第21話 キングスポートに霧は煙る(完)

 2体の蟲巨人を構成するすべての白蟲はその無数の繊毛を通じて、怪しき鳥の鳴き声に縛られた。

 統一した意志で巨人の体を動かすこと、その合体を解いて離散すること、そのどちらもかなわず。


 仮面の夜鷹は黒い長手袋の両手を組み合わせながら近づいてくる。

 ボクサーが腕試しをするようなしぐさを理解していながら、身構えることができない。


 ボズッ


 腰をきかせたボディブローが蟲巨人(髭面)に放たれ、しっかりと衝撃が巨体の隅々まで伝わった。

 夜鷹の拳はゼリーのような柔らかい防御を無視してめり込み、その一撃で直撃を受けた蟲たちは潰れ、それ以外の場所を構成している蟲たちには『潰された方がマシ』と思わせる痛みが襲い掛かる。


「汚いサンドバッグだ」

 拳と蹴りが蟲巨人(髭面)の各所を次々と打ち、貫き、刈る。

 下半身のダメージから膝をつく体勢になり、ちょうど正面に髭面がきた。

「巻き込んで悪かったな」

 貫手がはしる。

 引き抜いた手に着いた赤黒い血に一瞬だけ感じた哀れみは次の瞬間忘れた。

 これまでもそうだった。そしてこれからも。


 人間に例えれば致命傷を負った蟲巨人(髭面)を担ぎ上げた夜鷹は、地の裂け目から噴出した緑色の炎にそれを投げつける。

 爬虫類の舌にも似たうねくりで蟲巨人(髭面)を絡めとり、今宵の生贄にする炎。


「満足したら宮廷に帰ってくれ」

 夜鷹の要求は聞き入れられず、緑の炎は広場の各所で噴き上がる。

「欲張りな奴だ」

金縛り状態の蟲巨人(巻き毛)の腕をとって一本背負いを決める。

 バリツの一本背負いは頭頂部から真っ先にたたきつける。たいていの脊椎生物に対して文字通り必殺の威力を誇る。

 蟲巨人(巻き毛)は脊椎生物ではなかったが、すべての蟲は魔力伝導によりショック死する激痛に見舞われ、そのまま地面に突き立った。

 緑炎は亀裂の中からたっぷりとした餌をチュウウウと吸い込み味わう。

「おかわりはないぞ」

 緑炎は次の生贄を求めて踊る。

 夜鷹と交渉するつもりは無いようだ。


「なあ、こいつらはイエローサインでも手に余る相手だ。とっととずらかろうぜ」

 黄色い目の老人は船員たちの魂を封じた瓶を防水鞄にしまい、じりじりと船の方へ後じさり始めていた。老人も十分に古強者であるがまだキャリア100年。常識的な判断で動くところは人間っぽさが残っている。


「奏者も躍り手も今宵は夜鷹の鳴き声が聞こえていないらしい」

 そもそも一戦交えず撤退しようとしていたのだ。老人の言う通り船へ走るべきではないか、夜鷹よ。

「つまり倒せないということだ」

「そうだ。いくらあんたでもアザトースの足元に拉致されたらどうなるかくらいわかっておろうが。早くこっちへ来い」

 老人の指摘は夜鷹自身が危惧していたこと。最適解はこいつらが茶目っ気を出す前に離れる、だ。


 夜鷹の背後に立ったパワード・ラヴクラッシュがささやく。

 まわりくどい苦労をさせられたのはなかなかに新鮮な体験だったはずだがね。

 でも後味悪いのは嫌だよな。だったら相手が誰であれ、smack downぶちのめせよ ウィップアーウィル。


「早く消えろよラヴクラッシュ。お前に言われなくてもそのつもりだ」


 夜鷹は緑炎の踊り手の通せんぼをアクロバティックにかわし続け、髭面画家が落とした短刀を拾いあげた。どこにでもありそうな凡百の品。

 

 踊り手を翻弄しつつ疾走する先にフルート奏者の昏い影が凝固している。

 物理次元の攻撃を無効化できるにとって夜鷹の接近などどこ吹く風。邪な調べを止めることはない。それが奏者の役割。


 夜鷹が短刀のブレード部分にトゥルーメタルを押し当てると、そこは黒く白く紅く蒼く煌めいた。

 どの時空にも接合できるトゥルーメタルの権能はあらゆる時空の存在を断つ力を刃に付与エンチャントした。


 夜鷹にとって据え物斬りに等しいひと振り。


 フルートが半分の長さになった。斬られた部分は空中で霧散する。


 笛の音が止む。

 奏者の影は縦に横に収縮を始め―――小さな穴に吸い込まれるように消えていった。穴の向こうは混沌の宮廷なのだろう。

 フルートが吹けなくなり、主人の不興を買った奏者の運命を考えたくなかった。

 

