第3話

「うわ、あたしが想像してたのよりも随分とデカい……」


 感心した口振りで応じる新人クルー、シュミナ・カンナギの眼鏡が、明滅を続けるスクリーンを白く反射させている。撮影画像に重ね合わせられた模式図形と文字列とがスクリーン上で止まることなくざわめいているのは、搭載された観測装置が船外のリアルタイム状況を刻々と読み取っているからだ。


「主任。皆は〈あれ〉をやれASだASだって言ってますけど、ASって結局どういうシステムなんです? 前世代に放棄された軍事衛星なんですよね?」


 自分の傍らのシートに腰を収める、先輩格のキーラに話題を振る。


「あらあら、STA(第二トーラス・アカデミー)を飛び級卒でA+判定の君ともあろう人間でも、知らないことがあるものね」


 やけに納得した素振りを見せるキーラに、


「いやぁ、キーラ主任は皮肉きっついなぁ。ああいう地上国家時代の知識は、あたしら世代にとって一番の苦手分野ですから」


 サイモン・ライト号内はおびただしい数の機材が互いの凹凸にせめぎ合い、野放図な無重力世界を窮屈さに押し込めているかのような光景をつくりだしていた。壁面を覆う無骨なコンソールパネル群の間を縫うように、投影スクリーンが船外状況のモニタリングを着々と続ける。そのどれもが、なけなしの面積しか設けられていないのぞき窓を電子的手段で補うべく、いまASと呼称した飛翔体の姿を捕捉しては、彼女らサイモン・ライト号クルーにもわかる視覚情報に翻訳して送り届けていた。


「――"ARtificial InterCEption SATellite" 、通称アリス=サットARICE-SAT。地上国家時代の統治機構が、衛星軌道上からのアーカイヴス殲滅作戦計画に向けて開発した、自律型衛星兵器よ」


 キーラは後輩に解説しながらコンソールパネルを操作して、地球に対し飛翔体ASがとる公転軌道の予測図をスクリーン上に呼び出した。


「見てのとおり、地上国家は滅亡してしまったわ。けれども宇宙に置き去りにされた彼女たちは、指揮命令系統なんてとっくの昔に失われたいまとなっても、人類のいなくなった地球の周回軌道を延々と公転しながら、自分の意思でアーカイヴスへの迎撃行動を継続している。その点から、自我を持った戦略迎撃衛星とも形容されているわね」


 彼女の言葉に、シュミナは目元に無邪気そうな笑みを見せて、ためらいなく安全ベルトの留め具を外した。地上高度六〇〇キロメートルが体験させる極低重力下で、即座に浮かび上がった身体。片手でコンソールパネルを蹴ると、船体側面に穿たれたのぞき窓に飛びついた。目を凝らして、耐圧ガラス越しでも視認できる距離にまで接近した飛翔体――ASの姿を捉える。


「へえ。稼働中の機体を肉眼で見られるだなんて、それこそ天文学的なめぐり合わせじゃないですか。あたしはこの仕事に関わってまだ一ヶ月足らずですけど、これまでにレーダー上の点としてしかその姿を拝めたことがなかったですもの。でも主任、これはその……さすがに接近しすぎじゃないですかね?」


 ふむ、と頷いて、レーダー上に、相手側の予測軌道パターンを当機と重ね合わせてみせるキーラ。実際は相手側の高度がこちらに比べさらに低いため、三次元軸上でみれば互いに衝突するわけではない。そのまますれ違ったあとは、ただひたすら遠ざかっていく計算だ。

 ただ、得体の知れない無人兵器が既に視認できる距離にまで接近していると考えれば、まだ航宙経験の薄いシュミナの不安もまた理解できる。


【――〈彼女〉らがご執心なのはアーカイヴスだけだよ、シュミナ。人間様なんて、〈彼女〉らにとっちゃそのへんに浮かんでる宇宙塵みたいなもんさ、はなっから眼中にない】


 船内班の会話を見かねたのか、表のネイディアがヘッドセット越しに割り込んできた。


「でもでも、攻撃対象をいまでもちゃんと認識できてるんでしょうか? あれって半世紀近く前の年代に配備された骨董兵器なんでしょう?」


「心配無用、そこのパネルを見なさい。こちらへの識別信号の照会もリアルタイムで実行しているし、応答だってちゃんと返ってきている。〈彼女〉は少なくとも、私たちの船が味方の識別信号を発していることくらいは頭で理解しているわ」


