第5話第4章「平和の敵として」&エピローグ
「うっはー!気持ちええわこれ!癖になってまいそうやわ!なぁなぁ、もっと激しくしてもええか?」
「いや、これ以上激しくすると俺が危ないというか…」
「そんなん関係ないわ!うちが気持ちよくなれるんやったらなんでもええんや!ほらほら!これはどないや?うちのテクやっぱりほれぼれするわぁ」
「いや、これ以上は…もう…ダメ…出る…」
「え~?出すんやったらちゃんと外やで?さすがにうちも中にされたらたまらんわ」
「じゃあもう降ろして…これ以上は本気で出しちゃうから…」
「はい、カルラ君、酔い止め。もう遅いかもしれないけど、無いよりはましでしょ?」
「ありがと、スイ…」
カルラたちは現在車の中、あらぶったセリの運転でぐわんぐわんと揺れる体に彼はこれ以上ない嘔吐感を覚えていた。スイは普段からセリの運転に付き合っているから慣れているのか吐きそうとは言わなかったが、それでも少し顔が青くなっている。調子に乗ったセリの運転の理由、それは彼女の前をふさぐ機械の木偶の坊が原因だった。動作を止めてそこにたたずむアンドロイドの群れ、セリはそれを鋼鉄の騎馬でひたすら撥ねまわしていたのだ。進路の邪魔になるものだけでもいいのにセリはいちいち道に外れている場所にいるアンドロイドも轢いていく、まるでゲームでポイントを荒稼ぎするみたいに。
こうなった理由は数時間前に遡る。日付としてはカルラとスイが結ばれてちょうど1週間後だ。
あの時に持ち帰った情報を解析したノブナガとセリの活躍によりアンドロイドを無効にするアイテムが発明された。彼女らが完成させたのはラジコン飛行機のようなドローンだった。その内部にはアンドロイドの行動を停止させる電波を発する装置が付けられており無人で飛び回り片っ端から生きる機械をただの廃材にできるというわけである。それが完成したと同時に解放軍は作戦を開始した。ドローンの制作が始まった瞬間から作戦も考えられており作戦を立てる時間は0でありすぐさま作戦に移行された。作戦とはこうだ、先遣隊が箱庭に侵入、ドローンを飛ばし各地のアンドロイドを無力化し、抵抗する軍の人間を押さえておく。その間に箱庭の道案内ができるカルラを主としたセブンスがタワーに侵入、メインコンピュータをノブナガがハッキングし箱庭の管理情報を奪取する。前回の侵入作戦の時には誰も箱庭の内部を知らなかったため深入りせずに撤退させた節がある、だが今は内側で過ごしたカルラがいる、これでスムーズかつ比較的安全に作戦が達成できるというわけだ。
その作戦が伝えられたたった2時間後、カルラはセブンスの仲間たちとセリが運転する車に乗り込み箱庭へ強襲をかけたというわけだ。
箱庭の外壁は以前の襲撃により修復中だったため突破するのは非常に楽だった。アンドロイドもドローンによって半分以上は機能不能になった。ただやはりドローンの数が箱庭の広さに対して少ないため動いている奴らもいるが、それは他の部隊の人間が抑えてくれていた。カルラの指示でセリは車を転がして、そして今に至るわけだ。
「セリ、次を右!そこをまっすぐ行って…その交差点を左だ!次の角を右に曲がってそのまままっすぐ行くとタワーへ続く道につくはずだ」
「オッケイ!任しときや!」
まだ昼過ぎの明るい空に、以前と同じマンタの群れが飛ぶ。けれどそれも大半が虫たちに攻撃され火をあげながら地上に落ちていた。今回は総力戦、こちらも撃沈覚悟でありったけの武器を投入している。武装のレベルと数にモノを言わせて今回は立ちまわっていた。
「まずい…戦艦も出てきたぞ…どうする?」
「カルラ君、私たちはタワーに侵入することだけを考えて…あの戦艦はきっとみんなが倒してくれるはずだから…」
威圧的な戦艦の出現に歯噛みするスイ。きっと彼女こそ真っ先にあの戦艦を潰して仲間たちを助けたいと願っていることだろう。けれど今はカルラたちとタワーへ行きチェックメイトをかけるのが優先事項だ。仲間たちが全滅するか、それとも王手をかけるのが先か、どちらにしろ二つに一つ、スイは仲間を信じることにした。
「カルラ!着いたで!後はあんたの出番や!」
セリの爆走のおかげで目的地まではあっという間についた。あとはタワーへの道を隔てる巨大な壁を破壊するだけだ。
「任しとき!…で、使い方あってるのかな?」
「はは、大丈夫やで、間違えてへん。それにしてもあんた見違えるように立派になったなぁ…あんとき初めて会ったなよなよメガネ君とは大違いや、立派な顔になって…これもスイがホンマの男にしてあげたおかげやな」
「もうセリってば恥ずかしいこと言わないで!…カルラ君、ちゃっちゃとやっちゃってよ!うまくいけばご褒美、あげるからさ!」
「スイのご褒美か…楽しみなような不安なような…」
スイのことだ、ご褒美とか言いながらもいつものお茶目ないたずらをするんだろうな、なんて思いながらもカルラはにやけ顔が収まらない。この1週間でカルラとスイの距離はぐっと縮まった、もうお互いのことをほとんど理解したくらいに。だからカルラにはスイの考えていることが分かってしまい、そしてこのようににやけてしまうのである。まぁなんともなバカップルっぷりである。だがカルラはここでバカップルの熱さに溺れるほどの男ではない、彼はぱしんと緩んだ頬を叩くことで引き締め、背負ったバックからプラスティック爆弾を取り出した。粘土のような可逆性のそれをちぎり壁に貼り付け雷管を突き刺す。あとは遠隔操作で爆発させれば破壊完了だ。プラスティック爆弾の登場によりこのような爆破作業は簡単なものとなった。火に入れても衝撃を与えても暴発しない、爆発するのは突き刺した雷管で操作するしかない限りなく安全な爆弾。そのクセに爆発の威力はすさまじい、さらに形状の変化によってさまざまな状況での適切な爆破が可能となった。戦前から次世代の爆弾として恐れられたそれは今でも戦場の第一線で猛威を奮っている。ただこいつの出現によって瓦礫の撤去やらが簡単に可能となり災害時の人助けとなったのもまた事実であるわけで、使い方次第では殺すも生かすもできるとはまさに皮肉的だ。
「ほい、完了だ」
バン!と爆発が起こり壁に穴が開く。ちょうど車が通れるくらいの丁寧に切り抜かれた穴を通りカルラたちは内側の真ん中へと侵入した。世界の偽りのシステムを壊すウイルスとして、彼らは神の居城に等しいなタワーへと足を踏み入れたのだ。
「ここからは私たちだけ、最後の役割確認いくよ。トージとミコトは切り込み部隊として敵を吹き飛ばしていく、危険な役回りだけど大丈夫だよね?」
「もちろんさ。俺がこの部隊でどれだけ戦ってると思ってるんだよ?危険なんてもう慣れっこさ。お前らは俺たちに全部預けてついてきてくれればいいんだよ」
トージの力強い言葉にミコトもこくり、とうなずいた。
「で、私とカルラ君はトージたちが開いてくれた道を進んでメインコンピュータを見つける。これは前の作戦と変わらないね。ノブナガも同じ、ハッキング担当」
「道中のサポートもボクに任せてほしいです」
「うん、頼りにしてるよ、ノブナガちゃん」
インカム越しのノブナガの声もカルラはもう聞き慣れてしまっていた。この声があるからこそカルラは仲間を身近に感じることができ力が沸いた。
「で、ミカなんだけど…ほんとについてくるの?危ないんだよ?」
「大丈夫!ミカだってみんなの力になりたいもん!みんなが頑張ってるのにミカだけお留守番なんてできないよ!」
今回の作戦はミカも参加する。それは彼女自身が言い出したことであり彼女の仲間を助けたいという強い意志でもあった。
「それにミカはお荷物なんかじゃないもん…ミカだってこの力がある、だからみんなを助けられるし自分のこともちゃんと守るから…ね、お願い…スイお姉ちゃん…」
「はぁ、わかったわよ。まぁここまでついてきちゃったんだし最後まで一緒に行こうね。ミカは私たちと一緒に後方支援をお願い」
「うん!任せて!みんな、頑張るからね!」
「ごめんだけどセリはここで待機お願いね。帰りの足、期待してるから」
