第五章 後始末
うぐぐぐぉおおおん!!
ぎゃしゃあああああ!!
突然上がる咆吼。
「きゃああ!」
悲鳴を上げ、リサは尻餅をついた。
「なに、あれなに!?」
「森の獣達だ」
エーファの答えはやはり素っ気ない。
「う、ウソ、エーちゃん! あれってば絶対動物の鳴き声じゃないって! もっとすごいっていうか、あれは――」
魔物。化け物。
何故か口にするのは躊躇われた。嘘。エーファのことを指すようで、言えなかった。
「おい、大丈夫かお前ら!? 今の悲鳴は何だ!?」
奥からヴィリーが慌てた様子で走って来る。手には大きな白い布一枚。おそらくどこかで使われていたシーツをとりあえず引っ張って来たのだろう。それを乱暴にエーファの頭に被せながら、ヴィリーは素早く辺りの様子をうかがう。
「はい、あたし達は大丈夫です」
起き上がりながらリサが答える。その傍から、
ぐしゃあああああっあ!!
しゃっしゃっしゃぁあ!!
再び上がる咆吼。
「……ゲルトを家に帰さないとな」
外の様子を全く意に介さず、エーファは布を身体に巻き付けながら言った。
「で、でも外には、」
「待て、この人はあの女に殺されたんだぞ? それを――」
「問題ない、少し待て。支度をしてくる」
リサとヴィリーの言葉にも動じる事なく、エーファは淡々と行動に移る。
奥のドアを抜け、どこかへ行く。何の支度か、これからどうするのか。後を追い、問い詰める気にはなれなかった。
「……くそっ」
小さく毒づくと、ヴィリーはじっとしていられないとでも言うように、ぐるぐると部屋の中を歩き回る。
だっだっだっだ。
苛立ちを含んだ足音が響く。
ちょっと怖い。
そうして、ほんの少し時間が過ぎた頃。
「待たせたな」
黒の三角帽子に、夏だというのに黒の長袖のローブ。右手には箒。魔女の格好でエーファは現れた。仮装と思われても仕方のない服装であるが、リサは知っている。エーファが魔女であることを。そして彼女はいつでも真面目で本気だ。
軽くエーファが箒を振るうと、箒の先がぼんやりと光る。その光る先でエーファはゲルトを寝かせている机の周りを一周して掃く。すると箒が掃いた後の線はうっすらと光り、エーファはその線の中に入り、手招きした。
「行くぞ。早く入れ」
これが魔法か。
リサは目を凝らして白く光る線を見つめた。
魔術ならば絶対に必要な数式や紋章、文字式の類が一切そこにはない。ただ白く光る線があるのみ。
恐る恐るリサは白く光る線の中に足を踏み入れた。光りに触れると、気のせいかもしれなかったが僅かに暖かい。
「……くそ」
何に対しての苛立ちか、ヴィリーはもう一度小さく毒づいて、線の中へと入った。
その瞬間。
リサの視界は真っ白な光りで覆われた。
無登録市民。
ホームレスや不法入国者を指す言葉ばかりだと思っていた。この時までは。
「どうして、どうして……うちの人が……」
「お父さん」
「お父さん、お父さん!」
妻に娘二人。小さいながらも立派な家を持つ、そんな人が無登録市民だなんて。ヴィリーには信じられなかった。
ゲルトの家。
眩い光りに包まれた瞬間、もうその次の瞬間にこの家の、リビングに立っていた。
ヴィリー達が現れた時リビングは無人で、真っ暗だった。エーファが箒を一振りするとリビングの照明は点灯し、家具もふわふわと浮き、真ん中の空間を空けるようしにて壁際に整列した。そうして場所を作ると、どこからか一枚の大きな黒い布をエーファは取り出し、丁寧にしわを伸ばして敷く。その上にゲルトを寝かせた。そして、物音に気付いた夫人が物盗りかと恐る恐る様子を見にきた所で、夫人は夫の無言の帰宅を知る。
「あんたの、あんたの所為よこの魔女!」
夫人の鋭く、悲哀に満ちた叫びを耳にしても、エーファは眉一つ動かさなかった。淡々とゲルトと、彼を取り巻く三人の女性達を見下している。