 キーラが言うように、スクリーン上に投影される管制情報のリストに、未確認機アンノウン扱いとはいえ、味方の所属である旨を訴える所属コードがはっきりと印されているのがわかる。


【――じゃないと、こっちは地球の裏側からだって撃ち落とされてる】


 想像して、シュミナは思わずゾッとした。衛星軌道上に配備、実戦運用される兵器がどれほどの有効射程距離を備えているのかなんて、わざわざスペック表を確認するまでもなかったのだ。


【ハハッ、びびんなよ新入り。ASはそもそも対人攻撃兵器じゃないんだ。接し方さえトチらなけりゃ、化石になっちまった地球をぐるぐる回り続けるだけの、ただの鉄クズにすぎないよ】


 屈託のない笑い声を伴ったネイディアの声が鼓膜まで飛び込んできた。


【しっかし、こいつは見覚えのないタイプだな。他所から縄張りの軌道を変えてきた気分屋かもしれん――なあキーラ、予測軌道と撮った映像をまとめて、あとで管理局に報告しておいてくれないか。リストに載ってない新顔のお姫様だったら、あたしらチームの大手柄だ。帰ったらボスが酒を奢ってくれるに違いない!】


「うふふふっ、了解。でも私としては、あんな合成アルコール飲料よりは、ちゃんとした牧場の肉の方がありがたいんだけどね……」


【だったらあんたには月面都市ファームへの移住をお勧めするね。あたしゃ勘弁だけど】


 そんな他愛もない話題を交わしている間に、接近したくだんのASはサイモン・ライト号の数十メートル直下を通過し、そのまま斜め前方へと遠ざかっていった。翼端の素子を赤く明滅させ、こちらには何の反応も返さずに、我が物顔で。


「……〈彼女〉ら、か。皆があれを女性に喩えるのをずっと不思議に思ってたんですけど、なんだかわかった気がします。人工衛星というには随分と可愛らしい色と形をしてますもんね」


【ああ…………いや、そうじゃないんだ――――】


「ええっ!? じゃあ、どういう意味なんですか?」


 回線の向こう側から、訳知り顔の沈黙が返ってくる。


【実はさ……あたしの仲間内でもかなりの噂になってる話なんだけど。ASの〈歌声〉を聞いた奴がいるんだよ、通信回線越しに。女の――ガキの声だった、って……】


 テクノロジー至上主義とデジタル信奉とに基づく彼女らのような職場では、一笑に付される類のゴシップだったのかもしれない。だが、ヘッドセット越しに届けられたネイディアの演技がかった声色が、オカルトまがいの現象に一定のリアリティを与えるのを後押しした。

 思わず眉根を寄せたシュミナの口もとが笑っていないのを横目に、キーラはあからさまなため息をついてやろうとして、

 そこで、自分たちが状況の急変を察知し遅れたのを、ようやく思い知ることになる。



【お、おい、なんだかお姫様の様子が妙だぞ……】


 動揺の混じったネイディアの声が飛び込んできて、我に返ったシュミナが反対側の窓に飛びついた。サイモン・ライト号を追い抜いて前方に遠退きつつあったはずのASが、構成部位の各所から白いガス状の気体を噴き出しているのが確認できる。機体の姿勢制御用スラスターだ。ノズルから噴射したガスを利用して、地表に向けて水平を保っていた機体の傾斜角を起こしはじめている。


「あれは……形態を変えてる!? これから何をはじめようとしてるんだろう」


 思い出したように唾を飲み込んで、シュミナの喉が音を立てる。ASはさらに、ヴェール状素子の格納を終えた翼を、関節を軸に稼動させて、徐々に外形のシルエットを第二の形態へと移行させていく。それら一連の動作を、彼女は何と形容してよいのか言葉を詰まらせた。


【――――――キーラッ!!】


 直後のことだ。翼を畳んで蕾状に収縮したASの機体から、光線がほとばしった。照射の予兆もなく、理解を超えた速さで観測衛星とサイモン・ライト号の間をかすめる。音や振動はなく、しかし目を刺す強烈な白光だけが、溢れ出んばかりの勢いでのぞき窓を貫いた。


