第五章 魔女の資質


 クルトは動けずに、その様を呆然と眺める。

 化け物。

 それはまさしく化け物だ。

 あんな綺麗な人を捕まえて化け物なんて言うから何言ってんだと、ロゼッタを訝しんでいたが、これで良く分かった。

 エーファは見る間に変化していった。

 歪に歪んだ背中に両腕。服は無残に裂けている。そして巨大なトカゲのような尻尾が、クルトが見ている前でずるりと彼女の後ろから垂れた。細い足が、めきめきと小さな音を立てて象牙色の鱗に覆われていく。あの綺麗な顔は右半分は辛うじて残っているが、左半分は闇に沈んでいる。真っ白だった髪も漆黒に染まり、ざわざわと有り得ない動きをし始めた。

 ああ、これを化け物と呼ばずにしてなんというか。

 クルトは決して豊富ではない語彙を総動員してみたが、これ以上に相応しい言葉は思いつかなかった。


「あらあら」


 ロゼッタは微笑みながら、楽しげにころころ笑った。

 ロゼッタにしてみればこの変化は好ましい結果なのだろう。多分、その為にゲルトを傷つけた。


「これでは駄目ね。駄目過ぎですわ。母は失望しました。変化するのにも滅茶苦茶じゃない。折角色々つけてあげたのに、生かしきれてないじゃないの」

「……つけるって、その、何を、ですか?」

「ドラゴンとか、色々ですわ」


 ゲルトの頬に指を突き刺したまま、ロゼッタはさらりととんでもない事を言った。指からは特殊な薬かはたまた、魔法でも流し込んでいるのだろうか。指が突き刺さっているのに、ゲルトは無表情のままだ。痛みを感じていないようだ。


「は、」

「アレはわたくしの研究成果の一つですわ。ここまで育つとは思いませんでしたけど。それだけに少し惜しいですわね。あんなに育ったのを廃棄するのは……さて、どうしましょう?」


 問いかけは、クルトに向けてのもではなかった。そんなの答えようがない。


「エーファに何したのっ!? っていうか、その男から手を離しなさい!!」


 イルマだ。全身を逆立て、低く唸りながらクルトの机の上に躍りで、人の言葉で怒鳴った。

 人の言葉は疲れるから喋らないと、あの時は言っていたのに。それだけキレているという事か? 

