終章 そしてまた今日が始まる

         終章


      そしてまた今日が始まる


         1


 目を開けると、もう窓の向こうはオレンジ色に染まっていた。ここはどこだ? と思う間もなく、肩、腰、足に激痛が走る。

「う……あ……つー……」

 体を動かそうとすると全身がミシミシと軋んだ。まるで、長い間眠りについていたみたいだ。

 首を動かして辺りを見回すまでもなく、そこが病院であることは察しがついた。清潔な空間に柔らかいベッド。左肩を覆う包帯に右手に打たれた点滴の針。それから視界に入る部屋の様子からもそこが病院であるということを示していた。

 どうやら生きているようだった。

 銃弾を浴びせられて生きているなんて、我ながらなかなかの生命力だと自嘲気味に思った。

 あの後、どうなったのだろうか。坂林は? 光井いとしは? 光井明は?

 坂林なら――きっと大丈夫だ。

 銃を持った人間を相手にしたとしても、あいつの執念でどうにか押さえつけたに決まっている。坂林は刃物で襲われても、かすり傷(とは言っても何針か縫ったようだけど)で済んだ男なのだ。銃を向けられたくらいで怖気づくわけもないし、恐らく光井愛を捕まえているはずだった。

 これはしばらく仕事はできそうもないけれど、きっとこれだけの事件だ。ニュースになっているのではないだろうか。そしたら、きっとあたしのお客さんたちも休業をわかってくれるだろう。

 ……さて。

 目覚めたはいいが、どうするべきか。体は動かせないし、ナースコールはどのボタンだ? 早く、あれからどうなったのかを誰かに聞きたかった。

 実の娘が銃で撃たれたっていうのに、うちの両親の姿は少なくとも病室にはない。まだ夕方だから面会時間内のはずだ。ちょっとショック。

 まあ、じきに看護士さんが様子を見に来てくれるだろう。そのときに目覚めたことを告げ、事件の詳細を聞けばいい。

 と、そこに足音。

 ちょうど看護士さんが見回りに来たのだろうか。足音は部屋に入ってきた。入り口の方は、カーテンが邪魔で見えないので、その人物の顔は窺えなかった。

「あの――……」

 とりあえずその物音の人物に声をかける。看護士にしろ、誰にしろ、意識を取り戻したことを示さなければならない。全く関係のない人だったとしても、お医者さんを呼んでもらうことはできる。

「春乃!?」

 声と同時にカーテンの陰から、勢いよく拓人が現れた。あたしは、予想外の人物に半ば唖然とした。

「あれ、たっくん、何でここに?」

「何でって。春乃が意識不明で重体だって言うから見舞いに来たんだよ」

 意識不明の重体。あたしが? 自分がその立場に立ってみると、いまいち現実味が沸かない。

「……あたしの両親は? 来てないの?」

 少々びくつきながら尋ねた。これで来ていないと言われたらなかなか切ない。

「春乃のお父さんは、今日は来てないみたいだったけど、お母さんだったらさっきまでいたよ。今はそこのスーパーに今日の晩御飯を買いに行ってるみたいだけど」

 なるほど。一応は来てくれてたわけか。

「それに、春乃の友達を名乗る人たちもお見舞いに来てるよ。今、ロビーにいるみたいだけど。毎日来てくれてたみたい」

「……毎日、、?」

「そう、毎日って……あ、そうか。春乃はわからないのか。春乃は、銃で撃たれてここに運ばれてきてから、もう三日間も寝っぱなしだったんだよ。最初は出血多量で死に掛けてたんだから」

 あたしが、死に掛けた? 三日間も寝てた?