【おいキーラ! 糞っ! 奴らだ、〈箱舟〉がすぐ目と鼻の先にいるぞっ――――!!】


 水色のASが現れたのと同じ軌道の方角――つまり背後から、通り過ぎた〈彼女〉の後を追跡してきたかのように、突如それ――〈箱舟〉が姿を現した。

 最初に認識したのはネイディアだった。それもASの時と同じ、気密服越しの目視によるものだ。

 奴ら、〈箱船〉などと彼女が呼称した構造物は、ASすら遥かに超える全長を持った巨大飛翔体だ。それも地表の殻と似かよった灰色の組織で、いびつにその巨躯を覆っている。

 箱船とは、アーカイヴスが自らの意思で建造し、宇宙に向けて送り出した超大型軌道兵器である。地上の支配を達成したアーカイヴスが次に宇宙侵出するための尖兵だと目される、宇宙時代の人類にとって最も危険な敵性存在。そんなものが、ゆっくりとこちらまで接近していたのだ。


【一体何がどうなってんだ!】


 矢継ぎ早に、回線の向こうでがなり立てる。


【こんな至近距離で、なんであんなどデカい箱船を捕捉できてなかった!】


 船外から届くネイディアの怒号に驚愕してスクリーンを確認するが、


「そんな……ネイさん、こっちは何もモニタリングしてませんよ! 管制室からの事前警告もまだなんて妙だ」


 まさかの事態に、動揺を隠せない。人為的なミスを疑うも、手順に沿って再確認していく計器類は、そのどれもが異常の兆候を何一つ捉えられていない。サイモン・ライト号から参照可能なレーダー網、半径五〇〇キロメートル以内に、〈箱船〉が存在しないことになっている。


「危険よネイ! 衛星は諦めて早く船に戻って!!」


「目測でも、あれは五〇〇メートル級を軽く越えていますよ。あんなサイズの箱船なら、こちらの索敵範囲から逃れられるはずないのに……」


 スクリーンは、船外の異変をいまだに何ひとつ映し出せていなかった。シュミナは自分のシートには戻らず、目視で船外状況の観測を続ける。


「距離およそ一キロを切りました、このまま追いつかれます。最接近まで二分以内と推測。ここからだと接触スレスレの高度に見えます」


 観測装置の故障でレーダーが異常をきたしているわけではないのだとしたら。キーラは決して短くない過去の航海経験から思考を巡らせて、今この船に起こっているはずの現象を導き出そうとする。視認できる距離の大型物体すら捉え損ねるなど、技術的にあり得ない。それも当船にとどまらず、周辺軌道に点在する観測衛星や中継ステーションすべてがあれを取りこぼすなんて、人為的ミスがどれだけ重なったとしても、とんでもない確率だ。


「とにかくこれは異常事態だわ。ここから緊急離脱しましょう。早く船内に戻ってネイ! ……ネイ? ねえ、どうしたの?」


「主任、命綱が外されています! 窓からネイさんの姿が確認できません。ロボットアームを伝って、自力で船まで戻ったんじゃ……」


 彼女が言うように、ネイディアが装着していた命綱がいつの間にか、のたうつ蛇のような曲線のまま無重力下に静止して、観測衛星の付近で漂っていた。


「わかったわ。君は与圧室にネイが戻れたかどうか確認して。アームは私が回収する」


 慌てて隔壁扉に取りついたシュミナを尻目に、応答を急かすようにマイクを指で叩いてやる。だが、叫び声は伝わらない。ヘッドセットでモニタリングされる音声に、妙なノイズが乗っているのに気づいて、キーラは背に密着した冷却服越しに、不快な汗が垂れるのを感じた。

 割って入る、唐突な警告音。ロボットアームの操作レバーを手にした直後、唐突に照明が落ちた。目ぼしい光源を失い、完全な暗闇に閉ざされる機内。ずっと低周波の唸りを上げていた稼動音が曲線を描くように下降し、この船が息の根を止められた事実だけを訴える。


