第5話 種族会議

 毎日が退屈しない、そんな日々。

 昔では考えられなかった平凡な生活。

 いろんな人と出会って、いろんなことを学んだ。

 これが本当の平和ってことなんだ。


        †


 ――種族会議、前夜。

 わたしはエレセリアの部屋にいた。その理由は緊張して眠れないからだ。

 全種族の代表が話し合う、種族会議。わたしは参加しないけれど、異界人であり、大戦を終わらせた大英雄のエレセリアは例外的に参加を認められた。

 それを知ってから、何故かとても胃がキリキリ痛む。

「あの、エレセリア……。胃が痛いです」

「知らん」

 そんなわたしはエレセリアが寝るはずのベッドを占領して、布団に包まっていた。

 もちろん、当然のようにエレセリアから睨まれている。

 でも、自分の部屋に帰る気はない。

「寝たいんだけど」

 そう言う彼女に、わたしはベッドの半分を差し出す。

「隣に寝ろと?」

 コクコク、と頷くわたし。

「誰が寝るか!」

 エレセリアはそう言って、ソファーへ向かった。

「ソファーで眠るんですか?」

「アンタが退かないからね」

「……じゃあ、わたしもそっちに」

「は? 何言ってんの?」

 枕と布団を持って、わたしはエレセリアが横になっているソファーの隣に寝そべった。

「いやいやいや、アンタがここで寝るなら私ベッド使うよ」

「じゃあ、ベッド行きます」

「………………」

 額に手を当てながら、エレセリアは重い息を吐いた。

「要するに、アンタは私の傍で寝たいと?」

「はい」

「私がアンタの部屋に行ったら?」

「一緒に行きます」

「………………」

 無言で腕を組むエレセリア。何か考えているみたいだ。

「つまり、どこに行っても付いてくるんだね?」

「はい。わたしが行くか。エレセリアが来るかです」

「『わたしが行くか。エレセリアが来るか』だって! はは…………本気?」

「はい」

 嘘でしょ、と小さく呟いて、エレセリアはさらに考え込む。

「………わかった。横で寝てあげる。ただし、寝相悪かったらベッドから落とす」

「はい! じゃあ寝ましょ! ほら早く!」

「コイツ、元気になりやがった……」

「ほら! 早く!」

 エレセリアの腕を掴んで、ベッドまで連行する。

「エレセリアは右と左どっちがいいですか?」

「どっちでもいいよ、そんなの」

 そうか、どっちでもいいのか。じゃあ、わたしが左側でエレセリアが右側で。

 先にわたしがベッドに横たわり、ポンポンと空いている場所を叩く。

「わかってるから、催促すんな」

 エレセリアがわたしの隣に仰向けで横たわる。

「何で私がアンタと一緒に寝なきゃいけないんだ……」

「いいじゃないですか。前は一緒に寝てたんですから」

「前の旅ではね」

「懐かしいなー」

「楽しそうに言いやがって、こっちは何も楽しくないってのに」

 そうブツブツ言うエレセリアの隣で、ふぁあ……、とわたしはあくびをする。

「もう眠いです」

「はいはい。子供は寝る時間ですね」

 わたし子供じゃないし……。

 エレセリアが指を鳴らすと、部屋の明かりが全て消えて真っ暗になった。

 わたしは目を閉じて、明日のことを考えないようにしながら眠りに就く準備をする。

 けれど、その矢先。

「明日、種族会議だね」

「……そうですね」

「イリニス、アンタ緊張してるでしょ?」

「しない方がおかしいです」

「そうだね。でも、アンタ出ないじゃん」

 確かにそうだけど。緊張するんだ。

「ま、安心しな。私もいるし、ミフォリアもいる。カップリッチやレイエンもいて、ジジイもいる。何も心配する必要なんてない。……まあ、激しい口論にはなるかもしれないけど」