 奏者が退場すると同時に、緑炎の踊り手が地面の亀裂から噴き上がることはなくなった。

 演奏がなくなり興醒めしたか、ちょうどいいと休憩に入ったというところか。


 トゥルーメタルの付与した力に鋼が限界を迎え、短刀の刃が砂粒状に零れ落ちる。


「おい、もういいだろう。限界だ! 船を出すぞ」

 甲板にあがった老人の怒声に夜鷹は軽く手を挙げて応えた。

 トゥルーメタルは取り戻した。外なる神に一矢報いた。

 上出来だ。



 船員はいないが老人が舵輪を操作し、船は黒い水の上をするすると進む。

 忌まわしい地下祭祀場につながる秘密の入り口からキングスポート湾に出ると、薄紫の夜空を橙色の光が駆逐しつつあった。

 穏やかな海面を眺めていると、夜鷹の中で先ほどの体験が急速に過去のものとなっていく。いちいち引きずっていたらこの稼業はもたない。


 もう早出の漁師が舟を出す頃合いである。

 冷たい海面を覆うように温められた空気が流れていく。

 今日もキングスポートは霧にまかれそうだ。

 

 ピックマンが自分のジャケットをギルマンに与えた。薄緑の体と首のエラを隠さなくてはならない。ピックマンはギルマンに一方的な連帯感をもったようだ。

 ギルマンは自分の正体を知る喰屍鬼グールかぶれの画家をどうあしらうか考えているに違いない。

 

 船が貸し船屋のドックに着く。まだベッドで眠っている主人に声をかけずともいいだろう。夜鷹はロープで係留し終えると、一夜の探索の終了を告げた。

 持ち金を等分してピックマンとギルマンに渡す。それだけあればしばらく生活に困らない額であった。


「リチャード・アプトン・ピックマン。正気を喪わずに生き残れたお前は大した男だ」

「喪う正気なんてもともとないんですよ、わたしは。ホテルに戻ったらこの一連の出来事をテーマに描きまくるつもりです。土産物屋で売るような絵は必要ない。わたしは自分を貫きますよ」

 早朝の光の中で見ても幽鬼めいた容貌の画家はボストンへ寄ることがあったら自分の喰屍鬼の絵を見てほしい、と言って去っていった。


「ギルマン―――フルネームは聞かないでおこう。今度会うときはどういう関係か未知数だからな。今だけは敬意を払わせてくれ」

 そう言うと、夜鷹はギルマンに握手を求めた。

 ハスターの使徒がインスマス人に握手を求めるなど両者の主神が知ったらどう思うだろうか。

 おずおずとギルマンは応じた。こんなことしていいのか、とギョロ目が困惑している。

「いずれは敵だもんな。あのさ、少しは恩義に感じたなら次に会った時も殺さないでくれよ。生まれを理由に一方的に殺されるのは理不尽だって思うしね」

 夜鷹は仮面の奥の目を細め、

「血統至上主義のインスマスの老人たちにその考えは言わない方がいいぞ。わかった、一度だけ見逃すことにしよう」

 と、握手を終えた。

 誰かに水掻きのある足を見られる前に帰るよと言ってギルマンは家路につく。


 東インド会社の旗を鞄に詰めた黄色い目の老人は杖を頼りに土手を上る。

「今回はわたしの手落ちで迷惑をかけたの」

「トゥルーメタルは俺の手元にある。お前は同志の危機に命を張った。それでイーブンさ」

「古き結社を潰しきれんかったのが残念だわ。蟲もフルート奏者も緑の炎もいずれ息を吹き返すだろう。この町に住み続けるこちらとしちゃあ、頭が痛い」

「セントラル・ヒルには近づかないことだ。グリーン・レーンの左手7番目の家だったかな、あそこも何か危険なものの気配に満ちていた」

「肝に銘じるよ」


 復活した夜鷹の『力』を感知したのかショゴスが霧の中から現れ、しゅるりと彼の背中を覆うマントとなった。

 上空には奇怪な飛行生物バイアクヘーが待機している。


「お迎えが来たか。次にキングスポートに来た際にはセラエノの話でも聞かせてくれ」

「蟲どもが溢れ出したら呼んでくれ。イエローサインの同志を引き連れて害虫駆除をやろう」

 夜鷹はバイアクヘーにまたがり飛翔し始める。

「ウィップアーウィル、ハスターのご加護を!」


 霧にまかれてバイアクヘーを見失った老人に、空から言葉だけが降ってきた。

「ウィップと呼べよ、船長キャプテン


(完)



キングスポート編はこれで完結です。

久しぶりに夜鷹を書いたので、以前とキャラ変わってないかと心配しましたが皆さまの応援やコメントのおかげで完走できました。ありがとうございます。

万人受けしないテーマ、作者の力量不足のため一部の方にしか刺さらないのが口惜しいですが、楽しんでいただける方がいることは幸せなことです。重ねてありがたや。


夜鷹がいずれかの時代、どこかの町に降り立った際にはまたお読みいただきたく、よろしくお願い申し上げます。

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仮面の夜鷹の邪神事件簿 毒島伊豆守 @busuizu

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