そうして、世はおしなべて事も無く(衝撃)

「やっほー」


 約束の時間より五分遅れで事務所にやって来たイリスに、無言で抗議の意を送る。いつもの通り悪びれる様子も無さそうだが、糠に釘と言う奴なのでコレ以上は特に何も言わない。


「で、用事って何? 事務所の引き払いについて?」


「そ、家は事務所としては現在休業中だけど、商売再会までに準備しなきゃいけない物があるしね」


 僕の方はイリスの天術のおかげで体の方は何ともないけど、体を『人間』に戻さなければいけない為、能力の活性化の原因になる戦闘は避けたい。

 相方のイリスも、回復魔法に魔力を回す事が出来なかったので怪我人だ、今現在でも彼女の体には、至る所に包帯が巻かれている。

 しばらくの間荒事は控えると言うのは両者文句無し、むしろ当然の判断だった。

 で、今日の要件に至る訳である。


「二階の部屋から売れるものを全部引っ張り出すから、必要な物とそうでも無い物の判断を頼むよ? 力仕事はこっちでやるけど、仕分け作業はしっかり手伝ってね」


 そう、今日で二階の生活空間は引き払う事になってしまった。理由は簡単、家賃が払えない。

 確かに連続殺人犯撃破の報酬は出た……出たのだが、当然のごとく協力を仰いだフィオナの事務所との折半となり、まずこの時点で半額である。


 更にラッセルに依頼したアイに関する情報操作料とどうしても人数の必要だった地下水道操作の協力費が差し引かれ、報酬額はもうレッドゾーン、止めにイリスの医療費が入り、駄目押しが過剰演算と本体へのダメージで煙を吹いていた『サリエルⅨ』の修理費と(Eパッドは画面に罅が入っただけなので無理矢理使わせている)、戦闘に際して消費した魔宝石の買い直し代金だ。


 これにより、半分自転車操業に片足を突っ込んでいた事務所の経済状況はとうとう破綻、事務所の規模縮小としばらくの節約極貧生活を余儀なくされた……と言う訳である。

 ちなみに、僕個人が自宅として借りていたアパートの一室も家賃を払う当てが無いので昨日引き払う事になった。自分の行った行動の責任を取る為とはいえ、正直泣きたい。


「あ、そうそう……いちおう断りを入れておかないとね、僕、これからはこの事務所に寝泊まりするから。今後いくつか依頼を取って、ある程度の生活資金が出来たら引っ越すからそれまでは我慢してくれると助かる」


「ん……おけ、まぁ孤児院には戻りづらいし、他に泊れそうな所無いもんねぇ」


 その通りだ。


 今現在、孤児院には新しい仲間としてアイが迎え入れられている。一般常識には乏しい物の、素朴で優しいアイは孤児院に受け入れられ、『年上の妹』として子どもたちにも人気だそうだ。

 オドレイに聞く限りでは、今の所アイに問題は無い。

 だけど、だからと言って彼女と顔を突き合わせて生活できる程僕の心も鉄壁じゃ無い。

 幸い時間は幾らでもあるし、彼女が落ち付いて、改めて僕の所に来るのを待とうと、そして、その時に彼女の答えが何であるかを改めて聞こうと思う。


「でもさ、生活空間として考えると激しく微妙だよね、だから……」


 イリスが口を開く。その視線は部屋の中を確かめているのだろう、僕では無くて室内をせわしなく動いていた。


「ベッドが無いと眠れない、なんて言いだす程育ちは良くないよ。シャワーとソファと保存食があるし、なんとでもなるさ」


 僕の言葉に、イリスが何処か微妙な表情。何かあったのだろうか?


「ああ~、あのさぁ、ケイ。ちょっといい?」


「何かな?」


「引っ越し、やらなくても良いよ。ケイは大丈夫みたいに言ってるけどさ、事務所で暮らすなんて大変じゃん? せめて生活空間くらい真っ当にした方が良いかなって」


「あはは、その言葉は嬉しいんだけどねぇ……人類の生活にお金は必須だし、僕のやりだした事だしね、責任くらい自分でしっかり取るさ」


 それに、大家さんに聞いた所だと次の借りてももう決まってるらしいので、今更僕の都合で中断……とか言う訳にもいかない。このビルはどうやら僕が思ってた以上に人気物件だったようだ。