「なに……停電!?」


 間もなくして予備電源に切り替わり、補助灯の暗がりのなか数秒置いて主電源を取り戻したあと、サイモン・ライト号は何食わぬ顔で再稼働をはじめた。

 窓からでも巨大な船影を視認できるほどの距離まで、箱舟は近づいていた。前例のないサイズのものだ。それは船というよりは、絶滅動物のナガスクジラか何かを思わせる有機的形状をしている。

 船内システムが再起動を終えたことをコンソールパネルが明滅して知らせる。

 それと同時に、彼女らサイモン・ライト号クルーは思い知ることになる。もはやこの船が人間たちの道具としての役割を失った事実を。


「主任、ハッチが操作を受けつけません! いまの停電でショートしたんじゃ……」


 貨物室側に向かうための隔壁扉を、シュミナはまだ開けられていなかった。


「違うわ、やられた。奴ら、とっくにこの船のシステムを乗っ取っていたのよ」


 行き着いた結論にキーラ自身、愕然とさせられた。このサイモン・ライト号と観測衛星、双方ともに、箱船から受けたハッキング攻撃によってアーカイヴス側の支配下に置かれていた。その事実にようやく気づいたのだ。サイモン・ライト号のレーダーが箱船を捉えられなかったのではない。箱船の接近を改竄され、最初からなかったことにされていたという想像外の現実。


「そんな……それじゃアーカイヴスが、ネットワーク回線からこの船のシステムに侵入してたってことですか!?」


 キーラがコンソールパネルに指を滑らせる。だが、もはや操作を受けつけない。ユーザーの存在を認めなくなっている。

 人類の敵性存在〈アーカイヴス〉とは、地上国家時代に発明された、自在に形態を変える次世代素材・フューチャーマテリアルの複合体だ。そしてアーカイヴスは自己増殖と学習と発展を繰り返す分散型コンピューターの共同体コロニーでもあり、個体が多細胞生物のように集合することで、高度AI人工知能プログラムの発展系――〈機械知性体〉としての役割を構成している。箱船も、アーカイヴスが寄り集まった端末にすぎない。


「アーカイヴスは人間のテクノロジーの延長線上にある。有線だろうが無線だろうが、既存する我々のネットワーク・プロトコルを完全に理解する。そして、そもそも相手はAIの化け物だわ。凄腕のクラッカーすら太刀打ちできない」


 まるでキーラの言葉を理解したかのように、徐々にスクリーン上の投影情報が乱れ始めた。動揺を隠せず、悲鳴を上げ損ねたシュミナの喉からか細い息が漏れる。意味不明な文字列がスクリーンを塗りたくり、機内の光景をより混沌としたものへと変貌させてゆく。船外カメラからの映像が意味不明なノイズ模様にすげ替えられ、かと思えば出所も撮影時期もでたらめなニュース映像がサブリミナルめいて挿入される、その繰り返しだ。そこには地上国家時代のものが幾つか混じっており、人類にとっては永遠に理解の及ばぬ機械知性体の意識が、まるでこちら側まで溢れ出ているかに見えた。

 アーカイヴスはまんまとASの背後をとり、人間たちのシステムを出し抜いてみせたことの主張に躍起だ。そもそもサイモン・ライト号クルーたちは何も知らず、最初から巧妙に捏造された情報を見せられてきただけにすぎない。そしていまも、傍観者としてそれを眺めていることしかできなかった。

 衝動的に、キーラがコンソールに腕を叩きつけた。


「だから奴らとの戦争に負けたと言ったのよ! アーカイヴスは人間を襲わない? こっちが敵対行動を取らない間は無害ですって? 冗談じゃないわ、あんな得体の知れないモノが頭の中で何を考えているのかなんて理解できるものか」


 誰に問いかけるでもなく、口から冷静さを欠いた言葉ばかり吐き出される。

 彼女らはようやく、自らが追い込まれていた状況を理解した。なんてことだと、シュミナが絶望に唇をわななかかせる。

 彼女らちっぽけな人間たちの存在など無視するかのように、水色のASから再び光線が放たれた。標的は、それを追撃する位置関係になった箱船だ。アーカイヴス組織で構成される箱船を敵性存在として認識した〈彼女〉は、主兵装である二門の荷電粒子砲を向けて照準し、第三射、第四射と、立て続けに高エネルギー掃射を繰り返す。

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