「ええで!ここでみんなが帰ってくるの待っとるから…帰ったらみんなで絶対たこ焼きパーティーやからな!」
ついにタワーの真下までやってきたカルラたちは車から降りる。目の前にはタワーの入り口、律儀というべきか無防備というべきか、その入り口は開いていた。文字通りラスボスのダンジョンに潜り込むときの緊張感が彼らを支配していた。
「せや!これ、持って行き。今街中に飛び回ってるのよりはちっちゃいけどちゃんと使えるし、きっと役に立つで」
セリが渡してきたのは3機のドローンだった。ただ試作機なのだろうか正規のものと比べると小型で形も少し不格好だ。だが中身だけはしっかりと正規品と同じでちゃんと電波は出せる。
「うん、ありがとね、セリ。それじゃ、行ってきます」
「あぁ、いってき!」
カルラたちは一歩を踏み出す、この一歩で理不尽な世界が少しでも変わる、そう信じて。
「2階から8階が職務フロア、9階から11階が宿泊フロア、12階から25階が食糧備蓄フロア、26階から上は関係者以外の立ち入りを禁止です」
「はいはい、ご苦労様です」
ロビーの働き者アンドロイドの解説を聞き流しカルラたちは階段を探す。が、どうにも階段は25階より上にしかなくそこまで行く手段はエレベーターしかないらしいので仕方なくそれに乗り込む。本当ならエレベーターなんて密室の箱に乗るのは危険極まりないのだがことがことなだけにそうせざるを得ない。扉が開いた瞬間の襲撃に備えて皆一斉に武器を構えた。建物の構造上25階までしかないエレベーターが止まる。カルラたちの緊張とは程遠い軽快な音をたてて扉が開いた。
「来るぞ…」
トージが重々しく言ったがそれは杞憂に終わった。扉の先で待ち伏せなどはなくただ無人の廊下が続いているだけだった。
「誰も…いないね…」
「あぁ…これだけ静かなのもおかしいな…もしかすると上階で待ち伏せられてるのかもしれない…」
「へっ…!それならまとめて潰せて手間が省けるじゃねぇか!どうせ罠だろうが何だろうが俺たちが進まなくちゃいけないことには変わりねぇんだしな」
「トージ…」
トージの豪快な性格がこの時ばかりは皆の助けとなった。トージの言う通り罠が待っていようと進むしかないのだ、皆とっくに固めた覚悟の周辺にセメントでさらにカチカチにしたそれを持ち26階へ向かう階段へと昇った。
25階と26階は雰囲気がだいぶ異なっていた。25階が廊下と扉ばかりのフロアだったのに対し26階は研究機器などがそこら中においてあるフロアだった。扉の数は少なく吹き抜けの間仕切りばかりのフロアだ。たとえるなら主人公を上から見下ろすタイプのRPGゲームの研究所のダンジョンに似ていると言えばいいか。何の用途かもわからない研究機器に目を向けながらカルラたちは進む。
が、彼らが一歩進めた瞬間頭の芯にまで響くほどの音量のサイレンがけたたましく鳴り響いた。
「侵入者あり。各フロアの警戒レベルを4に引き上げ。侵入者データ照合。該当者、無し。侵入者を敵と判断。ただちに相当を開始せよ。」
「一歩目から随分な歓迎じゃねぇか!」
サイレンの音に交じってどこから湧いてきたのかアンドロイドの群れが彼らに向かって襲い掛かってきた。だが彼らにはセリ特性の秘密アイテムがある、スイはニヤリと余裕の笑みを浮かべてそれを一機放った。ドローンの名にふさわしい羽音を鳴らしてそれが機械の人形の群れに突っ込んでいく。人形どもは羽音とともに襲い来る電波にやられて停止、するはずだった。だが彼らは何の影響もなくピンピンとしている。
「嘘!?効かない…!?」
「このタワーの内部にいるアンドロイドだけ通常のものと設計が違うのかもしれない…なにせ街中のアンドロイドが一斉に止まるとこのタワー内のものも止まるってことだからな…それはタワーの人間にとっても不都合だろう…」
「カルラ君!そういう考察は先に言ってよ!」
「いや、ごめん、確証がなかったから…」
「それでもそういうことは先に言うの!わかった?」
「あぁ…ってこんなことしてる場合じゃないだろ!迎撃しないと!」
頭を思考から迎撃へと切り替え手に銃を構えるカルラ。使い慣れたハンドガンの狂気を孕む重さが手に心地いい。狂気によってすぅっと気分が冷たくなっていく、その冷たさを銃弾に込めてカルラは撃ち放つ、何も思考しない人工の人もどきへと。
パン!彼の耳に襲い掛かる銃声も普段通り、冷たさを孕む鉛弾は一直線にアンドロイドめがけて飛んでいき脳天を撃ち抜いた。デリケートなアンドロイドは集積回路の一部を傷つけられただのガラクタと化した。だがそれでも沈んだのは一体だ、彼の目の前にはアンドロイドの大海原が広がっている。一発の弾丸で一体しか潰せないハンドガンでは日が暮れる作業だ。
「ちっ…これじゃキリがない…!」
「先陣は俺たちに任せろって言っただろ、カルラ!こいつでも喰らいなくず鉄ども!」
ズガガガガ!耳を劈くような銃声がトージから放たれた。彼の手に握られているのは以前助けた少女が持っていたAKのようなライフルとは比べ物にならないくらい厳つい代物、マシンガンだ。しかもそれを両手に一丁ずつ持っている。以前カルラは訓練でマシンガンを使ったことがあるのだがあまりの衝撃で一度引き金を引いただけで衝撃を逃がしきれず後方に倒れてしまった。そんな驚異的な衝撃があるマシンガンをしかも両手に一丁ずつ持ち巧みに火を噴かせているトージにカルラは驚くしかなかった。
「オラオラオラ!おとなしくクズ鉄らしく転がってろ!」
薬莢がカラカラと地面に落ちる。それに伴ってアンドロイドたちも機能を停止させ地に落ちる。アンドロイドの胴体はどの型もみな等しく体にまるで蜂の巣のように無数の穴をあけてどんどんとスクラップになっていく。
だがすごいのはそれだけではなかった。トージが降らせる弾丸の嵐、その隙間を縫うようにミコトが敵陣へと向かって突っ込んでいったのだ。彼女は華麗な身のこなしで地を駆け、そして飛んだ。ぴょん、と高く飛び上がり四角い研究機器の上に降り立ちさらに同じ機械の上をジャンプで伝っていく。それはまるで屋根を自由自在に伝う忍者のようだった。軽やかで素早い身のこなしで、さらに彼女を忍者と思わせたのはその攻撃方法にもあった。彼女がぶんっと腕を横に薙ぐとどこに隠してあったのかナイフが飛び散りアンドロイドの体に突き刺さった。右腕だけでなく左腕も薙いで同じようにナイフを飛び散らせた。ナイフが突き刺さったアンドロイドは軽く20、だがナイフが刺さったくらいでは致命傷にはならない、少し塗装されたメッキを削るくらいだ。だが彼女の目的は外側の損傷ではなかった。彼女の放ったナイフの軌跡がきらりと輝く。それは比喩でも何でもなく本当の輝き、彼女のナイフにはワイヤーが付けられていたのだ。ミコトがワイヤーを少し引っ張った、それがトリガーとなりアンドロイドの群れは次々と内側から煙を出し崩れ落ちた。普通の人間なら何が起こったのかわからないだろう、カルラも事前の説明がなければわからないことだった。
「ミコトのワイヤーナイフはうち特性なんや!あのナイフにはな、電気が通るようにしとるんや。対アンドロイド戦では欠かせへんアイテムや!まぁ設計はうちの企業秘密ってことで教えられんけどな」
それはセリが自慢げに語っていた話だ。この一週間ただイチャイチャしていたカルラではなく、セリ自慢のオリジナルアイテムの物色も行っていたのである。そしてそこで教えてもらったのだ、セリ渾身のアイテムの話を。
ミコトのワイヤーナイフから放たれた電気はアンドロイドの体を内側からショートさせた。彼女はそれをわずか3秒足らずでやってのけまた次のアンドロイドの群れへとナイフを放ち敵を殲滅していく。
「どう、カルラ君?これがみんなの力だよ。頼もしいでしょ?」
「あぁ…」
カルラが瞬きをするたびに目前の敵の数は大幅に減り、5,6回の瞬きののちにはそのすべてがガラクタとなりそこら中に転がっていた。
「さて、次に行くぞ」
