第131話 殺戮の女神
彼らが還らずの門まで辿り付く前に、海州軍はすでに城門を突破していた。その場所の守備に当たっていた皇宮警備の兵では、兵士の質において、海州軍の敵ではなかったという事であろう。その状況を一瞥してそう判断した劉飛と朱凰は、梗元帥がそこに残した一隊を蹴散らしながら、彼らを追って燎宛宮へと向かった。
途中の小路では、その両側の塀の向こうから、いくつも黒煙が上がっていた。時折、そこから炎が噴きあがり、付近の建物を舐める様にしながらゆるゆると広がって行く。
彼らが燎宛宮へ近づくにつれ、時折大きな爆発音が耳に付き始めた。海州軍は、火薬玉を使う。それは主に、海上戦において、相手の船の腹に風穴を開ける為に使われるのだが、上陸戦では、それを縮小した大きさのものを馬に積んで、敵陣に投げ込む事で、相手を撹乱するのにも使われる。 恐らくその爆発によって、燎宛宮のそこかしこから、火が出始めているのだ。
「なかなか、派手にやってくれる」
劉飛が複雑な顔をしてそう呟いた。それが運命なのだとは言われても、長年親しんだ燎宛宮が破壊されて行くのを見るのは、やはり忍びない。そして一つの時代の幕を下ろす為に、犠牲を強いられる人々の命の儚さを思い、やるせない思いに支配される。
しかし、そんな思いとは裏腹に、前方に、海州軍を捉えた劉飛の瞳は、静かに戦う者のそれへと変化していく。敵を捉えた瞬間から、その心は、戦う事に支配される。剣を抜き、敵陣に割って入った時には多分、もう何も考えていない。目の前に立ち塞がる者、それを斬り伏せる事だけしか考えていないのだ。
剣を振り下ろす度に上がる血飛沫と、断末魔の悲鳴を掻き分けながら、劉飛はただひたすらに、前に進む。後ろは見ない。後ろには朱凰がいるのだから、気にする必要はなかった。今はただ、前だけを見て、梗之騎を探した。
燎宛宮の内宮へ差し掛かる辺りで、ようやく梗之騎を見つけた。劉飛は、何も言わずに血に濡れて紅く光る剣を振りかざした。それを梗之騎の剣が受けた。間近に見た老将は、口元に皮肉めいた笑みを浮かべていた。
「……小隊一つで、我が軍を蹴散らすとはな。相変わらず、豪儀な奴だな、そなたは」
言われて、劉飛は微かに笑みを返したが、その剣の威力は留まる事を知らない。その場に剣の交わる音が立て続けに響く。彼らの剣には容赦など一切なく、どちらかが倒れなければ終わらない死闘を繰り広げ始めた。
劉飛と共に海州軍を蹴散らして、僅かに遅れてその場に追い付いた朱凰ではあるが、その勢いに斬り込む隙を見つけられずに、その斬り合いをただ見守る事しか出来なかった。 朱凰はその緊迫した空気に、何か嫌な予感を覚えた。
「……まさか」
ひとつの疑念が、朱凰の中から沸き起こる。
……まさか、劉飛様は、ここで死ぬお積りなのか……
橙星王の力を使えば、梗之騎を斬り伏せる事など容易いだろうに、その力を封じたままで、その魂を削る様に、そして全ての力を使い切るかの様に、刹那的な斬り合いをしている。
……何故……
そもそも、海州軍とは、真の敵とはならない。その筈ではなかったのか。それが何故、ここまでの戦いをしなければならない。
……何故、ここまで殺し合わなければならない……
「やめろ……もう……」
目の前の光景に、朱凰はその感情を抑えきれずに大声を上げた。
「やめろっ!」
その凄まじい声に、剣の音がようやく止んだ。劉飛と梗之騎は、互いに相手を見据えて、肩で息をしながら、間合いを取る様に、少し下がる。
「どうして、お前たちがそこまでしなければならない。梗之騎、お前もだ。互いに殺し合う為に、ここに来たのではないのだろう」
そう言った刹那……
「……黙っていろ」
これまでに聞いた事のない、低く冷たさを帯びた劉飛の声が朱凰に向けられた。全てを拒絶する様なその冷たさに、朱凰は気圧されたが、それでも納得がいかない事には、引き下がらない性格が、尚も食い下がる。
「黙りません。こんな……」
「黙れっ……」