「ハハ……マジで?」

 笑い事だった。まるで他人事だ。実感がわかない。

「春乃自身からしたら信じられないかもしれないけどね。……とにかく、医者を呼んでくるよ。それに、お友達も呼んで来ようか?」

「うん」

 あたしは頷いた。みんなにも事件の真相を話さなければならない。――いや、もう事件から三日が経っているのならば、もう詳しい情報を知っているかもしれないけど。それでもあたしの口からちゃんと事件の真相を話さなければいけない気がした。

「じゃあ、行ってくるよ」

「あ、待って」

 けど、それよりも前に。あたしは話がしたい人がいた。

「坂林くんは? お見舞いに来てくれたでしょ? フクロウみたいな顔をしたオッサンみたいな奴。そいつ連れてきてくれない?」

 拓人はその瞬間、ぴたりと止まった。そして、ゆっくりと振り返った。

「坂林って、君に協力してくれてたっていう探偵の『坂林』?」

 あの、あたしが美樹ちゃんの死を相談した夜に見せた真剣な表情。拓人はまさにそれをしていた。

「そうだけど……。どうしてそんな顔になんの?」

「彼なら死んだよ」

 耳を疑う余裕もなかった。瞬間的に全身を鳥肌が覆う。

「は? 死んだって……」

「事件発見者の証言によると、その坂林さんは君の上に覆いかぶさるようにして死んでいたらしい。心臓を貫かれて、即死だったようだよ」

 あたしは銃声の後に何かの力によって床に押し倒されたことを思い出す。それから、上から圧迫感を感じていた。それは、坂林の死体だったのだ。

「そんな……」

 じゃあ、あのときあたしを狙って撃ったはずの光井愛の弾は坂林にあたったというわけか。でも、それじゃあ……。

「それで、その様子を捉えた映像があったんだけど、驚いたよ。それを見てみたら、胸を撃たれてからも彼は動いているんだ。即死なのにだよ? 普通、一秒だって生きてられない。どれだけ長くたって三秒……。でも、彼は春乃を守るために、撃たれてから春乃の体を抱き、自らが盾になるように倒れこんだんだ」

 それじゃあ、それじゃあ……。

「それじゃあ、あたしがこうして生きていられるのは――」

「そうだよ。坂林さんが春乃の盾になってくれたおかげだよ」

 涙が溢れ出す。止まらない。止まらない。止まらない。

 震える唇で尋ねる。

「それで……光井愛……犯人は?」

 怒りか悲しみか。それとも喪失感か。あたしたちが命がけで追い詰めた犯人は、今はどうしているのか。捕まったという知らせを確認せずにはいられなかった。

「犯人は、まだ捕まってない」

 言葉が出なかった。

「……逃げた……ってこと?」

 やっとのことであそこまでたどり着いたと言うのに。こんな終わり方……ないよ。

 拓人は何も口にせず、ただあたしの方を静かに見ていた。

「それから、もう一人、亡くなった人がいてね。最初は身元がわからなかったんだけど、昨日、とうとう何者かわかったよ。光井明さん、二十五歳。犯人の実のお兄さんだ」

 光井明も、殺された?

「最期の最期に犯人である、光井愛を抱き、そこで光井明は銃殺された。顎から入った銃弾は脳を貫き即死だったようだ」

 それも、実の妹である愛によって?

「撃たれる瞬間、そして撃たれてからも彼は笑っていたようだと聞いているよ。ホントに。すごい人たちだよ。即死だって言うのに、君のところまで駆け寄ったり、銃が頭を貫いたって言うのに笑っていたり」

 最期に笑った。

 死んでからも笑い続ける。

 光井明はそのとき何を考えていたのだろうか。

 ……それはたぶん。

「……じゃあ、僕はとりあえず先生を呼んでくるよ。あ、ナースコールはこのボタンだね。これを押せばいいか」そう言いながら、あたしの頭の方にあったボタンを押した。ああ、やはりそれがナースコールだったわけね。「それから、ロビーで待機してる春乃の友達も呼んでくるよ。会いたいだろ?」

 あたしは横になったまま頷いた。

「わかった。行ってくるよ」

 笑顔で言うと、拓人はあたしに背を向けてくてくと病室を出て行った。

 それからしばらくしてピンクがかった白衣に身を包んだ女性の看護士さんがやって来て、あたしが意識を取り戻したのを確認すると、先生を呼んできますね、と残しすぐに部屋を後にした。