トージは弾丸のリロードを行いながら皆にそう告げた。彼らはうなずき上階への階段を上っていく。硝煙と排煙の焦げ臭いにおいが漂う残骸だらけの部屋を背にして。
トージとミコトに任せていれば楽々と30階まで上がることができた。彼らの実力に頼るばかりで少し気が引けたカルラだが手段なんて選んでいる時ではないというのはわかっていた。なので彼は仲間の実力を信じただ上を目指して進んでいく。あっけないほどの簡単さで残す所はあと5階だ。だがここで彼らに問題が起きた。
「これ、どっちに進もうか…?」
ご丁寧に上階のフロアの見取り図が描かれた地図を見つけスイがつぶやく。これより上は西館と東館で分かれているのだ。
「たぶんこのどっちかにメインコンピュータがあるんだよな…」
「うん…頂上も西と東で分けられてる…二手に分かれようか?」
「そうだな、それがいい」
というわけで二組に分けた結果、カルラ、トージ、ミカが西側、スイ、ミコトが東側ということになった。
「じゃあなスイ…そっちの方は任せたぞ。作戦が終わったら、また会おうな…」
「なに今生の別れみたいなこと言ってるのよ!私のことは大丈夫だし心配もいらない。カルラ君は自分のことだけ考えてればいいの!」
「おら、行くぞバカップルの片割れ!アツアツなのは後にしてくれ」
トージに急かされてカルラはその場を離れる。最後まで大好きな彼女の笑顔を見ながら。
「ふぅ…このフロアも制圧完了っと…で、お前は何してんだよ?」
「ん?俺?…あぁ、これ、仕掛けてる」
「いや、爆弾しかけてるってことは見りゃわかる。俺が聞きたいのはどうしてそんなことしてるかだよ」
「じゃあ初めからそう言えよ…」
トージに意地悪く少し悪態をつくように言ってやったカルラ、トージはぶすっと機嫌が悪そうに顔をしかめたが耳だけはしっかりとカルラの方へ向けていた。
「ハッキングした後メインコンピュータはどうする?もちろん、壊すだろ?そのためさ。帰りに設置してもいいんだけどさ、やっぱり目標を達成した後はさっさと帰りたいと思うじゃん?ま、後はいろいろな保険ってことでさ」
どうにもトージは途中から適当に聞いていたらしく適当な返事しかしなかった。ちゃんと説明してやったのに、カルラは心中で悪態をつきながらもそれを顔に出さないように彼とミカの後ろをついてまた階段を上っていく。今日何度目か忘れてしまった階段は確実にカルラたちの足に乳酸を蓄積させてピリピリといいようのない痛みを送っていた。だが彼らはそこで苦しいと言って足を止めるわけにはいかない。今こうしている間にも彼らの大切な仲間たちの命は天へと誘われているのだから。神の誘いもなく、ただ一発の銃弾を、一発のレーザー砲を、一振りの剣を、天国へのチケットとして渡されているのだろう。
「ねぇトージお兄ちゃん、あと何フロア残ってるの?」
「あと2フロアだ」
「あと2つかぁ…ゲームならここで一番強い奴が出てくるよね!一番てっぺんにもボスが待ってるけどたいていイベント戦だから負けたりしないよね!」
「はは、ゲームと現実をごっちゃにするなよ」
軽口をたたきながら階段を上っていたトージたちだが、34階の扉をくぐった瞬間その足を止めた。明らかにこのフロアが先ほどまでのフロアと雰囲気が違う。それはもちろんフロアの間取りが変わったとか研究室風ではなくなったというわけではない。風貌は下のフロアと同じ、だがそのフロアからは肌がびりびりと焼けこげるほどのプレッシャーのような何かが空気を凍らせるように漂っていたのだ。
「おい、ミカ…どうやらお前の言ってること、当たったかもしれないな…すっげぇやばい雰囲気ビリビリだ…」
「もしかして、ミカ、死亡フラグ立てちゃった?」
「…かも、しれないな」
トージの額に冷たい汗が伝う。カルラはその汗の冷たさを推し量ることはできないが、だがこれだけは思うことができた。あのトージが顔を歪めて汗を流している、今までの戦闘で表情も変えなかったし汗一つかいていないあの彼が、ここにきて雰囲気だけで怯えている。その事態がどういうものか、彼には言葉にできない不安が体全体を包み込むように襲った。
「ミカ、お前は下がってろ…カルラ、お前は前だ。いいな…敵を見つけたらまずは銃を撃て。声なんてかけなくていい。見つけたら即攻撃だ。そうすれば俺も銃声の方を向いて攻撃する。逆も同じだ、いいな?」
「あぁ…」
ミカを階段に置いてカルラとトージは背中合わせにそのフロアに出た。ビリビリ、なんて表現が生易しく感じるほどの痺れるような何かがこのフロアに漂っている、カルラはすぐにそう思った。そしてその何かに当てられて銃口が震える。初めて暴力的な殺意を受けたあの時がカルラの脳内に浮かぶ。
(いや…今はあの時の俺とは違う…俺はあの殺意を潜り抜けた…今回もどうにかして潜り抜ける…だってここで死ねないのだから…俺はもう一度、スイに合わなくちゃいけないから…だから探せ…殺意の正体を…)
背中合わせでトージと歩きながらカルラは銃口と視線をさまよわせ探す、この殺気を放つ何者かを。目を凝らして視界の全てを疑いエラーを探す、眼を皿のようにして世界の全てを見る、そして、彼は見つけた。制止した世界の中、少しだけ動く何かを。
「そこだ!」
カルラは引き金を引いた。何のためらいもなくただ生きるために、スイのために、彼は引き金を引いた。銃弾が飛び何者かに命中する。それだけではない、振り向いたトージの銃弾の嵐も、何者かに吸い込まれるように命中した。正体もわからないそれは何もすることができずに凶弾に伏す。
「やった…のか…?」
「いや、まだだ…まだビリビリしたのが体に纏わりついて取れない…きっとあれはまだ…」
トージの言葉が正解ではないと祈りながらも、それは無残にカルラの目の前で打ち壊された。何かよくわからないモノは黒い体を高速で動かしカルラの文字通り目の前に現れた。
「こ…ロ…す…」
その黒い何者かをカルラは初めアンドロイドかと思った。なにせ全身がよくわからない金属のようなもので覆われているのだ、黒いマントを羽織った人型アンドロイドかもしれないと思うのは違いなかった。だがアンドロイドが喋るだろうか、これほどまでの殺意を込めた口調で。そして彼は見たのだ、黒い何者かのフードで隠れた瞳を。青く澄んだどこまでも透明な瞳。まるで空のようにきれいな瞳にこもった魂の色。
「こいつ…人間だ!」
叫んだカルラだがトージはそれでもかまわないと言わんばかりにそいつに向かって銃をぶっ放した。カルラの目の前に現れた黒コートだ、トージにとってもそれはほとんど目の前であり超至近距離、そんな距離から銃弾を数えるのが億劫になるほど撃ち込まれれば普通の人間なら即死だろう。いや、普通の人間でなくともどんなに訓練された軍人だろうと即死だ。だがそいつは人間であって人間ではなかった。ありえない反射速度でそれを見切り、ありえない筋肉の動きでそれを避けるために動き、ありえないスピードを以ってそれを完全に避けきったのだ。人の目に映らないほどのありえない速度でそいつは銃弾を全て避けきったのだ。
「な、なんなんだよこいつ!」
トージは声を荒げて残弾を全て黒コートへと捧げた。だがそれは壁や床をえぐるだけでコートの体をえぐることはなかった。だが彼は決して自棄を起こしたのではないことはわかってほしい。なにせトージの顔に浮かんだのは焦りでも不安でも怒りでもなく、確信に似た笑みだったのだから。
「カルラ!後はお前に任せる!やっちまえ!」
「あぁ、もちろん!」
トージが狙っていたのは奴が避けることだ。奴は今銃弾を避けている、だが止めどなく動いているように見えて奴は動くその瞬間だけは力をためているのか静止している。時間にしてみればほんの0.1秒もないだろうが。だがトージはそれでも信じていた、カルラの正確な射撃能力を。
カルラはただ観察する。奴の行動パターンを読み正確に撃ち抜く、失敗しても成功してもこの作戦はもう使えない。この一発こそ自らに許された黒コートを撃ち抜く弾丸だ。カルラはただ黙ってコートの動きを観察する。そして自分を信じて、引き金を引いた。
―パン!
