第17話 女王陛下

  町を見下ろすビルの窓の下は今日も車が通り、人が行きかっている。

 中央都市セントラル。

 その大きな部屋の真ん中に大きな机をかまえ、ネットへの端末が置かれている。

 書類で来ているものは書類で右側に付箋をつけて積み上げている。

 今日はこのあと地下のプールで泳いでから寝る予定だった。

 仕事の終わりに大きなのびをして、女はふうと息をついた。

 グレイ。というのが彼女の名前だった。セントラルでの仕事は大統領兼任の市長。

 いつか市長の仕事と大統領の仕事を分けることを考えてその仕分けの仕事をしている。

 朝は三時に起きて、そのまま夜中まで仕事をする。

 体力をつけるためにそのあとに運動もする。

 書類、会議、会議、また書類、予定はぱんぱんではあったが、その時間をとる。

 本当にくつろぐ時間は風呂を挟んだ30分だけだ。

 プールも義務の一部になっている。

 体はすでに中年を過ぎ、あちこちガタも増え、白髪も増えた。

 大統領の顔を誰もが見たことがなかった。

 幻だといううわさもある。

 だが、人々はそれを不思議だと思わないようにしていた。

 我々には大統領がいて、それは女性だ。

 ということは共通認識として起こせるようになっている。

 写真は禁止である。

 動画ももちろん、彼女の姿が映っていれば削除されるが。

 普段普通のおばさんとして買いものをしているときは素顔のままでマーケットも歩き回る。

 もちろん、誰も彼女がそんな大それた存在だとは気づかない。

 また来たわ、バナナしか買わないおばさん、と思われているだろう。

 ほかに急に食べたくなるものがないのだ。

 なぜかバナナだけは突然食べたくなり、地下鉄の駅の奥にあるスタッフオンリーのところからぼろの作業着を着て出ていく。

 誰も気づかない。

 だが、このままもし交通事故にでもなったらどうなるのだろうかと。

 たまに思いもする。

 そのときは次期大統領をみなで選ぶべきだと思っていた。

 かつてドラゴンを使って軍部を圧倒した女性は、バナナを籠にいれながらいつも思う。

 これが、平和なのだ。と。

 トモヤという名前が浮かんだのは、ネット端末につなげたときのことだった。

 腹心の部下が報告してきた。

 白衣を着た男で、不法に侵入した形跡があると。

 表向き、セキュリティシステムは一括で切れるようになっているが。

 アナログなものには気づかない者が多い。

 ここのセキュリティには、カメラをセットして、手動で変えるシステムも入れている。

 これは、いつ何時でも切れないように電源も別モーターだ。

 つけたのは彼女自身。

 管理は彼女の部下が行っている。

 短い動画が一個、つなげると流れてくる。

 一回再生すると暗号化してデータが壊される。

 息をつめて見た。

 首を袋に詰めているのを。

「水棲人の研究をしている男」

 短くついた説明。

 クレアたちが、彼女の残骸を海へ返すことにしたこともつかんでいた。

 ため息をついてエレベーターに乗り、地下のプールに潜る。

 すぐに水棲人へのホットラインを開いた。

 水と同化するような感覚の中、水棲人の長につながる。

 水の中なら、伝えやすくなる。

 ノワー、という名前と、彼女の頭の画像を思い浮かべると共有するという言葉が流れてくる。

 どうやら成功したようだ。

 彼らは、ノワーを知っていた。

 ノワーは人になりたがったという。

 人魚姫のように。

 そして海へかえってきたが、記憶はなく、ただ、また陸を目指したという。

 さらにややあって。

 そのあと、漁師町で育っているという報告がそのあと入ってきたという。

「信じましょう」

 グレイはそういうと、相手も信じてください、我々は人と敵対する気はない。と伝えてきた。

 水棲人の人体実験があることも彼らは知っている。それでも彼らはグレイを信じた。そしてそういったものを、グレイは秘密裏につぶしてきた。

 これは、大きな争いにしてはいけない。

 端末を外して、普通にプールで泳ぐ。

 ぬるめのプールの温度を少し上げるように設定を変える。

 そのあとプールから出て、そこからつながる風呂へと入る。

 シャワーで身体をきれいに洗い流す。

 香水も香りのつよいボディーシャンプーも嫌いだった。

 これではおばさんまっしぐらね。

 と思いながらも笑う。

 それも悪くないと思えるくらい、今は安定している。

 ドラゴンを怒りで動かした過去を、少しだけ思い出して苦しくなる。

 近くのボトルに入った液体の安定剤を飲んだ。

 脳内を快楽物質が流れ、合法のドラッグと呼ばれる薬を飲み干す。

 

 風呂に湯船に入ってつかるということをやっていた民族がいた。

 その民族たちの文化が入ったことによって、ほかの民族の風呂での過ごし方も変わった。

 そういった伝播が、この星の大きな単位で起きていた。それを、彼女は見過ごすわけにはいかなった。

 人とつながることのできる能力は、多かれ少なかれどんな人も持っている。

 彼女はその力が他人より強く、波長を合わせることでこの星のドラゴンたちと結託できた。

 その力を、能力を研究され、どんな風に実験したのか――それについては気分が悪くなるような実験を繰り返された、としか言いようがない。

 グレイ本人の意思に関係なくクローンをつくったが、能力があったのはクレア一人で、その研究所をいろいろな手を使って壊し、研究していた軍部を黙らせるだけの政治力もつけた。

 そして、クレアを一番安全な場所に預けたのだった。

 自分が幸せになれなかった分、彼女が幸せになればいいと最初は思っていた。

 ストライクとノスタルジアは、定期的にクレアと一緒に撮った写真をくれた。

 娘ができたように思った。

 自分が彼女のおかげで幸せな気分になったことに気付いたとき、誰にも言わずに泣いた。

 許されて良いのだろうかと、なんども思った。

 殺されたたくさんの命があったことも知っている。

 それでも、自分はこうして生きていた。

 生きていていいのだろうか。

 たくさんの命が失われたのは自分の罪ではないのか?


 自問しても仕方がないことだと、歳を重ねて気づいた。

 クレアがこんな風にならないように。

 と、彼女の幸せを願い、ここにいる間は守ることを彼らに誓った。

 ストライクとノスタルジア。

 そして。

 クレアをとりまくすべての優しい人たち。

 その一人として、生きていたい。

 グレイが、人として生きようとしたのは、クレアがいたからだった。

 この惑星に住む人間の一人として。

 クレアも、グレイもただの人間でしかなかった。

 だが、それが、それこそが一番の価値なのだと。

 グレイは思う。

 女王陛下。

 風呂につないだ声が聞こえる。

「ノスタルジア?」

「クレアに会う気はありますか」

「いつかね」

 彼女はそう言って目をふせる。

「楽しみはあとにとっておくほうなの」

「そうですか」

「ええ」

 ノスタルジアはそれだけ言うとネットワークを切った。

 時々声だけ送りあう仲だが、グレイは笑う。

 まだ内緒にしていることがあるのだ。

 大統領を終えたら、ドラゴンの協会で働いて、クレアの孫のクリスマスプレゼントをくれるおばあちゃんみたいな人になることが夢だと、彼らにはまだ伝えてはいないが。

 そうなったらいいと、グレイは思った。

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

二人のパパとクレア 大蚊里伊織(おがさといおり) @ogasatoiori

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