 再び誰かが来たと思ったら、それは秋穂ちゃんたちでみんなそれぞれ笑顔だった。

 秋穂ちゃんはあたしのすぐそばまでやって来て、顔を近づけて泣きながら笑った。よかった、よかったと小さく漏らした。

 カンナちゃんもその横でわんわん泣きながら大丈夫ですかーと連呼していた。

 イズミさんは泣きはしないものの、柔らかな笑みを浮かべながら心配したよ、本当に、と声をかけてくれた。

 そして、アオイ。

 何とか笑顔を保っているという感じだった。

 あたしの足元までやってくると、顔に似合わない大粒の涙をぽつりと流した。

「おまえは助かってよかったよ」

 おまえは《、、、、》、という言い方にあたしは一瞬思考が止まる。

「坂林って、正治さんだったんだな。飯野ちゃんの兄貴の」

 そうだ。アオイと坂林は知り合いだったのだ。恐らく、病院に運ばれてきた坂林の存在を知り、そこで知ったのだろう。

 アオイは一気に顔をくしゃくしゃに顰めた。

「あいつ――飯野ちゃんのために動いてたのは俺だけじゃなかったんだな。あの人は、命がけで飯野ちゃんを殺した犯人を見つけ出した。葬式のとき、泣きもしない正治さんを見て、俺は薄情な奴だと思ったけど、それは違ったんだな。あの人は、あの人は本当に命がけで――感謝してもしつくせないし、それにもう感謝することも――」

 涙をぼろぼろぼろぼろ次から次へと流すアオイ。場所をも顧みず、嗚咽を漏らしだす。

「もちろん、星川ちゃんにも感謝してるぜ。銃弾を受けてまで犯人と戦ってくれて。本当に、本当にありがとう!」

 次の瞬間、あたしの目からも液体がこぼれ出た。

 アオイほど、大量にではないけれど、それでも、人前で涙を流すことを弱さの象徴だと考えるあたしにしてみれば、これ以上ないくらい盛大な涙。

 そこに白衣を着た初老の男が入ってきた。みな、一様にベッドから離れた。涙は未だに止まらない。弱弱しくはあるもの、次から次へと湧き出してくる。

 医者は事件についてのある程度のことを話してくれた。それから傷の度合いについても。詳しい話は後から警察が来るからその人に聞いてくれと言われた。そのときに事件のあらましも聞かれるだろう。

 思い出したくもない、とも言ってられない。まだ光井愛は捕まってないのだ。あたしの知っている情報の全てを警察に話すつもりだ。一被害者の証言としてならば、あたしと坂林の推理も聞いてくれるだろう。今回の拳銃発砲事件と連続少女刺殺事件の関連を、警察がどのように見ているかは今のあたしにはわからないけど、あたしの証言できっと警察は美樹ちゃんたちを殺した犯人も光井愛であるとして捜査をしてくれるはずだ。

 あの日、光井愛が事件の犯人だとわかったあの日、あたしたちは日町で合流した。そのとき、あたしは第一声で坂林に謝罪した。あたしが光井愛に坂林のことを話してしまったせいで坂林は襲われたのだと。

 けど、坂林は笑っていた。顔を痛みのためか引きつらせながら、それでも笑った。

「いいよいいよ。ほら、頬に傷があるって何かかっこいいだろ? ははは。だから気にしないで。それに、好きな女の子のために傷ついてこその男ってもんだからね。この傷は僕の働きの成果ってわけさ。それほど犯人を追い詰めたってことだから」

 その記憶が、まるで現実のことのように目の前に広がった。

 あたしのせいで傷ついて、あたしを守って死んで……。本当にあいつは馬鹿だ。

 冴えない顔をして、小太りで、オタクで、根暗で、気持ち悪くて、間抜けな男だ。

 けど、いなくなるとやはり寂しい。

 医者は用事を済ませると部屋を出て行った。

 入れ替わるようにして母と拓人が入ってくる。

 そして、母もあたしを見て歓喜の涙を流した。

 あたしは、今まで自分一人で生きていけると信じていた。お金はしばらくはエンコーで稼げるし、誰にも頼らないで生きていると思っていた。

 けど、どうやらそれはあたしの勘違い。

 あたしは多くの人に支えられて生きている。

 こうして、病室にはあたしを思って集まってくれた人がいる。

「ありがとう」

 誰に言うでなく呟いた。

 それは秋穂ちゃんに向けたものだったのかもしれないし、イズミさんに向けたものだったのかもしれない。カンナちゃんに言ったのかもしれないし、あるいはアオイにだったのかもしれない。それとも拓人? お母さんやお父さん? もしくは、坂林?

