エピローグ いつもの日常

 わたしはあの人を見るといつも思う。

 自分の世界に、本当に帰りたくないのかって。

 帰りたい、って答えられたら。わたしはどうすればいいんだろう。

 あの人と別れるのは一番嫌だ。

 わたしのわがままだけど、あの人にはずっとこの世界にいてほしい。

 帰ってほしくないんだ。


        †


 私とイリニスが国に帰ってから、もう一週間が経つ。でも毎日が退屈しない、そんな日々。

 昔では考えられなかった平凡で平和な生活。

「アイツには感謝しないとね」

 ここに呼んでくれたイリニスには本当に感謝してる。

「よっこいしょ」

 私は森の中にポツンと存在している、玉座に座った。

 あれからずっと放置していたから、何気に汚くなってるけど。手で払ったから問題ない。

「ここから始まったんだよね」

 初めて召喚されて、初めてイリニスと出会った場所。

「いやー、懐かしいなー」

 目を閉じると、今でもあの日のことを思い出す。

 緊張して顔が強張っていたイリニスの姿。それでいて凝視してくるんだよね、アイツ。

 私が思い出に浸っていると、遠くの方から黄色い声が聞こえてくる。

『あ! 見つけたっ!!』

 うるさいヤツに見つかった。

『もう! 探したんですからねっ!!』

 コイツ、本当にうるさいな。少しは声の大きさを下げることを覚えてほしい。

『何で無視するのっ!!!』

 はぁ、とため息を漏らして、私は目を開けた。

「うるさい。聞こえてる。っていうか、顔近い」

 目を開けたら、イリニスの顔面が本当に目の前にあった。どおりでクソうるさいわけだ。

「エレセリアが無視するからいけないんです!」

「うるさい」

「ひっ!?」

 胸を掴んでいる私の手を薙ぎ払って、イリニスは後退する。

 掴むと離れてくれるから、何かと便利なんだよねこれ。

「なな、何をするんですかっ!!」

「揉んだ」

「そんなことはわかってる!!」

 じゃあ聞くなよ。面倒だなこの女。

「それで、何の用?」

 凄い眼力で睨まれているが、そんなこと私に関係ない。

神鋼種ディオスティールからエレセリア宛に荷物が届いたんですよ」

「あぁ、あれか」

 シーアライアンスで使った鎧を預けたんだった。

「それがどうかした?」

「どうかしたじゃないです! 何ですかあの重量はっ!!」

 イリニスが私を探したいた理由がわかった。

 要するに、重くて動かせないから運べってことなんだろう。

「はいはい。自分で運べって言いに来たのね。わかりましたよー」

 ゆっくりと立ち上がり、私は玉座から離れた。

「エレセリア」

「何?」

「座ってみてもいいですか?」

 イリニスの視線の先には私が座っていた玉座がある。

「いいよ、座りな」

「本当ですか! やった!」

 子供みたいにはしゃぐイリニスを見守りながら、私は近くの木に寄り掛かった。

「凄い……。これが玉座ってヤツか……」

 そう言って玉座に腰掛けるイリニス。

「座った感想は?」

「えっと、何か偉くなった気がします」

 お前が偉くなったら国が終わるよ。

 と口に出そうになったが、とどめておく。いちいち反応が面倒くさいからね。

「……ねぇ、エレセリア」

「次は何さ」

 私はあくびをしながらそう言った。

「本当に元の世界に帰りたい、って思わないんですか?」

「思わないよ」

 即答した。本当に思っていないから。

「でも、お墓参りとか……」

「クレドのことを言ってるなら問題ないよ。私はここで生きたい。元の世界じゃなくて、ここでね」

 何を言い出すかと思えばそんなことか。二年前にも言ったように、私は元の世界に帰るつもりはないんだって。

 浮かない顔のイリニスは真っ直ぐ私を見る。

「人にはいるべき場所や帰るべき場所があると思うんです」

「私の居場所や帰る場所はここじゃないって?」

「………………」

 イリニスは無言で俯いた。

 最近、何か妙な様子だったけど。こういうことだったのか。

 私が本当は元の世界に帰りたいと思っているんじゃないかって、思ってるわけだ。

 ……本当にいちいち面倒な女だよ。まったく。

 地面を見つめているイリニスに私は近付く。そして、目の前で立ち止まった。

「ちょっと顔上げてみ」

 無言で顔を上げるイリニス。そんな小娘の鼻の穴に私は右手の人差し指と中指を差し込む。

「ふぐっ!?」

 目を見開いて、私を見ているイリニスに言う。

「汚い」

 指を抜いて、イリニスの服で拭く。

「ちょっ!? 今自分からやりましたからね!! というか何でわたしの服で拭くの!!」

