第九幕 可笑しな道場破り(中編)

 十年前に息子が帝都に出稼ぎに言った道場は、すぐに見つかった。とは言っても、見つけたのは警察の力を使った因藤さんだが。

 看板にあるのは桂流館けいりゅうかん道場。瀧ノ巻では一番古くからあると言われる、由緒正しい剣術道場らしい。立派な門構えに広い敷地、門下生は帯刀することを制限されたこの時代にあって百人を越えるとか。

 俺は劇団から姿を消した看板役者の柳楽井ヤタゴを探して、彼の実家だと思われる道場へ向かった。案内をしてくれた因藤さんとともに、とりあえず門下生を稽古していた師範代に挨拶をしていた。

 だが、そこで俺たちは奇妙な事態に出くわしてしまう。

「オレが勝った暁には、この道場の看板をもらおう!」

 道場破りが現れたのだ。

 道場に道場破りが現れただけなら、珍しくはあれど奇妙ではない。それでもこれが奇妙な事態に思えるのは、そいつの恰好がとびっきり奇妙だったからだ。

 まず目に飛び込んでくるのは、下品にちらちらと煌く夜会用の仮面だ。目だけを覆う形の派手な赤で、真昼間からこんなものをつけて現れただけでも相当間抜けな様相なのに、着ているものが普通の胴着。何を思ってこんな組み合わせを良しとしたのか、堂々とふんぞり返る姿はむしろ尊敬に値するかもしれない。

 あまりにも奇天烈な男の出現に、さっきまで丁寧な挨拶を返してくれてた師範代や門下生は呆気にとられ、事態を理解して騒ぎ出すのに三十秒はかかっていた。

 ちなみに俺たちは、さりげなく皆の視界から離れ相談を始めた。

「親友よ、この状況をどう思う?」

「とりあえず、あの変な人の声に聞き覚えがあるかな」

「ほう、それはどこだ?」

「……声の張り方が、いかにも玄人っぽいなと」

「なるほどなあ」

 声の質や背格好から柳楽井ヤタゴでほぼ間違いないだろう。そうじゃなかったら、なんてややこしい時に来たんだとあの変人に怒鳴ってやる。

「慌てるでない、焦るでない! 何も今すぐ手合わせしようなどと思っておらん!」

 相談の結果、俺たちは様子を見守ることにした。

「なるほど、今日は挨拶に来たと言うことか」

 道場の奥から、髭を蓄えた老齢の男性が現れた。

 この道場の当主だろうか。

「そうだ! 三日後の七月二八日の正午、再び会い見えよう!」

「……試合の形式はどうするのだ?」

「看板を賭けて一対一の一本勝負と行こうか!」

 仮面の変人に対し、老人は髭を数回撫でてから首を横に振った。

「……認められぬな。たかだか一度きりの勝負に賭けられるほど、桂流館道場の看板は軽くない」

「なんだと、御当主殿は逃げるのか!」

「貴様こそ、道場の者をすべて打ち倒そうとする気概もないのか!」

 当主が言っていることはもっともだ。わざわざ道場破りの我儘に付き合う義理なんてなく、本来なら道場側に勝負の条件を決めさせるべきものだろう。

 だが、ここで事態が一変する。

「そう言えば、君たちはなんの目的で来たんだい?」

 騒ぎの中にいたはずの師範代が、いつの間にかこちらに来ていた。

「……まあ、用事はすんだっうのかなあ」

「そうなのかい?」

 そう言って師範代は道場破りの方を見て、俺たちもつられて視線を移した。

 すると、道場破りと目が合った。

「まさか、君たちは道場破りの仲間かっ!」

「は?」

 師範代が何故かおののいた。

「ハッハッハ! バレてしまったか!」

「え?」

 しかも道場破りが乗っかった!

「そうか、君たちは道場に密偵しに来たんだな!」

 師範代はすべて得心いったと俺たちを指さした。

 やばい、完全に勘違いなされている。

「いや、違いますから」

「そうだ、我はそんなことを頼んどらんぞ弟子どもよ! まったく先走りおって!」

「だから違うって!」

「だが我は責めんぞ! 大切な、たった二人の弟子だからな!」

 俺たちはいつお前の弟子になったんだ!

 そう叫んでやろうとしたら、急に因藤さんに口を塞がれた。

「すいません師匠! だけど俺たち、心配で!」

 因藤さん何を言い出してるの!

「弟子の存在を知られては仕方ない! こうなっては三対三の勝負だ!」

 さらに道場破りは、勢いのままにそう言ってのけてしまう。

 しかも奥へ引っ込もうとしていた当主は足を止めて振り返った。

「ほう、そうか」

 あ、この反応はやばい。

「まだまだ未熟な弟子どもではあるが、勝負もまともに受けられんほど軟弱な貴様らになんぞ遅れは取らん! こちらの全勝にて、桂流館の看板をもらおう!」

「……儂らをここまでコケにされたら、流石に無視もできんな。良かろう、お主の勝負を受けよう。ただし、こちらが全勝した暁には、その面妖な仮面をはずしてもらおうか」

「相わかった!」

 …………どうしてこうなった。


「一体何を考えているんだ因藤さん!」

 わき腹に一回肘を入れていから、前を歩く道場破りに聞こえないような声で文句を言った。

「あいつが親友の探している失踪中の役者ならな、話を合わせて一緒に行動した方が良いだろう」

「それはそうかもしれないけどっ」

 今は道場から三人そろって立ち去り、俺と因藤さんは道場破りの三歩後ろをついて行っているのだが、道場破りはあの仮面をつけたまま、黙って夕方前の人通りが多い街中を闊歩している。当然、奴は注目を集めまくっている。