 考えるまでもない。考える必要もない。

 あたしはもう一度、全員に向かって呟いた。

「ありがとう」


        0


 返り血まみれで部屋に到着すると、そこには見知らぬ少年が忍び込んでいて、せっかく一仕事終えて戻ってきたというのにまた面倒なことに巻き込まれるのか、と僕は少年を見やりながら肩を落とした。

 その人物が何者にせよ、今日、このタイミングで僕の部屋に入り込んでいるなんて、ただの空き巣ではないことは明白だった。

 僕は、暗闇に溶け込んでせいで顔がよく見えないその少年に問うた。

「……全く。おまえ、誰だよ。僕の部屋で何してる?」

 殺してやろうにも今、手元には包丁はないし、銃もアキ兄の事務所の前に捨ててきてしまっていて、一撃で致命傷を与えることは不可能という状況。どのように目の前の少年を捻り上げようかと思考する。

「おかえりなさい。照井アイさん。いや光井いとしさん? それともシゲルさんと呼んだ方ががいいかな?」

 わざとらしい。そのことを知っているということはやはり僕のことを捕まえに来た人間か。最初から仲間には見えなかったが、これでこの少年にはっきりと敵意を持って接することができる。

 それにしてもこんなときに……。

 いち早く着替えて、荷物の整理をして逃げ出したいときに。間が悪い。

「どうして僕が光井愛だということを知っている? おまえ、何者だ?」

 僕は、少年に向かって一歩踏み出した。陰に浮かぶ少年の体は見るからにひ弱だったので掴み合いでなら勝てると判断しての行動だった。

「何者かだって? そんなもの、どうでもいいことだとは思わないかい?」

 ニヤニヤと不快な笑みを浮かべてそう言う。

「聞こえなかった? 僕は、おまえに何者かと尋ねたんだけど。それとも質問に答えられるだけの脳みそを持ってない?」

 少年は全く怯まずに相変わらずニヤニヤと口をほころばせていた。

「これは失礼。そう、じゃあねえ……グラシャ=ラボラスとでも呼んでもらおうか」

「ふざけてるのか?」

 どう見ても少年は日本人だったし、発せられた名前は明らかに日本人のそれではない。

「ふざけてなんかいないさ。僕は『仕事』のときには毎回こう名乗るようにしているんだ。まあ、誰も僕のことをグラシャ=ラボラスとは呼んでくれないんだけどね。だって、みんな死んじゃうから」

 ケタケタと笑いながら少年はどこからともなく拳銃を取り出した。

 僕は思わず顔を顰める。

「何者だよ、おまえ」

 質問を繰り返す。

「だからグラシャ=ラボラスさ」

 馬鹿にしたように言う。

 僕は間合いを縮めようまた一歩踏み出す。

「ああ、ゴメンゴメン。冗談さ、冗談。だからそんなに怒らないで」

 両手をぶんぶん振り、大げさに慌ててみせる。

 少年の手に握られたそれが玩具なのではないだろうかと、僕は一瞬疑った。少年のちゃらけた態度と、黒光りする人殺しの道具がミスマッチに見えたのだ。

 が、次の瞬間、そんなことを考える余裕はなくなる。

 少年の目が急に静かに、そして冷たいものになったからだ。

 全身を巡る血液が凍ったかのように冷たい。

 体中があわ立つ。

 生理的恐怖。

 これは、これはいったい――?

「ソロモンについては、光井明から聞いたね?」

 ソロモン? アキ兄の言っていた師匠?