 それが一番恐ろしいんですが。

「私はアンタが傍にいてくれて、助かってるよ」

「え!?」

 驚きのあまり、わたしは勢いよく上半身を起こした。

「今何て言いました!?」

「うるさい。寝ろ」

「ねぇ! 今『私はアンタが傍にいてくれて、助かってるよ』って言いましたよね!? それってどういう意味ですか!!」

「………………」

「ねぇ! エレセリア! ねぇってば! エレセリア!! ねぇねぇ!!」

 暗くて正確には見えないけれど、エレセリアの顔がこっちに向いた。

「ひっ!?」

 胸を鷲掴みされた。

 すぐさまベッドから出て、十分な距離を取る。

「な、なな、何をするんですか!!」

「うるせえ、次喋ったらもぎ取る」

「なっ……」

 言いたいことは山ほどあるが、本当にもぎ取られそうで怖いから黙っておこう。

 わたしは無言のまま、ベッドに戻った。

 既に隣からは、すぅすぅ、という寝息を聞こえている。

 人の胸を何だと思ってるんだこの人は。文句の一つや二つ。いいや、百くらいは言える。でも、今は黙って寝よう。

 わたしは彼女のように目を閉じて、体の力を抜いた。

 

――ありがとう――


そんな声が聞こえた気がするが、多分気のせいだろう。エレセリアはもう眠っているし、わたしも、もう眠くて正常に物事が判断出来なくなっている。

「おやすみなさい。エレセリア」

 そう言って、わたしも眠りに就いた。


        †


 目を覚ますと、とてもいい朝だった。

 エレセリアのおかげでわたしはぐっすり眠ることが出来た。でも朝起きたら彼女はもういなかった。どこか行っているみたいだけど、朝食には早すぎる。

「どこ行ったんだろう、エレセリア」

 ヴィルギア様から貰ったローブに着替え、わたしはエレセリアの部屋を出た。

 彼女が行く先なんて予想が付かない。けれど、こんな朝早くにどこかへ行く人でもない。

「本当にどこ行ったんだろう……」

 わたしはそう呟きながら、とりあえず外に出ることにした。

 早朝だからなのか。とても清々しい。

 太陽の光は暖かく、空気も美味く感じる。早起きすると、こんなにも気分がいいのか。次から早起きしようかな。

 すぅー、はぁー、と深呼吸を繰り返して。わたしは止めていた足を動かし始める。

 目的地はない。ただ気の向くまま、風の吹くまま、進んで行くだけ。種族会議までまだ時間はある。それまでに戻ればいい。

「高度が上がると、空気が薄くなるっていうけど。全然息苦しくないんだよね、ここ」

 シーアライアンスのように防壁で覆っているのかもしれない。それなら地上から天空大陸が見えない説明も出来る。

 庭園を抜けて、ずっと歩いていると目の前に高台が現れた。

「あ……あれは」

 わたしの視界に入ったのはエレセリアだった。

 高台に一人で立っている彼女は何を見ているんだろう。空? それとも海? 

