第21話 キングスポートに霧は煙る(14)
粘ついた地面に滑らないよう気をつけながら一行は横穴を進む。
恐怖に震えて歩みが遅くなる者には「蟲に追いつかれるぞ」の一言が効いた。
ピックマンが掲げるランタンの光を岩盤が冷たく跳ね返す。
前方から吹いてくる微風が顔を撫で始め、怪しい緑色の光が見えてくる。
「これから見る光景はきっと諸君の芸術家魂に想像できなかったパッションを与えてくれるだろう。確実に風景画家には不必要なパッションだがね」
ようやくキングスポートの胎内の奥にたどり着いたのだ。
苔や菌糸めいた気味の悪いものにべったりと覆われた岩の地面が広く続く空間であった。
波が押し寄せはじける音が奥の方から聞こえる。キングスポート近隣の海につながっているのだろう。
画家たちが自身の画才を駆使して一所懸命に表現してきた紺碧の
ランタンや懐中電灯の光が届かないほど広い―――100人以上が窮屈な思いをせずに集まることができそうだ―――そこは
光が届かない広場の奥まで見通せたのは、緑色の光が広場全体を照らしていたからである。
光源は地底に穿たれた亀裂から激しく噴き上がる緑色の炎。
キリスト教徒たちは自分たちの足元よりさらに底にある煉獄で罪人を焼く罰の炎が漏れ出てきたと畏怖を感じる。
緑色で彩られた煉獄を描いた宗教画家は皆無。人間の想像の外側の緑炎。
広場のあちこちに現れた緑の火柱は、見上げるばかりの高さと大人が両手を広げたくらいの横幅がありながら、空間に熱を放たない。
「直視するな! 理性をもっていかれるぞ」
ラヴクラッシュの警告に一同は視線を外した。
目を瞑っても緑色の光は瞼を通りぬけて、チリチリと彼らの意識を外郭から焦がしていく。
ただそこに在るだけで強烈な精神攻撃を与えてくる緑の炎。
「あああーーーっ」
正気の維持に失敗した白髪頭の画家が画材鞄を投げ捨てた。今来た方向―――横穴へ走り出した。
「戻れ。無駄死には許さん」
制止を振り切り、白髪頭は緑色の支配する広場から消えていく。
コマをひとつ失ったラヴクラッシュは白髪頭が置いていったテレビン油の瓶を拾った。炎の神性相手に通じるとは思えないが。
フルートの音が聞こえてくる。音程もリズムも「わざとはずしているのか」と思わせる不快な空気振動。一同の精神汚染がより加速する。
フルートにあわせて、緑色の炎がうねくって鎌首をもたげる。
めちゃくちゃな演奏に『あわせる』の表現は適切ではないが、異界のしらべは異界の乱舞と調和している。こちら側に理解できないだけで。
フルートを奏でているのはぼんやりとした黒い影の塊。
ラヴクラッシュは自分が相手にしている神性の正体を確信した。
「アザトース宮廷の音楽家と踊り子がお出ましか。とんだ観光地だな」
アザトース。
この宇宙の外側の条理、つまり不条理に満ちた最果ての宮廷に君臨する『考えることのない者』。
その宮廷に
フルート奏者は前者、緑の炎は後者。
ただの下僕ではない。これらはクトゥルーやツァトゥグァといった高度な宇宙生体とは一線を画する存在であり、物理攻撃を無効化する分、厄介な敵対者と言えた。
夜鷹はこれまで
アザトースとなると全くこちら側のことを意識しないため、意思疎通は困難で駆け引きは不可能である。
従者も同様である。面倒この上ない。
そして、今またひとつの困難が。
無数の擦過音が後方から近づく。
襤褸外套の中身、白い蟲どもが到着したのだ。
「うばああああああっ」
うじゅうじゅと蠢く白い絨毯の上で手足を広げて仰臥しているのは白髪頭の老画家。完全に理性を喪失して奇声を発する拡声器と化している。
口汚い言葉で罵った鷲鼻の画家は白い蟲どもにテレビン油の瓶を投げつけるが、瓶
は柔軟性に富んだ蟲の体表にバウンドして転がるだけだった。
蟲は繊毛のような脚を小刻みに動かして白髪頭の体にまとわりついて、あっという間にすべてを覆いつくしてしまった。
ゆっくりと立ち上がる老画家、いや蟲人間。
頭部、四肢と人間の特徴を残しているのに、それが蠕動する無数の蟲の意志によって動かされている。悪質すぎる冗談だ。
巻き毛の画家が耐え切れずその場で嘔吐する。整った顔が嫌悪にゆがむ。
二柱の神性と蟲人間に前後を挟まれ、キングスポートの闇の力に恐怖する一行であった。
(続く)
もうちょっとだけ続くんじゃ。
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キングスポート編の後は日本編を企画中です。
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