第伍陣 表裏一体、陰ト陽


「あにじゃぁぁぁぁ!!!」


 後方より野太い声。同時に幾数の地を踏み鳴らす音。慌ただしく現れた巨漢は、言うまでもなく時三郎とその部下たちだった。彼らは額に汗を滲ませ、息も絶え絶え首を振る。


「妖怪!妖怪が出たと!兄者、妖怪は!?」

「ああ時三郎、ちょうどいいところに。少し人払いをお願いできますか?それと儀式を手伝ってください。」


 慌てる時三郎をよそに、辰之進はいつもの笑顔で応対した。一瞬時三郎は肩透かしを食らったような間抜けな顔をしたが、「お、おう!」と取り繕うと部下へ人払いの指示を出し、彼自身は辰之進の後へ続いた。


「龍之介さん。よく見ていてくださいね?剣持流陰陽術。」


 かわらず笑顔を振りまき、結界に閉じ込めた浪人の前に立つ。その浪人を挟んで向かい側に時三郎が立つと、双方両の手のしわを合わせた。


「南方陰の光に照らされり。」


 夕日を背にした辰之進が詠む。


「北方陽の闇に隠されり。」


 夜空を背にした時三郎が唱える。


「清濁矛盾の魂よ」


 辰之進は合掌していた右手を右へなぎ、呪符付きのクナイを結界の東側に突き刺す。


「聖魔矛盾の魂よ」


 時三郎も同様に右手を払い、結界の西側にクナイを突き立てる。


「臨」辰之進、右手を額に。

「兵」時三郎、右手を額に。

「闘」辰、右手を払う。

「者」時、右手を払う。


「皆」「陣」「裂」「在」


 交互にそう唱えたのち、二人は口を揃え、


「前」と唱えた。


「召されよ!」


「ぐおぉぉ!!」


 辰之進の一言に浪人は力の限り吠える。それは断末魔のような、悲しみの号哭のような、力強くも哀れみを含む叫びだった。


 同時、紫の結界は一層強く光り輝き、吠える浪人はねじ伏せられるように力なく大地に身を預けた。


「……っつ!」


 龍之介の頭に痛みが走る。刺すような刺激というよりは締め付けるような鈍痛が継続的に彼の頭に襲いかかってきた。


「龍之介さん!あともう少しです!我慢してください!」


 少々苦戦しているのか、追加の呪符を結界にばらまく辰之進の顔にも焦りが見える。


「くそっ!!成仏じょうぶつ魂縛こんばくも跳ね返しやがる!!兄者、もう呪符はないのか!?」


「強力なものはもう全て使ってしまいました……!あとはもう、弱いものしか……!」


 ぐったりしていた浪人も結界に慣れたのか今や立ち上がり、内側から檻を破ろうと障壁を殴り始める始末。素人の龍之介さえも「やばい」と感じるほどに状況は緊迫していた。


「兄者、どうすりゃあいい!?よいももう近い!このままじゃ結界を破られるのも時間の問題だ!!」


「そんなこと……わかってます!!考えろ……!考えろ辰之進……!」


 風水、五行、太極、両儀、四象、八卦、干支。考えられる全ての呪いを処理し、あとはこの浪人を鎮めるだけ。これだけ呪符を使っておいて鎮められないのは神レベルのあやかしだけだ。人間に取り付くような低俗な真似はしないはず。ともすれば……


「もしかして……!時三郎!これを!」

「お、おう兄者!」


 辰之進は何かを閃いた。時三郎に「縛」と記された赤色の呪符を渡し、自身は「仏」と記された青色の呪符を握りしめる。


「同時に逆の呪文を唱えてください!!龍之介さん!すこし酷ですが、これを!」

 未だ頭痛に苦しむ龍之介の足元に「従」と記された紫色の札が舞い降りた。


「行きますよ!時三郎!」


浪人の拳により、結界にヒビが入った。


空霧狂怪からきりくるけれ、魂縛!!」

「南無阿弥陀、成仏!!」


 赤と青の閃光がほとばしる。束縛と解放、相反する二つの呪いが互いに矛盾を生み、互いの力を相乗し合っているためだ。


「龍之介さん!今です!」


 辰之進が叫ぶ。暴走する呪符の力を必死で押さえつけながも、龍之介を気遣うように優しく訴えた。


「うおおおおおおお!!!」


 鈍痛に耐えながら、期待に応えるべく呪符を拾い上げる。さすが対妖怪用とも言うべきか、拾った瞬間に電気が走った。結界に近づくにつれ頭痛も激しくなるが、そんなもの歯を食いしばって我慢すれば問題ない。


 一歩、また一歩と距離を縮める。すでに伸びきった右手は呪符を握りしめ、折り重なる痛みに気力を奪われながらも、地を蹴った。


 接触。


侍従じじゅう!!」


 辰之進の声。赤と青の閃光は紫に融合し、天を貫くほどに空へ伸びた。赤の呪符、青の呪符、紫の呪符。三つの呪いを掛け合わせたそれは、宵に染まる逢魔時の空をみやびに彩った。


──────────────────────────────────────



「ふう。お疲れ様です!終わりました!」


 刹那の閃光は余韻も残さず消え去り、一段落ついたころ。辰之進の軽快な声が龍之介の耳に入った。


「まったく……ひでぇ初仕事だな……」


 頭痛、痺れ。二つの余韻にたっぷり浸っている龍之介は呆れながら大地に腰を下ろした。


「ハッハッハ!今回だけは特別だったのさ龍之介殿!それに、また新たに仲間が加わったそうだな!」


「仲間?」


 そういえば、呪符には「従」の文字があった。浪人の様子を伺うに、ロクでもない妖怪なのか……?