「おまえが……『ソロモン』? 初老の男って話だったけど……」

 少年はまたしても激しくかぶりを振るという冗談めかした動作を見せた。

「違う違う。何度言ったらいいのさ。僕はグラシャ=ラボラス。ソロモンなんて大それたもんじゃないよ。僕はソロモンの馬鹿息子の一人さ」

 ソロモンの息子……? なぜソロモンの息子がここに?

 僕のそんな疑問など気にもせず、少年は続ける。

「君たちのやり取りはビオオで見せてもらったよ。春乃の推理は実に素晴らしかったね。いやー、美しかった。君もそう思うだろ?」

 にっこりと微笑んで見せる少年。一見暖かに見えるその表情も、あの生理的恐怖の後ではどこか冷たく感じられる。

「……そのソロモンの息子が僕に何のようだ? 僕を始末しに来たのか? 僕がソロモンを殺すなんて言ったから」

 少年の問いなど無視して、こちらの疑問をぶつける。

「ちゃうって」両手を顔の横に持ってくる少年。毎度毎度動作がわざとらしい。「第一、ソロモンを殺すことなんて無理だよ。うん。そういうことじゃないよ」

「じゃあ、どうして……?」

 どうしてソロモンの手下が僕に銃を向ける?

「彼ら、光井明と飯野正治は『ソロモン七十二柱ななじゅうふたはしら』という組織に所属していてね。君のお兄さんからちょっとは聞いてるだろ? 有能な探偵の下で働いてるっていう話くらいは。僕たちの仕事はね、主には探偵として民間人を相手に浮気調査、なんてことをやってるんだけど、実はただの探偵結社ってわけじゃないんだよ。ほら、光井明だって拳銃を持ってたろ? つまり僕たちはそういうそっち系の仕事も陰でしているわけさ」

 ただの探偵の集団じゃないだって? はは、胡散臭すぎる。アキ兄はそんなところで探偵をやっていたって言うのかよ。今時、秘密結社なんてものが存在するなんて。ソロモン七十二柱なんて聞いたこともない。

 ほんの少し前の僕ならそう笑って受け流したはずだ。だがしかし、そういう名の組織は確かに存在し、こうして僕を始末しに来ている。銃を簡単に用意することができるくらいなのだから、小規模な組織ってわけでもないのだろう。アキ兄はソロモンを殺すことは不可能だと言った。……アキ兄の言った通りかもしれない。アキ兄を失い、何の情報網もない僕にとって、そんな一般には認知されないような連中を調べることは恐らくできない。一人で探し出すなんて、不可能だろう。

 大きな組織の末端をも掴むことができない。それこそが裏組織。アキ兄が所属していたというソロモン七十二柱。

 こちらから接触しようにも、向こうは簡単に僕をあざむくことができるだろう。それこそ赤子の手を捻るよりも簡単に。

 だから、僕はこの目の前に垂れているソロモンへの糸を切るわけにはいかなかった。

 隙を見せれば銃を奪い取り、付きつけ、知っている情報を吐かせる。ソロモンの息子。これ以上にソロモンを知るものはいないのではないだろうか。

「だからさ、そういう組織であるから僕たちは必要以上に繋がりが深いわけだよ。ゆえに仲間の敵討ちという時代錯誤なことをしなければいけないわけ。あ、ちなみに飯野正治のコードネームがストロス。光井明はセーレて言うんだけどね。僕も含めて、みんな悪魔の名前が付けられているのさ」

 少年は拳銃を人差し指引っ掛けてくるくると回した。ガンマンがよくやるあれだ。隙だらけ。飛び掛るか。

「とは言っても、実際はそんなことはどうでもいいんだ。僕はこれでも組織の中では上級クラスでね。本当ならこんなのもっと下っ端な奴に任せておけばいいんだ。けど、僕がこうして君を始末しにきたのには別の理由があるからなんだ」

