第5話

 全長にして自分の数十倍はある箱舟が、クジラ型の船体をアーカイヴスの微細な粒子単位に還元し、総体を徐々に崩壊させてゆく様を〈彼女〉は眺めていた。

 彼女――水色の機体を持つアリス=サットは、敵艦の崩壊エネルギーから生じた衝撃波を追い風に、地平の彼方に向けた無限落下に身を任せている。当面の脅威が去ったいま、思いつく限りで最もエレガントな時間の過ごし方は、再びこの惑星の引力に乗って気ままな天頂の星を演じるのが一番だと決めている。


                    ◆


 ASのあらゆる機体制御を統括するために設けられた機内コントロール・ルームは、兵器システムの設計思想及び運用形態をそのまま表すように、完全なる無人だ。

 真球状にくり抜かれたコントロール・ルーム、三六〇度全方位の天球儀スクリーン。投影されたおびただしい数の情報のせめぎ合い。それ以外には何もない。

 人工衛星なるシステムはそもそも、有人運用するための空間を必要としない。このコントロール・ルーム自体、思考する迎撃衛星と称されるASの行動原理に基づく特殊性と、人間の技師が稼働中の彼女たちと対話しモニターするため便宜上設計に加えられたに過ぎない。

 真球空間の中央に、ちょうど人間の大人が座れるようなシートが一脚だけ浮かび上がっている。クロームに輝く骨組みの間を滑らかな特殊樹脂で肉付けした、身体にフィットするタイプのものだ。だが無人運用されるASにおいて、そこに座す者――つまりこの機体の主は、当然いるはずもない。

 投影スクリーンのいくつかは、大量の破片とともに炎の尾と化し、大気圏に向けて落下してゆく観測衛星の映像を、何の感情もなく描画し続けている。攻撃性プログラムによる逆ハックで箱船を構造崩壊へと持ち込んだはずが、一部の破片の処理が追いつかなかった。巻き込まれたあの軌道船も、破片の衝突を受けて大破し、地平の向こう側へと投げ出されていった。

 接触する前に箱船すべてを殲滅し尽くせていれば、結末はまた別のものになっていただろうか。

 ――死は残酷だ。姿なき〈彼女〉は、観測衛星が燃え尽きてゆく映像の途中、そんな印象を思考の内に抱いていた。

 そうして不快さを毒素として吐きだすように、〈彼女〉がごく短い溜息をついた。それが電子的実体を伴って、コントロール・ルーム内に転送された音になる。彼女の所作を合図にすべての投影映像群がかき消されると、帳の落ちた天球儀を星屑ほどの粒子が残光を散らせて舞い、描き上げた螺旋の中心に光のシルエットが肉付いてゆく。

 間もなくしてコントロール・ルームの中心に、全身空色をした少女――エイミットが像を結ばせた。


『――目標の殲滅を確認したわ。作戦行動終了』


 おかしなことを言っていると、自分でも気がついた。作戦だなんて、そもそもひとりきりなのに、誰に受けた命令で、何のための作戦のつもりなのだろう。内心に抱いたこれで何度目かの疑問にも辟易する。

 こちら側の世界に顕現した少女エイミットが、電子的に解釈された言葉を続ける。


『さっきのは恩に着るわ、リリクル。私ひとりだけではあれに勝てなかったもの』


 リリクル、という呼び名に、応える声があった。


【――いいや、気にしないでくれてかまわんよ。これでこの前の借りは帳消しにしておこう】


 言葉遣いはぞんざいだったものの、もうひとりの少女――リリクルも、システムを経由して繋がった電子データの一種だ。


【それよりもエイミット。ちょっとそばで話せないか?】


 込み入った話でもあるのだろうか。応答する代わりにエイミットはもう一度溜息をついて、背もたれを倒したシートに深く身を埋める。そしてちょっとした暗示のつもりで、目をつむり息を止めた。

 と、肌が剥き出しになった肩や太股の付け根から、彼女を彼女らしく構成する視覚イメージが、データの破片に再配置され、ホログラムの身体が解けはじめた。

 その半ばにエイミットは、水面に飛び込むような不思議な感触を経て、それまでコントロール・ルーム内で知覚していたすべての事象から解放される。

 そして少女の意識は、〈そこ〉に接続される――――――――。


                    ◆


 エイミットが再びまぶたを開けると、一面に拡張される草原のイメージと、自分と同じ空色をした大気とが視界に構築された。

 雲ひとつないかに見えた空は、よく見ればこの開けた空間における大気を表すものなどではなく、昔のままの蒼き地球そのものだ。半球に浮かぶ青い海面と白く渦巻く気象変動が空を覆い、地平の果てまで続いている。緑に染まる大地も、周囲をぐるりと見渡せば、宙に浮かぶ巨大庭園の一部だとわかる。切り立った崖のすぐ先は奈落の底。群青色から黒へとグラデーションを描く外宇宙が、足元に口を開けている。

 降り立った浮遊庭園の、緑に芽ぐむ大地を風が緩やかに撫でつけている。風の満ち引きに重なり合う草葉がさらさらと鳴り、波立つ海面を連想させる。ただエイミットは、実態としての海を生まれながらに知らない。これまでに得た全ての認識は、この世界の蓄えた叡智であり、データ上で再現される疑似体験でしかない。