 クルトは妙に細かい所に気付く自分がちょっと嫌になった。大切な人が大変な事になっているのに、この冷静さはなんだろう。


「エーファ? ああ、アレの名前ね。素敵な名前だこと。勿体無い名前ね」

「おだまり!」


 毛を逆立てたまま、イルマはぴしゃりと言い放つ。


「どうでもいいから、そいつから手を離しなさい! あのコがこれ以上暴走する前に、出て行きなさい!」

「出ていくのはあなた方の方よ、子猫ちゃん。試練は失敗だもの。あれは魔女ではなく、化け物。化け物なんかにこの森は預けられないわ」

「バカ言わないで! アタシは魔女エーファの使い魔イルマ。アタシが居る限り、あのコは魔女よ!」

「ん~、そうねぇ、それは……確かに一理あるわ。まだ完全ではないようね。何が足りないのかしら? インパクト?」


 イルマが示した根拠はクルトにはさっぱりだが、理屈を知る者には通じるらしい。ロゼッタは誰ともなく呟く。


「やはりインパクトではないでしょうか」


 ロゼッタの後ろの眼鏡の女性が冷淡な笑みを浮かべながら言った。

 嫌な笑みだ。


「そうね。わたくしも同感だわ」


 ロゼッタはゲルトの頬から指を引き抜くと、一旦ゲルトの肩に手を置いた。

 嫌な予感。

 クルトは自然と立ち上がり、いまだ毛を逆立てロゼッタ達に威嚇するイルマの首根っこを掴んで距離を取った。


〈ナニすんのよ!?〉


 イルマのテレパシーの抗議を無視。クルトの危険察知信号がもの凄い勢いで信号を送ってくる。これはヤバイ、本当に。


「……何をなさるおつもりで?」


 緊張に満ちたクルトの問いかけに、ロゼッタいつものようににこりと微笑みながら答えた。


「インパクトですわ」


 その瞬間。

 ロゼッタの手が目に見えない程の早さで空を切る。

 そして、

 赤い液体が噴き出す。



 どさっ



 そこそこな重量を持った物の落下音。

 一瞬遅れて生臭い血の匂いがクルトの鼻を刺激する。

 ゲルトの頭は、クルトの視界から消えていた。


「……やり過ぎじゃないですか……っ?」


 あまりの事にクルトの声は上ずる。

 ロゼッタの微笑みは陰ることがなく、むしろ輝きが増すようだ。


「そうかしら? あなただって人を殺した事ぐらいあるでしょう? その猫ちゃんも」

「それは、」


 そうだけど。

 しかし、


「そういう問題じゃ、ないでしょう……? それに何もあなたが手を下さなくても……」


 って違う。そういう問題でもない。何言ってんだ自分。

 混乱するクルトに、ロゼッタの声が冷淡に響く。


「ふふ、心配して下さるのね、ありがとう。でも大丈夫ですわ。こんなの殺しても、なんにもないですもの。クルトさん達もそうだけれど、この男もまた無登録市民。存在する筈のない人間。居るはずのない人間を、どうやって殺すというの?」


 国が民を管理する。

 その思想自体は新しいものではないが、この国においては比較的近年において導入された。戸籍という制度もまた然り。

 地方分権が強いこの国では王は大地主といった感じで、国全体を直接治めるのではない。各領主に任されている。各領主の下には町長や村長。彼らが己の町を管理し、領主に税を納める。領主はそこから自分の取り分を貰い、余った分を国に収めるという、なんとも適当な制度でこの国は成り立っていた。

 そんな曖昧で非効率な税制を改革したのが、現国王。国王は西の大陸諸国ではとっくの昔に実用化されている戸籍登録制度を新たに登用した。

 文明国と自称する西の大陸諸国では既に全国民が登録済みの戸籍であるが、この国においては、特に老人や辺境の村の住民の登録はまだまだ完璧ではない。


「それにわたくしの本籍地は共和国ですから、」



 !!!!!!!!!!!っ!



 問題ないと、言いかけたロゼッタを遮るように声なき叫びが轟く。

 大気が震える。

 見なくても誰の叫びかなんて分かりきっている。


「ロゼッタ様」


 眼鏡の女性がうやうやしく、複雑な魔法陣が描かれた水晶玉をロゼッタの前に差し出す。


「そうね、頃合いだわ」


 満足げにロゼッタは肯くと、その水晶玉に手をかざした。すると水晶玉に描かれていた魔法陣は一瞬で消え去り、何秒か遅れて白い光が破裂した。


「!」


 あまりのまばゆさに目を庇ったクルトが恐る恐る目を開けると、そこにはもうロゼッタも眼鏡の女性の姿はなかった。テーブルや茶器は残っている。あの二人を捕らえた牢も。

 そして、ゲルトという男の死体も。

 ――あなただって、人くらい殺した事あるでしょう?

 否定はしない。身を守る為、仕事の都合等でやった事は、確かにある。しかし、だからと言ってロゼッタと同じだとは思いたくなかった。確かにロゼッタも何かしらの利益を期待しての殺人だが、やり方が。あのやり方は頂けない。手刀というのもアレだが、殺してもいいとか問題ないとか、気にくわない。