「はっ。おまえみたいなガキが上級だって? すごい組織だな、ソロモンって」

 僕は、皮肉を言いながらまた歩を進める。間合いを詰める。少年は、そのことに気付かない。

「ガキって……。僕はこれでも十九歳なんだよ? 来年でもう成人だって言うのに」

「見えないね。全然」

「君に言われたくないよ。君だって二十歳には見えないじゃんか。高校一年生、下手したら中学生でも通るんじゃない? まあさすがにそれは言い過ぎだけど」

 こちらを指差しながら、ニコニコと笑う。先ほどの迫力がまるで嘘のようだ。

 こいつ、本当にソロモンの息子なのか? そんな風には見えない。隙だらけだし、言動もまるでふざけているし。

「……それで、理由が何だって?」

 本筋に戻すべく僕はそう尋ねた。

「ああ、そうだそうだ。すっかり忘れてた。君がガキみたいだなんて皮肉を言うから、すっかり話しがズレちゃったよ。これからが僕の見せ場だって言うのに」

 少年は頭を掻いた。

 そして、再び視線が鋭利なものに変わる。

「君はセーレの事務所で女の子を撃ったね?」

 女の子……星川春乃か。

「それがどうしたって言うんだよ。おまえの彼女だったか?」

 少年は目はそのまま、ニヤリと笑う。それは先ほどまでの無邪気なそれとは違い、冷酷で非道な印象を僕に与える。

 足が、すくむ。

「残念だけど、そういう関係じゃあない。今のところはね。僕の片思いってやつかな? っていやいや、そんなことは今はどうでもいいことだね。重要なのは、君は春乃の体に傷を付けたってことであり、命を狙ったということなのだから。君にだって大事な人はいたはずだ。その人の命が狙われたら、君は犯人を見過ごしておけるかい? そんなの無理だね。そうだろ? つまりそういうわけさ。それに、君は春乃の努力を無駄足にしてしまったわけだよ? それは許せない。少なくとも、僕は許さない。なぜ、君が命を狙われたかわかったかい? オーケー?」

 僕は、その少年の長いセリフに思わず鼻で笑ってしまう。

「……何? 何かおかしい?」

「好きな女の命が狙われた。たったそれだけのことで、こうして足を運んでるのかよ? それに悪いが、僕にはそんな人はいないよ」

 下らないと思った。

 実に下らない。

 寒気すら感じる下らなさだね。

 愛を語る男ほど滑稽で寒いものはない。

 よくもまあそんな歯の浮くようなことが言えたもんだ。

 不意に少年は銃を下ろした。

「皮肉なもんだね。名前が『愛』のくせして愛というものをあざけているなんて。全く、興醒きょうざめだよ。君は本当に人間の心を忘れてしまっているようだね。あるいは、演じることがやめられなくなってしまったのか」

 演技。

 演技なんかしてないさ。

 そして、僕は少年のその隙を見逃しはしなかった。

 もう一度確認する。銃は今下ろされ、僕には向けられていない。

 僕は少年に飛び掛る。

「え、ちょ」

 少年は慌てて銃を構える。しかし。

 ……どうやら、僕はソロモンに繋がる糸を切らずに掴むことができたようだ。

「ははっ。甘ちゃんだな、銃を下ろすなんて。これだから愛を語るやつはダメなんだよ」

 僕は両手で少年の右手を掴んでいた。思いっきり引っ張る。銃は簡単に少年の手から離れた。

「くそ……! 僕としたことが」

 慌てた様子で僕から距離を取る少年。だが、いくら離れようとも同じ室内にいる限り、狙いが外れることはない。

「聞きたいことがある。ソロモンについてだ」

 少年は焦っていることを隠そうともせず、苦笑いを浮かべながら僕に言った。

「いやー、参ったな。ソロモンのことを広言したら僕が組織に殺されちゃうよー」

「安心しろよ。どちらにしろおまえは死ぬんだから」

「マジかよ。僕、こんなところで死にたくないよ」

 それは僕も同じだ。こんなところでくたばったりはしたくない。

「さあ、聞こうか。ソロモンについて」

「ソロモンねえ。……仕方ない。撃たれるのは勘弁願いたいから話すけど……。まずは、あの人はすんごいケチな人なんだよ。そのせいで最近僕もお金に困っていてねぇ。かく言う今日もこれもサービス残業ってやつなんだよ。ほら、本当は下っ端にまかせておけばいい仕事を僕自らが志願してここに来たわけだからその分の給料は出ないわけだね。ひどいと思わないか? いくら志願したからといって命がけなのにだよ? それなのに、ただ働きっておいい! って感じだよね」