 鮮烈なまでの色彩に支配されたこの世界、この懐かしい光景を、彼女たちは〈楽園アウラ〉と呼んでいる。昔あの頃の人間たちが、この楽園のことを〈アウラビジョン〉と名づけ、その住人である彼女たちを指して〈アウラグラム〉と表現していたのを、いまも記憶領域にとどめているからだ。

 再び〈楽園〉に接続したエイミット。その傍らに、彼女をここに招待したもうひとりの少女、銀髪のリリクルが追って姿を現した。

 楽園の住人達アウラグラムふたりが並び立って、天頂を占める蒼穹の惑星と、そしてそこから大地に向けてそびえていた不思議な塔をのぞんだ。


「この楽園に、とてもイヤなノイズが渦巻きはじめているわ」


 肩を並べたリリクルには目を合わせずに、エイミットは淡く色づいた唇から独白めいた言葉を吐いた。

 ふたりの少女と類型としての人間の間に、観念的な差異はない。頭髪の一部と融合した、一対の大きな耳状器官。他には顔立ちや肌、髪と瞳が描く鮮烈なイメージだけが、ヒトにしてヒトならざる、異型である事実を主張している。そして、その声も同様に、強い意思の所在を現している。


「……なあ、エイミット。人間たちが〈箱舟〉などと名付けたあのフューチャーマテリアル構造体。あれがここ数日、妙な兆候を見せはじめているように思わないか?」


「そうね、私にも違和感はあったわ。そもそもアーカイヴスは人間たちに対して、ここ半世紀近くは関心すら持たなくなっていたはず。なのに今回の戦闘では、どこか人間側への干渉を再開したようにさえ見えた」


「これまで我々はアーカイヴスの版図を地表に止め続けてきた。だが、この状況から脱却すべく、アーカイヴスが新たな方策を打ち立てたのだとしたら」


 しかし、エイミットは不可解に思う。


「だとして、どうしていまごろになって動いた? 何のためにかしら?」


 そう、アーカイヴスが新たな意思決定に至るには、乱数計算が引き起こす気まぐれなどではない、何らかのきっかけがあるはずだと。


「……我々の思考や意識はアーカイヴスのそれとは大きく異なる。アーカイヴスがどのような思考分岐と決断に至ったのか。それを理解しようとすればするほど、新たな疑問は尽きない」


「そうね。ただ今回の兆候について、私たちが今後も解釈を深める戦略的意義はありそうだわ。アーカイヴスに、ここでの生活や、日々の穏やかな眠りを邪魔されたくないもの」


 少し自嘲気味な声色を伴って返してしまう。

 ふと、風が凪いだ。リリクルが頬に張りついた銀の髪を手ではらって、こちらへと振り向いた。ためらいを感じさせない二粒の視線が、エイミット自身の意識を真っ向から射止める。銀色をした耳状器官をそばだてて、この楽園そのものがはらむエイミットの意識すべてを余さずに絡め取ろうとしている。


「エイミットは言った。私たちはもう兵器じゃない。私たちは人間と袂を分かった一知性体だ、って。この楽園がある限り、私たちはみんな自由で、誰にも命令されない、固有性を得た存在だって。だったら、たとえ誰かがあなたを攻撃して、自分の身を守らなければならないときにおいても、無茶しないでほしい」


 自分たちを包含する高度兵器システム、アリス=サット。生まれながらにして実装するこの機能を、自分たち自身で否定しているのも理解している。けれどもその矛盾も、楽園の存在が矛盾でなくしてくれている。


「ええ、ごめんなさいリリクル。自分でもわかってる」


「ああ、いや……これは、私からの勝手な願いだよ」


「願いって、とっても素敵なものよ。そこから私たちの未来が開けるのだと、強く信じているわ」


 その現実に立脚したいまがここにあるからこそ、リリクルの言葉に頷けた。


「……ところで、この異変のことを彼らにも知らせてあげるべきかしら?」


「彼ら? 彼らとは、何」


 リリクルは普段から希薄な表情のくせに、ここにきて首を傾げ、さも不思議そうな台詞を寄越した。


「…………人間」


 だから不思議の本質を、露骨な意味に変えて突きつけてやる。


「人間、だって? ふふ、まさか。我々アリス=サットと人間の間に、対話だなんて――」


 歯牙にもかけないような口ぶりをして、別れの合図代わりに手をかざす。リリクルは薄い笑顔を残り香にして、楽園との接続を断った。


                    ◆


 大気圏で流星に変わる観測衛星の映像が勝手に繰り返し巻き戻されて、いまだに自分の頭の中をうろついている。

 この楽園の守護者としての自分と外界の人間との差異とは、果たして何だろうか。それも外見上の近似性や自我と感情の実存性についてふと抱くような、ごく些細な疑問ではない。

 永遠に循環されるこの無間世界に己の意識を置く限り、その疑問もまた巡るのだと彼女は知っている。


(了)

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循環するオービタル・ガールズ 学倉十吾 @mnkrtg

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