エピローグ

 俺、何してんだろ。

 人生はいつも順調とは限らない。死んだ方がましだと思う時だってある。また生きていく価値が分からなくなる時だってある。これはもう重症だ。そもそも、人にとって生きる価値とは何だ。価値ってなに? 人はただ生きてちゃ駄目なのか? 生きるだけでも精一杯なのに。明日食う飯の当てもない日だってあった。そんな日を乗り越えて、何で俺生きていこうとしてるんだろうと、思う時がふとある。死にたい訳じゃない。死んだ方がましだとも思わない。ただ、生きていく活力がないだけ。地面に撒かれた水のように、生きて生きたい!って思いが吸われていく。しかし、そんなクルトの想いは全く関係なく世界は進む。

「兄貴、いい加減起きろよ。いつまで不貞寝してんだよ」

 うっせー、子供扱いすんな。

 そう思いはしても、口には出せない。口に出すのも億劫だ。

「一昨日から変だぞ。不貞寝なんてらしくねぇし」

 まあ、確かに。

 クルトは声に出さずにロルフに同意した。

 普段のクルトならば不貞寝などせずに、とにかく遊ぶ、飲む、食べる、なんか馬鹿騒ぎを起こす、無茶な仕事を引き受けたりしてみる、といった行動を取る。

 それが、不貞寝。自分でもらしくない事をしているとは分かっているが、どうしようもない。だって気力が起こらないんだもの。

「……つーかお前、事務所は? 開けてねぇの?」

「だって兄貴が、」

「だってじゃねぇよ。いいからさっさと事務所開けろ。さあさあ、今日も一日頑張ってー」

「いいじゃねぇか一日二日休んだって。ロゼッタさんの仕事はうまくいったんだろ?」

「駄目駄目。そんな事言ってるヤツはいつまで経っても貯金ができないんだ。俺達は違うだろ? つーかお前はロゼッタさんの、」

 ロゼッタ。

 一昨日の惨劇が思い出され一瞬口が重くなるが、平静を装いクルトはなんでもない調子で続けた。

「仕事の時居なかったじゃねぇか。給料ドロボーは許さん。お前が今日からしばらく働け。俺は休んでるから」

「ずりーよ!」

「うっせ。文句があるならさっさと稼いで来い」

 クルトは布団を頭から被って、これ以上の話し合いはなしだと合図する。

「そうですよ、給料ドロボーはいけませんね」

「!」

 唐突な、しかし聞き覚えのある声にクルトはかばりと被ったばかりの布団を跳ね除けた。

「うお、何だてめぇ!?」

「ああ、弟君は初めましてですね。どうも初めまして。僕はミハエル・フォグナーと申します」

「ちげぇよ! 何勝手に入ってきてんだてめぇは!?」

 息巻くロルフに、ミハエルは涼しい顔で答えた。相変わらず地味なスーツを着て、存在感の薄い男だ。

「失敬な。ちゃんとノックはしましたよ? 気づかなかったあなたが悪いんじゃありませんか。これがお客様だったら大変なことですよ。こういう商売はお客様との信頼関係が第一なのですから」

 つまりは客ではないということ。一体何し来たのか。もう仕事は終わった筈だ。

「……客じゃないなら帰れ」

「まあそう冷たい事を言わずに。あのおばさんの被害者同士、仲良くしようじゃありませんか」 

「被害者? あんたが?」

「ええ。僕、あの一件の責任を取って辞職させられたんですよ。一応責任者でしたからね、一応」

「……あの人は、」

 ロゼッタのことを聞きそうになって、クルトは思い直した。

 聞いてどうする? 俺は、聞いてどうするつもりだ?

「おい兄貴、それよりコイツはなんなんだ?」

 一人置いてけぼりのロルフ。説明するのは億劫だが、無視する訳にもいかない。

「こいつは、」

「先ほど名乗りましたが、改めまして。今日からここで働くことになったミハエル・フォグナーと申します」

「は?」

「待て待て、誰がどこで働くって?」

「僕が、ここでです。さっきも言ったじゃないですか。リストラされたんですよ、僕」

「あのな、確かにあんたの境遇については同情するが、だからって雇うほどこっちも余裕はない」

「ご心配なく。僕はこれでも有能でしてね、自分の食い扶持ぐらい稼いでみますから、騙されたと思って雇ってくださいよ」

「「……」」

「信用してませんね、その顔は。いいでしょう、僕の有能さを見せて差し上げましょう」

 そういうとミハエルは、手に提げていた黒い皮の鞄からあるものを取り出した。

「花束じゃねぇか。そんなもんだして何だってんだ?」

「確かにそこらにあるものとかわりはありませんが、これはちょっと特別なものですよ。ね、クルトさん。あなたならお分かりでしょう?」

 紫と青を基調とした花束。高貴といえば聞こえは良いが、少しけばい気もする。

 クルトが彼女の髪と瞳の色をイメージして作ってもらった、花束である。浮かれていたあの時はなんとも思わなかったが、今冷静に眺めるとなかなかきつい色彩を放っている。

「……別に」

 今更渡しに行く気にもなれず、クルトはすっとぼっけた。

「記憶障害ですか? まだまだボケるには早いですよ」

「うっせ」

 ああもううるさい。ほっといてくれ。俺なんて取るにとらない人間だ。ほっといてくれ! そっとしておいてくれ!

