利!」

「それ、職権乱用って言うんじゃないですか?」

 俺は先輩の顔を見て、苦笑いする。薄々気が付いてはいたけど、この会長もなかなかに無茶苦茶である。高槻と違って、ストレートに権力のあるところがある意味危険だ。高槻と会長はいつもケンカしてるみたいだけど、本当は仲良くなれるんじゃないの?

「細かいことは気にしないっ!それに、君にとっても悪い話じゃないと思うんだよね」

「え、俺ですか?」

「うん、そう。きっと後悔はしないと思う」

 会長は輝くような笑顔で、俺に微笑む。

 すでにもう後悔しまくってるんだけどなあと思ったが、その笑顔があまりに輝きすぎていて口に出すのをためらわせた。

 その笑顔に何人もの先輩たちが惚れてきたのも無理はない。外見って大事だよなあと、俺は改めて思う。かわいいこそが絶対正義だ。

「まっ!そういうことだから、これから頑張って部活に勤しんでねっ♪」

 結局俺は納得しきることが出来ないまま、会長は話を切り上げる。

「とりあえず高槻には伝えておきます……じゃ、俺はそろそろこれで」

 なんかあっちこっちで振り回されてる気がするのは、気のせいじゃないよなあ。

 深いため息をつきながら、俺は生徒会室のドアに手をかける。

「あっ、そうだ!すっかり忘れてたっ!」

 生徒会室を出ようとした俺を、会長が後ろから呼び止める。

「……今度はなんですか。また俺をからかうつもりじゃ……」

 そう言って振り返った瞬間、俺の目の前には会長の顔があった。会長はニコリと優しげな笑みを見せる。

「ほらっ、事件解決のご褒美♪」

 会長はさらに顔を近付ける。

 そして――会長が俺の唇にキスをした。

「…………えええええ!!!!!????」

 思わず俺は会長から勢いよく離れる。そして、今起きた出来事を確かめるように、俺は指で自らの唇に触れる。

 ……今当たったよね?完全に当たったよね?唇と唇……触れました、よね?

 あまりの出来事にパニックの俺は放心状態だ。身動きを取ることもできず、ただただ呆然と会長の顔を見つめる。鼻の周辺に、会長の良い匂いがふわりとたゆたっている。

 そんな当の会長は、ドヤ顔で俺をじっと見ていた。

「ふっふーん、驚いた?」

「な、何してるんですか?!会長っ!!」

「ほら?秘密の約束って言ったでしょ?」

 ……『生徒会長とかわいい一年生の秘密の約束』。

 してやったりという表情で、会長は俺にニッコリと微笑む。

「……またそのうち来ます」

「うん、待ってるねー♪」

 そう言って会長は、嬉しそうに俺に手を振った。まったく、とんでもないラスボスがいたものだ。

 本当に高槻と出会ってから、周りに振り回されてばかりだよなあ……とりあえず一日でいいから、俺にも平和な放課後を下さい。そんなことを思いながら、俺は夕暮に染まる生徒会室のドアを閉めた。


                    ×       ×       ×


 生徒会室から玄関に向かう途中、廊下からふとあの中庭を眺めると、夕日に赤く染まる下で、高槻が立っていた。

 高槻は何やら空を見上げているようだった。

「……あいつ、何してるんだ?」

 疑問に思いながらも、俺はそのまま気付かないフリをして立ち去ろうとする。

「…………」

 ……気付いちゃったし、声をかけないのもおかしいよなあ。

 まあ、さすがに高槻とは言え、これ以上の事件はもう起きないだろうしな。そんな甘い展望を携えて、俺はとりあえず中庭に行くことにした。


「……何見てるんだ?」

 靴を履き替えて中庭に移動した俺がそう問いかけると、高槻はふっと顔だけをこちらに向ける。

「ああ、なんだ。なおか……」

「いや、あからさまに残念そうな顔すんのやめてくんない?」

「別に。何とも思ってないわ。本当になんとも」

「わざわざ繰り返して強調しなくていいっつーの。どうせ俺は最初からそんな扱いですよ」

 俺の言葉を聞いた高槻は、ふうと深いため息を吐く。

「ただ、とりあえず終わったんだなあと思って」

「……そういえばお前、あの窓から落ちてきたんだもんな」

 高槻が見上げる先には、中庭に面する2階の窓があった。突然上からメガネのオタクが落ちてきて、その直後高槻綾に日傘で脳天を叩かれたきっかけの窓。あの日から、何か歯車が狂い始めたような気がしないでもないが、よくよく考えたらそもそも俺に正しい歯車なんてありませんでした。ここ数日の喧騒のせいで、とてつもない勘違いをしそうになる。危ないあぶない。

