第16話 白衣の男
クレアは、静かな雨の中、小走りに傘をさして部屋に急いでいた。
事件があったあと、クレアは和食のレシピをディープから聞き出すという偉業を成し遂げたあと、ユッカに伝え、ユッカが、ビネガーで骨つき肉煮るとかどんな味なの。などといいつつ伝えたと聞いた。なんでも相手はネットでの情報より口コミのおいしい食べ物が食べたい、なのだそうだ。
データを受け渡して、本を返してきたユッカが、げんなりしながら教えてくれた。
クレアの前をバイクが走っていく。
「こんな雨のなかなのに、なんであんな恰好なのかしら」
白衣の男が後ろに乗っていて、かなりの速度だった。
クレアは特に考えもせずに家に戻る。
ミオがコーンスープを作っていた。インスタントだが、クレアが買い置きしているものだ。
「はい」
「ありがとー」
結局、クレアは下宿先をルームシェアに変え、ミオと暮らすことにしている。
両親に一応言ったが、さほど心配もしていないようだった。
ミオと一回挨拶とか行くべきなのかしら。
ちょっと思うが。
放任してくれているのもわかっているので、さほど困ったこともない。
ミオは高等学校相当の学科に通っていて、クレアは大学コースではあるが、普通に会話して料理を楽しんで、友達の話をする二人は、お似合いであった。
夕刻から低く垂れこめた雲から、物語の始まりのように雨が降りだした。
日が落ちてどんどんと暗くなる。雨脚も強くなっていく。
遠くからバイクの音が近づいてくる。
爆音になったあたりで人の声が混じる。
「ここでおろしてくれ」
かなり大きな声で伝えるとバイクの音が止まる。
大きな男が運転してきた後ろには白衣を着た男がぐっしょりと濡れたままで座っている。
夜の雨が町を包んでいた。
人は誰もいない。
パレード以外の時期は閉鎖されている、大統領のいる建物の前の広場の扉の前で、そのバイクは止まった。
警備はすべて自動の人形がやっている。
生身の人間は危険というのである。
「ふんふんふーん」
後ろに乗った、白衣の男がおろされる。
眼鏡をかけていて、黒髪の短髪。
滴る水滴をかきわけ、眼鏡を袖でふくが、水滴がまだついている。
眼鏡を外した。
目が赤く光る。
見えすぎるから外してると困るんだけどなあ。
つぶやきながら、それでも笑っている。
バイクを運転してきたほうは、黒いヘルメットをふかくかぶっている。黒いジャケットにズボンだ。
「じゃ、ちょっと行ってくる」
白衣の男は入り口でパスを出して警備の機械を止め中に入る。
「このあたりに」
言いながら、歩いていくと、黒いなにかが落ちている。よく見れば髪の毛の塊だ。
「あった」
髪の毛を持ち上げると、首だった。顔がついていて、首まである。
「少し材料が足らなかったんだな、これはこれでかわいいか、ノワー」
顔は、なにかをいおうと口をぱくぱくとさせるが肺がないので言葉にはならない。
「水棲人は水に入れると戻るのが基本だと聞いたが、そういうことなんだな」
興味深い。
言いながら、その首を、袋に詰める。
広場の警備をもとに戻してバイクまで戻り、バイクの収納からリュックを出して荷物を入れ、出発を促した。
「悪趣味ですな、トモヤ様」
「そうかい」
水槽に入れた首に顔をしかめながら、白髪の執事がそう苦言をする。
「地下なんかもっとすごいし」
「……」
「僕の父からつかえてくれてるのは感謝してるし、こういう趣味を一切外に出さないでいられるのも君のおかげだ」
「わかっております。掃除は私がおこなっておりますし」
「じゃあ、ここで見たことはなかったことにね」
執事は深々と頭を下げて部屋から出て行った。
「さてと。身体をどうしようかなあ。まあこのまま飼ってもいいけど」
栄養剤を入れたチューブをつなげて、生きていられるようにはした。
彼女は時々不思議そうに眼をしばたたかせている。
脳は再現されにくいと聞いていたが、どの程度学習させるといいのか。
新しいおもちゃを与えられた子供のように笑う。
――楽しくて仕方がない。
生きているオブジェ、素晴らしいじゃないか。
魚や犬を飼うのとどう違うんだ。くっくと笑う。
自分のことをマッドサイエンティストと呼ぶものもいるだろう。
つぎつぎと子供がおもちゃを欲しがるようなものだ。
なかでも好きでしかたがないものを選び、人は大人になっていくのだ。
趣味とはそういうものだろう。
感情などおいてきた。
笑うことだけ許してきた。