「じゃ、のんびり話してて後で時間に追われるのも嫌だし、始めちゃおうか? 先に上に行ってるから、準備ができたら」


「だ~か~ら~! 『引っ越す必要はない!』って言ったの!」


 イリスが少し怒った様子で僕を見る。


「何かさっきから様子がヘンだね? 一体何か……って顔が真っ赤だね、もしかして熱?」


 上目遣いで僕を睨んでるイリスの顔は、林檎みたいに真っ赤だ。もしかしたら戦闘の悪影響で何か病気にでもなったのかもしれない。


「何で今まで気が付かなかったんだろう? とにかく病気なら休んでても良いや、ごめんね」


「病気じゃないよ! だから……あの、アレだよ、アレ! 上の部屋」


「ああ、新しい借り手も決まってるらしいね」


「う~! だぁかぁらぁ! それ! 私なの!」


「…………へ?」


 初耳なんですけど? というか大家、何故僕に言わない? あ、プライバシーか、仕事仲間は他人だもんね。


「ちょっと何でなのイリス、正直意味が解らないんだけど」


「理由はさっきも言ったじゃん、生活位は人間らしく、ってね」


 まだ恥ずかしそうだ。


「うん、ありがとう、でも何でこっち? 僕の生活助けるんだったらこんな回りくどい事しないで僕の家賃払ってくれれば良かったのに」


「それができれば一番楽だったけどそうもいかなかったの! えっと、だから……えと」


 もじもじと前で組んだ指先をいじり、上目づかいで僕を見るイリス。何だろう? さっきから話がかみ合わないし進まない。


「だから、家賃、流石に部屋二つを同時に借りるだけのお金無かったの……だから、だからわたしが、その、ね? 解るでしょ、より近い方を……みたいなさ」


「まさか……イリス、自分の家」


 イリスが真っ赤な顔で一回頷く。どうやらこの子、自分の家を引き払って、そのお金で上の階をそのまま借りたらしい。成程、それなら確かに事務所の引っ越し作業は要らないだろうね。



 …………でもさ。


「何でそこまで、と言うか、それだけのこと伝えるのにこんなに時間かけたの?」


「そ、『それだけ』じゃないよぅ……だって、わたしも自分の家、引き払ったんだよ? だから、この上の階に住むんだよ? 住まざるをえないんだよ? つまり、一緒だよ?」


 大きな羽で体を隠し、目から上だけちょっと出して僕を見る。溜め息一つついて答える。


「仕事で何度か……というかつい先日も泊まり込んだじゃん、一緒に。あと、平気で事務所に泊りに来たり風呂使ったりする人の言う事じゃ無いよね? それ」


「泊まり込みとここを生活空間にするのは全然違うよ! 泊まり込みだったら着替えとか取りに帰るし、プライバシーは安心だし!」


 腕をバタバタさせながらイリスが反論する。僕は溜め息一つ。


「じゃあ止めれば良いじゃん、当初の予定通り、僕は下で寝るからさ」


「それじゃ意味無いじゃん! 大丈夫だよ、しっかり理解してるし、覚悟してるから……ただ」


「ただ?」


 間が開く。蝉の声が煩わしい。


「わたしの方から、『一緒に暮らそ』なんて言うの、なんか恥ずかしいじゃん」


 大きな羽に体を隠し、もじもじしながらイリスがそんな事を言った。


「そう? 唯の仕事仲間なんだし、気にしなくてもいい思うんだけど……。とにかく、じゃあこれからしばらくは一緒に生活……なのかな? よろしくね、イリス」


 なるべくいつも通りの表情に見え、いつも通りの言葉に聞こえる様に注意しながら、僕がイリスに声を掛ける。


「うん、言っておくけど、仕事仲間なんだからね? 変な勘違いして私の事好きになったりしたらダメだよ? 変なこと考えるのはもっともっと駄目だよ? 大丈夫?」


 羽の奥から体を出して、真っ赤な顔で……それでもいつも通りの表情に見える用必至であろうイリスが僕に応える。


「大丈夫だよ、そんなに信用無いの? 君の相棒は」


ううん、とイリスが首を振る。


「よし、じゃあ作業を始めようか。予定は変わったけど、引っ越し作業は変わらないしね」


「おっけー!」


 必要以上に元気な返事をしたイリスが飛んでくるのを視界の端に捕えながら、僕は部屋の外に向かう。


 これで元通りの新しい日常生活が開始する。世は押し並べて事も無し、ゆっくりと僕達の最低の日々は続いて行く。でも、不安は無い。明日に聞きたい言葉と、肩を並べる誰かが居れば、僕みたいな人間は幸せだから、それでいい。


 そんな僕がもし、これからの生活で不安要素を上げるとするならたった一つ。

 それは、この事件に最後まで付き合ってくれて、これから巻き込まれる事件にも付き合ってくれるであろう天使人の少女に、本当に惚れかねない僕が今ここに居ると言う、本当にロクでも無い、だけどどうしようも無い事実だった。

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戦士と天使の猟兵録 端瑞 幽 @kasuka

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