第4話
「冗談じゃない! こいつら、こんな場所で交戦おっぱじめやがって!」
サイモン・ライト号の外部隔壁にしがみついたまま、ネイディアが毒づいた。ロボットアームが突然操作を受け付けなくなったかと思えば、クルーからの応答までなくなったため、現場判断で綱を切り、緊急軌道ユニットのスラスター噴射で命からがら母船まで辿り着いてみれば、今度は隔壁扉が開けられない。
こんな緊急事態のさなか、母船の至近距離で二大勢力による戦闘が開始された。死を予感させるほどの危機的状況。しかも不運なことに、これは単なる巻き添えだ。
箱舟の構成組織が生物めいて蠢くと膨張をはじめ、外装の先端部が傘状に膨らんで展開した。傘は防護壁か反射板として作用し、AS側から照射された二対の光軸を二次曲線に歪めることで直撃を避け、船体後方へと受け流していく。それも完全ではなく、エネルギーを受け流せずに貫通し、融解した部位もいくつか確認できる。
だが、箱船はアーカイヴスの
五射目以降はカウントどころではなかった。互いに干渉し合うエネルギーの奔流が衝撃波のような波動を産んで、サイモン・ライト号の船体まで震わせている。
箱船が、巨大な三角錐の傘の表面に、瞬間的に強力な電界と磁場を発生させ、荷電粒子の進路を歪めてみせた。その余波なのか、グロテスクに見える船体を、青白色をした稲妻のスパークが奔る。反射した幾つかの光束がリボンのような曲線に散って、かすめた観測衛星の太陽電池パドルを微塵に焼き切った。
直後のことだ。箱舟の外装からこぶ状の部位が剥がれ、それが運動エネルギー型弾頭として発射された。自らの総体質量を削っての艦砲射撃。その数にして、十六発。当然、こちらに敵対行動をとったAS目掛けて――さらに間を置かず、第二射十六発。だがASは補助兵装の放射型レーザーで精密に照準し、すべて余さず撃墜してみせる。
ネイディアはわずか数百メートル直下で繰り広げられている最新の戦場に圧倒され、呻くような悲鳴を気密服内で上げながら、必死に船内へと戻ろうとしていた。電子的手段では無駄だと判断し、手動で隔壁扉のロックを解除していく。
アーカイヴスは、ヒトのように冗長な論理思考を持つ生物ではなく、合理的思考に立脚した知性体だということを、知識としては把握していた。箱船はこちらから刺激しなければ、人間にとって無害だ。だが、破損した観測衛星を眺めて、このままここでじっとやりすごすだけでは戦闘の流れ弾を受けて死ぬだけだと直感が告げていた。
◆
箱舟の通過軌道にあった中継ステーション・クラウドブラウンに向け、携帯端末のローカル回線からマイクロ波通信を送る。携帯端末までハックされていなければ、きっとこちらからの警告が伝わるはずだと考えた。
すぐに応答があった。返ってきた音声はノイズまみれのものだ。ただ、それに続いて船内システムの回線宛てに直接管制室本部から応答があった。
【――軌道船サイモン・ライト号、こちらプロペラトロン管制室。なあキーラ、そっちからの送信データが受信途中で破損したみたいなんだ。もう一度送り直してくれないか?】
やけに眠たそうな男性オペレーターの声。あの水色ASに関するデータ照会の回答が、いまごろになって返ってきたのだ。
こちらはそれどころの状況じゃないのに、それ以前にオペレーターの素振りはあまりに緊迫感がない。キーラの不安は的中していた。やはり中継ステーション側もアーカイヴスからのネットワーク干渉を受け、箱舟の強襲を察知できていないのだ。
キーラは何とかこの窮地を伝えられないものかと焦ってコンソールパネルを叩くが、掌握されたシステムはいまだ機能回復の兆しすらない。
「どうしたらいいの。処置なしよ、私たちは身動きがとれない」
船体が揺れて、胴体が悲鳴のように軋む音を上げた。のぞき窓越しに繰り返し届く閃光と衝撃波の狂想曲が、戦闘状況が継続されているのを示している。
【――軌道船サイモン・ライト号? こちらプロペラトロン管制室。キーラ・アバルキンじゃないのか? 声がよく聞こえないぞ】
男性オペレーターの、苛立ちを無理に押し込めたような声色。当船に応答する能力はない。
――そのはずだった。
【………………プロペラ……トロン……管制室。こちらサイモン・ライト号、ゴーアヘッド。ハハッ、びびんなよ新入り。彼女らがご執心なのはアーカイヴスだけだよ、シュミナ】
「ちょっと……なんなのこれ……一体、誰がいま管制室と喋ってるのよ……」
驚愕の表情を浮かべて、シュミナが思わずヘッドセットを外した。音声を発したヘッドセットすら気味が悪くなり、総毛立った腕で宙に払いのける。頭の中が錯乱して、意識はもやがかかったように薄く色が抜け落ちてゆく。
【……当宙域に異常、なし】
「これ………………ネイの声だわ」
予期せぬタイミングで、交信に乗ったネイディアの声。だが会話には脈絡がなく、声の抑揚にも統一感がない。腐れ縁のキーラでなくとも普段の彼女を知るものなら、聞くにつれ段々と違和感が酷くなるほどのものだ。