「え? 泣いてる?」

 エレセリアの横顔を見上げていたわたしには、彼女が涙を流しているように見えた。

 でも、わからない。何でエレセリアが泣く必要があるのか。何が悲しくて涙を流しているのか。……いや、別に悲しいわけじゃないかもしれない。

 やっぱり、こういうことは本人に直接聞くのが一番手っ取り早いと思う。だからわたしは周囲を見渡して、高台に上れる場所を探す。

 上れる所を見つけたわたしは高台に上って、ゆっくりと彼女に近付いた。

 そして、彼女の背中を捉えたわたしは口を開く。

「……何で、泣いてるんですか?」

「ッ!?」

 慌てた様子で、エレセリアは目元を拭う。そして、何事もなかったかのように振り返る。

「ははッ、何言ってんの? 私は泣いてなんかないよ。っていうか、アンタいつからいたのさ」

「元の世界のことですか?」

「……だったら何?」

「話し相手になります。わたしはエレセリアの相棒ですから」

 わたしは真剣だった。真面目にそう思って、本気で口にした。

 すると、エレセリアは困った表情をしながら、答えてくれる。

「ただ……空が青いなぁって、海が綺麗だなぁって思ってただけだよ」

「それが泣いていた理由ですか?」

「わかんない。気付いたら涙が出てた」

 そう言って、苦笑するエレセリア。でも、何か隠している感じがする。それに、声を掛けるまでわたしに気付かないなんて、いつものエレセリアじゃない。

「エレセリア。本当のこと言っていいんですよ。わたしはどんな話でも聞きますから……ね?」

 頭をかきながら、凄く困惑した表情を浮かべるエレセリア。

「アンタ、いつもと違くない?」

「それはエレセリアがいつもと違うからですよ。いつもどおりのイリニスになってほしいなら、いつもどおりのエレセリアになってください」

 そう来るか、と小さく呟いたエレセリアは長い息を吐く。

「……わかった。白状するよ。でも、今日だけだからね」

 わたしに背を向けて、エレセリアは話し始める。

「いつも一人になると考えちゃうんだ。私の人生はいつ変わったのかって。何を間違えて、何を失敗したのか。過去を思い出すと、後悔ばっかりでさ……。それにこの世界に来てから、アンタと一緒に旅をしてから、もっと考えるようになっちゃって」

 初めて聞いたエレセリアの本心を、わたしは黙って聞き続ける。

「何でこの世界で出来たことが、元の世界で出来なかったのか。私が悪かったのか、私の何がいけなかったのかって、ずっと考えちゃうんだよ。この世界を見てるとさ」

 そう言う彼女の声は、少し鼻声だった。

 何度も、エレセリアがいた世界は争いの絶えない世界だと聞いた。でも、この世界は違う。

 多分、それがエレセリアには重大だったんだと思う。

「エレセリア。今あなたは『何でこの世界で出来たことが、元の世界で出来なかったのか。私が悪かったのか、私の何がいけなかったのか』って言ってましたけど。それは全部間違ってます」

「え?」

 エレセリアは振り返ると、真っ直ぐわたしを見つめる。

「だって、この世界を変えたのは他の誰でもない、あなた自身じゃないですか。何が悪かったですか、何がいけなかったですか。逆に、何が悪くて何がいけないんですか?」

「え……」

「わたしはエレセリアが悪かったなんて思いませんし、いけなかったとも思いません! 元の世界でエレセリアが失敗したのはその世界と、その世界に住む住人達が悪かったんです! そうに決まってます!」