 うるさく騒ぎ始めたイリニスに私は腕を回した。

「え!? 何ですか!?」

 突然のことにイリニスは困惑していた。私からイリニスに抱きついたことなんて、ほとんどなかったからだ。

「あのね、イリニス」

「はいっ!」

「私はアンタに感謝してるんだよ」

「え?」

「私はここに召喚されて本当によかったと思ってる。実を言うとさ、初めてアンタとここで会った時の私って精神的にヤバかったんだよね」

 固まっているイリニスに、私は話を続ける。

「元の世界でいろんなことを経験して、結構疲れてたんだよね。何もかもどうでもよくなっててさ。死のうかな、って思ってたりもしたし」

「あの……エレセリア?」

 いつもと違う私に、イリニスは戸惑いを隠せない。

「だから、本当に感謝してる。……ありがとう、イリニス」

「え、えっと……」

「帰ってほしいなら、ここにいてほしくないなら、私は元の世界に戻るよ」

「そんなことないですっ!」

 耳元でそう大きな声で言われたせいで、耳が痛い。殴ってやろうかと思ったが、やめておく。

「わたしはエレセリアに帰ってほしくないです。でも、エレセリアは帰りたいんじゃないかって思って……」

「私はここで生きたい。ここに暮らしていたい。ずっとここにいたいって思ってるよ」

「エレセリア……」

 イリニスが私の背中に手を回した。そして強く抱きしめてくる。

「ずっと、ここにいてください」

「うん」

「ずっと友達でいてください」

「うん」

 とりあえず返事はしているが、ずっとコイツの傍にいるわけがない。

 だって私はコイツの保護者じゃないんだから。適度の距離を保っていこうと思う。

「じゃあさ、イリニス。ずっとここにいるから私のお願い聞いてくれる?」

「エレセリアには助けてもらってばっかりですし、わたしが叶えられるお願いなら」

 私はイリニスの耳元で小さく願いを言った。

「これからずっと私の家の家賃払って」

「はい、わかりました。…………ん? 家賃?」

 これで私は家賃から永久に解放されたわけだ。

 目的を果たした私はイリニスから素早く離れる。

「いやー、助かったわー。ありがとう」

「ちょちょちょ! ちょっと待ったっ!!」

 離れた私の腕をイリニスは掴む。しかも強い力で。

「何?」

「何じゃないですよ! 今何ていいました!?」

「家賃払って、って言ったよ?」

「ですよね! 危うく聞き逃すところでしたよ!」

 だが、もう遅いぞ小娘。

 私はイリニスの肩に手を置いて、微笑む。

「これから家賃よろしく」

「嫌だ! そんなの絶対に嫌だ!!」

「じゃあ帰る」

「なっ」

 もちろん、今の帰るは元の世界に帰るという意味だ。

「あっちなら私は一応魔王だから家賃とかないし、やりたい放題だし」

「さっきまでのエレセリアはどこ行ったのっ!?」

「さあ小娘! 決断しろ! 家賃を払うのか、払わないのか!」

「うぐっ……」

 悩んでいるイリニスの姿を私はじっと見つめる。

 いろんなことを考えているんだろう、凄く真面目な顔してるし。

「3……2……」

「わわ! わかりました! 払いますから!!」

 にやり、と私は笑う。

「じゃ、これからもよろしくね。イリニス」

「……はい、よろしくです……」

 納得していない様子だが、イリニスは家賃の件を承諾してくれた。まあ、実際に払わせる気はないんだけどね。

「んで、私の荷物は今どこにあるの?」

「えっと、駅に置いてあるそうです」

「そう。なら行こうか」

 私はイリニスを置いて先に歩き出した。そしていつものように彼女は慌てて後を付いてくる。

 何で置いて行くんですか! と、隣でピーピー騒いでいるけれど、今じゃもう慣れて、それもそれで楽しい。

 騒がしくて、毎日が退屈しない平和な日々。

 私は空を見上げた。

 そこに広がるのは私の世界じゃありえなかった青空だ。本当に美しい青空だ。

 この世界に来れて本当によかった。

 立ち止まって、流れる雲を見送る。

 ありがとう、イリニス。アンタは最高の親友だよ。

「何してるんですかー! 先に行っちゃいますよー!」

 少し先に行っているイリニスが私を呼んでいた。

「今行くよ!」

 そう答えて、私は止めていた足を動かし始める。

 今日も退屈のしない、平和な日が始まった。



END

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私以上の勇者はいない 西條神無 @kannna_nisizyou

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