第八幕 可笑しな道場破り(前編)

「申し訳ございません、すでに全日完売しております」

 ヒノちゃんが言っていた通り、千秋楽までのすべての切符が売れ切れていた。

 稼いだお金を握りしめて、夜の開演前に劇場まで来たわけだが、得られたのは受付の男からの申し訳なさそうな表情での謝罪だけだった。わかっている、この人が悪いわけではないのだ。だけど、この遣る瀬無さを、一体どこにぶつければ良いのか。

「いつ、売れ切れたんですか?」

「初公演があってから、三日経った頃にはほとんど」

「……そうですか」

 人気があることは知っていたが、まさか切符が買えなくなるほどとは思ってもみなかった。

 そうなってしまうと、教授への埋め合わせも考え直しだ。稼いだお金はあるから、何か贈り物をするべきか。それとも最近できた洋食店に連れて行くのも良いかもしれない。どうせ稼ぎに出てることはバレてるんだし、予算を言って教授に決めてもらうのもありか。いや、でもなあ……。

「あの、八賀さん」

「……あ、なんでしょう?」

 立ち去ろうとした背中に受付の男は声をかけたが、最初、呼ばれていることに気がつかなかった。そう言えば、この人には八賀クニヤスと名乗っていたんだっけ。

 一体なんだろうと思っていると。

「販売用の物はなくなってしまったのですが、関係者用の切符でしたら用意できないこともないのですが」

「本当ですか!」

「その代わり、先日スリ事件を解決されたその手腕を、自分に貸しては頂けないでしょうか?」


   ***


「つまり、役者が一人いなくなったと?」

「そうなのです。一昨日の夜から姿が見えなくなりまして」

 劇場がある広場の端、あまり人がいないところに場所を移し、そこで受付の男、三苅みがいさんから切符の代わりに頼まれたのは人探しだった。

「失踪なら、一度警察に相談してみたらどうですか? 場合によっては捜索もしてくれるらしいですよ」

 頼まれた手前、こんなことを言うとまるで丸投げしているようになってしまうが、一応言っておかねばならない。

 しかし、三苅さんは首を横に振った。

「公演中ですのであまり大事にしたくないのです。それに、団長が逃げた人は放っておけと言っておりまして、自分らも表立って探しづらく」

「あの、こんな言い方は失礼になるでしょうけど、少し冷たくありませんか?」

「団長は立場上、どうしても劇団員には厳しくなってしまうものなのです。本来はとても優しい心根の持ち主なのですが、普段から気苦労や負担も大きく、ままならないことも数多くありますが、それでも劇団のために尽力してくださっている、とても立派な方なのです」

「……すいません。差し出がましいことを言いました」

「いえ、こちらこそ余計なことを」

 もしかしたらここの団長さんは、教授みたいな人なのかもしれない。少なくとも、団員たちは信頼しているのだろう。なんて、この人だけを見て判断するのも早計か。

「役者さんがどこに行ったのか、心当たりはありますか?」

「自分はこの街の人間ではないので、思いつくのは彼の実家くらいしか」

「その人は瀧ノ巻の出身なんですか?」

「本人曰く、ですが」

 思わず首を傾げた。

「実家が瀧ノ巻にあるなら、名前を出して探せばどこにあるかわかるのでは?」

「それが、誰も彼の本名を知らないのです」

「え、なんでですか? 同じ劇団員の役者なんですよね?」

「彼はここで柳楽井やがらいヤタゴと名乗っていたのですが、柳楽井の姓を持つ家がこの街にないことがわかりまして。おそらく、柳楽井ヤタゴは芸名だったのではないかと」

「そう言うことですか」

 納得はしたが、とても奇妙な状況に思えた。

「芸名のみを名乗って本名を周りに隠す、なんてことは良くあるんですか?」

「なくはない、と言ったところでしょうか。ただ、本人は隠しているつもりはなく、周りに言っていないだけであることの方が多いのでは、と自分は思います。もちろん事情があって本当の名前を隠している人もいるかもしれませんが、どちらにしても、それが発覚することはほとんどないので、本名を誰にも知られていない人がどの程度いるのか、団長でもはっきりとは言えないかもしれません。このような事態が起こらなければ、今の名前がその人の本名かどうかなんて誰も気にしませんし」

 ……正直、俺には良くわからない世界だな。

 同じ目的を持つ集団にいて自分の名前を仲間に教えないなんて、そんな状態で信頼関係が生まれるのだろうか。まあ、そこは考えても仕方ないけど。

 それよりも。

 少々、厄介な頼みごとを引き受けてしまったかもしれない。


 結局、本当に厄介な事態になってしまった。

 名前はわからくても、役者なら劇場で販売している写真がある。それを持って街を渡り歩き、いなくなった役者のことをを知ってる人がいないか三日ほど聞いて回ったのだが、結果七割もの人が彼を知っていた。