「…………はは、あはははッ」

 目元を擦りながら、エレセリアは笑い始める。

「あははははッ。……ったく、真剣に考え込んでた私が馬鹿みたいじゃん。何だよそれ。私以外が悪いってことじゃねーかよ」

「そう言ってるんですよ。だって……エレセリア以上の勇者はいないですから」

 そう言って、わたしは笑った。

 多分、わたしは人生で最もいい笑顔をエレセリアに見せられたと思う。

「そうだった。そうだったね。……私以上の勇者はいなかったね」

 そう言うと、エレセリアも笑顔になった。

 暗かったエレセリアの顔も明るくなって、声もいつもと同じ声調に戻った。

「エレセリア。泣きたかったらいつでもわたしの胸を貸しますよ」

 そう言って、わたしは両手を広げる。

「………………ふんッ!!」

「おうっ!?」

 エレセリアの頭が突っ込んできた。痛む胸を押さえながら、わたしは距離を取る。

「もう! エレセリアの馬鹿! それ頭突きでしょ!!」

「いや、だって、来いよって」

「違う! 違くないけど! 違う! っておい!?」

 エレセリアは何食わぬ顔でわたしの横を素通りした。わたしはもちろん腕を掴んで、彼女を止める。

「何で行こうとするの!?」

「腹減ったし」

「確かにお腹減ったけど!」

 ぐぬぬ、とわたしはエレセリアの瞳をずっと見つめる。

「じゃあ、一緒に行こうか」

 少し面倒な表情をしながら、エレセリアはそう言ってくれた。

 わたしはそれを待っていたんだ。最初からそう言ってくれればいいのに。

 エレセリアの手を引いて、わたしは歩き始める。

「さあ行きましょう! 朝ごはんを食べに!」

 朝から、本当に元気だねー、という声が背後から聞こえた。


        †


 朝食はパンと目玉焼きとコーンスープだった。普通に美味しくて、エレセリアの分まで食べてしまった。

 そして、朝食を食べ終えてから三時間後。それは開催された。

 今、エレセリアとわたしは大きな扉の前に立っている。重たく頑丈そうな扉の向こうには、各種族の代表が揃っている。

 そう考えただけで、緊張で胃が痛い。あと食べ過ぎも原因。

「何緊張してんのさ」

 隣で堂々と立っているエレセリアは笑っていた。

「だって、この扉の向こうにいるのは各種族の代表達ですよ? 緊張しない方がおかしいですよ」

 それに、怖い。

「大丈夫。アンタは外で散歩でもしながら待ってな」

「じゃ、行ってくるね」

 唾を飲み込んで、わたしは彼女の背中を見送る。

 何も心配することはない。中には国王やミフォリア、カップリッチ様にレイエンもいる。大丈夫だ、きっと。

「いってらっしゃい」

「うん、行ってくる」

 エレセリアが大きな扉を開けた。

 これは世界の歴史に残る瞬間。全種族の代表が一か所に集い、話し合う。

 わたしはそんな瞬間に出向く彼女を見送った。


        †


 今まさに、各種族の代表達が話し合っている真っ最中だ。そんな最中、わたしは一人で庭園に訪れている。

「……今、何話してるんだろう」

 種族会議の会場となっている城の一室を庭園から見上げて、わたしは息を漏らす。

「大変なことにならないといいけど……」

 ズドガンッ、という轟音が聞こえたけれど。わたしが見つめている先からではないことを信じたい。

 けれど実際、種族代表達が一か所に集まっているだけで危険だ。友好関係を築いている種族同士もいれば、敵対している種族もいる。

 むしろ口論で済むならまだいい方。

 今のように轟音が響くということは物理的な衝突があったということか。もしくは、エレセリアが他の代表達を脅したという可能性もある。

「あはは、あの人なら脅しかねないんだよなぁ」

 苦笑しながら、わたしは視線を外して歩き始める。庭園をぐるっと一周して、もう一周する。

 いつ終わるのかな、なんて思いながら、何度も城の一室に視線を送ってしまう。

「そんなに見ても、会議は早まりませんよ」

「ッ!?」

 振り返ると、そこにはミフォリアが立っていた。

「なな、何でいるんですか!? 種族会議はまだ終わってませんよね!!?」

「ふふ、わたくしは幻想種ファンファータの代表。自分の分身くらい作れます」

「分身……?」

 つまり、わたしの目の前にいるミフォリアは分身で、本物は今もちゃんと種族会議に出席してるってことか。それなら安心だ。

「まあ、分身と言っても。ここにいるわたくしが本体ですけれど」

 安心出来ないッ!!

 じゃあ、種族会議に出席してるミフォリアが分身ってこと? 何それ、大丈夫なの? 

「そ、それって大丈夫なんですか?」

「多分」

 多分って言った! そんな曖昧な答え一番聞きたくない!