銃弾の嵐が、やんだ。弾切れをおこしたのだ。弾が無くなった銃は先端から満足そうに煙を吐き出している。そしてカルラの銃口からも煙が上がる、その先に倒れる黒コートの姿に喜びを隠し切れないように。
「はぁはぁ…」
カルラは今さらになって襲い掛かってきた緊張に息を荒げた。呼吸するのも忘れていたようで頭が酸素を欲しがっている。彼は大きく深呼吸して気分を落ち着けた。けれど安心するにはまだ、早すぎた。
「ふふ…ははははは!面白い!面白いよキミたちは!さすが世界に反抗する人間だ!」
「い、生きてる…」
奴はカルラの銃弾で頭を撃ち抜かれたはずだ、なのに彼は立ち上がった、その指に挟んでいた冷たい鉛の玉を一つ、地面に落としながら。カラン、と虚しく弾丸が地を転がる。カルラたちには小さなその音が、やけに大きく聞こえた。
「はは!やっぱり楽しいな、カルラと遊んでいるときは!まるであのときみたいだ…そうだろ、裏切り者のカルラ君?」
「やっぱりお前…ノエルか…」
カルラはコートから覗く瞳を見てもしかするとと思っていたのだ、こいつがノエルであると。だがそれをどうしても否定したかった。なにせ奴の体のほとんどは機械だ、手も、足も、胴も、ほとんどが機械で繋がれている。そんな姿があの時の親友のはずがない、彼は頭でずっと否定していたが今話してみると改めてわかった、こいつはあの時のカリスマ的少年なんだと。
「俺のこと、覚えておいてくれたんだ!あは、うれしいなぁ…あの裏切り者に覚えておいてもらえるなんて…俺はなんて光栄なんだろう…こいつは俺のことなんて忘れて周りのクズみたいな人間と同じような人間になってると思っていたのに…まさか俺が一番やりたかった外の世界へ飛び出したなんて…しかもあの時俺を引き留めた分際で!ハハ…!」
腹がよじれて死んでしまうのではないかと心配になるくらい笑い転げるノエル、久しぶりの再会だというのに彼の声はあの時のままで幼かった。声変わりもしていないほど幼いその声にカルラはぞっと背筋を凍らせた。冷たい笑い声にノエルの生存を喜べなかった。
「俺はあのあと政府の人間につかまって永遠の命の実験台としてこんな体にされたっていうのに…お前は…お前は…!」
「永遠の命の、実験台…」
それは箱庭が追い求めていたこと、あの時軍で見た死してなお凌辱される魂たち、それを生きた幼子に施したのだ、政府の人間は。
「そうだ…俺は何度も体を切り裂かれた…何度も何度も何度も!よくわからない機械を付けられたり、よくわからない何かを食べさせられたり、頭がぐちゃぐちゃになるくらい意味わかんない音をずっと聞かされ続けたり…!あぁ…うるさい!黙れ!騒ぐなよ…!俺はずっと…あの時の音が頭から離れないのに…お前にも聞かせてやりたいよ…この最高の音をさ…狂っちゃうほど最高の音を…かゆくなるぐらいさいっこうに気持ち悪い音をさ!」
彼はぼりぼりと生身の部分の残った腕を掻いた。何度も何度も何度も、血が出ても、肉がえぐれても、そんなこと気にも留めずただただ掻きむしった。まさに狂気の沙汰だ。彼の頭には今どんな音が流れ、彼の身体にはどんなかゆみが走り、彼の奥底にはどのような痛みが残っているのか、のうのうと過ごしたカルラにはわからない、わかりたくもなかった。ただこれだけは言える、ノエルを助けたい、カルラははっきりとそう思ったのだ。
「ノエル…ごめん…俺、何も知らずに…」
「うるさい!黙れ!」
ノエルの絶叫がカルラの言葉を突き刺した。そしてその言葉とともにノエルの身体がカルラへと迫ってきた。彼の手には大きなマチェットナイフ、ギラリと輝いた冷たい刀身がカルラの肌を切り裂かんと振りかざされた。
キンっ!
だがカルラへと通るはずの刀身は固い何かに防がれた。刃が振り下ろされる一瞬、目を閉じてしまったカルラがゆっくりと目を開く。すると目の前にいたのはトージであり、その両手にはマシンガンの代わりに刀が握られていた。自身の身長の半分以上の大きさのそれをクロスに構えてマチェットの一撃を防いだのだ。
「カルラ…お前たちになにがあったのかは知らない…けど、こいつは倒さなくちゃいけない敵だ…話があるなら、まずはぶちのめしてからだ!」
トージの刃がノエルのそれを弾き飛ばした。宙に舞うマチェット、だがノエルはそれを微動だにしない。彼は表情を変えずただ口元だけを異様に釣り上げて声をあげた。
「抜刀!」
その言葉を合図にノエルの機械化された腿あたりから刃が、それも二振り飛び出した。彼はそれを取りトージと打ち合う。響くのは剣と剣がぶつかる金属の音だけだった。
二人の打ち合いは素人のカルラから見てもすさまじいものだとはっきりとわかった。流れるような刃の動き、攻撃だけでなく防御のために振るわれる刃、互いを牽制する狂気的殺意、そのどれもが超スピードで今、目の前で展開されている。彼は呼吸も忘れその打ち合いに見入ってしまうところを何とか頭を振り自分の意識を現実に引き戻す。今彼がすることはどうやってノエルと対話するかを考えることだ、トージが稼いでくれている時間を有効活用する方法を彼は頭の中で模索する。
「そうだ…あの方法なら…いけるかもしれない…ノブナガちゃん!」
「こちらノブナガ、どうしたです?」
「悪い…頼みがある…今から指定するスポットにトージを誘導してくれないか?俺がサポートしてやりたいのはやまやまだが声でばれる…インカムで何とかごまかしながら誘導できるか?」
「はい、わかったです!」
「よし…じゃあ、任せたぞ」
カルラは端末を操作してマップ情報をノブナガに転送、そして駆けだした、ある場所へ向かって。
「あれれ?まだ逃げるの?さっさと俺に殺されてよ。あんたみたいな面白い人間、殺したくて殺したくてたまらないんだ!」
「そう簡単に殺されてたまるかよ!」
「…来た!」
どうやらノブナガもトージもうまくやってくれたようだ。下層で待っていたカルラのもとにトージとノエルが姿を現した。ただトージの姿はぼろぼろで息も絶え絶え、体からは血がぼたぼたと漏れており今は気力だけでどうにか立ち回っている状態だ。ここまでしてくれたトージに感謝しながらカルラは時期を待つ。そして、その時が来た。トージとノエルがカルラの仕掛けたスポットに収まったのだ。
「ノエル、ストップだ」
「あぁ?」
打ち合いを止められて不機嫌そうにこちらを向くノエル、律儀に剣筋を止めてくれている。その隙にトージが距離を取った。
「ちっ…逃げちゃったじゃないか。お前のせいだぞ…何もかも、やっぱりお前が悪いんだ…お前から先に、殺してやるよ」
「待て、ノエル。ストップって言っただろ?」
「だから、どうした?俺が止まると思ったのか?」
「周りを見てみろ」
カルラは静かにそれだけを告げる。ノエルはくるりと周囲に視線をさまよわせて、顔を異様に引きつらせた。
「お前…爆弾か…俺はまんまとトラップに引っかかったってわけか」
「残念ながら、ね。それ以上動いたら俺がスイッチを入れる」
カルラはポケットから爆弾の起爆スイッチを取り出してみせる。だがノエルは引きつらせた顔を歓喜にさらに引きつらせて言う。
「お前バカか?俺はお前がスイッチを押す前にそのスイッチを腕ごと切り落とすことができる。俺の改造された体じゃ簡単なことだ」
「あぁ、それも計算済みだ。ミカ」
「はいは~い!あのね、ここの爆弾はミカも爆発させることができるのだ!なんたってミカはサイコキネシスが使えるからね!爆弾を起爆させるくらい簡単なのだ!」
「…ということさ。あ、ちなみに俺とミカを同時に殺してもだめだ。俺の心音が止まった瞬間ドカンとなるように設定しておいたからな」
「さっすがカルラお兄ちゃん!策士だねぇ、卑怯だねぇ」
「勝つためならこれくらいするさ。さぁ、ノエル…まずは武器を地面に置け」