父のようになるために教育された。
そして。
学者になった。
水棲人の解剖は、父のころはやれていた。
だが。
いつしか彼らにも人権があると騒ぎ出し。
実験は秘密裏に行われるようになった。
「特に大統領からの密偵が多いよな」
執事の顔を思い浮かべる。
どの程度自分に仕えていてくれるだろうか。
顔をしかめながら彼らの水槽の掃除をしてくれる彼は。
男は笑った。
初恋のノワーが手に入った。
それだけでうれしいのだ。
「まあ。手に入ったのは首だけだけどね」
水槽に口づける。
「ノワー、これから、僕だけのものだ」
本当に明るい笑顔で男は言った。
雨の夜だった。
酒を買って男は部屋に帰る。
友人と妻が待っている部屋へ。
「なんだか、いやな夜だな」
海からざわざわと気配がある気がする。
それでも気を取り直し、酒をコップに注ぐと、友人と乾杯した。
「おいしいな、これ」
「ああ、なんでも米から作るんだそうだ」
「へえ、葡萄の酒しか知らないから不思議だ」
漁師は、ずる、ずるという音を聞いて外に出た。
雨脚は強くなっている。
友人も出てくる。
裸の少女だった。
緑いろの肌をしている。
「水棲人だな」
家の窓からの光に照らされている。
「お前の管轄だろ」
友人にお鉢を回した。
「そうだけど」
友人はやれやれといった顔で首をすくめる。
この平和な漁師町で、水棲人が上陸するのは珍しい。
こういった海からくる者の調査委員として、その友人はこの漁師町にいた。
就職難でやっともぎとった仕事である。
「名前は?」
一応聞いた。
「ノワー」
「ほかには」
「仲間からはぐれたのか」
漁師のほうが聞いた。
首を横にふる。
「自分で出てきたほうか?」
友人のほうが聞いた。
「どうする」
「とりあえず、嫁さん呼んでくる」
「ああ」
寝ている妻を起こしに行く。
「どうしたの」
寝巻でおりてきて、裸の少女を見た。
「あらあら、珍しいわね、このあたりまで来るなんて」
水棲人に対して、地元民はだいたいは好意的である。
彼らはめったに怒らないし、ある程度学習すると人間の仕事も手伝う。
彼らの長は海の魚たちの情報をたくさん持っていて、開拓者たちともコンタクトをとっている。
開拓者とは、この星に来た者すべてを言うのだそうだ。
人間という面白いものが来た、と彼らは思っているのだ。
そして時にこういった迷子もある。
「とりあえず、なにか服を」
漁師が言う。
「わかったわ」
言って引っ込む。
「マイの生まれ変わりかもしれないなあ」
男は、少女の頭をなでる。
少女はうれしそうに笑った。
男は、この冬に娘を亡くしていた。
やっと妻が立ち直ってきたときだった。
「うちの子になるか」
男が聞いた。
少女がうなずく。
妻が戻ってきた。
「この子をうちの子として育てないか」
男の言葉に、妻は一瞬戸惑いをうかべたが、少女の笑顔を見ていて、そうね、とつぶやいた。
「ノワー」
「はい」
「お前の名前は今日からマイだ」
少女は不思議そうな顔をしてからうなずいた。
やがて半年が過ぎ、マイはほかの子供たちと交じって遊ぶようになった。
普通に子供として。
時に反抗し、時に泣いて。
肌の色は、最初の日だけ緑色で、あとは肌は見た人間と同じ色になる。
「いい、マイ、あなたの前にお姉ちゃんがいたの」
「うん」
「お姉ちゃんが亡くなったときにあなたが来たのよ」
「少しだけ覚えてる」
「そう」
「私は海から決別しなさいと言われたの」
マイはそういうと、クセのある髪をくるくると指先でもてあそんだ。
「私を育ててくれてありがとう」
「ううん、あなたがいてくれてお母さんたのしいわ」
「そうなの?」
「うん、ずっとうちの子でいていいのよ」
「ありがとう」
「はい、ミルク」
「おいしそう」
はちみつを入れたホットミルクを飲みながら、父の帰りを待つ。
漁師である父はマイとは生活時間がずれる。
それでも、かわいがってくれた。
父の友達が、マイのことをうまくとりなし、育てる権利も彼ら夫婦に渡され。
それらは、年に一回の水棲人との意見交換会のなかで先方に伝わったようだが。
そういった事例は年間いくつもあるため、虐待などがない限り認められる。
彼らはそして、マイを普通の子として育てることにした。
時間が解決することもある――。
そして、すべては音もなく回る歯車の一つずつなのだ。
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