 ただし。

 知っているのは全員、柳楽井ヤタゴの方だ。

 どうやら彼は劇団の看板役者だったらしい。改めて見ると写真の彼はとても端正な顔立ちで、この間の歌劇に出演していた夫役に良く似ている。

「こいつは骨が折れるぞ、親友」

 スリ事件を解決してくれた借りを返すと、個人的に手伝ってくれている因藤さんがそう言った。本職の人間が言うなら、残念ながら本当にそうなのだろう。

「そう言えば、スリ事件はどうなった?」

「……なんの話だ?」

「伊達男が紳士の財布にこだわった理由だよ」

「あれか」

 豪快な因藤さんが、今日は歯切れが良くない。

「わりいな、あれからすぐ別の事件にかかることになっちまってな、別に奴に引き継いでそれっきりなんだ」

「ああ、そうか」

「すまんな、気になっていたのに」

「いや、そっちも仕事だからな。謝る必要はない」

 それにちょっと気になった程度のことだったから、わからないならわからないで、俺は別に構わない。

「なあ、お探しの柳楽井ヤタゴってのは、いつこの街を離れたんだ?」

 申し訳なさそうな顔をしたまま、因藤さんは話を戻した。

「ん、それは聞いてなかったな」

 そう答えると、因藤さんは腕を組んで唸った。

「もし子供の頃にここを離れたんだったら、当時の知り合いでもわからんぞ?」

 なんとも聞きたくない話だった。

 その日、因藤さんと別れた後、ほとんど確信に近い予感を抱えて三苅さんへ確かめに行くと。

「彼が劇団に来たのは、十四歳の時だったかと。帝都には出稼ぎに来ていたと言っていましたね」

 彼が劇団に入団したのは、十年近く前のことらしい。

 こうなると、足を使って探すのはほぼ不可能になってしまった。十代前半の少年が二十代の青年になれば、顔立ちだって変わって当たり前だ。今の顔写真で探しても、看板役者の柳楽井ヤタゴの名前が邪魔をして、本当の彼を見つけられない。

 探しているうちに戻って来ることもあるかもしれないと思っていたが、いなくなってからもう五日経ってしまっている。

 ならば、やり口を変えてみるしかあるまい。

「柳楽井さんが失踪した時の状況ってわかりますか? いなくなった原因とかわかれば、探す手掛かりになるかもしれません」

 劇場のそばで劇団員が泊まっている異国風の宿、そこの室内広場の一角が三苅さんとの待ち合わせ場所になっている。いくつかある卓の一つに向かい合って座ると、三苅さんはこう答えた。

「彼がいなくなったことに気がついたのは、通し稽古時にいつにまでも現れなかったから、らしいのです」

「らしい?」

「自分はその場にいなかったので。その辺りは自分よりも適役がいますので、一度話を伺ってみますか?」

 ……やはりそうなるか。

 人に失踪は、たいてい面倒な事情があるものだが、そこへ踏み込むには勇気と体力がいる。以前それで痛い目にあったから、今回は同じ轍を踏まないようにと、この件に関しては三苅さんとだけ接触するよう心掛けていたのだが、肝心の柳楽井さんが見つからないなら仕方ない。

「お願いします。……できるなら、で良いですから」

「わかりました。では八賀さん、少々お待ちください」

「あ、待ってください」

 俺は席を立ちかけた三苅さんを止めた。

 それは、ずっと言わなきゃいけないと思っていたことを言うためだ。

「なんでしょう?」

「俺の名前なんですが、本当は館乃木ハヤキと言うんです」

 これは、覚悟を決めるためだ。

 本名を隠していた人を探すのに、俺が本名を隠したままではいけないと思うのだ。

「つまりあの日、切符を買った八賀さんが来れなくなり、館乃木さんがその代わりに来た、と言うところでしょうか」

「はい、騙すようなことをしてすいませんでした」

 頭を下げた。

 すぐに三苅さんは、頭を上げてくださいと静かに言った。

「構いません。自分はむしろこちらの問題に巻き込んでしまった側ですし、ちゃんと話してくれましたから」

 笑って、三苅さんはその適役を呼びに階段の方へ向かった。


 さて、それで出て来たのは、俺が見た歌劇で柳楽井さんの相手役、夫を信じて奮闘している妻役をやっていた女優だった。

「そう、あんたがあの馬鹿を探しているの」

 女優さんはものすごく不機嫌顔だった。流石主演を張る女優と言うべきか、こちらを睨む目の威圧感につい気圧されてしまう。ほかに良い適役がいなかったのかと、さっそく後悔し始めていた。

「あたいは何も知らない。その日は演目が変わる直前の休演日で、最後の通し稽古をしようって言う時にいなくなってくれたものだから、ものすごく迷惑をかけられた、としか言えないの。なんで部外者のあんたがあれを探しているのか知らないけど、いまさら戻って来られても邪魔だからやめてくれても良いわよ?」