はいはい、とノエルは観念したように武器を地に落とした。カラン、と軽い音をたてて二振りの剣は地面に転がった。カルラとしてはこれは決死の作戦だ、ノエルが自棄を起こせば相手もろとも自らも吹き飛んでしまう、そんな危険な作戦。こんな危険な駆け引きをしたなんてスイに話したらきっと怒られてしまうんだろうな、なんてまだドクドクと高鳴る心臓を携えるカルラは場違いに思った。
「ノエル…ごめん…あの時は、本当に…俺、あんなことになるなんて思わなかった…俺はあの時自分のことしか考えていなかった…ノエルがどうなるかなんて、全然考えてなかった…」
「なに、いきなり…謝ってすむと思ってるの?」
この場じゃなければ謝れない、カルラは頭を下げる。けれどノエルは蔑んだ青い瞳を向けるだけだ。
「そんなの思ってない…だけど、俺がどれだけノエルのことを思っていたのかは知ってほしい…ここまでずっとノエルのことを忘れた日なんてなかった…俺はずっと、お前の影を追っていたんだ…お前と同じように世界に毒を吐いてみたり、牙をむいてみたりした…けど俺にはやっぱり、お前みたいな行動力はなかった…お前は、すごいよ…よく怖くなかったな」
「怖い?俺が怖がった?いや、違うね。俺は外の世界に出ることを楽しみにしていた。それだけが生きがいだった…なのにそれを、お前が奪った!」
「なぁ…ノエル…俺と一緒に、外に出よう?あの日できなかったことを、今しよう?お前はこんなところにずっといたいのか?」
「こんなところ一秒でも早く出たいさ…でも、できない…俺の身体は、政府によって管理されている…この箱庭から出た瞬間、俺の心臓は止まる」
それがノエルが外に出られなかった理由、こんな力を得れば彼は政府の人間を殺してでも外に出ようとするはず、そう疑問に思っていたカルラの心が少しだけ晴れた。
「だから俺は、カルラ、お前を殺すんだ…箱庭にたてつくお前らを殺せば、俺は外に出れる。そういう取引なんだよ…」
ノエルが、今度は悲しそうにそう言った。裏切り者といえどかつての親友だ、それを殺すのは彼にもためらいはあるのだろう。
「だったら、俺が政府の人間を殺してお前を助けてやる。俺たちはこの箱庭を潰すために来たんだ、もちろん政府も潰すつもりでな。だから俺たちが勝った暁には言ってやるよ、ノエルの体をもとに戻せってな。その代わり、お前は俺たちに手を貸せ。そしたら二人ともウィンウィンの関係で終われるだろ?」
カルラのその言葉に、ノエルはハッとした顔を浮かべた。気づかなかったという顔だ。今まで周りを疑い一人で生きてきたノエルだ、きっと他人に頼るなんてことをしたことがなかったのだろう。だからこの言葉は、ノエルにとってはクリティカルヒットも同然だった。
「本当に…いい、のか…?俺はお前を殺そうとした…今も殺したいって思ってる…それでも、助けてくれるっていうのか?」
「あぁ…だって、親友だろ?お前が見出した箱庭を壊すための仲間だろ?だったら何も遠慮することはない…殺したいなら殺してくれたってかまわな…くはないけどさ、でも俺はお前のそんな思いもまとめて引き受ける…だって、親友だから…」
「はは、親友、か…便利な言葉もあったもんだな。ハハハ!」
ノエルは、今度は笑った。さっき見せた狂気に憑りつかれたものではなく、昔のように楽しそうに、笑ったのだ。
「わかった、カルラ。俺もお前を親友と見込んで頼ることにするよ。よろしくな、カルラ」
ノエルが一歩踏み出した。その手はカルラと握手を求めるように差し出されていた。だからカルラも一歩進みその手を、握ろうとした。だがその手は、空を掴んだだけだった。そこにあるはずのノエルの腕が、もうそこにはなかったから。
「の…え…る…?」
カルラは途切れ途切れに親友の名を呼ぶ。今この瞬間にも地面に倒れこもうとする親友の名を。親友の胸元に開くのは大きな穴、そこから機械に改造されたとは思えないほど鮮やかな赤い血がまるで花びらが咲くように噴出していた。安心しきったノエルの表情、だが彼の瞳にはもうあの美しい青はなかった。くすんだ青が、今彼の目に残るだけだった。そしてその青も、やがて21グラムの消滅とともに消えていくだけだった。
「うわぁぁぁぁぁぁぁ!」
カルラが叫んだとともに銃声が鳴り響いた。それはトージによるものだった。狙いは、ノエルの後ろにいつの間にか現れたアンドロイド、その無機質な腕に備え付けられた銃からは今まさに硝煙が漂っていた。ノエルは、無機質なアンドロイドに殺されたのだ。どうして、そんなこと尋ねる間もなかった。
裏切ろうとしたから―
理由なんてこれしかなかった。ノエルはどこからか監視され、今、処刑人ならぬ処刑機械で殺されたのだ。カルラは自身を呪った、自身の浅はかさに。
「何が助けるだよ…俺はまた、ノエルを傷つけたんだ…今度は取り返しのつかない傷を、つけてしまったんだ…」
カルラは地に伏せたノエルの異様に冷たい体を抱き叫んだ。自身を呪う慟哭を、もういない親友への手向けとして、喉が枯れるほどに叫んだ。
「裏切者には死を。当然の末路だな。奴もしょせん実験動物にすぎないからな」
と、どこからか男の声が聞こえた。カルラたちは辺りを見渡すがいるのは無残に崩れたアンドロイドだけ。声はそこから聞こえていた、どうやら内蔵スピーカーのようだ。
「お前は…誰だ!」
「誰?答える必要もない。お前たちのもう一方の仲間に思い出話として聞けばいいのだから。まぁ、地獄でだがな」
かはは、と乾いた笑いをこぼすスピーカー越しの声に、カルラは焦りを覚えた。
「お前は…スイたちを殺そうとしているのか!?」
「もちろん。ちょこまかと動き回るネズミどもは駆除しなければならないからな。それに、私の大事な箱庭プログラムを壊されたくないからね」
「てめぇ…ノエルだけじゃなくてスイも殺そうっていうのかよ…!お前は、俺の大事なものをまた奪おうっていうのかよ!」
カルラは知らず知らず叫び、そして走っていた。愛する彼女の元へ、今毒牙にかけられようとしている彼女の元へ。これが罠かどうかなんて彼には関係なかった、ただスイのことだけが彼の体を動かしていた。
「すまんカルラ!俺はどうもここでリタイアらしい…ついていけなくて、ごめん!」
「ミカはトージお兄ちゃんの治療をするからいけないの…ごめんね!」
「いや、いい!あっちに目標があったんだ、そいつは俺に任せてお前たちは休んでろ」
去りゆくカルラの背に仲間たちが声援を送る。カルラはその声援を胸に、彼女を助けに行く。この世界へ連れ出してくれた最愛の彼女の元へ。
「こっち側に来てめっきり敵の数が減っちゃったね…もしかして、ハズレだったかな?」
アンドロイド数体の死骸が転がる廊下を歩きながらスイは一人こぼす。先行くミコトはいつも通り口を開かない。
「ま、進んでみなくちゃわからないよね」
スイはまた一人呟いた。ミコトに言うわけでもなく自分に言い聞かせるわけでもなく、何か喋っていないとこの沈黙とプレッシャーに潰されてしまいそうだったから。
現在34階、もうてっぺんは目の前だった。あとはこの階段を上りてっぺんにメインコンピュータの有無を確認するだけ、だったのだが突然ミコトが体をこわばらせた。
「ミコト、どうしたの?」
スイは声を潜めてミコトに尋ねる。ミコトはただ周囲を鋭い視線で睨みつけるだけ。人一倍気配には敏感なミコトだ、きっと彼女しかわかりえない何かを察知したのだろう。スイも彼女に倣って周囲を警戒するがどうにも感覚がつかめない。
「ミコト、危ない!」
ほんの一瞬の出来事だった。突然ミコトの背後に人影があった、スイは反射的に声をあげるもミコトが振り向いたときにはそこには誰もいなかった。どういうことなのか、彼女は頭に疑問符を浮かべた。だがそれも一瞬で別のものに意識を奪われてしまう。
「うわぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
それはミコトの叫び声だった。かん高い叫び声が、絞り出すように彼女の喉から漏れている。
「どうしたのミコト!?」
「あぁぁぁぁ…怖い…痛い…やだ…助けてよ…やだ…やだ…痛いのは…やなのぉ!」