 どうしよう、どうしようこれ。

 わたしは頭を抱えて、悩み始める。

 今すぐミフォリアを連れて行くか。何も見なかったことにして無視するか。

「そんな心配する必要はありません。種族会議に出席しているわたくしが本体ではないことに気付くのは、エレセリアと他数名の代表だけでしょう」

「でも、それって他数名にバレてるじゃないですか……」

「大丈夫です。既に口止めをしていますから。抜かりはありませんよ」

 と、笑うミフォリア。

「えっと、その……。ミフォリアは何故ここに?」

 わたしは口止めのことに一切触れず、ここにいる理由を聞いた。

「エレセリアに頼まれまして」

「エレセリアに?」

「はい。イリニスに種族会議の内容を教えてあげてほしい、と頼まれましたので。こうやって、分身を置いて、抜け出してきました」

 抜け出すのはどうかと思うけど。確かに種族会議がどんな風になっているのか、気になっていたところだ。

 気が利くというか、わたしのことを知っているというか。さすがエレセリアって感じ。

「それで、種族会議は今どうなってるんですか?」

「歩きながらで構いませんか?」

「はい」

 そう言って、わたしとミフォリアは庭園をゆっくりとした足取りで歩き始める。

「種族会議は順調に進んでいます。魔族種テラストルムについては、今後さらに友好関係を深めるという結論で既に話し終えていますよ」

「そうですか。っていうことは、今まで以上に魔族種テラストルムは暮らしやすくなるんですね」

「ええ、ほとんどの種族が経済制裁を緩和することに賛成してくれました。近い将来、入国制限も緩和されて、魔族種テラストルムは世界のどこにでも行けるようになるでしょう」

 まだまだ魔族種テラストルムは世界から浮いている存在だ。でも、今回の種族会議を切っ掛けにどんどんよくなっていく。

 他種族との関係もよくなって、同じ世界に住む仲間になれるはずだ。

「今は何の話をしてるんですか?」

「今は……神樹の森について、森巫種エルフ獣人種クティーリア、そして幻想種ファンファータを中心にして話し合っています」

 あのことか。なら尚のこと、ミフォリアはここにいるべきじゃないと思うんだけど。

「ここにいて、本当に大丈夫なんですか?」

「本当なら駄目ですね」

 あははは、と笑って誤魔化すミフォリア。でも、笑って誤魔化せることじゃない。

「今すぐ分身と交代した方が……」

「それには及びません。わたくしの分身は完璧です。それに、分身と言っても意識はわたくし自身ですから。そこに存在している体が本物か模造かの違いです。中身は同じ、ミフォリアですよ」

 要するに、分身でも本体でも意識は同じだから変わらないということか。それなら大丈夫、なのかな?

「神樹の森は三種族が住んでいますが、それぞれ縄張り……つまり領土があります。今、その領土について議論しているところです」

「他の代表やエレセリアは何て?」

「武力衝突するのであれば、武力をもってそれを阻止するとエレセリアが言っています」

 何ともあの人らしい。喧嘩は喧嘩をしている者を戦闘不能にすれば治まる。それが彼女の考え方で、やり方だ。

「他には何かありましたか?」

神鋼種ディオスティールの代表・アルクスが列車を止めると」

「それって凄く痛いですね。今や列車は遠く離れた種族を繋ぐ、大切な代物。それを止められたら世界から孤立するのは時間の問題……」

「はい、なのでわたくしが三種族で不可侵条約を結ぼうと提案しました」

「それで、他の二種族は?」

「もちろん、賛成してくれました。ハートボンドでの出来事が耳に入っているのでしょう。種族会議の前に森巫種エルフ獣人種クティーリアの代表は事前に会談して、不可侵条約を結ぶという結論が出ていたみたいですよ」

「それなら安心ですね。その不可侵条約が結ばれれば、あの時のようなことは二度と起きないと思いますし。というか、起こさないように森巫種エルフ獣人種クティーリアが結束すると思います」

