第五章 魔女と死者と化け物と
アレ。
イルマがいうアレというのが、エーファであったものだという事は、頭の中で分かっている。
見ていたから。
目の前で変化したから、疑いようがない。
でも、疑わない事と理解する事とはまた違うのだと、リサは矛盾する心を痛いくらいにかきむしった。
「期待してるって、そんな……」
「……こいつもどうにかしないとな。このままじゃ不味い、よな」
戸惑うリサの横で、ヴィリーが着ていた上着を脱ぎ、生首に被せた。
二人はしっかりとこの場での物騒な会話を聞いていた。だからロゼッタが何者なのか、殺された男の事、エーファが何なのか、なんとなく理解できた。
「おい、垂れ目も手伝え」
「……はあ、仕方ねぇな」
「とりあえず家の中に入れよう」
「へいへい」
途端に怖くなる。
なんで。イルマも、あのクルトも、ヴィリーでさえも。
なんで、そんなに平気なの?
死んでる。人が死んで――
!!!!!!!!!!!!!
「っ!」
声なき叫びが轟く。
エーファだ。遺体が動かされた事がきっかけだろうか。エーファは一声吠えると、のそりと動いた。
「げ」
誰の呟きかは分からない。ひどいんじゃないの、って思わないでもないけど、それを言うならリサも同罪だ。
エーファが怖くて、エーファが動いた分だけ後ずさる。遊びになんか来るんじゃなかったとさえ思う。なんで、なんでなんでなんでなんで。
「……動かすのはやばくないか?」
「……このままにしておくのもまずいだろ」
「いやいや、下手に刺激するのがやばくね?」
「しかし、」
「様子を見るべきだって。彼女を刺激したくない」
「このままにはしておけねぇだろ!」
「んな事は分かってる! けどな、ああなってる彼女がもしこっち来たら、あんたどうにかできるのか?」
「っ」
ああ、なってる。
ヴィリーも言葉を失ったが、リサも大きく動揺する。
「あ……」
怖い。
なんで。
アレはナニ。
なにしにきたんだっけ?
そうだ、遊びに来たんだっけ。なにも今日じゃなくてもいいのに。なんで今日来てしまったんだろう。どうして。どうしてあの時のあたしは、立ち入り禁止の看板と太いロープを無視して、入ってしまったんだろう。なんで。
のそりのそり
エーファはゆっくりとだが、近づく。
リサに。その後ろのもう動かなくなったゲルトに。
エーファが横を通り過ぎる時、リサの鼻にひどい匂いがついた。獣の臭い、血の臭い、腐った臭い。
とてもあのエーファのにおいじゃない。
綺麗な人だったのに。だった、じゃない。綺麗な人なのに。なんて臭いをさせているんだろう?
「エーちゃん……」
ぽつりと呟けば、エーファは一瞬歩みを止め、またのそりのそりと、やや速度を落として歩き始めた。
気のせいかもしれない。けれど、気のせいじゃないかもしれない。
リサはエーファを正面にして向き直った。
「エーちゃん……あたし、リサだよ。あたしの事、分かる?」
エーファは無言だ。ただ歩みは止まり、じっと動かなくなった。
その視線の先にはヴィリーとクルトと、頭はヴィリーの上着に包まれ、首のないゲルトの骸がそこにある。
自分の言葉に反応したのか、ゲルトの骸を眺めているのか、リサには判断できなかった。けれども、けれども。
「エーちゃん……どうしたの? その格好……っていうか、姿? すごいね、すごい……」
なんて続けていいか分からず、リサは一度口を閉じた。
きれい? かわいい? どれも違う。そんなの全然違う。全くもって違う。
見ていられなくなって、リサは視線を足元に落とした。
と。
「イイ感じよ、お嬢ちゃん。もっとその調子で言ってやって頂戴」
イルマがリサの足もとにすり寄って囁く。
「あんなになっても耳も口も鼻もちゃんとあるわ。アンタの言葉はちゃんと届いてる」
「そ、そう?」
「ええ。後ろの男共は頼りにならないわ。アンタだけが頼りよ」
ウソだ、そんなこと。怖くて仕方ないのはあたしだけなのに。目の前で人は死ぬし、エーファはこんなのになるし、ヴィリーとクルトはその死体を運ぼうとしている。どうして平気でいられるんだろう?
