Step20 ヴァース

(テープの擦過音。紙の上を鉛筆が走る音)


(男)…あー。テステス。

 よろしいようです。それではどうぞ。


(しわがれた声)うーん、で?この老いぼれの話を聞きたいっていうんだっけな、あんたは?


(男)そうです。まずお名前を。それから、ご出身地をお願いします。あとは思いつかれるままに。自由会話の形式の方が語りやすいでしょうし、思い出すことも容易でしょうから。

 本格的に取材となると…肩がこるでしょう?


(しわがれた声)んがっはっは。容易、ねぇ。難しい言い方をなさるね、あんたは。うちの末娘とどんな関係でここに来たのか、なんて聞くだけ野暮かな?まあいいさね。

 どうせあの娘はワシのことなんぞお構いなし。生まれる前にな、妻の年齢を考えてワシゃあ反対した。それを聞いてからちゅうもの、ず〜っと、こう…ハンコーキ?ってやつでな。

(マッチを擦る音)

 アンタの前になんか、黄色い東洋猿と付き合ってたくらいでな。アレに比べたらアンタはなんぼかマシ・・だぁね。東ヨーロッパの血筋だろ?少なくともまともなキリスト教徒の民族だ。

 なあに、驚くもんでもねえ。ワシは昔、オーストリア二重帝国カー・ウント・カーにおったでな。その頃付き合ってたあまっ子が東の出身だったのさ。だからそっちの言葉の名残が分かる。それだけさね。

 そうさな…あっとと、名前だったな。

 ワシの名前はブレーズ。ブレーズ=フォン=フェルダー。


(男)御苗字ごみょうじの由来を伺っても?オーストリアに地所を持つ貴族の流れをくむというのは…


(しわがれた声)んがっはっは。アンタ、こんなオヤジがお貴族様生まれと思うかね?苗字はな、結婚した時に女房カミさんの方からもらったんだよ。

(ドイツ語が混じり始める)

 先生…女房カミさんの育ての親、おらにとっても大恩人のお人なんだが、これがどうにも譲らんでなぁ。「私の姪と婚姻するのなら、家族として苗字を共有するのは当然のことだ。むしろ君はフェルダー男爵家の後継を生み出す柱たるのだから臆するな、胸を張れ!」…の一点張りでな。んがっはっはっはっ。

 むかぁしはな、兄ちゃん、ティロルの百姓出にゃあ苗字なんて高嶺たっかねの花だったんだぞ。

(パイプをふかす音)

 懐かしいだなぁ…あん人にはほんにはら一杯いっぺえお世話になっただ。へっ、おら達が夫婦喧嘩の時にゃあ取りなし役になってくれたもんだ。それにガキどもの面倒もようみてくれとっただな。イアンさんも一緒になって、あの頃はまるで小舅が二人もいるみてぇにウザがっとったもんだに、今になっちゃあの頃が懐かしいよ。片方は生粋の、公爵様の血統を持ってなさるお人だっただに。偉そぶりもしねぇで、優しいお人でな。


(男)その、イアンというかたは、ダニエラ嬢が話していた『大おじさま』というかたですか?


(しわがれた声)ん?あいつがそう言っただか?…あん人とおら達に血のつながりは、いっこもねぇだ。

 けんどまぁ…深い意味にゃあ家族。そんなもんだべな。

 これがまたよぉ、頑固一徹を肖像画にして飾ってるようなお人でな。厳しいけんど公正で、おら達夫婦の導き役をかってくれてただよ。

 はーぁ。先生もイアンさんもとうに天使の仲間入りしちまって…残されたんはおらだけになっちまったなぁ。女房は、ありゃ悋気りんきがすぎて、浮気者うわきモンのおらを地獄で手ぐすね引いて待っとるに違ぇねえだよ。がはっ。

 …っと、話が藪道やぶみちに逸れちまっただな。

 ごっほん、ごっほん!

(英語に戻る)

 ワシの出身はフォアアルルベルクじゃ。もうとうにない、帝国の地方の村の出だ。アメリカくんだりまで来て昔語りなんぞしたのは、かなり久しぶりだ…がははっ、ついもと・・の言葉が出ちまう。


(男、ドイツ語)

 途中から見事にドイツ語でしたね。それもティロル訛りの。

 ご安心ください、私はドイツ語も不自由ありませんので。そちらでも結構ですよ。


(しわがれた声)(これ以後、話者はドイツ語・英語混じり)そうかい。つってもなぁ、もう英語の方が長いからなあ。ってかあんた、訛りがあっても聞き分けられるだか?アメリカここ大学デーガクっちゅうところで勉強したからなのかい?そうなら、学問っていうのもそう悪いもんでもねぇだなぁ。

 あの末娘も大学に行った途端、小生意気になっちまってよ。近頃じゃああまっ子も頭ん中さ学問詰め込んで、こっちゃの思う通りになりゃしねえぞ。

 っとと。妙なチャンポンになっとるのはスマンだな。ま、大目に見てくれろ。

 里ことばも忘れちまってることが多いと思ってただに、話し出すと出てくるもんだなぁ…


(男)ご家族は皆さん、奥様と貴方、それにイアン氏とマクシミリアン氏…のほかは、アメリカ合衆国ステイツの生まれでしたね?