ミコトが叫びながら仲間であるはずのスイに向かってナイフを投げつけた。何とかそれを交わしたスイだがミコトの様子がおかしいことに戸惑うしかなかった。ミコトの顔を確認するスイ、彼女の瞳には怯えと幼い子供が感じる恐怖のようなものが居座っていた。スイはそれに見覚えがあった、あの日、あの地獄の日々に見た彼女の瞳、痛みと恐怖にあふれた日々に放り込まれたあの時の彼女の瞳だった。
「落ち着いてミコト!大丈夫だから、もうあの日じゃないの!」
スイは叫ぶがミコトの耳には届いていない。本当に何が起こったのか、スイは頭の奥で思考する。ミコトの背後に人影が見えた瞬間彼女は壊れた、ということはその人影がこの現象の正体なのだろう、だがミコトのように気配に敏感ではないスイではそれを見つけることはできない。第一ミコトに気取られずに背後に立てる存在だ、そんな存在を探せるわけがなかった。
「ぐっ…」
ミコトのナイフがスイの腕を裂いた。避けきれずに受けたその傷からはどくどくと赤の血が漏れ出した。彼女は本当の敵を探すことを後回しにして今目の前の脅威をどうにかすることを優先することにした。スイはポケットに手を入れ例の薬を取り出す。
「ごめん、ミコト…薬を使うけど、許してね…」
それはスイも愛用している頭がぼぉっとなる薬、今の彼女は脳が異常なほど活性化して過去を思い出して取り乱している、ならばこの薬であれば落ち着けることができるはずだ。素早いミコトに薬を打ち込むのは至難の業だ、けれど彼女にはやるしかなかった、仲間を助けるために。
「ミコト…いくよ…!」
スイは念のために持ってきていた麻酔銃を取り出してミコトに向ける。こちらを使ってミコトを無力化することも頭にあったがあの素早いミコトに当てるのはこちらも至難の技、牽制くらいにしか役に立たないだろうと彼女は判断する。銃口を向けた瞬間ミコトの瞳がギラリと輝いた、錯乱した頭でスイのことを敵と判断したのだ。完全に錯乱状態に陥ってしまったミコトはスイに襲い掛かった。ナイフの連撃を避けどうにか行動を銃で牽制するスイだがそれでも彼女の動きは止まることはなかった。
「うあぁぁぁ!嫌だ!嫌なの!もう痛いのは嫌!みんな死んでよ!死んじゃえよぉ!」
今まで喋ることを拒んでいたミコトの慟哭、それはスイの耳を劈き心の奥底まで痛みとして染みこんだ。彼女は今も、眼に見えない過去の亡霊を心の中で飼っていたのだ、それを言葉にすることなくじっと飼い殺していたのだ、そう思うだけでスイの心がびりびりと痛む。
「ミコト…ごめん…ミコトの痛み、全然わかってなかった…けど、私にはどうすることもできないの…こうすることしか、できない…」
後方へ避け続けていたスイだがふと前進してミコトの体に突っ込んでいく。ミコトは今までとは違うスイの動きに慌てて動きを止めた、その瞬間をスイは見逃さなかった。
「ミコト…つらいなら、ちゃんと話して…黙ってちゃわからないよ…でも今は、お休み…」
スイはミコトの首筋に注射針を差し込み薬を打ち込んだ。その瞬間狂気に憑りつかれていた彼女の表情がすっと穏やかなものに変わりこくり、と首を落とした。後に聞こえるのは穏やかな寝息だけ、ミコトに薬が回り始めたのだ。だがスイはそれだけでは安心できなかった。それは見てしまったから、彼女の首元についていた注射の痕を示す血痕を、本当についさっきできた注射痕を。
「ミコトは誰かに薬を打たれてむりやり記憶を…?」
「そう、その通り」
スイの独り言に答えた謎の男の声、それは彼女の背後から聞こえた。反射的に振り向く彼女だがその背には誰もいない。
「誰!?出てきなさい!」
「私は、T。私は、ここにいる」
Tと名乗った男の声はまたスイの背後から聞こえた。今度はスイは振り返らず首だけを後ろに向けて男の姿を見ようとした。だがその男は長身でありスーツ姿の胸元までしか見えず顔を確認することはできなかった。
彼女は腕を動かして背後のTに向けて銃口を向けようとした。
「おっと、そんな物騒なものを向けていいのかな?今は私が主導権を握っているのだよ?わかっているのかな?」
Tはスイの首筋に何かを突きつけた。瞳だけを動かしてスイはそれを確認する。光を浴びてきらりと冷たく輝くそれは、注射器だ、きっとミコトに打った注射と同じもの。
「ミコトにも同じものを打ったのね?」
「えぇ。過去の思い出をむりやり引き出す優れものですよ。これであなたも楽しかった過去の世界に飛び立てるわけです」
フフフ、と不敵に笑うT。この意味深な笑いはきっと自身の過去を少なくとも知っている、そうスイは判断した。
「それが嫌なら今ここで自害しなさい。革命の英雄気取りもいい加減にしてください。私たちの邪魔なんです」
「私たちって…誰のことよ?政府?それとも人類管理機構?」
「普通なら答える義理もありませんが…特別です。私は人類管理機構から派遣されこの箱庭、セクション3の管理を任された身です」
「ふ~ん…じゃああんたがこのくだらない、残酷な世界の基盤を作った一人というわけね…ますます死ぬ気が無くなったわ」
「残酷な世界?何を言いますか、幸せな世界の間違いでしょう?私たちは幸せに過ごしている、それを壊そうとしているのはあなた方でしょう?」
「幸せに過ごしてるのは一握りの人間だけじゃない!箱庭の外側に出された人間がどれだけ苦しんでるのか知らないとは言わせないわよ!」
「外側の人間も内側の繁栄のために生きることができて幸せだと思いますが?」
「ほんとクズね、あんた…そんなこと本気で思ってるの!?あんたの幸せな頭が怖いわ」
吐き出すようにそう言い捨てたスイ、だが形勢がこれだけで逆転するわけはなかった。
「あなたたちも十分幸せな頭をしていますが?あなたたちがしていることは虐殺です。正義という隠れ蓑を使ったただの虐殺行為ですよ」
「私たちが…虐殺?」
「えぇ。たとえ軍の人間が悪いことをしていたとしてもそれを裁く権利があなたたちにあるのでしょうか?あなたたちはただ気に入らない人間を殺しているだけ。それは私たちと何が違うのでしょう?選ばれなかった人間を阻害した私たちとは、ね」
「そ、それは…」
スイはこたえることができなかった。確かに言われてみれば自分たちは箱庭と同じことをしたように思う。気に入らない軍を片っ端から潰していきそこにいる人間を片っ端から殺す、それが自分たちの利益になるから。
(じゃあ私たちがしてきたことは何!?虐殺!?それとも正義!?わけがわからない…もう、どうにでもなれ…)
スイはTに向けていた銃口を自らに向けなおした。そしてゆっくりと自らのこめかみへと、銃口を向けた。引き金を引く手は、不思議と震えなかった。きっとそれは命を奪ってきた罪だ、人として死の恐怖を味わうことができない罪深い少女への罰なのだ。
「待てよ!勝手に死のうとしてるんじゃねぇ!」
「え…?」
突然の声にスイの手は止まった。声の方を向く。そこにいたのは、彼女の最愛の少年、カルラだった。
「てめぇ…今までの話、全部聞かせてもらったぞ!ノブナガちゃんに頼んでスイの無線のスイッチを入れておいてもらったんだ。Tとか言ったな、お前の話を聞いてるとむかつくんだよ!お前、内側の人間がほんとに幸せと思ってるのか?内側の人間だって苦しんでる!俺やノエルみたいにな。言葉に出さないだけできっともっと多くの人が苦しんでいるかもしれない!それに!スイがやってきたのは虐殺じゃない!確かに見ようによっては虐殺だ…けど、スイはみんなのためを思ってやったことだ…スイのおかげで笑顔になった誰かがいる。スイのおかげで助かった命がある。俺もそのうちの一人さ。けどお前たちはどうだ?お前たちがやっていることの果てに、笑顔はあるのか?本当に救いはあるのか?ただ死んで当然のクズみたいな人間を増やしてその果てに本当に楽園はあるのか?俺にはそう思えない!」
「カルラ…君…」
「このガキ…!言わせておけば…!」
「スイ!」
「うん!」
パン!