 僕は眉を顰める。

「何のつもりだ? 質問に答えろよ」

「ソロモンのことについて聞きたいんだろ? 話してるじゃないか。ソロモンのことを。それに人の話は最後まで黙って聞くもんだよ。君は、僕が質問したときにだけそれに答えればいい」まるで主導権は自分にあるみたいな言い草だ。「ああ、じゃあ質問なんだけどさ。援助交際ってどうやんの? 君、やってたろ? いまいちどうやっていいかわからなくて。あ、お客さんとしてじゃないよ。お金をもらう側の話だからね。ギャクエンをしようと思うんだけど、どうも客の集まりが悪くて。それで君にどうやったら上手にお金を稼ぐことができるか聞きたいなあと――」

 やはり時間稼ぎか。

 話を露骨にそらそうとしている。

 喋り気は、ないってことね。

「質問に答える気がないんだったら、ここでおしまいだ。悪いけど、雑談してるほど暇じゃないんでね。とっとと死んでもらうよ」

 この男はたぶん、どちらにしろ死ぬのならばソロモンのことは話さないでおこう、と仲間意識を働かせたのだ。そういう人間は、もう何を言っても無駄だ。

 せっかくの糸、惜しいけれど、こいつを殺せばきっとソロモンは本格的に動くだろう。息子を殺されて黙っているとも思えない。そちらに希望は託すとするか。

 僕はここからでも十分に額を打ち抜く自信はあったが、より命中率を高めるために僕は少しずつ少年ににじり寄る。

「あ、ちょ、待った。僕の話の大事なところはまだ――」

「うるさい。おやすみ」

 僕は迷わず引き金を引いた。

 銃声が室内に響く。

 乾いた爆音。

「うがあああああああ」

 少年はその場に倒れてもがき苦しむ。

 自らの胸を押さえ、絶叫を上げる。

 グルグルと足をバタつかせながらのた打ち回るその姿を僕は黙ってその様子を見ていた。

 ……おかしい。

 ……どういうことだ?

 僕は少年の頭を狙ったはずだ。

 頭を打ち抜かれればこんなに暴れまわることなく即死するはず。

 それに、被弾した瞬間に飛び散るはずの血しぶきも見られなかった。第一、胸を押さえてるぞ、こいつ。

 発砲時の反動も極めて小さいものであったし、思えば、少年の叫び声にもわざとらしさが……。

 まさか……。

 僕は倒れている少年の様子を見ようと近づく。すると、少年は途端もがくのを止め、右腕をこちらへと突き出した。その手には、拳銃が握られていて……。

「動くなよ。今度はマジだぜ。不審な行動を取ったら迷わず撃つから」少年は床に寝転がったまますごんだ。「君の持ってるそれはモデルガンだよ。言っただろ、僕は今金欠きんけつだって。だから銃を二丁も用意する金はなかったんだ。まあ、もちろんそれは冗談だけど。そのモデルガンはモデルガンで結構な額するんだけど。本当は、金欠でモデルガンしか用意できなくて、おまえの持ってるのはモデルガンだ! 残念だったな、みたいな演出をやりたかったんだけど、まあこれはこれでよしとするかな」

 僕は自分の右手に目をやる。これが、モデルガン? アキ兄の持っていたものと、種類は違えど本物のように見える。それに、銃声だってしたのに。

「おやおや。ネタバレしても信じられない? それは紛れもなくモデルガンだよ。まあ、日本のモデルガンは世界でもトップクラスの水準を誇っているらしいからね。パッと見で見分けが付かないのもしょうがないよ。うん。でも、そこまで驚いてもらえるなんて、こちらとしてもわざわざ用意したかいがあったよ」