(しわがれた声)おうさ。ワシと女房、先生とイアンさんは帝国時代のオーストリア生まれじゃ。帝国が崩壊したはじめの大戦おおいくさの後に、追われて逃げてきた女房をこっちで迎えて、おらはまぁええ歳して独り身だったもんだで、まー色々あってそのうちデキちまって、所帯を持っただ。


(男)なるほど。第一次世界大戦の後しばらくして…ということは、ナチが台頭してきたあたりでしょうか?


(しわがれた声)そーそー。なんたって女房は半分がたユダヤだかんな。それにヴィル兄やん───女房の父親がよお、ややこしい立場だったもんだで。めっちゃ苦労したらしい。

 そんでまあ、おら達がデキ婚して、そっから生まれたガキはみーんなアメリカ人だ。ドイツ語のドの字も話せねぇだよ。おらも教えんの超めんどくさかっただからな。ほんに、マジで懐かしいだな…

 いやぁ、それにしてもあんたのドイツ語コトバの訛りはええだなぁ。おら、そったら訛りは好きだな。ほんに、ずーっと昔に聞いてた感じがするだでよ。んがっはっはっは。


(男)…私の母が、そのまた母からオーストリアの言葉を受け継いで、それをそっくり私に遺してくれただけですよ。祖母はもともとバルカンのとある権威ある家柄の出でした。いうなれば私は、旧帝国の臣民三世といったところですね。

(手帳に鉛筆で書き込む音)


(しわがれた声)ふーん。───アンタ、なあ、煙草タバコはやりなさらんのかね?


(男)え、いや、私は…


(しわがれた声)ほー!じゃあ良い機会だで、いっぺんパイプこいつってみんだか?


(男)う……では、折角なので頂きます。

(吸い込む音。すぐに咳)うっ、おほっおほっおほ、ごほほ、ごほっ


(しわがれた声)んがっはっはっは!ええ、ええ。初めはそんなもんだでよ。野郎コはやっぱしヤニ・・ぐれぇかまさ・・・ねぇとな?あぁ、あとな、パイプはフカすんだ。肺に入れちゃなんねえ。


(男)ううっ。これは───ふふっ、してやられましたね。


(しわがれた声)オヤジのイタズラだ。大目にみてくれろ。


(ドアの開く音、若い女の声)どうしたの?凄い咳が聞こえたけど、お父様?大丈夫ですか?


(しわがれた声)るっせえ!いちいち騒ぐでねえダニエラ。こっちのアンちゃんだ。


(女)ええ?…それは兎も角、お薬の時間ですよ。あちらに用意してありますから。ルイさんも、少し休憩してお茶にしましょう。


(しわがれた声)おおっ?アンタもルイちゅうのかね。おらんところの長男とおんなじ名前だ。偶然ちゅうのはあるもんだなぁ。ここんとこ退屈しとったが、今日は良え日だで。


(緩やかな足音と杖の音。ドアの閉まる音)

(女)どう?取材は順調?


(男)まあね。先は長そうだが。それも楽しみながらやっていけそうだよ。


(女)あの気難し屋のお父様とよく話が続くものだわ。私なんか十分じゅっぷんでも無理!驚嘆に値するわよ。…でもなんで咳を?


(男)お父上がパイプをね…まだ肺の辺りがジンジンする。糞ッ、えらい目に───失礼。

 肺に思い切り吸い込んでしまった。そういうモノではないのだね。まったく人が悪い…おっと、テープを止めないと。


(女)……ねえ。


(男)うん?どうかしたかい?


(女)…それ本当?


(男)ああ。本当だが、何か?


(女)…お父様にとってあのパイプはとても大事な物なの。以前ふざけて触った取引相手を出入り禁止にした事もあるのよ。


(男)一流の経営者というのは、えてして他人には理解し難いこだわりがあるものさ。


(女)相手が産油国の王族でも?


(男)…


(女)他人ひとに触らせるどころか、直接口に当てて喫わせるなんて───私が生まれてこのかた無かったわ。


(男)フム。ひょっとしたら・・・・・・・私とお父上は相性が良いのかもしれないね。


(女)それならそれで上出来!私達の交際も認めてもらいやすくなるというものじゃない?


(男女の笑い声)


『ニューヨーク・サン』コラムニストの録音テープより

ラベル:1962,7,15

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スローワルツ 鱗青 @ringsei

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