どうして、こんなことを平気で受け止められるんだろう?
「おかしいよ、こんなの変。変だって……おかしいもん。絶対おかしい!」
一度言葉に出すと、感情はせき止められた川のように勢いよく溢れ出す。
「エーちゃんはそんなになっちゃうし、ゲルトさんは、ゲルトさんはさっきまで、さっきまで……さっきまで、そこにいて、エーちゃんのお母さんだって……なんで? どうして」
初めてエーファと会った時、彼女はゲルトを訪ねる手土産を見定めていた。あの時は直接ゲルトには会えず、奥さんだけを遠目から眺めた。エーファに向けて言った魔女やら魔法を否定する物言いは気に入らなかったが、でも暖かで素敵な女性であることは見ただけで分かる。
そんな素敵な人が、旦那さんを失う理由なんて、有り得ない。
お子さんだっているらしい。その子達も父親を突然失う意味なんて、分からない。
エーファだって。
名付け親を目の前で、あんな形で失うなんてひどい。しかも奪った相手は母親を名乗ったあの女性。エーファは「母はない」なんて言ってたけど、そんな訳がない。
「とにかくエーちゃん、いったん落ち着こう! だってこんなの変だし、変だし、変だし……」
それ以上言葉が続かず、しかし込み上げてくるものは大きく、リサ自身が変になりそうだ。
「うぅ……」
おかしい。
あんなに簡単に人が死ぬなんて、おかしい。
間違ってる。
あんなに簡単に人が人を殺すなんて、間違ってる。
「ひっく……」
聞きたいことがたくさんある。分からないことだらけだ。なんでエーファがこんなのになってるのか。
なのに。
「っ、」
自分の口からは嗚咽しか漏れてこない。
泣いてる場合じゃないのに。むしろ泣きたいのはエーファの方だろうに。
ロゼッタはゲルトがエーファの名付け親だと言っていた。そんな大事な人を、エーファは目の前で亡くした。しかもあんな形で。
言う事を聞かずにあふれ出す涙を拭う。と、黒い触手が眼前にあった。
「ひっ」
おぞましさに身体を仰け反ると、リサの足は縺れ、後ろに倒れ込んだ。
あ。
倒れ込んで気付く。あの触手はエーファだ。
はっと顔を上げると、気のせいかもしれないが、若干小さくなったエーファがそこに居た。伸ばされた触手は所在なさげに揺らいでいたが、少しして引っ込められる。
にゃあ。
イルマが鳴いた。
呆れているみたいだ。怒ったのかエーファの身体が小さく揺れ、今度は目に見えて縮んだ。
くすり。
その様子がおかしくて、リサは笑った。
エーファの身体は小刻みに揺れながら、徐々に縮んでいった。人の姿をしていた頃よりも小さくなり、リサよりも小さくなった。黒くうねっていた髪は白に戻り、身体の形もだんだん人の形に近づいていく。
顔も綺麗になった。左目をのぞいては。
左目の眼球はまさに宝石だった。文字通り、ごつごつとした研磨する前のアメジストがはめ込まれている。
右手の鱗もそのまま。
そして、何故かエーファは幼くなっていた。二十歳過ぎぐらいの女性だったのに、今のエーファは十二、三歳ぐらい。リサは知る由もないが、それは初めてエーファが街に降りてきた時と同じ年頃だった。
「ありがとう」
幼い声でエーファが言った。
「ありがとう。泣いてくれて、ありがとう」
エーファは泣いてなかった。悲しい表情でもなく、むしろ何の表情も浮かんでない。石の瞳がよく似合う、無機質なお人形。
「ありがとう。お前の涙が流れるのを見たら、落ち着いた」
胸に手を当て、心臓の鼓動を確かめるよう、俯きがちにエーファは言った。
にゃあ
イルマが鳴く。
エーファはそれに答えるよう、小さく肯く。
「分かっている。好き勝手にされた森を戻さなくてはな。ここは魔女の森なのだから」
姿が幼くなったのと反対に、エーファが纏う雰囲気はひどく大人びていた。神々しいというのは言い過ぎだとしても、気安く言葉をかけられる存在ではない……。