 そんな日常にも一区切りがついて、久々にこの涼やかな風を感じることが出来ている。静かっていいことだなと、改めて感じている。もちろん全ての元凶はこいつだけど。

「そういえば、さっき校内放送であの会長に呼ばれてたみたいだけど、会長室でなんかあった?」

「いやっ、何もないです!やましいこととか、そんなの全然ないですっ!」

 俺は間をあけることなく即座に返事をする。

「……それ、逆にすごい怪しいんだけど」

 会長とのやり取りがフラッシュバックする。去り際にあんなのされたら、健全な男子高校生ならみんな虜になるに決まっている。しかも相手はよりによってあの会長だ。他の一般女性より5割増しでその効果は高まる。

 とりあえず俺は高槻に、破滅部のことを報告することにする。

「今回の事件解決が認められて、破滅部が正式に部として承認された……らしい」

「は……?そんなの私達お願いしたっけ?」

 高槻が俺を疑うように睨み付ける。

「いや、今回の件で実績が出来たから、会長が勝手に申請書を作って出したって……」

「はあ?!そんなの良いの?!……まったく、あの会長、やっぱり私は信用ならないわ。いつか絶対尻尾暴いてやる!」

 チッと舌打ちした高槻はグルルと威嚇する。まあ、俺も同じことを思ったから、高槻の気持ちは分からんでもない。

「部として承認されるの、嫌だったか?」

「別に、そういうわけじゃないけど……あ、じゃあ部として承認されたってことは、部室ももらえるってこと?!」

「いや、部室はもうちょっと待ってくれって言われた。しばらくは漫研部と共用だそうだ」

「はあああ!!!!????事件が解決したって言うのに、まだあいつらと一緒にいなきゃいけないわけ???!!!」

 高槻が顔面の筋肉をフルに使って、顔をしかめる。

「そうみたいだな」

「しばらくってどのくらい?」

「いや、分かんないけど、早くて数ヶ月ってとこじゃないか?」

「はあ……もう知らない。考えたくもないわ」

 高槻は深いため息を吐く。

「とにかく、まあ先のことは良いわ。それより!」

 高槻が顔を近付ける。高槻はそのまま至近距離で、俺の目をじっと見つめる。

 あれ?デジャブ感満載じゃない?ついさっきの会長の件があったので、俺は思わず口元を抑える。

「な、なんだよ……?」

 俺が顔を背けたのも気にすることなく、高槻はそれでも俺の顔を見たまま距離を変えない。

「ねえ、そういえば、あんた未だに私のこと名前で呼ばないでしょ?なんで?」

「は?」

 俺の想定していた枠から大きく外れた言葉が高槻の口から発される。

「だから、なんでパートナー契約したのに、まだ名前で呼ばないのかって言ってんの」

「いや、なんでって言われても、特に意味はないけど……」

 高槻が疑うような目つきで、俺の顔を睨み付ける。この距離で睨まれると、ただでさえ威圧感のある大きな目が、さらに凄みを増す。

 というか、俺はそもそもパートナー契約なんて最初から認めてないんだって。逃げ場をなくしてその選択をせざるを得なくする感じは、訪問販売の押売りみたいなもんだよ?

「あー、もうハッキリしないわね!!」

 高槻は俺の襟を掴んで、さらにぐっと顔を近付ける。普段あまり意識することはなかったが、これだけ近づくと高槻のその小ささを改めて理解させられる。これだけ小さな体で、色んな問題を蹴散らしていったんだよな。もちろんこいつ自身も問題を作りまくってきてはいるんだけど。