 僕は自分でもわかるほどに顔を歪めていた。自分の失敗が怒りを通り越して忌々いまいましく感じた。

「……それじゃ、最初から僕に取られるつもりで」

「そうだよ。そうじゃなければさすがの僕でもあそこまでおふざけはしないよ。特に、拳銃クルクルなんてのは暴発したら危ないから、本物の銃じゃ絶対にできないね」

 なめてやがる。いや、僕がこの少年をなめていたのか。僕はずっとこの少年の手のひらの上で踊らされていたのだ。

「大丈夫だよ。死ぬわけじゃない。法律的にはね。失踪したことになるから、一応七年間生きられるよ。法律的にはね。まあ、実際には死んじゃうわけだけど、法律的には生きていられるわけだからそこらへんは妥協してよ」

「法律的には法律的にはって、僕自身が死んでしまったら関係ないじゃないか」

「そうだね。その通りだ。まあ、何だかんだいってもこれはこっちの都合だからね。僕たちは一応秘密結社だからね、あまりことが大きくなるようなことはしたくないんだよ。警察に圧力を加えて、ってことも可能っちゃ可能なんだけど、一番楽なのは君が失踪したっていう形にすることだからね。そうさせてもらうわけだよ」

「はん。それよりも警察に突き出す方がよっぽど手軽で道徳的だとは思うけど?」

 少年は目を逸らさず、何のリアクションも見せずに答えた。やはり、今度こそ本気ってわけか。

「残念だけど、僕は罪をつぐなって欲しいとか、刑務所の中で犯した罪を悔やんで欲しいとか、そういう感情は持ち合わせていなくてね。ここに来ているのもただ単に君をこの、、で殺したい一心から来ているんだ。刑務所に入っちゃったら、さすがの僕でも殺しに行くのは面倒だからね。だから君が捕まっちゃう前に殺しとこうと思って、こうしてとっとと足を運んだわけだよ」

 ただ殺したいから殺しに来る。

「……おまえ、僕が言うのもなんだけど、相当おかしいね」

「よく言われるよ。プライベートでもしょっちゅうね。まあ、おかしいのは仕方ないさ。でも、これがプロの考え方なんだよ。僕も『ソロモン七十二柱』に所属している以上、探偵としてのスキルは持っているわけなのだけれど、専門は殺しでね。そういう慈悲のようなものは生まれつきないんだ。いや、慈愛はあるけどね。違いがわからないって言うんなら今度広辞苑で調べてみるといいよ。って、もうそんな機会はないだろうけどね。うん。それじゃあそろそろ終わりにしようか。長話をしてしまうのは僕の悪い癖だ。では、引き金を引かせてもらうよ」

 最後の悪あがき。

 僕は少年が銃を撃つ瞬間を狙って右に飛びのく。一発避けることができれば、銃の反動で生じた隙に付け込むことができる。

「ぱーん」僕は右側に体を移動させた。「なーんちゃって」少年は、引き金を引かなかった。よって、隙は生じない。むしろ、隙だらけなのは完全に体重を右側に乗せてしまっている僕――。「見え見えだよ。攻撃の瞬間の隙を狙おうとするのは悪くない発想だけどね。ありきたりだよ」

 銃声が響いた。

 視界が歪む。

 少年の放った弾はどうやら的確に僕の急所を貫いたようだ。

 被っていたカツラが頭から外れる。

 ははっ、僕は半ばやけくそに叫んだ。

 何という最期!

 こんな形で殺され終わるなんて、想像すらしていなかった!

 笑い声を上げようとも思ったが、もはや体はそれも許してくれなかった。声も外には発散されず、内部に蓄積されていく。

 喜劇の終わりに相応ふさわしいラストってことだな。これで僕はもう何も演じなくて済む。一足先に演技を終えたアキ兄の元へ! ちょうどカツラも頭からはずれたことだしこれで


 グラ。

 意識は途切れた。

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エンコータンテー 幽霊 @youray

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