スイは自身に向けていた銃口をずらしてTへと発砲する。カルラの言葉に気を取られていたTはスイの攻撃に対処することができなかった。胸元に銃を喰らい苦しそうにうごめいている。
「き…さ…ま…ら…!」
「この一発は私だけじゃない。今まで虐げられてきたみんなの思いがこもった一発よ…痛みに苦しみながら、死になさい」
Tはがくりとその体を崩れさせる。崩れ落ちるTの顔を、スイは初めて見た。どんな悪人面をしているかと思いきやただの普通の一般人のような顔だ、内側の人間と同じ、何もかも変わらない。楽園を想像した神のような存在も、ただの男だったのだ。ただの人間が、ただの人間を管理しようとした、その大罪を孕みながら彼はゆっくりと地面へと崩れ落ちる、その瞬間だった。
「私が…ただで死ぬと…思ったのか…?プレゼント、だ…喜んでくれると、嬉しいけどな…」
彼は本当に死力を振り絞りスイの首元に手をかけた。そして例の薬を、スイの首元に打ち込んだ。薬が全部スイの身体に消えていくのを確認して、もうTはただの脱け殻と化した。
「ああぁぁぁぁぁぁぁ!」
その変化は一瞬で訪れた。スイの顔はみるみる間に歪んで息苦しそうな絶叫をあげる。目は見開かれ喉が壊れるんじゃないかと思うくらいの絶叫、カルラはそれをただ見ているしかできなかった。
「あんた、は…あの日…死んだはずじゃ…まだ…生きてる…私、が…ころさ、ない、と…」
絶叫がやむと虚ろ目を浮かべたスイはカルラの方を見てこうつぶやいた。もうスイの瞳に映っているのは最愛のカルラではなかった。彼女の瞳に映ったのは、あの日あの時の自分にとって最悪の存在、忌むべき将校の姿として映っていた。彼女が構えたのは麻酔銃ではなく本物のピストル、それを目に映る忌々しい存在に向けた。
「スイ!俺だよ!カルラだ!しっかりしろよ、スイ!」
「殺さなくちゃ…今度は私が…殺さなくちゃ…みんなの、ために…!」
虚ろな瞳のスイが殺意をカルラに向ける。銃口が怪しく光り狂気を放った。
「スイ!」
何度も彼女の名を呼ぶカルラだがもうそれすらも彼女に届かない。彼女はすでに過去に支配されてしまっていたのだ。あの笑顔ももう、どこにもいない。
「くそ…!スイ…」
向けられた銃口の前に立ち尽くすしかないカルラ、愛するスイを傷つけるという選択肢はカルラには持ち合わせていなかった、それがどんな状況であれ。
「ころ…さ…なく…ちゃ…」
けれどカルラは気づいた、彼女の銃口が震えていることに、彼女の虚ろな瞳が、涙を流していることに。それはただ人を殺す時の恐怖で震えているわけではないのがカルラには容易に分かった。その震えは、愛する人を殺してしまうかもしれない恐怖、彼女の本能の奥底では今銃口を向けている存在がカルラだと、自分の大好きな人間だというのが分かっていた。けれどそれは過去の恐怖の記憶によって支配され頭の中には浮かんでこない。いま彼女は無意識のうちに葛藤を繰り返しているのだ。
「ころ…す…の…?私は…誰、を…?あれは…だ、れ…?今目の前にいるのは…誰、なの…?」
「スイ!」
それが分かったカルラの行動は一つしかなかった。その無意識の葛藤からスイの本心を引きずり出すこと。だからカルラは、彼女のもとに駆け寄った。撃たれるかもしれない、そんな考えはカルラにはなかった。ただ、スイを救いたい、その一心で彼は駆ける。そして、抱き着いた、震える彼女の身体を、ぎゅっと包み込んだ。
自分がどうしてそんなことをしたのかわからない、無意識の思考に勝手に足が動いていた。だけれど確信があった、彼女を元に戻す方法を。彼女の好きという気持ちで自我を固定させる方法を。
「スイ…大好きだよ…愛してる…だから、帰ってきてくれよ、スイ…」
カルラは優しく耳元でささやくと、彼女の唇を奪った。思いを伝えあって1週間、その間に一度もしたことがない恋人の儀式を、今この瞬間に交わした。相手の同意なんて必要なかった。ただ本能の赴くままに、愛する気持ちのままに、カルラはスイの唇に自身のものを重ねた。
(甘い…けど、少し…しょっぱいな…)
なんて思いながらカルラはただじっとスイの唇に自身の愛をぶつけ続けた。永遠の愛が時間の感覚を狂わせる。呼吸すら忘れるほどの長い長い口づけの果てに、彼はようやく唇を離した。彼女のプルプルとした唇に自身の唾液が少し付着しいやらしく光っていたのがやけに扇情的に見えカルラはまたキスがしたい、なんて思った。
「スイ…」
「もう…カルラ君ってば…大胆なんだから…私、初めてだったんだよ?もうちょっとムードとかをさ…」
「ごめん…でも、我慢できなかった…スイを助けるためだったんだよ、ゆるしてくれよ…」
「えへへ…大好きなカルラ君のしたことなら、全部許してあげる」
「ありがとな…あと、お帰り、スイ…」
「うん…ただいま、カルラ君…」
彼らはもう一度キスを交わした。今度は互いの了承のうえ、愛をぶつけあった。ねっとりとした、それでいて心地の良い恋人同士のキスを、世界すら嫉妬してしまうほどの幸せなキスを、彼らは交わした。この瞬間、お互いが本当の恋人となったことが自覚できた、カルラもスイも、その幸せにどっぷりと浸かった。場違いな幸せを、彼らは存分に味わった。その幸せは世界が改革されたとしても、永遠に変わらぬものだった。
「あの~…お二人さん…幸せそうなところ悪いんだけど…そろそろ…」
『え!?』
突然かけられた声にびくりと肩を震わせる二人、そして二人そろって仲良く声の方へ慌てて振り向いた。そこにいたのはぼろぼろに傷ついたトージとニコニコ、というよりニヤニヤ笑顔のミカだった。ひょこひょこと足をかばいながらもトージが申し訳なさそうにこちらに歩いてくる。
「お前ら…目的、忘れてないか?」
『あ…』
また二人そろって間抜けな声をあげる。
「ふふ…カルラお兄ちゃんもスイお姉ちゃんも幸せそうにしちゃって…もう…見てるこっちまで恥ずかしいよ…」
「ほら、ませガキまでそう言ってるぞ」
「ませガキって言うな!むぅ…トージお兄ちゃんのくせに生意気!」
「あの…ボクもそろそろ上にあがった方がいいと思うです…もう街の戦闘も長く持ちそうにないです」
「あ!そうだった!ほら、行くよみんな!」
倒れているミコトを抱えてスイは皆に声をかけた。皆はうなずきスイの後に続く。
この上に世界を終わらせる始まりがある。一つの楽園を壊して、彼女たちが道しるべとなる、楽園の破壊者として、この歪な社会の敵として。もう後戻りができないのは誰だって知っている、けれど誰も怖いとは感じなかった。皆この新しい一歩を踏み出すことを誇りに思っていた、最高の仲間たちとともに反逆者、いや、英雄となることに。
その日、世界は終わりを告げた。完全なる支配者が崩れ落ち、偽りの幻想が露見した。ある者は偽りに激怒し、ある者は涙を流し、ある者はただ茫然と立ち尽くす。けれど、幻想の奴隷たちの大半は無感情だった。現実を見せられても、幻想に縋りつくしかできなかった。幻想に縋りつき、管理されることを望み、ただ与えられる平穏だけを望んだ。口当たりのいい偽りは本物となる、彼らは外の世界を拒みそして否定した、真実の自由を。
世界のために立ち上がった少年少女は、英雄になんてなれなかった。彼らに貼られたのは反逆者(アンチ・ヒーロー)の称号だけ。世界を崩壊へと貶めたおせっかい焼きたち、それがこの世界を終わらせた少年たちの末路だった―
―エピローグ―
「はぁ…」
広い談話室の大きなテーブルにつき、少年は一人ため息をこぼした。彼の頭にあるのは本当に箱庭を壊してよかったのかという疑問だけ。
あの日少年は箱庭を一つ終わらせた。箱庭のプログラムをハッキングしデータを壊し管理者の象徴であるタワーを潰した。箱庭プログラムで生きていた機械の奴隷たちは皆息を止めた。それが空を飛ぶマンタでも、戦艦でも、関係ない、皆静止した。そしてそこに住む人々の日常も止まった。本当の自由に解放されるはずだった彼らはただ虚しい瞳を浮かべて少年たちを罵った、反逆者と、平和を奪った野蛮な人間どもと。彼らは自分たちが支配されていることを知っていたのだ、知ったうえでその偽りの快適な生活を受け入れていたのだ。何もしなくても生きていける柔らかなよくわからないものに包まれた生活を、彼らは欲していたのだ。
「はぁ…ほんっと、どうしたらよかったんだよ…」
「あらら?カルラ君大きなため息、どうしたの?ため息は幸せが逃げるよ?」
暗い顔をした少年とは対照的に明るい笑顔を振りまく太陽のような少女がカルラに声をかけた。少女、スイはこんな時も無邪気そうな笑みでカルラは目が眩みそうになった。
「逃げる分の幸せなんてもう俺には残ってないよ…はぁ…」
「なに卑屈になってるのよ、カルラ君。幸せが残ってないっていうなら今ここで幸せな気分にしてあげようか?」
スイはカルラの同意なく唇を奪った。急なその動作にドキリと心臓が高鳴るカルラだが唇が離れた瞬間またため息をついた。
「もう…またため息ついて…ほんとどうしたのよ、あの日から落ち込んでばかり…」
