第21話 キングスポートに霧は煙る(17)

 トゥルーメタルの仮面が夜鷹にもたらす恩恵は魔力だけではない。

 彼を物質世界のことわりから解き放ち、あらゆる時間・空間と交接することを可能とさせる。

 別の歴史をたどった宇宙や異次元生体ミ=ゴの世界、そして窮極の混沌アザトースの宮廷にさえも辿り着ける無限へのパスポート。

 禁断の知識を有する魔術師や賢者たちなら気づくかもしれない。

 トゥルーメタルのその力は、全時空にあまねくつながっているヨグ・ソトースの在り方と同じであると。



 強き力が心身に満ちる高揚にふけるいとまはなかった。

 アザトースの従者はトゥルーメタルを主人に献上するにあたり、夜鷹を連れ去るかもしれない。


 通常、卑小な地球生物はアザトースの宮廷のある次元に連行された場合、脆弱な精神・肉体が耐え切れずに瞬時に消滅する。

 しかし、夜鷹はトゥルーメタルの権能があるために精神・肉体を維持した状態で混沌の玉座に君臨するアザトースに拝謁できるだろう。


 。アザトースの狂気の触手にからめとられた瞬間、夜鷹の自我は滅びる。

 そのあとは主の気まぐれ次第で、永劫に奉仕し続ける従者にされるか、無価値なオブジェとして粘液にまみれた宮廷の床に転がされる運命をたどる。

 外なる神アウターゴッズの窮極と夜鷹の間には絶対的な実力差がある。少なくとも今は。


 よって、フルート奏者と緑炎の踊り手に不覚をとってはいけない。関わりをもってはいけない。ではどうすればいいか。


 最善の策はこの場を早急に離脱すること。

 黒い水面に身を投じてキングスポート湾に出たら、間髪入れずにバイアクヘーを召喚してヒヤデス星団の惑星セラエノへ逃げ込む。

 少しほとぼりをさまして戻ってくればいい。

 

 もちろん、セラエノへ行くのは自分ひとりだ。

 

 地下から町を支配するものへの恐怖に打ち克ち、危地へ駆け付けた老人。

 喰屍鬼に憑りつかれたがゆえに画壇から追放されかけている流浪の画家。

 穢れた血統がもたらす力で単身海に逃亡できたにも関わらず踏みとどまった水棲人。

 捨て駒だ。

 トゥルーメタルの確保そして自身の安全が最優先。

 天秤にかけてもこいつらの命を載せた皿は軽い。 

 はじめからそのプラン。


 最善の策に敢えて意見する者がいる。

 先ほどまでの自分―――人間パワード・ラヴクラッシュが仮面の夜鷹に伝える。

 最善の逃亡より最高の酔狂はどうだ?

 お前おれの気が済むようにやれよ、と。

 そうだな、と返した。

 

「さあ、幕引きとしよう」


 振り返ると黄色い目の老人が力負けして粘つく地面に打ち倒されたところだった。


 6体分の襤褸外套の蟲が再構築され、巻き毛画家を芯とした者と髭面を芯とした2体になって元の3倍近い巨躯となっている。頭頂にあたる部分が地下広場の天井に着きそうだ。


 迷いを一蹴した夜鷹の闘志は蟲巨人(巻き毛)に叩き込まれる。

 右サイドに回り込むや自らの体を横にして両脚をしならせて飛びつく。

 左脚は腹に巻きつけ、右脚は膝裏にビシッと鞭打つが如く。

 夜鷹はそのまま蟲巨人(巻き毛)が前方に倒れるように身をひねると、その意図通りになった。蟹鋏かにばさみと呼ばれる技である。


 蟲巨人の顔のあたりを構成していた群れパーツがざわざわと左右に広がり、その下から巻き毛の画家の顔が覗いた。整っていた容貌はすでに溶解し、白い画布に薄めたピンクの絵の具をぶちまけたようだ。

 正気の者が見たら生涯のトラウマになりかねないものであったが、幸いなことにこの場に正気の者はいない。


 倒れた老人に肩を貸して立たせたピックマンが

「その色表現はグロテスクでいい!」

 と叫ぶ。


 ガボガガガボガ

 ピンクのシミが異音を発した後、チューニングが済んだのか「我々にお前の技がきくわけがない」と聞き取れる言葉が漏れ出る。

 蟲の言う通り、人型をとってはいるものの、骨も関節も筋もない蟲巨人に人体のつくりを利用した技がかかるとは。


 答えはシンプルであった。

「これがニッポンのバリツだ」


 バリツに打てぬものなし

 バリツにめられぬものなし

 バリツに投げられぬものなし



 海から岸辺にあがってきた別の蟲たちが髭面画家の死体を芯に再構築されていく。

 インスマス人ギルマンが水中で奮戦したらしく、こちらの蟲巨人(髭面)は巻き毛に比べていくらか小さい。

 黒い海面にいくつもの白い蟲の死骸が浮き、打ちつける波にのまれていく。

 それを割ってギルマンが岸辺にあがってきた。

 夜鷹の姿を見たそのギョロ目が限界まで見開かれた。

 ラヴクラッシュがイエローサインの一員なのは老人のセリフから理解していたが、まさか仮面の夜鷹ことウィップアーウィルだとは、と慄く。


「勇気あるギルマンの末裔に感謝しよう。たとえクトゥルーの末端相手でも俺は約束をたがえはしない。あとは任せろ」


「し、信じるぞ...ハスターの使徒さんよ」

 

 ギルマンは水掻きのある大足をベチャベチャと踏み鳴らしてピックマンたちと合流したが

「君の姿、喰屍鬼グールとは別の刺激的な姿だね。今度モデルになってくれないか」

 と言われ閉口した。


 蟲巨人(髭面)が蟲巨人(巻き毛)の横に並ぶ。こちらも顔部分をオープンし、溶けかけた髭がべったりと貼りついた醜悪な拡声器を使って夜鷹に問う。


 「フルートが聞こえているだろう。力を取り戻そうが再び封じられるはずだ」

 魔力を吸い取るフルートの音色は今も地下広場中に届いている。


「聞こえないか?」


 愉悦の響きこもる夜鷹の問いかけ。


 蟲巨人を構成する数百の蟲は繊毛で音、つまり空気の振動を感知しているが、フルートの振動に『異物』が混じっていることに気づいた。

 秒ごとにその異物はフルートの振動と等しく大きくなり―――ついには異物の振動しか感知できなくなった。


「外なる神のフルートをかき消す振動は何か」


 蟲巨人たちはフルートを吹き続けている黒い影を確認し、未知の音の出どころを探そうと体を動かす。


 黄色い目の老人、ピックマンそしてギルマンは蟲巨人の言葉の意味をはかりかねて怪訝な表情を浮かべている。

 仕方のないことである。彼らには聞こえないのだから。


 滅びゆく者にしか聞こえない。


「キングスポートの古き住人ども、夜鷹ウィップアーウィルの鳴き声が聞こえたな」


 滅びの運命をもたらすは凶兆と同じ名を冠する男。


(続く)



完結と言っておきながら完結しませんでした。すみません。

ラストまで一気に書いたら文字数がとんでもないことになったもので。

次回は本当に完結です。応援よろしくお願いします。


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