第21話 キングスポートに霧は煙る(13)

「古い墓地の空気はわたしの心身を活性化させてくれた。ああ、いい夜だ」


 尋常ならざる世界に魅入られた画家リチャード・アプトン・ピックマンは力強く教会の扉を押し開いた。

 あいつまた妙なこと言ってやがるぜ、と背後の6人の誰かが気味悪そうに呟く。

 

「諸君、ここからしばしキリスト教徒であることを忘れて己の芸術にのみ従おう。神聖冒涜が20年代ゴールデンエイジの新潮流になるかもしれないぞ」


 いかに魔力を封じられようとその口上は芸術家達を魅了するに十分。

 熱狂と酒に膨らんだ血管をごうごうと流れる血は一夜の狼藉を求めている。


 キリスト教が民や国土を支配するために仕立てた『悪魔』という便利な設定は成立2000年に満たない歴史の新参者であるが、もし肉体を有して現れたとすればラヴクラッシュがそれと映るかもしれない。

 もっとも彼や彼をとりまく神性たちは人類誕生以前から戦いと眠りの時を閲しており、の概念で縛ろうとすることをあざ笑うのであろうが。


 内部に満ちるかび臭い空気を攪拌しながらズカズカと入り込む一同。

 深夜の聖堂は月明りすら入らない闇の世界。ピックマンのランタンに加え、各人に渡された懐中電灯が光線を説教壇のある奥へ突き刺す。


「こんな真っ暗じゃ壁画は描けねえな」

「長居してたら肺ん中にかびが繁殖しちまわあ」

「根腐れした教会ったってぶっ壊すには手に余るよ」

 パーティでそそのかされてその気になったものの、いざ現地に来てみたら無謀な試みだったと思い始めた哀れな判断力の芸術家たち。誰かが座席を蹴っ飛ばした。


 ラヴクラッシュは辺りを警戒しながら歩き回り、聖堂内部のかび臭さが均等ではなく、説教壇の方からの流れてくるのを感知した。


「きみ」


 ひとりを呼び寄せると、

「当然テレビン油は持ってるね。よし。葉巻も拝借」

 画材鞄から出された瓶を受け取り、髭に覆われた口から葉巻を引っ剥がす。

 テレビン油は松脂を精製したもので絵の具の薄め液として油絵には欠かせない。

 後世ロケット燃料にも用いられるこの精油、燃える。 


 説教壇にかけられていた布に瓶の中身を振りかけ、その表面を葉巻でひと撫で。

 視界がより明瞭となった。


「心配するな。本気で放火したわけじゃない。これは明かり。そしてだ」


 と、葉巻を口に挿してやる。

 画家の顔はやや引きつっていたが、下から炎に照らされたラヴクラッシュの微笑にコクコクとうなずきを繰り返す。

 金持ちの道楽じゃねえ。何かやばいことが起きる。しかし...この旦那から逃げるのはもっとやばい。


「諸君ここに地下室への階段がある。この教会の奥の院には何があるんだろうね」


 ラヴクラッシュの手招きに逆らう者はいなかった。本能は危険を訴えているだろうが、芸術家達の好奇心はしっかりと握っている。

 一人ピックマンだけは心からの興奮を隠せない様子であった。


「君たちが日々題材にしているキングスポートの本当のかおが拝めるかもしれないぞ。階段を踏み外すなよ」


 そのとき、度の強い眼鏡をかけた中年の画家が額にびっしりと汗を浮かべて話しかけてきた。


「だ、旦那もうここまででいいんじゃないですか。俺は探検家じゃねえんで地下にお宝があるかもっておとぎ話にゃつきあって―――」


 彼はピックマン以外の6人の中で最も精神力の強い男だ。ラヴクラッシュの暗示になんとか抵抗できたのだから。男に家族がいたら誇りに思って良い。


 キイイ 


 教会の入口にたたずむのはフードを目深にかぶった襤褸外套姿。


「今からきわめて暴力的な挨拶に伺おうと思っていたところだ」


 ラヴクラッシュは不敵に宣言する。

 そして、撤収を申し出た眼鏡の画家に


「お帰りはあちらから」


 と襤褸外套のいる方を手で示した。


「誰ですか、あれは」


「残念だが私も彼、彼女かな? 名前を知らないんだ。さあ、行きたまえ」


 背中をドンと押しやった。その背中にはさきほどのテレビン油の残りがふりかけられていた。いつの間に!?