 わたしはふぅ、と息を吐き出す。

 ハートボンドでのことを思い返すと、エレセリアがいてくれて本当によかったと思う。彼女がいなかったら、凄い数の犠牲者が出ていた。

「あそこに座りましょうか」

「あ、はい。そうですね」

 庭園の端に生えている大きな木の根元に、わたし達は腰を下ろした。丁度日陰になっていて涼しい。

「暖かくて、過ごしやすいですね」

 横座りをしているミフォリアは、風になびく長い髪を押さえながら言った。

 そして。

「いい風」

 と付け加えた。

「ふふ、どうかしましたか?」

「えっ!? いや、その……」

 しまった。また見惚れていた。

 わたしはすぐにミフォリアから視線を外して、空に移す。

「気持ちのいい場所ですね。お昼寝したくなっちゃいます」

 こんな暖かくて、気持ちのいい風が吹いて、日陰で涼しい場所で眠れたら、それはもう最高なんだろうな。

 でも、今は種族会議の真っ最中。エレセリアやミフォリアが話し合っているのに、わたしだけお昼寝なんて許されない。

「寝たいですか?」

「えっと、まあ、こんな気持ちのいい場所で眠れるなら最高ですけど。今は種族会議の真っ最中ですから」

「……そうですか。イリニス、ちょっとこっちに来てください」

 何だろう、呼ばれたから行ってみるけど。

 隣に座るミフォリアに近付くと、わたしはそのまま地面に引き寄せられた。

「え?」

 左の顔半分に当たる柔らかい感触。これはミフォリアの膝だ。膝枕だこれ。

 ……何で? 何で膝枕されてるのわたし?

「えっと、これは何ですかね……?」

「お昼寝したいと言っていたので」

 真に受けられていた!? そんな馬鹿なことがあるわけない、ミフォリアなら冗談だって気付いてるはずだ。

 そうか、気付いているからこそか!

 わたしは起き上がろうと右手を地面に付けた。

「何で起き上がろうとするのです?」

「いやいやいや、眠れないですよこんな大事な時に」

 それに、ミフォリアに膝枕されているなんて、恐れ多い。

 だから、わたしは今すぐに起き上がろうとする。けれど何故か起き上がれない。

「……何かしてます? というか、してますよね?」

「起き上がれないようにしました」

「何でっ!?」

「起き上がろうとしたので」

「っ……」

 確かに起き上がろうとした。だからって、だからって起き上がれなくする必要ないでしょ!

「わたしはこんな大切な時に眠るなんて出来ません!」

「そんなことを言わずに、お眠りなさい」

「いや、だから……わたしは……」

 あれ? 凄く眠くなってきたぞ。睡魔の猛攻に反抗出来ない――

「お休みなさい、イリニス」

 その美しい声を聞いた直後、わたしは目を閉じてしまった。


        †


 頬を引っ張られている感覚がある。それも両方の頬をだ。

 こんなに気持ちのいい睡眠を妨害するなんて、どこのどいつだ。絶対に許さないぞ。

「ん」

 頬を引っ張る手を払おうとしたけれど、簡単に避けられてしまった。

「んっ」

 まだ引っ張り続ける手を本気で払おうと動いてみるが、全然通用しない。簡単に避けられて、さらに頬を引っ張られる。

 もう我慢の限界だ。

「もうっ! 誰だよっ!!」

 わたしは飛び起きて、安眠妨害の犯人に怒りを向ける。

「わたしの安眠を妨害すん、ないで…………くだ、さい」

「おう、人が大切なお話をしてたってのにお昼寝とはいい御身分だな。召喚師ってのは」

 笑っているエレセリアがそこにいた。

「あ、あの……これには訳がありまして……」

「ほぉ? ミフォリアに膝枕してもらって、昼寝する訳があると?」

「そそそ、そうです! ミフォリアがわたしを眠らせたんですよ!」

 そうだ。ミフォリアだ。ミフォリアのせいでわたしは眠ってしまったのだ。だからわたしに罪はない! ……はず。

「いいえ、わたくしはイリニスを起き上がれなくしただけで、眠らせてはいないですよ」

 と、ミフォリアはとぼけた様子で言った。

「嘘だ! 絶対に嘘!」

 わたしは立ち上がって、猛抗議した。すると周囲が暗いことに気が付いた。

 そして、種族会議に参加しているはずのエレセリアがここにいることを再認識した。

「ええっ!? 夜!!?」

 そんな馬鹿な……。わたしは日が沈むまで眠っていた?

