第21話 キングスポートに霧は煙る(16)
快速船は地下広場の岩岸にぶつからないよう器用に回頭した。
いつでも海に脱出できる態勢をとった見事な操船である。
「腕前は錆びついていないようだな、
黄色い目の老人は「よっこいしょ」と甲板から岸辺に飛び降りる。
歩行に杖を必要とする老体にもかかわらず、足をくじくことなく着地するあたり、彼も只者ではない。
進路をはばもうとする蟲人間たちを杖で打ち据え、「気色悪い虫けらどもが」と一喝。
老人の杖が魔力を秘めたアーティファクトであることを知れば、蟲に物理ダメージが通るのは道理。
「た、助けて! 船に乗せて!」
駆け寄ってきた巻き毛画家のむこうずねに杖の一撃をくらわすや、老人は歯をむき出して
「お前みてえに怯懦な役立たたず、カビの生えたビスケットより価値がねえ」
と罵倒した。
黄色い目の視線はラヴクラッシュに向けられる。
「ホテルのボーイがあんたの指示だって押しかけてきてよ。老体に鞭打って駆けつけてみりゃ、あんたはとんでもないのを相手にしとる。こっちはもう少し長生きしたいんだがね」
「チップをはずんだ分、あのボーイはいい仕事をした」
「あんた手際がよすぎるぜ。この船の手配といい、侵入口の情報といい」
小型船はラヴクラッシュが外洋から町を出ようとしてチャーターしていたもので、結果は失敗だったが、いつでも出船できるようにはしてあった。
東インド会社の旗は老人が自分で掲げたらしい。
この地下祭祀場の海側の侵入口も、カヌーで海岸線をつたって町のはずれにあるミスカトニック河の河口沿いに脱出を試みた際に発見したものである。
「無様にあがくのも無駄ではないな」
「へっ、転んでもただじゃ起きんところは見習いたいね」
「オーン婆さんの家から戻った時になぜ家にいなかった?」
問いただされた老人は体をぶるっと震わせた。
「あんたっ、『どこへ逃げてもハスターは常に頭上にいる』とかおっかねえ書き置きしていきやがって」
「
「馬鹿を言え。同志を見捨てるものかよ。あんたから感謝の言葉を引き出すための儀式をするんで森へ行ってただけだ」
老人が顎で指示した先では6体の蟲人間と、カットラスを手にした男たちが戦闘を開始していた。
男たちは全員1世紀ほど昔の船乗り衣装に身を固め、不敵な笑みを浮かべて得物を繰り出す。
蟲の弾力ある体表は物理攻撃を大きく減衰させる。
バリツの蹴りをも弾き返す防御力の蟲人間にカットラスで立ち向かうのは無謀―――否。
刃に魔力を帯びていれば、弾性抵抗を無効化できる。
男たちの斬撃は弾力を無視して腕を落とし、力強い刺突は体を貫通する。
「魔術斬撃か」
「そう。血塗られた刀を振るうはロング・トム、スパニッシュ・ジョー、ピーターズ、スカーフェイス、メイト・エリス。わたしの優秀な船員たちだ」
老人が日夜語り掛けていた小さな鉛を糸で吊るした6本の瓶。それらに封じられていた船員の霊魂が儀式によって一夜のかりそめの生を与えられたのだ。
「よ、よみがえった死霊がおぞましい蟲人間と格闘! これはたまらない一幕です。すべてを目にやきつけておかねばっ」
陶然としたピックマンの視線が注がれる。
アザトースの従者が吹くフルートの音色が再び一同の耳に届く。
その瞬間、優勢に戦いを進めていた6人の船乗りが一斉に苦しみ出し、その体が透き通っていく。
仮面の夜鷹の魔力を封じたフルートは、今度は老人の死霊秘術をかき消しつつある。
「まずいぞ。蟲が再び合体する」
その姿を表現するのも厭わしい苔や菌糸にまみれた地面に四散した蟲たちがゾゾゾゾと人体を形成していく。