 余計なことをするな、帰れ。そう言いたいのだろう。

 腕を組んで足も組み、こちらを見下すように座る女優さんに、そばで立っていた三苅さんが腰をかがめた。

水落みらさん、そんな言い方はないのではありませんか」

「三苅、報酬をちらつかせてやらせてるなら、とっとと支払ってお引き取りしてもらいなさい。それに、あたいがなんと言おうと三苅には関係ないでしょ」

「おや、自分はお二人がとても仲が良いと思っていたのですが」

「勘弁してよ。あれが一方的に言い寄って来ただけで、あたいはむしろ嫌っていたくらいなんだけど」

 ……これが本当に適役なら、俺もとっとと手を引きたい。

 だけど二人は声を荒げぬ言い争いは続き、それから唐突に女優さんが俺を見た。

「あんた、名前は?」

「……館乃木ハヤキ、です」

「あたいは水落イハル。あれと違って、芸名じゃなく本名だから」

「はあ」

 突然なんだ。

 身構えるが、水落さんはそれ以上何も言わない。困り果てて三苅さんに助けを求めると、目を瞑ってわずかに俯いてそれっきり。

「あの、水落さん」

「何」

 沈黙に耐えきれず声を出してみたが、どうしよう。無視はされなかったが、これで何か言わなければならなくなってしまった。

「……以前に舞台を拝見したのですが、すごかったですね!」

 いや、何を言っているんだ俺。

「俺は歌劇を見たのは初めてだったんですが、役者が突然歌いだしたのに最初は驚きました。ですが、慣れてくるとその場面がより表現豊かに感じられると言うか、物語も二転三転して……とにかく、すごかったです!」

 すごかった、ってなんだ。もっとほかに言い方はなかったのか。

 案の定、水落さんは頬杖をついて俺を睨んだ。

「具体的に、どこがすごかったのか教えてもらえる?」

「ええ、いや……」

 いかん、なんでも良いから言わねば。

「……お、夫役が追手に囲まれたときに見せた大立ち回りは迫力がありましたね!」

 どうしてそっちを褒めてしまったかなあ。ここは水落さんがやっていた妻役を褒めるべきだろうと、言った後に後悔しても後の祭り。

 だけど、思ったより悪い反応ではなくて。

「柳楽井は実家が道場だったらしいから、剣術には一日の長があったの。それで夫役に選ばれたようなものだし」

「へえ、そうなんですか! ……ん?」

 今、とても重要なことを言っていたような。

「柳楽井さんの実家、道場なんですか?」

「……失敗した」

 水落さんは苦虫を噛み潰したような表情をした。

「おや、自分は初耳ですね」

「だって言ってないもの」

「水落さんはどうしてそんなことを知っていたのでしょう?」

「あいつが勝手にべらべらと自分のことを言ってただけよ!」

 そして三苅さんは、どうして水落さんを煽るような言い方をするかな。

「あたいはもう部屋に戻る。三苅、話があるからちょっと来なさい」

 これ以上話はないと、水落さんは三苅さんを連れてづかづかと行ってしまう。

 少し迷ったが、俺は見送ることにした。重要な手がかりはもう掴んだし、これ以上謂れもないことで怒られるのも嫌だし。

 そう思ったのだが。

「あれ?」

 水落さんが座っていた椅子の下に鍵が落ちていた。三○○一と書かれた札がついていて、もしかしたら、水落さんの部屋の鍵かもしれない。だとしたら、いずれ落としたことに気がついて戻って来るだろう。

 逃げようかなとも考えたが、気づいてしまった以上放っておくのは罪悪感がある。人気女優が泊まる部屋の鍵が落ちているなんて、新たな問題の種になってもおかしくないだろう。それならいっそ、今から走って届けに行って、もう少し態度を柔らかくしてもらえるよう努力しよう。柳楽井さんを探すからには、水落さんともこっれきりとは限らないし。

 それで俺は鍵を拾い、階段を上って追いかけた。

「三苅、あんた本当に何を考えているの!」

 三階への階段の踊り場の辺りで、水落さんの怒鳴り声が聞こえた。

「自分はただ、柳楽井さんを心配しているだけですよ?」

「あたいが言いたいのはそんなことじゃなくてっ!」

「では、何を言いたいのでしょうか?」

「だから、なんでよりにもよってっ」

 何事かと飛び込むように階段から駆け上がると、三苅さんの間近で怒鳴っていた水落さんと目が合い、水落さんは言葉を詰まらせた。

「何」

 もはや嫌悪感丸出しで俺に問う。

「いや、その……鍵が落ちていたので、もしかしたらと思って」

「……確かに、あたいの部屋の鍵。ありがと」

 口だけは礼を言っているが、半ば奪い取るように鍵を受け取って自分の部屋に入ってしまった。

「せっかく親切で鍵を届けてくださったのに、お見苦しいところお見せしました」

「い、いえ……」

 ずっとお見苦しいところを見せられていたように思うのだが、それは俺の気のせいだろうか。

 よっぽどそう思ったが、決して口には出すまい。

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