「こんな時にもそんなふざけた格好して! バカにしてるの!? 帰って。帰って頂戴!!! もうあんたの顔なんか見たくもないわ!!!」
夫人はエーファの変容について、ただの悪ふざけだと思っているらしい。いや、夫の姿に動転し、黒服しか目に入っていないのかもしれない。どちらにせよ婦人にはエーファの事などどうでもいい。
「今日の所は、ひとまず失礼する」
「二度と来ないでっ! あんたなんか、あんたなんか……!!!」
「……」
小さく頭を下げて、エーファは部屋を出る。
ヴィリーはその様を、一言も口を挟めずに眺めた。
冷たい夫の骸にすがりつき泣き叫ぶ妻。その横ですすり泣く娘二人。隣のリサももらい泣きをしている。流石に涙をこぼしはしないが、泣きたいのはヴィリーも同じだった。
うぉおおーん
おぉおおーん
犬達の遠吠えが響く。哀悼の遠吠えか――いや、そんな馬鹿な。
「すまないがお前達」
リビングから出た廊下の所で、振り向きもせずにエーファが小声でささやくように言う。
「このまま付き添ってやってくれ。最期を見ただろう。落ち着いたら話してやって欲しい」
「……ああ」
付き添うのは構わない。だがを最期を話すのはエーファの役割ではないか――そう言っている場合ではないか。気はまないが、断れない。
「で、お前はどうするんだ?」
「森へ帰る。元に戻さなければならない。獣達もざわついている」
「そうか……気をつけろよ」
他に適切な言葉が思いつかず、結局ありきたりな言葉でエーファを送り出す。そんな自分にもどかしさを感じながら、やはりそれ以上の言葉はかけれずに、ヴィリーはエーファを見送った。
エーファは無言のまま、一瞬にして消える。
その様子はとても淡々としていて、全くゲルトの死を悼んでいないかのような――そんな筈はないのに。文字どおり姿を変える程に彼女は激怒していた。
「関わるんじゃなかった!!」
悲痛な女の叫び。子供たちの目すら構わずに、彼女はののしり嘆く。
「あんなものに、あんなものに関わるんじゃなかった!! 名付け親が何だっていうのよ!? そんなもの、そんなもの……っ!!!!」
「ママ……」
幼い娘が取り乱している母親に寄り添う中、上の娘がヴィリーに近寄る。
「あの、……お父さんは、どうして?」
父親似の娘だ。意思の強い眼差し。下手な嘘はつけそうにない。
「エーちゃんの、せいなの? エーちゃんはどこに行ったの? エーちゃんの姿も変だったし……どうして?」
「君のお父さんは……」
言葉に詰まる。エーファの事は知っているが、ゲルトの事はよく知らなかった。というか、さっき会ったのが初めてだ。会ったというにはあまりにも一方的ではあったが……。
「君のお父さんは、とてもすごい人だ」
「そんなの知ってる」
「そうか……そうだよな」
真っ直ぐな瞳は、むしろ突き刺す刃。息が詰まり、胸が痛い。
「ね、どうしてお父さんは死んじゃったの? どうして? 事故? それとも……」
「……」
適当な事は言えない。しかし、本当の事も言えない。というか、ヴィリー自身よく分かってない。
とういか、というか。そればかり。情けない、情けねぇな。
ヴィリーは途方にくれ、頭を垂れた。
以前からあの森には何かあるとは思っていたが、まさかこれ程とは。
前王の使い、クライブは街の上空で森を見下ろしながら、己の想像を超える事態に舌を巻いた。
森には妙な結界が張っており、どうやっても森の中へは入れなかった。その結界が消えると、今度は無数の魔物と強大な魔物の気配。竜クラスのものだ。緊急特定災害となるほどの。
その気配が一瞬で消え、街の中に現れた時はひやりとしたが、街で目立った破壊活動は行なわれなかった。
そして今。
その気配はちょうど街と森の境界に移動した。