「おいお前!」
と、リサが気押されている中。
「服くらい着ろ!」
ヴィリーが怒気荒く注意した。
ヴィリーに指摘されてリサも初めて気付く。エーファが素っ裸である事に。いくら胸のふくらみもほぼない体型をしているといっても、裸はまずい。女としてまずい。
自分の服を脱いで、ヴィリーは突き出す。
「これでも着てろ!」
「家の中にあるからいい」
あっさりヴィリーの申し出を断ると、特に恥じる様子もなくエーファは家の方に進む。途中でヴィリーの上着にくるまれたゲルトの頭部を持ち上げ胴体も担ぎ上げると、呆然と突っ立ているクルトを押しのけて家の中に入っていく。幼くなっても怪力は健在だ。
「お前達には面倒かけたな」
振り向かずにエーファは告げる。
「みっともない所を見せた。もう大丈夫だから、帰ると良い。もう関係無いだろう」
淡々としているエーファは落ち着き払っていて、確かに大丈夫そうだった。元々どちらかというと無愛想な感じだったし、なんて。
「ウソばっかり」
「む?」
ぽつりと呟かれたリサの言葉に、エーファが僅かに振り返る。
「大丈夫って、エーちゃんウソ下手すぎ。それに関係無くなんかないよ。エーちゃんはウチのギルドの大事なナンバー2だもの。関係無くなんか、ない」
「……そうか、関係無くはない、か」
「待ておい、それならオレだって、」
「好きにしろ」
ヴィリーの言葉を最後まで聞かずに、エーファはさっさと家の中に入って行った。イルマはエーファの後に続き、リサ達を一瞥して家の中に消えた。くるんと動いた尻尾は「しょうがないわね」と言ってるみたいだ。
「お前はどうするんだ、タレ目」
脱いだ服を着直しながら、ヴィリーがクルトに問うた。
「タレ目言うな。これでもクルト・ボルツっていう立派な名前がありますから」
「はいはい、で、お前はどっち側の人間なんだタレ目」
「……」
ヴィリーの言葉に刺を感じるのはリサだけではないはずだ。
苦笑いで降参とでも言うように、両の手のひらを上に向け、クルトは答えた。
「全く、彼女には驚かされてばっかりだよ。あんたもそうは思わないか?」
「……まぁな」
用心深くヴィリーは同意した。横で聞いてるリサも同感だ。
初めて会った時から変な子だとは思ってはいた。化け物にはなるし、それで人の姿に戻っても何故か子供の姿になってるし、所々はおかしいし! 兄が見たら卒倒するかもしれない。あれで頭の固い、保守的で古い人間だから。
「……ま、俺は一旦帰るよ。つーか俺は何しにここに来たんだっけ?」
「知らねぇよ」
「は、そりゃあそうだよな。ま、じゃあそーゆー訳で。じゃあな」
あっさりとクルトは帰った。
「あの人、エーちゃんに用があったんじゃ?」
「知るか」
花束を持っていたような……そういえば、彼が持ってきた花束はどこに行ったんだろう?
「行くぞ」
「は、はい」
ヴィリーに急かされて、リサはそれ以上クルトについて考えるのを止めた。
ヴィリーに続いてエーファの家の中に入ると、大きな机の上にゲルトの遺体は安置されていた。その横でエーファは裸のままで、ゲルトの顔を覗き込んでいる。イルマはその足下に。
服を着ろ! とまたヴィリーが言い出すかと思いきや。
「……羽織れそうな物取ってくる。頼んだぞ」
「う、うん」
奥のドアに迷いなく入って行くヴィリー。以前ここに来た事があったのだろうかと、そんな事が今気になる自分にちょっとだけ気落ちしつつ、リサはエーファの横に並んだ。
ゲルトの首には傷を隠す為か、銀糸の房が掛けられている。
エーファの髪だ。
人毛である事に気付いた瞬間におぞましさを感じるが、同時に厳さも感じた。原始の混沌とでもいうか、神秘と禍々しさが混じっている、そんな矛盾した感動と嫌悪。
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