「えっと、今は夜ですよね?」

「うん」

「エレセリアは種族会議に……」

「終わったね。数時間前に」

 わたしは硬直した。それはもう銅像のように。

「イリニス。立っていないで座りなさいな」

 そう言うミフォリアの言葉を素直に受け入れ、わたしはゆっくりと座り込む。

「何で起こしてくれなかったんですか?」

 覇気のない声で、わたしはミフォリアに聞いた。すると彼女は微笑んだ。

「気持ちよさそうな顔をしていたので」

 だからって、日が沈んだ後に起きても意味がない。もう種族会議は終わっているのだから。

 ……そっか、種族会議が終わってるってことは話し合いが終わったってことだよね。なら、各種族代表達は何をしてるんだろう。

 そう思うと、近くから小さな寝息が聞こえてくる。

 あれ? 誰の寝息だ?

 周りに目を向けると、左隣に座っているミフォリアの膝の上に小さな頭が見えた。

「カップリッ――」

「静かにしてください。起きてしまいます」

 ミフォリアに人差し指で唇を押さえられ、わたしは黙った。

 けれど、エレセリアとのやり取りでそれなりに大きな声を出したから。今更遅いんじゃないかと思う。

 まあ、静かにしますけども。

「何でカップリッチ様がここに?」

 わたしは小さな声で聞いた。

「会議の後、エレセリアと共に来たのですよ。けれど、イリニスは眠っていたので起こすのは悪いと考えたらしく。起きるまで待とう、となったのですが」

「アンタが起きる前に、お子ちゃまが寝ちゃったってこと」

 エレセリアがミフォリアの言葉を引き継いで、わたしにカップリッチ様が眠っている理由を教えてくれた。

「そうだったんですか。それなら起こしてくれればよかったのに」

「いえ、皆で寝顔に落書きしようという話になって――」

「はあっ!?」

 ちょっと待って! それ聞いてない! じゃあ何? 今、わたしの顔には落書きがされていると?