【……異常、なしだ。我々の仕事も間もなく終わる。次の応答を待てクラウドブラウン。この交信を終わる】
そして気味が悪いことに声は少しずつ巧くなり、徐々にネイディアではない別の人間を演じはじめる。
この状況が明らかに異常だと確信した瞬間、生理的不快感を理性でたしなめられなくなり、シュミナは血の昂ぶりとともに、急激な吐き気をもよおしてきた。
「嘘でしょ…………まさかこれ、箱船が……〈喋って〉いるっていうの……」
その推測通りのことが起こっていた。箱船が通信回線越しにネイディアの音声をコピーして彼女の会話のシミュレートを行い、目の前で管制室に向けた偽装通信を送り返している。人知を越えた機能を実装した機械知性体が、人間の声帯データをハックして、人間になりすましているのだ。
サイモン・ライト号のクルーたちはあらゆる見地から袋小路に追い込まれ、判断力を完全に失っていた。
箱船への迎撃行動を継続していた水色のASも、想定を越える攻撃能力を発揮していたが、それでもまだ敵を撃沈することができていない。
サイモン・ライト号下方に巨体を横たえたままの箱船。こちらに離脱する能力はもはやなく、観測衛星と一体になって地球を永久に公転することしかできない。
キーラは死を予感して、ふと余計な思案に至ってしまう。ひょっとしてあの箱船が、自分たち人間を盾にしているのではないだろうか。元は人類側の兵器だったASがこちらに及ぶ危害を懸念したがために、攻撃の手を緩めざるを得なくなり、〈彼女〉が不利な戦況に陥っているのではないか、と。
遠ざかったASは視界から完全に見えなくなり、代わりに接近する五〇〇メートル級の箱舟。脅威が過ぎ去ったわけではない。クジラ型の箱船背面から突き出した背びれ状の突起物が無数、重々しい動きでサイモン・ライト号に向けて距離を縮めていく。それ一つだけで都市商業区画のビル型モジュールほどの大きさだ。このまま接触すれば、簡素な外装しか持たないサイモン・ライト号ではひとたまりもない。
もう衝突は避けられない――その寸前のことだった。
どん、と音がして、フロントの窓に黒い何かが取りついた。人影――気密服姿のネイディアだ。真っ黒なバイザー越しでは表情すらうかがえず、声もクルーたちまで届かない。こぶしで幾度も多層構造のガラスを叩く彼女から、鈍い音だけが機内に送り込まれる。が、思い出したように全身を使ったジェスチャーを示しはじめてから、それがサイモン・ライト号の上に何かがあることを訴えているのだと、キーラたちもようやく理解する。
誰もが状況を正確に理解するのを待たず、上方から未知の勢力による砲撃が浴びせられた。高速射出された四発のアンカー型弾頭が箱舟背面部の外装をクレーター状に穿ち、そこが腫れ物のように膨れ上がって破裂、銀色の体液が無重力空間に向け出血する。その様は、まるで噴火する水銀だ。
矢継ぎ早に打ち込まれるアンカー。直撃を再度受けた箱舟の背面部に、さらなる異変が起きていた。
衝突エネルギーで開けられたクレーター状の傷口周辺が、リング状の真っ赤な光を描いている。それは次第に幾何学的な紋様を結びはじめ、赤い光はひび割れのように、アーカイヴス構造体の巨躯を冒す病巣のように、箱船の外装全体へと勢力図を広げゆく。
アンカー型弾頭を媒介し直接接続されたのは、一種の攻撃性プログラムだった。それは、アーカイヴスが箱船に対して与えたはずの船体設計を改竄するタイプのものだ。攻撃性プログラムに感染した箱舟は本来の構造が維持できなくなり、やがて意図せぬ崩壊を引き起こしはじめる。
音も立てず、箱船が自沈へと向かう。背骨が外的意志でねじ曲げられ、五〇〇メートル級の船体が二つ折れに破断をはじめると、表皮は無数の鱗のように剥がれ、末端部からフューチャーマテリアルの粒子に解れて宇宙へと拡散してゆく。
そうして徐々に、あらかじめ設計されたはずの体積を奪われ、与えられた設計を保つためのルールが破綻し、船体をバラバラに分解させていった。
滅びのエネルギーが生み出す、白く美しい光。それがこの結末のシナリオを描いたものの正体を、まばゆいばかりに照らし出した。
サイモン・ライト号上方に、もう一機の機影。深い緑に塗装された海月型の戦略迎撃衛星・ASが姿をあらわにする。
脅威となった箱舟の消滅と共に、軌道船サイモン・ライト号のシステムも正常復旧した。
【おい、やりやがった――あのASが箱舟を沈めたんだ】
歓喜するネイディアの声が、回線越しに船内まで届けられた。
「そんな、あり得ないわ……ASが、私たち人間を助けたっていうの?」
だが彼女らは、抱いた疑問を解消する機会を失うことになる。尽きる寸前だった己の命運を呪う猶予すらも与えられない。
窓の向こう側で唐突に観測衛星がひしゃげて部品を撒き散らし始めたのに気がついた直後、
彼女らは自らが迎えた結末を認識することなく、箱舟の崩壊に飲まれたサイモン・ライト号もろとも宇宙の彼方へと弾き飛ばされていった。
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