 これが終わったら流石にロゼッタとの関係を見直さなくては。

 ゲルトの死体を眺めながら、クルトは考えた。

 痛みは全くなかったようだ。無表情のまま事切れている。最期に何を想ったのか、その表情からは全く読み取れない。

 イルマが身体をひねり、クルトの手から逃れた。ゲルトの元へ走り寄り、そしてクルトの後ろ、エーファに目を向ける。

 つられるようにして、クルトも後ろを振り返った。

 化け物がいる。先程よりも更に化け物が。

 複数の魔物や動物がごちゃ混ぜになった魔物だ。

 辛うじて二本足で立ってはいるが、左手はうねうねと蠢く触手に覆われ、右手は黒い鱗で覆われた鋭い爪をもつ爬虫類の腕。胴体も黒い鱗で覆われているが、背中は真っ白な毛が覆い、獣のようでもある。足は太く、象牙色の鱗で覆われている。尻尾の先は船の碇のように尖り、獲物を見定めるようにゆらりと揺れた。

化け物は現在進行形で、少しずつ大きくなっていた。

 最初はエーファより二回り程大きいだけだったのに、今やそれ以上。二階建ての建物程の大きさになっている。


「エーちゃん!」


 悲痛に叫ぶ少女の声がクルトの耳に届いた。

 さっきまでは彼らの声は聞こえなかったのに、どういう事だ? そもそも、なんでこの男は首をはねられ、殺される必要があったのだ? 

 ぐるぐると、クルトの思考は空転する。

 あの化け物だってなんなんだ? 新種の魔物か? 


〈ボサっとしてないで、これ以上あのコを刺激しないようにどうにかしなさい!〉


 って、言われても。

 クルトは途方にくれて辺りを見回した。

 前方には化け物。

 その手前には鉄製の牢。

 そして、死体。

 どうしろと言うんだ?


「おい垂れ目! ぼさっとしてないでとっととここからオレ達を出せ!」

「……無茶言うなよ」


 やれやれ、どいつもこいつも。

 化け物は低く唸りながらも、その場を動こうとしない。激情に翻弄されながらも、必死に耐えているような。それともまだ状況が分からずに理解しようと頭を働かせているいるのか。後者ならば相当に頭が残念だが、彼女は綺麗な顔してあまり賢いとは言えなかった。むしろ馬鹿だと思う。

 死体をなるだけ見ないようにしつつ、クルトは牢の前に移動した。

 牢はちょうどエーファとロゼッタ達の間にあった。惨劇も、エーファの変貌も全て見ていたのに二人とも取り乱している様子はない。男の方はともかく、リサという少女もなかなか肝が据わっている。

 鉄製の牢。素手でどうこうできる代物ではない。


「……なあ、イルマ」


 試しに言ってみる。


「これ、どうにかできないか?」


〈貸しにしといてあげるわ。ちゃんと返してね〉


牢の上に上り、イルマは尻尾を振った。それだけあっさりと鉄の牢は崩壊する。


「サンキュー」


〈いーえ、こちらこそ。どうやって返して貰うか、楽しみにしてるわね〉


 少しだけイルマを頼るのは早まったかと後悔しつつ、クルトは牢の中の二人に声をかけた。


「よ、災難だったな」

「災難で済むかっ!! てめぇこの垂れ目っ!!」

「をいをい、俺に当たるのは違うだろ……ってまあ、そうでもないか」


 はあ。

 深く一息。これからどうしようか。


「そ、そんな事よりヴィリーさん、今は、」

「……くそ」


 忌々しげに男は舌打ちすると、エーファの方に目を向けつつ、牢にから出た。リサは怖々とその後に続く。


「……で、どうする?」

「と、とにかくエーちゃんを落ち着かせないと……あれ、エーちゃんだよね?」

「それ以外のナニに見えるのよ?」

「わ、あ、ね、猫が喋った……」


 リサはやはり混乱しているらしい。しどろもどろな反応だ。あんなに元気で明るい少女だったのに。

 イルマは苛立たしげに尻尾を振るうと、優雅に牢の上からエーファとの間に入るように降り立った。


「アンタ達には期待してるよ、特にお嬢ちゃん。エーファはえらくアンタの事気に入ってたし、アンタだってお友達になってくれたんでしょう、アレの」


 アレ。

 嫌な言い方をするなぁ、と、他人事のようにクルトはイルマとリサの一匹と一人のやり取りを眺めた。

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