 ミフォリアの話を聞かず、わたしは自分の顔を触り始める。まあ、触って分かるモノじゃないけれど。

「イリニス。人の話は最後まで聞いてください。確かに眠っているイリニスの寝顔に落書きしようという話になりましたが、結局しませんでしたから」

「本当ですか!!」

「はい」

 そう言って、ミフォリアは微笑んだ。

 その笑みを見て、わたしは胸を撫で下ろす。ミフォリアが言うのだから本当に違いない。

「まあ、エレセリアに遊ばれてはいましたけれど」

「おいっ! エレセリア!!」

 わたしはエレセリアの方を向いて、彼女に詰め寄る。

「何しました!? ねぇ!! 何したのっ!?」

「うるさい。何もしてない。っていうか、そんなに騒ぐとお子ちゃまが起きるよ」

「なっ……」

 わたしは寝息を立てているカップリッチ様に視線を向ける。少し体を動かしたが、まだ起きる気配はない。

 声を小さくして、エレセリアの顔を両手で挟んだ。そして、顔を逸らせないように固定する。

「何をしたんですか?」

「別に頬っぺたを引っ張ったり、腹の肉を掴んだり、おっぱい揉んだりしただけだよ」

「おいっ! 最後の!! 最後の一番駄目っ!!」

 固定しているエレセリアの顔を大きく揺らして、悪戯の復讐をする。

「やめろ」

「ひゃあっ!?」

 わたしの胸を掴んでいる手を払って、エレセリアから距離を取った。

「な、何をするんですか!」

「揉んだ」

 と言って、両手で卑猥な動きをしながら近付いてくるエレセリア。

「ち、近寄らないで!」

「ええー、やだぁー」

 卑猥な手の動きを続けながら、ゆっくりと近付いてくる。そんな彼女から逃れる為、わたしはミフォリアに助けを求めた。

「助けてください!」

「あらあら」

 ふふふ、とミフォリアは何故か楽しそうに微笑んでいる。けれど、わたしは全然笑えない。

 ジリジリ近付いてくる彼女に、わたしは言った。

「エレセリア! 種族会議はどうだったんですか!」

 すると動きが止まる。

「……話を逸らそうって魂胆か。まあ、いいや」

 そう言うと、彼女はミフォリアの隣に腰を下ろした。

「聞きたいんでしょ? アンタも座りな」

 少し警戒しながら、ミフォリアの隣に座る。これでわたしとエレセリアの間にいるミフォリアが壁になってくれる。

「そ、それで? どうだったんですか?」

「何とかなったよ。魔族種テラストルムのことも、神樹の森のことも、海の汚染のこともね」

「そうですか、それはよかったです」

 それなら一安心だ。

「具体的にはどうなったんですか?」

「まあ、魔族種テラストルムについては『これからもっと仲良くしよう』みたいな?」

 つまり、種族間の関係をより良くしようってことかな。

「もっと詳しく話すと。他種族と不可侵条約を結びました」

 カップリッチ様の頬っぺたをふにふに押しながら、ミフォリアが言った。

「神樹の森については他種族の代表立ち合いの下、正式に領土分配をしました。そして、森巫種エルフ獣人種クティーリアは平和友好条約を結び。それを破った際には両種族に経済制裁を下すことが決定しました」

「そうですか。じゃあ、もう神樹の森で争いは起きないんですね」

「ま、ミフォリアが森を燃やそうとしたことが大きく影響したんだろうね。そうじゃなきゃ、あの種族が平和友好条約なんて結ぶわけないし」

 確かに、仲の悪い種族一位の森巫種エルフ獣人種クティーリアが友好条約なんて結ぶはずがない。やっぱり、ミフォリアの影響が大きかったんだ。

 魔族種テラストルムと神樹の森の問題の解決。残りは汚染された海についてか。

「海はどうなりました?」

 わたしがそう聞くと、ミフォリアが口を開いた。

「全種族で協力し、汚染問題を解決することが決定しましたよ。安心してください」

「よかった。それなら、もう海霊種ゼーガイストが滅ぶことはないですね」

「はい。全ての種族が結束して、海と海霊種ゼーガイストを護ります」

 その言葉を聞いて安心した。

 うん、本当によかった。これでカップリッチ様達、海霊種ゼーガイストが滅ぶなんて最悪な事態は避けられた。

「そういえば、代表達は今どこに?」

「帰ったり、まだこうやって残ったりしてるよ。種族会議はもう終わったからね」

 ミフォリアとカップリッチ様がここにいるように、他の代表もまだ残っているかもしれないわけか。

 じゃあ、レイエンや国王はどうなんだろう。

「国王やレイエンは帰っちゃいましたか?」

「アイツらなら酒でも飲んでるんじゃないかな。仲いいし」

「そうですか」

 そう言って、わたしは夜空を見上げる。

 種族会議が終わって、エレセリアとわたしにはもう使命がない。

 レイエンを探す為に旅立ってから、今この時までの道のりを思い返す。

「……長いような、短いような。そんな旅でしたね」

「大変だったけどね、いろいろと」

 そう。大変だった。ハートボンドでは火薬を持ち込んだ犯人に間違われたり、シーアライアンスでは神亀ごと沈みそうになるし、エリタージュには拉致されて連れて来られたし。

 ミフォリアと出会って、カップリッチ様と出会って、レイエンを発見して。

「でも、意外と楽しかったですよね」

「……まあね」

 とエレセリアは返答してくれた。

「二人とのお別れが近付いていますね」

 ミフォリアは寂しそうな声音で言った。表情も少し元気がない。

「また会えるよ」

「そうですよ、また会えますって!」

「ふふ、そうですね。また会えますよね」

 幻想種ファンファータの代表であるミフォリアとは住んでいる場所が違うし、立場も違う。

 種族会議が終わった今、代表達は自分のいるべき場所に帰らなければならない。

 それはエレセリアとわたしも同じで。自分達の居場所に帰らないといけない。

 そう、自分の居場所に帰らないといけないんだ。エレセリアも……。

「星が綺麗ですね……」

 わたしは二人と最後の夜空を眺めた。

 そして、召喚師であるわたし、イリニスと。

 勇者であるエレセリアの旅は幕を閉じた。

 ――帰ろう、自分達の居場所に。

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