「なんて美しい再生のシーンなんだ」
グロテスクな美意識のとりこになったピックマンの横で鷲鼻の画家が動いた。
勘のいい彼はこの場を支配するのは蟲人間ではなくフルート奏者だとにらみ、ラヴクラッシュから託された火炎瓶を投擲した。
それは黒い不明瞭な影に命中したが、地面の菌糸類を燃やすだけでフルートは鳴りやまない。
蟲人間をいくら攻撃しようが我関せずをつらぬいていた緑色の炎が鷲鼻の背後から噴き上がり、一瞬でその全身を消し炭に変えた。
「か、神に手を出すことは不敬...」
と、ピックマンが口にしたことははからずも神々の代弁であった。
弱小きわまりない小動物が
「おい、奥の手があったら今すぐに出せ」
ラヴクラッシュの命令に対して老人は首を横に振る。
「アハハハハハハハ。僕は生きるよ。どんな姿になってもね」
ついに正気を喪失した巻き毛は自ら蟲の塊に飛び込んでいく。
蟲たちはそれを歓迎し、繊毛をうごめかして若き画家を新たな芯に合体する。
「君の変身願望は否定しないが蟲とは趣味が悪い。なるなら
この事態になって、発言内容はさておき精神は安定しているピックマンを一瞥し、老人は
「イエローサインに入れてもやっていけそうだな」
とつぶやいた。
ラヴクラッシュは祈祷壇に向かった。どんな状況に陥ってもトゥルーメタルの確保は彼にとって最優先事項だ。
蟲人間が彼の進路を阻む。
黄色い目の老人に援護を頼もうとしたが、老人は巻き毛を芯にした蟲人間とやりあっていてこちらまで手がまわらない。
短刀を振り回して船に逃げ込もうとした髭面がもう別の蟲人間に飲み込まれる。末期に手放した短刀は湿った地面に突き立つ形で残された。
「トゥルーメタルさえあれば!」
さっさと逃げられるのに、という意味のつぶやきだろうか。
「なあ、それがあればなんとかなるのか?」
ギョロ目が背後に立っていた。
体格にあわない大きな靴を脱ぎ捨て、シャツもむしりとった半裸の姿で。
首筋のエラ、肥大化した足には水掻き膜。
「どこの町にいてもおかしくないか、お前たちは」
ギョロ目が呪われた異種混血の町インスマスの住人―――水棲人のなりかけであることは今や明白であった。
それを見抜けなかったのはラヴクラッシュの魔力が封じられていること、ギョロ目が土地に巧妙に溶け込んでいたこと、その両方が理由だろう。
「死んだおふくろはキングスポートの出、親父はインスマスのギルマン家の
ギルマン家。
インスマスでマーシュ家と並ぶ忌まわしき血統。
「俺が時間を稼いでやる。その代わり俺を殺さないと約束しろ」
「インスマス人と俺が取引すると思うか?」
「しなくちゃあんたはここで終わりだぜ!」
ギルマンを名乗るインスマス人は蟲人間にぶつかっていった。うじゅうじゅと蟲がギルマンの体にまとわりついていく。
ギルマンは力を緩めずにそのまま蟲人間もろとも岸から黒い水の中に落ちた。
「水中なら有利か」
ラヴクラッシュは祈祷壇の上に置かれていた
闇よりも黒く、白銀よりも輝く。まばたきするたびに光彩が変化するそれ。
ラヴクラッシュは延べ棒のひとつをつまむと、自身の両目を隠すようにあてる。
手を離すと延べ棒は顔の上部を覆う仮面に変じていた。
身体の隅々まで新たな魔力がいきわたっていく。
緑の炎が乱舞し、奇怪なフルートの音色が響く混沌の舞台の袖で最後の演者が
登場する。
仮面の夜鷹ことウィップアーウィル。
「さあ、幕引きとしよう」
(続く)
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