 怒り狂った浪人の様子を思い出し、不安を抱えながらも彼の倒れていた方に首を振った。


「ムキー!!封印か成仏かどっちかにしろってんだコンチクショー!」


下賤な金切り声を上げる小さな妖怪がそこにいた。赤黒い肌、尖った耳、大きな目。三頭身の体躯は普通の人間の腰までしかなく、いたって普通の「もののけ」といった風貌だ。


「やはりね。彼の名は天邪鬼あまのじゃく。相手の心を読み、望みや願いに反する悪戯をする妖怪です。」

「なるほどな……通りで剣が通らねぇわけだ」


 龍之介による二回の攻撃を先読みするようにいなされた理由。一方は己の力を利用され、もう一方は先の読めない行動をとられた。その二つとも自分が最も恐れ、最も対処の難しい行動だった。


「だから強力な呪符が効かなかったのか!呪いも願いも似たようなものだからな!そこで天邪鬼の性質を逆手にとって相反する「縛」と「仏」の呪符で混乱させ、そこに「従」の呪符でねじ伏せたわけか!さっすが兄者!この土壇場でそんな発想たぁかなわねぇぜ!」


「ははは。そんな事ないですよ。龍之介さんがいたからできた事です。それに、話はこれからですよ。」


 身なりを整え、辰之進は気持ちを引き締める。すでに時三郎の部下によって浪人は運ばれ、妖怪天邪鬼だけが閉じ込められた結界へと歩み寄った。


「天邪鬼さん。一つ聞きたいのですが、なぜ人を襲ったのですか?あなたはもっとしょうもない悪戯しかしないはずでしょう?」


「ああん!?人なんざ襲ってねーよ!第一おれっちはそこの馬鹿でけぇ木刀が目障りだから盗んでやっただけだ!文句あっか!」


「文句しかねぇよこの野郎」


「ははあ。そうですか。うーん……では、私に隷属れいぞくするのとそこで一生封印されるの、どちらがいいですか?」


「うっせ!あんたに隷属するなんざまっぴら御免だ!あのお方のほうがよっぽどマシだぜ!」


「はぁはぁ。そう来ましたか。ま、いいですけど。じゃあ時三郎。こっち来てください。」


「おう!」


 そう言うと二人は結界の周りに線を引き始め、簡易的な魔法陣を作り始めた。


「えっと、ヤモリの目玉って時三郎持ってましたっけ?」

「イモリの指しかないからカエルの睾丸で代用しますかい」

「となると鬼門の方は粗塩の方がいいですかね……」


「お、おいあんたら……」

 心を読む妖怪も二人同時には読めないのか、天邪鬼は困惑を始める。


「よし!出来ました。龍之介さん。これ、ので受け止めて下さい。」

「は、はぁ……あ!?ぶ!?」

 何がどうぶのか、二人の鬼はそのまた二人の意図が全く読めなかった。


「さ、行きますぞ龍之介殿!せーまんどーまん、発破ァ!!」

 どん、と地響きが大地を揺らす。小規模な爆発が結界の真下で起き、天邪鬼は結界ごと空へと翔んだ。


「おおおお!?ちょ、この辺か!?この辺か!?」

「もう少し右!龍之介さんもう少し右です!」

「ああ!行き過ぎだりゅーちゃん殿!もう半歩左だ!」

「くっそこの辺か!?それにどさくさに紛れてちゃん付けするんじゃねぇぇぇ!!!」


 どずん、とりゅーちゃんは見事結界つき天邪鬼を受け止めた。着地の衝撃で地面は少し陥没し、天邪鬼は着地の衝撃で気絶していた。


「ナイスですりゅーちゃんさん!」

 極めて爽やかなグーサインを突き出した。

「もう...りゅーちゃんでいいよ...それにナイスってどう意味だ!?」

「わかりません。なんか頭に浮かびました。」

 その言葉に苦笑いを返しながら龍之介は結界を肩に担ぎ、後方の地面に突き刺さっていた時雨を引き抜いた。


「で、こいつはどうするよ?」


 龍之介は振り返らずに問いかけた。

 こいつ、とは。時雨か、天邪鬼か。


「言われなくとも、わかるでしょう?」


 辰之進はそう答えた。時雨のことも、天邪鬼のことも。


「ま、そうだな。こいつにゃあ聞きてぇ事がいくつかあるしな。」

「それは私も同様です。」


「────それと、」


 龍之介は言葉をそこで切ると、


「あんたに一つ話がある。」


 振り返り、まっすぐ辰之進を睨みながら、彼の唇はそう動いた。

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剣と俺と、 天狗 @teng234

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