クライブの使命とは前王ジークフリードの書状を魔女に渡し、必要ならば手助けすること。クライブとしては魔女などという得体のしれないなにかにあの森を管理させるよりかは、まだ正体の分かる同じ人間に、それがたとえ王国の民ではないとしても、管理させた方がまだ安心だった。
だが前王がやれというならば。クライブは疑念を持ちつつもぶれることなく忠実に実行できる。それが己の強みだと、よく分かっていた。
「……さて、どうしますかね」
クライブは途方にくれて一人呟く。
クライブとしてはやるべきことは全てやった。全てといっても新米魔女に前王の意思を伝えただけ。お手伝いしましょうかと提案する前に、魔女は森へと帰ってしまった。後を追おうとしたら森に張られた結界が邪魔で追えない。その邪魔な結界が消えたと思ったら、次は強力な魔物の気配。いくら辺境の街とはいえ、街にこれほどの魔物が出現するのは由々しき事態だ。
まあ、クライブにとってはどうでもいいことだが。
「後で騎士団にでもしらせておきましょうか……」
その結果、森を魔女に任せるというのが如何なものかという議論がおころうとも、クライブの知ったことではない。
それよりも、だ。
「私はこのまま帰ってもいいのでしょうか……ね」
目的は果たした――とは言いがたいが、前王の意思は確かに伝えた。書状は渡しそこね、協力は断れたようなものだが、クライブの落ち度ではない。おそらく。
しかし、だからといって流石にこの魔物をただ放置して帰るのはまずい。いくらなんでもまずいだろう。大体、あの魔女は偉そうなことをいっておいて、今どこで何をしている? 森を治めることが魔女の仕事だろうに。全く。
「やれやれ」
ここでいつまでも眺めていても仕方ない。せめて魔物の姿を確認してから街の警備兵に報せてやろうかと、クライブはゆっくり慎重に下降を始めた。
現在のところ、この魔物には街を積極的に破壊する意思はないようだ。一度街の中へ進入しておきながら、結局何もせずに森へと引き返した。しかし、そのまま森に帰ることなく境界で立ち止まっている。
「帰るならさっさと帰って欲しいですね。私だって早く帰りたいのに」
愚痴をこぼしながら近づくと、そこには。
らぁらぁらぁらぁらぁらぁらぁららららららららららら……
箒に跨って小さく歌を歌う、魔女の姿があった。身体が一回り小さくなっているが、あれは魔女だ。
月明かりの下、箒にまたがって歌を歌う少女の姿は幻想的だ。意味不明な歌、歌詞とはとても思えない歌詞を歌っていても。
あれがあの魔女だと分かったのには理由がある。猫がいたからだ、あの使い魔の猫。箒の先にちょこんと乗っている。一目で分かった。
らららららららららららららぁらぁらぁらぁらぁらぁらぁらぁ……
「いい気なものですね……」
暢気に歌とは。
らららららららららららららららららららららら……
「今まで何をされてたんです? 森も街も大変なことになってますよ?」
声をかけると魔女は一旦歌をやめ、上空のクライブを見上げた。
あらわになる、魔女の石の瞳。同時にクライブは強大な魔物の気配は魔女自身のものだとも気付く。
「問題ない。全員納得してくれた。めでたしめでたし」
「……」
元々饒舌にしゃべる方ではなかったが、これはちょっとひどい。猫に目を向ければ、猫はそっぽを向いたまま。意思疎通の意思はなし。
「……どういうことですか?」
しょうがないから魔女に近づいて、更に詳しい説明を求める。
魔物の気配は魔女そのもだし、その魔女は目がおかしなことになっている。瞳が石って、まさしく人外じゃないか。
「あの女のせいで森が荒れた。その森をなだめていた」
「森を?」
「森とは命。そこにあるものたち全て。一個にして無数。無数にして一つ……もういいか?」
「いえ、全然分かりません」
「そうか」
それきり沈黙。
