第21話 キングスポートに霧は煙る(15)

 「おぞましい。おぞましいのに興奮がおさえきれない!」


 高揚したピックマンの声を無視してラヴクラッシュは蟲人間の前に立ちはだかる。

 蟲人間は厄介だが、外なる神の従者相手より攻略の可能性があるはず。

 鷲鼻に「火炎瓶の作り方はわかるな」とウイスキー瓶を渡す。


 蟲人間は石板を放ってよこした。奴とのコミュニケーションツール。


『この老いた生き物は今我々と少しずつ一体化する快感に悦んでいる』


「貴様らにプレゼントするために連れてきたのではなかったのだが」


『今夜は満腹だ。お前たちは外なる神に捧げることにしよう。お前の間抜けな仲間から盗んだ金属とともに』


「トゥルーメタルはここにあるのだな。それはよいことを聞いた。あれはお前ら蟲風情には過ぎたレアものだ」


『我々には扱いきれない。知っている。無窮の王アザトースなら何かに用立てることができよう。興趣をそそられず、混沌の宮廷に投げ捨てられて終わりかもしれないがそれはアザトースの決めること』


「決める? そいつは知性の欠片もない存在だと聞いたことがあるんだが、物事を決めることなどできないだろう。物の価値のわからん輩に譲るつもりはない」


『大口を叩くのはそこまでだ。町の、いやアザトースの従者の笛の音に力を封じられたお前のつまらぬ伝説は今宵消えるのだ。ウィップアーウィル』


 ラヴクラッシュは蟲人間にとびかかった。

 しかし、バリツの飛び蹴りはゼリーのような弾力に弾かれてしまう。


 うじゅるうじゅるした白い汚物に覆われた両腕が伸びてくるところをスウェイ。鷲鼻が投げたテレビン油の瓶を足で器用に拾い上げて今度こそぶちまける。


 蟲人間を形成していた蟲たちは即座に芯にしていた老画家の残骸から離れ、四方八方への離散をはかる。

 人体の芯があった方が動きやすい利点があるが、別にそうでなくとも襤褸外套の時のように合体はできる。一度広場中に離散して十分な距離をとってから再度集まる目論見だろう。


「逃すものか」


 ラヴクラッシュは片腕をぐるんと振るって巻き付けていた投網を拡げると、蟲が散開する前にその上にたたきつけた。


 網から逃れられたのは2、3匹。蟲のほとんどが油臭い網の覆いにからめとられる。

 油臭い?


 ラヴクラッシュは5本同時に摺ったマッチ棒をパラパラと網の上にばらまく。


 広場を支配する異界の緑炎に対抗するかのように赤い炎が花開く。


 蟲の焦げる臭いに再び巻き毛が嘔吐する。


 拾い上げた鷲鼻のテレビン油は蟲人間へのブラフ。

 白髪頭の老画家が逃げた時に回収した油瓶の中身をあらかじめ網に塗布しておいた。こちらが本命。

 

「イチモウダジン。バリツを生んだニッポンの言葉だ」


『我々を倒したつもりか。町に我々の同胞はまだまだいるぞ』


「家ごと燃やしてやるから住所を教えろ。ノースストリートか、ターナーストリートか。車で町を回っていた時に怪しい家があったのはグリーン・レーンだったか」


 返事が書かれる前に振り下ろした靴底の下で石板が砕けた。

 

 残った3匹の蟲はギョロ目画家が大きな靴でブチブチと踏みつぶしていた。なかなかの度胸と脚力と言えるだろう。


「うぬぼれでおしゃべりな蟲のおかげでトゥルーメタルがここにあることはわかったが......」


 フルート奏者と緑炎の踊り手。異界の宮廷の従者たちをどうにかしないといけない。

 

 フルート奏者とラヴクラッシュからちょうど同じ距離、三角形を形成する3つ目の頂点にあたる場所に滑らかな祈祷壇がある。

 そこに敷かれた赤いベルベット地の敷物の上に黒い延べ棒インゴットが十数枚重ねられているのを視認。


「諸君、生きてここを出たいなら全速であの壇まで走れ。そのあと、海に飛び込む」


 ラヴクラッシュに次々と続く画家たち。巻き毛の青年画家も懸命に足を動かす。


 正常な判断を乱そうとするフルートの音色を振り切り、理性を舐めとる緑の炎をかいくぐる。


 あと少しで祈祷壇に到達する―――しかし、古き結社も甘くはない。


 祈祷壇の後ろからあの擦過音がして、新たな襤褸外套がむくむくと立ち上がった。

 トゥルーメタルを守るように壇の前に移動してくる。


「ひぃっ」


 巻き毛が情けない声をあげる。


「旦那、あれを見てください」


 鷲鼻が指さしている海に通じる岸辺から立ち上がる4体の襤褸外套を確認。


 髭面が短刀を構えるものの、その全身はぶるぶると震えている。戦力として数えていいものか。むしろ徒手空拳のギョロ目のほうが戦意旺盛で頼もしい。


 なんとかトゥルーメタルを奪取して自分だけでも海に逃げるか。芸術家達の命は何秒くらい時間をかせいでくれるだろうか?


 思いを巡らせていた彼の肩をピックマンがつつく。


「ラヴクラッシュさん、この1920年代ゴールデンエイジに海賊船とは面白いですよ!」


 黒い波を砕きつつ岸辺に迫る小型快速船。


「あの旗は東インド会社だな...」


 ピックマンは海賊船と言ったが、船上にはためく旗は大英帝国公認の東インド会社のもの。つまり高貴なならず者ノーブルサベッジ


「やっぱり海賊じゃないですか」

 

 そのとおりだ。


 想定外の乱入者に襤褸外套たちが動きを止めて見入っている中、船の舳先に立つ影が緑色の炎に照らし出された。


「間に合いましたぜ。黄色の印の兄弟団イエローサイン同志」


 黄色い目の老人はラム酒でやけた喉から力強く言い放つのだった。




(続く)


 次回でキングスポート編は終局です。たぶん。

 仮面の夜鷹を最後までお見逃しなく。



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