「いや、ほんとに俺たちのしたことが正しかったのかなってさ。内側の人たちはさ、みんな俺と同じだったんだよ。俺みたいに箱庭の支配状況を知っていたのに、みんなそれに溺れていた。俺も、スイが来なかったらきっと溺れていた…だから内側の人はさ、みんな俺なんだ」
「ふ~ん」
スイはさしずめ興味がなさそうにきれいな黒髪を指でいじっている。その態度にカルラはむっとしたが怒る気力すらなかったのでまたため息をついた。
「でもさ、カルラ君。キミはこっち側に来た、だからみんなとは違う。今もうじうじ内側のまやかしに縋ってるあの人たちとは違うんだよ?キミは一歩外に出た。それも自分の意思で。それはすごいことじゃない。内側の人たちと同じなんて、そんなことないよ」
「そう、か…ありがとな…」
「むぅ…何その上っ面だけのありがとうは!もっと感謝の意思をこめてありがとうって言いなさいって教えられなかったの?もし教えられてないっていうなら今私が叩き込んであげる!」
「ノーサンキューだ」
鬱陶しそうにカルラは立ち上がり部屋を出ていった。その寂しげな背中を、スイもまた寂しそうに見送るだけだった。
「はぁ…あの日から一週間、やっぱり何も変わらない…」
カルラは憂鬱に廊下を歩く。唯一変わったことといえばこの廊下を歩く人間の数が減ったこと。あの戦いで多くの解放軍の人間が死んだ、無残に心ない機械の群れにやられたのだ。多くの人間の死によって終わらせた箱庭も、結局世界には影響を与えなかった。あの後他の解放軍の支部が動いたかといえば、まったく動くことはなかった。これを動いたとカウントするならば、彼らは皆この支部に助けを求める連絡を入れてきた。箱庭を壊した英雄と持ち上げて、勝利の女神なんて持ち上げて、ただ使い捨ての特攻要因のように他の箱庭もあわよくば潰してくれ、と。自らの力を使わずに立ち上がろうともしない、結局解放軍という名の隠れ蓑の中で安心して過ごしているだけののうのうとした連中に、カルラは嫌気がさしていた。そう、結局解放軍のほかの支部も、箱庭の内側の連中と同じ、改革のない変わらない世界が重要なのだ。
「はぁ…ほんとに世界は、クズばっかりだ…」
また一人、ため息をこぼした。カルラは今日一日で何度ため息をこぼしたのかもう覚えていなかった。
「あ!カルラお兄ちゃん!おーい!」
「ん?ミカか。どうした?」
「うわ…何そのひどい顔…気持ちわるっ…」
「うっせぇ」
廊下を歩いていたミカと出会いカルラは呼び止められた。憂鬱な今はミカのテンションが少しきつかったが顔には出さない。もし顔に出して後でスイにちくられてしまえばどういう目にあわされるかわかったものじゃなかったから。たとえ恋人だとしてもスイは手を抜かないから、あの怖さはもうカルラは味わいたくなかった。
「お兄ちゃん、今時間ある?あるよね?ないって言わせないよ!そんな辛気臭い顔でぶらぶらしてたんじゃどうせ暇なんでしょ?」
「いや、俺はいま世界を憂いでいるから暇じゃないんだ。また明日、いや、また来世あたりにでもあたってくれ」
「うわぁ…お兄ちゃん完全鬱モード…まぁお兄ちゃんが何と言おうとついてこさせるけどね!」
「できるものならやってみろよ…うわ!?きゅ、急に体が…!」
突然カルラの身体が浮かび上がった。その瞬間彼は思い出した、ミカがサイコキネシスの使い手だと。どれくらいの力かはまだ定かではないがどうやらカルラを持ち上げることくらいは容易らしい、嬉しそうに笑いながらミカはカルラをある場所まで引っ張っていった。
「ミカ!お前どこまで連れていく気なんだよ!」
「ん?ここだよ」
「ここって…治療室じゃないか」
治療室、今そこには内側の人間が行く場所もなく寝泊まりしている。今のカルラが一番行きたくないと思っていた場所だ。けれどミカはむりやりサイコキネシスでカルラをその中へと放り込んだ。
「いってぇ…」
突然下ろされたカルラは思わず尻餅をついてしまった。ビリビリと痛むお尻を抑えながら何とか立ち上がったカルラの目の前には2人の少年、といってもカルラより2,3歳年下なだけだが、と大人の女性、そして見覚えのある女の子がいた。その少女は腕に包帯を巻いていた。
「あ、この子…」
カルラはふとその女の子のことを思い出した。あの日軍から救い出した女の子だ。
「あの…ボクたち、お礼がしたいんです」
「は?」
少年の一人がカルラにそう言った。その言葉の意味がはっきりと理解できなかったカルラはただ頓狂な声を漏らすだけだ。
「私たちを助けてくれたんですよね!私、感謝してるんです…箱庭の内側でぼぉっと何もせずに死んでいくなんて、本当は嫌だった…けど、私、ううん、私たちは怖かったの…動くことが…」
女性が涙交じりにそう言った。それに続いて少年二人も同じようなことを涙交じりに告白する。
「カルラお兄ちゃん。みんなね、心の底では本当は喜んでるの…今は戸惑ってるだけ。変わっちゃうのが怖いんだよ。急に自由になったら誰だって怖いもん…ミカはよくわかんないけど、でも怖いってこの子は言ってた…ううん、ここにいるみんなそう思ってる…言葉に出さないけどみんな怖がってる」
ミカのその言葉に例の女の子はうなずいた。少し表情が曇っていた女の子だがそれをパッと笑顔に変えてカルラの方を向いた。その表情は少しスイに似ているな、なんて場違いなことをカルラは思った。
「あのね…私、お兄さんに助けてもらってよかったよ?初めは怖くて辛かった…優しいことも、自由な事も、怖かった…私は今までゴミみたいに扱われてきた…それが急に優しくされたから戸惑っちゃったの…けどね、今はそれが嬉しいって思うの…みんなの優しさが、あったかい…あの時お兄さんが助けてくれなくちゃわからなかった…私の本当の自由…それにね、お友達もできたの!ね、ミカちゃん!」
こくり、ミカはうなずく。
カルラはその言葉に、涙した。それが本当のことだと分かったから。一部の人間だけでもいい、その本心を少しでも知れたから。箱庭を壊した、反逆者となったことが、その時初めて嬉しく思えた。そして彼の表情にも、また笑顔が戻った。
「ふふ、カルラお兄ちゃん笑った。やっぱりスイお姉ちゃんの言う通りだ」
「ちょっとミカ!なんで言っちゃうのよもう…」
「あ、ごめん、つい…」
と、背後で隠れて見ていたのだろう、スイが現れた。
「あの、ごめんね、ちょっと紛らわしいことしちゃった。けど、こうでもしないとカルラ君笑顔になってくれないでしょ?私はね、笑顔のキミが好きなの。それは知ってるでしょ?」
「はは、なんだよ、それ…でも、嬉しい…俺は、上辺だけしか見てなかったんだな…まだまだ、コミュ力高めないといけないかもな…」
「カルラ君ってば…そうだね、コミュ力は必要かもね。私と一緒にいっぱいお話して人の心を知れるようになろうね…それでいつかは…二人で、ちゃんと幸せになろうね」
「あぁ、そうだな…箱庭なんてない、自由な世界でな」
「ひゅーひゅー!お兄ちゃんもお姉ちゃんも熱々だねぇ妬けちゃうねぇ」
「お兄さんもお姉さんも素敵です…私もこんな恋、してみたいなぁ…」
ギャラリーの冷やかしに耐えられなくなった二人はそろって顔をリンゴのように赤く染めた。けれどその顔はとても嬉しそうで、幸せそうだった。
「カルラ君…大好きだよ…」
ふと、周りの誰にも聞こえない声でスイがそうつぶやいた。だからカルラも
「あぁ…俺も大好きさ、スイ。ありがとう」
と、周りの誰にも聞こえない声で返した。
二人の幸せな未来は終わりへと向かい始める偽りの世界の果てにある。まだまだ彼らの道のりは長い。恋も、世界も、ゆっくりとゴールへと向けて動き始めたばかりだ―
この世界の本当の幸せとは何だろうか?管理されて平和に過ごすことだろうか?争いを見ることがない、偽りの平和の世界、それが望まれた世界なのだろうか?
それを幸せだと捉えるのも不幸だと捉えるのも人それぞれだ。なにせ彼はそれを不幸と捉えたから。
幸せと不幸は紙一重、感じる人間の差でしかない。
ならば本当の幸せな世界とはどういうことなのか?ここからは彼の思いを代弁して語り物語の終幕とさせていただこうと思う。
彼曰く、本当に平和な世界は子供たちが笑顔で過ごせる世界だという。子供たちが武器を持たない、注射器も持たない、そんな世界こそ本当の幸せだと彼は語る。
この世に生きるすべての人間には皆総じて子供時代があり、その子供時代の体験によって大人になった時の人格が決まると言われている。だから彼は子供のことを第一に考えた。子供たちがまっさらに、楽しく笑顔で過ごせる世界を作り上げていれば今はこんなことにはならなかったんじゃないか、と。
彼の思想にもやはり賛否両論はある。だけれども彼が将来子供の幸せを願い戦うことだけはここに記す。二度と彼の愛した女性のような子供を出さないために―
理不尽な世界に咲くは笑顔をたたえたキミという花 木根間鉄男 @light4365
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