「……もしかしてそれで終わりですか? ちゃんと説明して下さいよ、言ったでしょう? 私はジークフリード様の使いでやってきました。分からないままでは帰れません」
「むぅ……」
面倒くさがってんじゃあねぇ、このクソガキ。早く帰りたいのはこっちの方だ。
口には出さなかったが、クライブは眉をしかめる幼い魔女に苛立つ。子供の使いではないのだ。分からないまま、「じゃあそうですか」とは帰れない。
それにこいつは分かっているのか。いや、分かっていないだろう。誰が、誰の為に何をしたのか。それがどういう騒動を引き起こすかのか。現王レオナルドの対応そのものによっては内乱が起こるかもしれないのに。
「もう一度聞きますが、どういう事態ですかこれは? それにあなたはなんなんですか? 人間じゃないですよね?」
「魔女だからな」
うまいこと言ったつもりだろうか、もしかして。
「ああ、そうだ」
苛立ちのあまり言葉を失うクライブに、魔女はそうとは知らずに爆弾を投下する。本人はとてもいい事を考え付いたと思っていたが。
「子供じゃないんだ。自分で調べたらどうだ?」
「っ!!」
何も言葉を返さないクライブに気を悪くした様子もなく、魔女は言いたいことだけ言うと、
「ではな」
森に帰った。
一人残されたクライブは、
「……ふふ、ふふっ。あははははははははっ!!」
ひとしきり笑い声を上げると、
「いいですねぇ、じゃあお言葉に甘えて調べましょうか。あの森も、魔女も、全部!!」
決意に燃えた。
「これから、どうするつもり?」
イルマの問いかけに、エーファはすぐには答えられなかった。
やりたいことはあった。
あの女の気配で満ちているこの街全てを破壊したい。滅茶苦茶に破壊したい。ぐしゃぐしゃに叩き、こねくり回し、ぶん投げて踏み潰したい。……しかし、そんなことをしても、もどらない。失われたものは、絶対にもどらない。
「……分からない」
先代魔女の唯一の遺品に触れながら、エーファは正直に答えた。
彼がもどるなら、なんでもしよう。喜んでこの身を捧げてもいい。彼は後で知り、怒るかもしれないが、悲しんでくれたらそれでいい。
「大見得切ってきた割には、頼りない子ね」
イルマが好き勝手言うが、いつものこと。放っておいて、エーファは遺品を恐る恐る腕に抱いた。
先代魔女が亡くなってから、この杖に触れるのは初めてだ。かつてはあんなに力に溢れていたのに、今はただの棒切れ。数十年経てば原型を留めない程に朽ち果てるだろう。分かりきっていることだが。
「……」
ここは森の中心部。森の大老がおわす座所。老木を中心として生命のない小さな湖があり、湖の周りは力ある大木達が守っている。昼も夜もなく、とても静かな場所。どんなに凶暴な森の獣でも、ここに近寄ることはない。なぜなら、この場には死が満ち溢れている。ここには永遠の眠りで満たされている。穏やかな、目覚めることのない眠り。
ここは森の魔女の墓場でもあった。
代々の魔女は己の死期を悟ると次代の魔女に全てを託し、この場所で眠る。先代魔女もしかり。
「……ばば様は、分からなければ聞けばいいと言っていた。一人では生きてはいけないから、誰かに聞けばいいと。でも、誰に聞けばいいか分からないんだ」
イルマは呆れた調子で、事も無げに言った。
「そんなの、アンタ知り合い少ないんだから皆に聞けばいいじゃない」
「……いいのかな」
「いいも悪いもないわよ。そういうモノでしょう?」
「…………知らない」
「これから知ればいいわ」
イルマの言葉はやはり突き放さしている。しかし、
「……これ、から……」
「そう、これから」
小さく恐々と呟けば、イルマはしっかりと肯いてくれた。
「アンタは生きているんだから」
強烈な一言を添えて。
「……そう、だな。私は生きてる。まだ、生きてる」
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