「すまん。今度は返せん」


 髭面の画家の口から再度葉巻をもぎ取り、ピンと指ではじいた。

 それは矢のように眼鏡の画家の背中に命中した。


 ボゥッ


 転げるように入口に向かって近づいた眼鏡の画家は火炎の柱を背負った。


「ウァァァァァーッ」


 画家はその特徴であった眼鏡を落とすのも構わず、両手をバタバタさせて上半身に燃え広がる火を消そうと回転する。その前には襤褸外套。


 画家の命は襤褸外套への先制攻撃のために消費された。

 残念ながらたいした効果はあげられなかったが。


 それというのも自分に向かって走ってくる人型の火にぶつかる前に襤褸外套はくたくたと床に這いつくばったからだ。


 ラヴクラッシュは見た。ピックマンも見た。残り5人の芸術家は見られたかどうか。


 襤褸外套のすそから無数の白い蟲が教会の床に散らばるのを。

 炎熱画家の体に触れてしまい数匹の蟲が煙をあげて逝ったが、ごくごく少数。

 襤褸外套を動かしていた蟲のほとんどは歩兵連隊のようにこちらへ這い寄ってくる。


「蟲使いにあらず。蟲そのものが本体とはな」


「これはなんという瀆神的で心躍る題材テーマでしょうっ」


「生き残ったら好きなだけ描け。いくぞ」


 ピックマンの腕をひいて説教壇後ろの地下階段へ身を滑り込ませる。

 5人の芸術家も選択肢を失ってついてくる。


「諸君、自衛にテレビン油は出しておけよ。火は一応効くみたいだからな」


 ラヴクラッシュは自身の防水鞄の中にウイスキー瓶が2本入っているのを思い出した。パーティで余ったものだ。

 

「ジャケットをよこしたまえ」


 手を伸ばした先にいたばかりに不幸な鷲鼻の芸術家は綿シャツ1枚になってしまった。


 ウイスキーをたっぷり飲まされた安物のジャケットは彼らが駆け下りた後ろ、説教壇に近いところに投げられた。

 今度は火のついたマッチがジャケットを追い、階段を遮る火の壁を作る。


「時間稼ぎになる」


 教会からキングスポートの地下に通じる竪穴を降りきると、そこからは横穴がぽっかりと口を開けている。


 教会内部のかび臭さがマシと思える墓土の腐臭、岩壁をつたう水の湿気、そして穴の奥から漂ってくる潮の臭い。


「ここがキングスポートの下だってのかよ...」


 鷲鼻が驚嘆してあたりを観察する。こういうところは職業気質が出ている。


「こんなひどい目に遭うなんて聞いてないですよ。どう責任をとるつもりで」


 巻き毛の青年―――整った顔立ちは画家よりモデルになった方がいい―――の抗議は冷たい一瞥によって遮られた。


 髭面は南欧系の移民仲間から買った短刀を握って誰からも距離をとっている。


 亡くなった母がキングスポート出身だと語っていたギョロ目の男は比較的冷静な様子で大きめの靴の紐を結びなおしている。


 最年長と思しき白髪頭の老画家は湿った地面に腰をおろしてぜえぜえと息を吐いていたが、気分の悪くなる空気を吸い過ぎてご馳走をもどした。

 

「素晴らしいぞ、霊感が傑作を保証してくれているっ」

 ピックマンは骨ばった頬をいくらか紅潮させてスケッチブックに鉛筆をはしらせるのに夢中。


 この6つの命をうまく使って横穴の向こうにある古き結社と渡り合わねばならない。

 使い捨てるタイミングは油断なく状況を見極めて。

 眼鏡画家の使いどころは及第点を出してもいいだろう。予備知識なくあの襤褸外套と対決していたらどうなっていたかわからなかった。


「諸君。もう引き返せないのはおわかりだろう。助かるには進むしかない。おっと髭面君、今私を刺しても状況は好転しないよ。その短刀はこの先にある危機に使った方が賢明だ」


 鷲鼻とギョロ目は状況を切り抜ける覚悟がある。

 髭面の殺意は使える。短刀が神性に役立つと思えないが。

 巻き毛と白髪頭は早めに消費するコマでいい。

 ピックマンは―――この状況を喜んでるな。異常者。


 ラヴクラッシュは防水鞄から目の細かい投網を取り出すと片腕に巻き付けた。

 黄色い目の老人の家から持ってきたのだ。使い道は臨機応変。


「潮の臭いがする方へ行けば海があるはずだ。ところでこの中で ball of lead泳げない鉛玉はいないだろうね」


(続く)


 敵陣突入してクライマックスパートです。

 ショゴスマントもバイアクヘーも魔術もないラヴクラッシュさんに勝機があるかやってみないとわかりません。

 探索者は生き残れば勝ちですからね。


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