 俺、あれの仲間だと思われたんだよなぁ……。

「すまねえな、君たちを巻き込んでしまった」

 人気のない河川敷まで来たところで、道場破りはようやく口を開いた。

 まあ、過ぎたことは仕方ない。気を取り直して、変な仮面の人と向き合った。

「実家に道場破りとは粋なことをしますね、柳楽井ヤタゴさん」

「……イハルが喋ったのか」

 鎌をかけてみたが、どうやら柳楽井さんで間違いないらしく、道場破りは仮面を外した。

 そこから見えた顔は、確かに写真通りの男だった。

「劇団の皆さんが心配しています。戻って来てはもらえませんか?」

「そもそも、君たちは誰なんだ?」

「俺は、三苅さんと水落さんに頼まれて貴方を探しに来た、館乃木ハヤキです」

「俺は、親友に協力してる因藤トウクだ」

「……そうか」

 水落さんの名前を出してしまったけど、大丈夫だろうか。これで戻った時、話に食い違いが出て何かこじれても責任は取れないけど……まあ良いや。たぶん、あんな言い方してたけど、水落さんも柳楽井さんのことを心配してるよ、うん。

「悪いが、戻るつもりはない」

 そうだろうな。

 ここで戻るんなら、最初から失踪なんてしない。

「それは、道場破りが終わるまで帰れないと言うことですか」

「違う。オレはもう、劇団には戻らない。公演期間中に突然辞めるような奴がまた戻ったところで、迷惑にしかならないだろ」

「ですけど」

「団長にも、劇団を辞めることを伝えてある」

「え?」

 そんな話、俺は聞いてないぞ?

「なあ、あんた」

 因藤さんがおもむろに口を開いた。

「なんだ?」

「道場破りはどうするつもりなんだ?」

「……ああ、君たちは心配いらない。適当に理由をつけて、オレ一人で勝負をする」

「勝てんのか?」

「勝つしかない」

「そもそも、勝負が流れることもあり得るぞ?」

「それでもやるさ。……やるしかないんだ」

 そう言った柳楽井さんの表情から、覚悟のようなものが容易に見て取れた。その意思はとても固そうで、今日始めて話をしたような俺では、劇団に戻るよう説得するなんてとても無理だ。劇団員の誰かにお願いしても、これでは意固地になられるのが関の山だろう。

「わかりました」

「そうか、なら劇団には」

「劇団に貴方が見つかったことは、まだ伝えないことにします」

 こうなったらもう、本当に仕方がない。

「そして、俺は貴方の道場破りに協力することにします」

 柳楽井さんは、驚いた表情を見せた。

「どういうつもりだ?」

「弟子だって言ったのは、貴方でしょう。もう二年近く離れてはいますが、刀の扱いには覚えがあります。数合わせくらいにはなると思いますよ」

「親友がそのつもりなら、俺も一つ手を貸してやるよ!」

 因藤さんも、声を挙げてくれた。

「なあ。最近ずっと協力してくれてるけど、仕事の方は大丈夫なのか?」

「おう、今は謹慎中だからな!」

「え? なんで?」

「ちょっとポカやらかしちまってな!」

「……本当に大丈夫なのか?」

 ほんの少し心配になるが、協力してくれるなら頼らせてもらう。

「言っておくが、説得するつもりなら無駄だぞ」

「それは、ことが終わってからでも良いでしょう。それよりも今は、貴方が俺たちの提案に頷くかどうかです」

 柳楽井さんは、警戒した様子を崩さない。

 だけど、すぐに断るようなことはしなかった。腕を組み、目を伏せしばらく考える素振りを見せて、一つ息を吐いた。

「わかった」

 柳楽井さんは、確かに頷いた。


「柳楽井さんのこと、因藤さんはどう思う?」

 桂流館に道場破りを仕掛けるまでの三日間、俺たちは河川敷に集まって稽古をする約束をし、その日は解散となった。

「ずいぶん真剣な様子だったなあ」

「うん。十年も身を置いていた劇団と袂を分かつ決心をするほど、真剣だった」

「そんな奴に、戻れと説得すんのか?」

「……どうなんだろう」

 俺は、柳楽井さんを説得するつもりなのだろうか。

 もちろん、できるなら柳楽井さんには劇団へ戻ってくれるよう、説得するつもりではいる。だけど、道場破りを手伝おうと思ったのは、それとはまったく関係ない。柳楽井さんの鬼気迫る表情に、つい手伝いたくなってしまったと言うか。

 それに、どうにも引っかかるところがあるし。

「とりあえず、今日は解散しよう」

 気がつけば、そろそろ日が暮れ始めている。

 劇団の方には顔を出さなくても良いか。疲れたし、嘘を吐くのも億劫だし。

「わかった。んじゃあ、明日は道場に行くか」

「道場って、どこの?」

「そりゃあ決まってるだろう」

 因藤さんはそこで、思いもよらなかった提案をした。

「桂流館道場だよ」 

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大和の国に魔導書を 日方星二六 @nysh

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