「拗ねてる場合ではありませんよ。早く行って下さい、今がいいチャンスですよ?」

 何のチャンスだよ!?

 苛立ちとともに怒鳴りかけたその時。

〈随分と賑やかね〉

 あの猫のテレパシーが頭の中で冷ややかに響く。

 と、同時に、


 コンコン。


 控えめなノック音。

「はい、少々お待ちを」

 とっさにクルトが反応できないでいると、ミハエルが花束をクルトに押し付け、勝手に戸口へ向かった。

「あ、おい!」

 ロルフの制止を気にも止めず、ミハエルは扉を開けた。ガチャっと、立て付けの悪いドアが開く音がする。

 イルマがまさかノックはしないだろうから、では誰がノックしたか。

 はねるようにベッドから起き出して、クルトはドアへ向かう。花束をしっかり持って。

「失礼する」

「はい、こんにちは。もうすっかりお元気そうですね」 

 てめぇ! 

 まるで他人事のように笑いながら言うミハエルに激しい憤りを抱きながら、クルトがドアの方に駆け込むと、そこには。

「……ふん、お前に用はない」

 小さく鼻を鳴らし、エーファはミハエルを押しのけて中に入る。

 黒のローブ姿。三角帽子と箒は持ってないものの、その格好は魔女だ。少女の姿ではなく、二十歳前後の姿に戻っている。身体に変わった様子はないが、左目には眼帯をしている。

「じゃあ何の用だよ」

「これから、どうしようかと思ってな」

 ロルフの問いに、やはり彼女は言葉少なく言った。その間に割って入る。

「あー、と、その、なんだ」

 ロルフと彼女の間に割り込んだのはいいものの、しかしいざとなると上手く言葉がでない。あれからどうなったんだとか、ミハエルは全く関係無いんだ、とか聞きたい事弁解したい事があった。早急に。誤解はされたくない。が、やはり結局彼女を前にして口をついで出たのは、

「……これを、どうぞ」

 掴んでいた花束を差し出して、たった二言。貴女の前では霞んでしまうけれど、なんてお決まりの世辞も言えずに。

 そして、花束を差し出して気付く。寝巻きのままの己の格好に。恥ずかしい。よりにもよって花束を渡すというこの状況で、寝巻き。良かった、変に格好つけないで。

「……」

 彼女はしばらく、一言も発さずに差し出された花束を眺めていた。とても長く感じた。後ろでロルフが笑いを堪えて震えている気配がよく伝わったから、ミハエルの奴もきっと薄笑いを浮かべていることだろう。ああ腹が立つ。誰が雇うか。

「私に、か?」

 彼女以外誰も居ないというのに、何を疑うのか。

「ああ、あんたを想ってね」

 クルトが肯くと、彼女はようやく、恐る恐るではあるが花束に手を伸ばした。

 さらっとカッコつけるクルトの後ろで、「ぷはっ」ロルフが小さく吹き出す音、「こらこら、笑っちゃダメですよ、今良いところなんですからふふふ」「お前だって笑ってんじゃねぇか」「これは地顔です」「嘘付け!」

「うるせーよ!」

 本人達はこそこそ囁き合っていたつもりかもしれないが、如何せん距離が近すぎる。丸聞こえだ。

「悪い」「すいません」

 耐えきれずに振り返って怒鳴ると、二人は素直に謝ったが、顔は笑っている。絶対に悪いともなんとも思ってないに違いない。

「ありがとう」

 花束に顔を埋め、彼女は言った。

「いや……それよりも、今日はどうしたんだ?」

「……少し、聞きたい事があって、な」

 歯切れ悪く彼女は言う。

「その……」

 彼女は言いにくそうだ、最初の勢いはどこへやら。視線をあちこち彷徨わせたが、後ろからひょいと現れたイルマの尻尾で足を叩かれると、意を決したようにクルトを見据えた。

「お前が来てから色々あった」

〈むしろアンタの所為よね〉

 ぐさりとイルマの言葉が胸を突く。

 己のやった事に後悔はしていないが、しかし後ろめたく感じない訳ではない。

「だから、最初に聞こうと思ったんだ」

 何を?

「私は、これからどうすればいいと思う?」

 彼女があまりにも真っ直ぐに見つめてくるから、

「とりあえず、下でお茶でもしないか?」

 結論の先延ばし? いやいや、じっくりと考え、ついでに語り合いたいだけだ。

 そういえばもらい物の茶葉もある。折角だからコーヒー党のマスターにいれて貰うのも面白いかもしれない。

 努めてクルトは呑気に結論づけた。

 よく外を見てみたらほら、とても良い天気じゃないか。とってもデート日和じゃないか。こんな日は家にこもっているのが勿体無い。折角彼女もこうして出て来てくれた。こんな機会はもう二度とないかもしれない。

 彼女の大切な人が亡くなって、それで彼女のこれからの事を一緒に考えて欲しいと。なかなかへヴィな話題だが、考えようによってはまるでプロポーズみたいだ、ってそれは流石に言い過ぎか。

「そうか、そろそろメシの時間だな」

「行きつけのお店なんですか?」

「ああ、マスターの人相は悪いがメシはうめぇぞ。それに安い」

「お前らはくんな」

 後ろの二人に突っ込むと、

 にゃあ


 猫が鳴き、彼女も小さく笑った。

 花束も霞んでしまう、可憐で綺麗な微笑みだった。


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森の魔女 杉井流 知寄 @falmea

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