「いいから呼びなさい」

「え、いま?」

「当たり前じゃない。私がいないときに言ったってしょうがないでしょ?ほら、早く」

「えーと……高槻さん?急にどうしちゃったのかなーって……」

 俺は話を逸らすため、逆に質問をしてみる。

「死にたい?それとも生きたくない?どっち?」

「それは選択肢としても会話としても、意味をなしていないんじゃないですかね……」

 NO or NOである。そんな俺の発言は当たり前のようにスルーされた。

「…………」

 高槻は俺の襟を掴みながら、無言で俺の顔を睨み続ける。もうこれは見つめるというより、脅していると言った方が正しいような気もする。

 高槻の胸がもう少しだけ大きかったら、きっと別の感触と至福が感じられたのだろう。こればかりは残念でたまらない。もちろんこんな状況でそんなことは口にできないけど。

 もうこれ、本当に名前言わないと収まりきかない奴だよね?少なくとも、こいつが一回言った言葉を自分で否定するなんてことがあるわけないのである。学内一の問題児だからこそ、歯止めはきかない。それこそが今回の一連の事件を解決するカギでもあったんだろうけど。

 俺は覚悟を決めて、一度唾を飲み込む。よし言うぞ、俺は言うぞ……

 学校内の男で、誰も呼んだことのない名前を、俺はこれから言う。

「あ……」

「あ……?」

「…………あや」

 目の前にいる高槻にしか聞こえない大きさで、俺は高槻の目を見てその名前を呟いた。

 爽やかに流れる初夏の風が、高槻のスカートをひらひらとなびかせる。僅かにあたる高槻の髪が、頬に当たってくすぐったい。

 高槻は表情を変えないまま、うんうんと大きく頷く。

「それでいいの。次に名字で呼んだら、またぶっ殺すから」

 高槻……綾はそう言うと、俺の襟を握っていたその手を押すように離す。どうやら、なんとか納得してもらえたようである。

 ぶっ殺すって、そんな何回も使えるもんじゃなくない?そもそも俺に、そんな再生能力はないんですけど。死んだことないけど、多分一回死んだらそれで終わりのはずだよ?だって小学校でそうやって習ったもん。『人生は一度きりです。だから、悔いの残らないような人生を送りましょう』って。最近は毎日どころか毎時間のように後悔してる気がするけど。

 脳内でそんな会話を繰り広げながら、俺は襟を握られて乱れてしまったワイシャツの位置を直す。  

「さてっ、と……一段落ついたら、また甘い物が食べたくなっちゃったわ」

「いや、一段落とかじゃなく、怒ってても落ち着いてても、いつも甘い物欲してるじゃねーか」

「女子高生なんだから、当然じゃない」

「え?それ、理由として成立するの?」

 対偶っぽく言うと、甘い物が好きじゃない女子高生は、本物の女子高生じゃないみたいな?女子高生の偏見イメージが先行しすぎじゃない?いや、言いたいことは確かに分かるけどさ。

「いちいちうっさいわね……だからあんたはモテないのよ」

「う……」

 モテないことは今関係なくない?確かにそれは事実だよ?告白してもいないのにフラれたのは変えられない事実だけどさ……!俺は心の中で地団太を踏む。事実っていつも悲しいね。

「私はそんなことどうだっていいの」

 そう言って綾が、その小さな手で俺の手首をぐっと握る。

「ほら、アンジェに行くわよっ!千里も待ってるし」

「ああ、今日はあいつバイトだっけか」

 俺の右手首を引いたまま、綾は力強く進んでいく。

「とりあえず、今日はスプラム・ランシュ4個でチャラにしてあげる」

「いや、チャラも何も、俺何か悪いことした記憶がないんだけど……」

 俺はさりげなく無実の罪を突き付けられる。

「勝手に部活として承認した罰よ」

「え、それ俺のせいなの?!会長に言えよ……」

「聞いてきた人間が全責任を負うの!当然でしょ?」

「無茶苦茶な論理だな……」

 そうやって俺を引っ張ったまま髪をなびかせて歩く綾は、背中越しだったけれど、少しだけ嬉しそうな表情に見えた。そんな綾を見て、俺は一度苦笑いをする。

 人生は受け身である。いくら素晴らしい計画を立てたところで、それは大抵叶わない。だから俺は起きた出来事に、1つ1つ律義にダラダラと対処していくだけである。

 けれど、それはそれで悪くないのかもしれない。そのおかげで、自分が想像している遥か上の出来事が起きることがあるんだから。


 破天荒で無鉄砲な高槻綾の事件は、まだまだ続きそうである。受動的で無情な俺の放課後は、高槻綾によって今日も歪み続ける。

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高槻綾とめぐりめぐるめく放課後のディストーション 涼月タカイ @takai513

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