今度は、明らかに怒りを帯びた劉飛の声に、朱凰は言い掛けた言葉を飲みこんだ。
「いいか?俺も梗元帥も、大勢殺した。殺したんだ。お前の言う、茶番って奴でな。無駄死にさせたんだよ。兵の命を預かる身でありながら、その命を道具扱いして、大勢殺した。だから、その落とし前を付けなければならないんだ」
「しかし、それは……」
「これだけの事をしておいて、誰も責任を取らずに済ますなんて事は、あり得ないんだよ。なあ、梗元帥」
「まあ、そういう事ですな」
梗之騎が不敵な笑みと共に言う。
……責任……それが上に立つ者の責任だと……
互いにそれが分かっていて。こうなる事が分かっていて。それでも、皇帝の命を救う為の茶番を敢えて演じて見せたというのか。それが、彼らの忠義だというのか。
呆然とする朱凰の前で、二人の武将は共に剣を握り直し、互いに視線を交わし合った後で、息を合わせた様に、又、剣を交える。
皮肉にも、その音が、耳に心地よく響く……哀しいまでに。
もう、どうにもならないのか。その生の終焉に向かって、惑うことなく疾走していく二人を、朱凰はいたたまれない思いを抱きながら、ただ見詰めている事しかできなかった。
その頃、河南軍は岐山を目前にした平地に、陣を構えていた。
都へ向かう南街道は、この丘陵地帯を越えると、彼方の平原に華煌京の姿を見る事が出来る。 岐山はまた、西畔へ向かう西街道との分岐点でもあり、今も、丘陵の裾野を這う様にして西へ逃れて行く人々の列が長く続いていた。
河南軍の本陣では、総攻撃を前に、軍議が開かれていた。崔涼と杜陽、それに参謀として従っている周藍。他に、中隊の指揮を任せている主だった武将たちが集まっていた。
周藍が、宙に手を翻し、そこに占術盤を導き出す様を、一様にもの珍しそうに見据えている。円形の光の筋が四方に延び、記号の様な文様がその周囲に浮かび上がる。 そして、その中心部に、一つ二つと、光の点が生じた。周藍は少し難しい顔をしたまま、その光を見据えている。
「……で、どうなのだ?そなたの見立ては」
業を煮やした様に聞いたのは、崔涼である。
「……はい。海州水軍はすでに、燎宛宮に至っている様にございます。皇帝軍の本体である皇騎兵軍がこちらに来てしまっている以上、燎宛宮は手薄。恐らく、そちらの決着は容易に付きましょう」
「流石は、梗之騎と言ったところか。奴に手柄を一人占めさせるのは、癪だが、仕方あるまいな」
「匠師を華煌京にやっております。彼らから、皇帝を捕えたとの知らせがあるまでは、岐山の皇騎兵軍をこちらに足止めしておかねばなりません」
「時間稼ぎはいいが、西から車騎に出て来られては、面倒なのではないか」
「恐らく、車騎は参りません。璋翔殿は、時流を読む事に長けたお方。すでに、燎宛宮とは距離を置き、自領の固めに動いていた様ですしね」
「成程。それで、皇騎はいつ攻める」
「彼らが、華煌京へ引き返す素振りを見せれば、それを背後から突けば宜しいでしょう。敢えてこちらから仕掛ける必要もございません」
「動かなければ?」
「皇帝の確保を確認した所で、降伏を呼び掛れば宜しいかと」
「ここまで来て、一戦も交えずにというのは、何か物足りない気もするがな」
崔涼が軽く笑う。
「戦わずに済めば、それに越したことはないのですよ。何しろ、戦は膨大な金と人とを消耗致します故」
「全く、相も変わらず、倹約家らしいもの言いだな。筋は通っているが、面白味が足りないのが難点だ」
「恐れ入ります」
周藍が苦笑しながら頭を下げる。
「……梗之騎の扱いが、面倒であるな。これ程の活躍をされてしまってはな」
「その点に付きましては、水軍を使うと言いだしたのは私ですから、上手く交渉して参りましょう」
「そうか。ならば上手く計らうがいい」
「畏まりました」
周藍が神妙な顔をして頭を垂れた所で、人々は散会した。
「周藍様」
周藍が自分の天幕へ足を向けたのを、背後から杜陽の声が呼び止めた。しかし、足を止めずに歩く周藍に、杜陽は小走りに追い付いて、並んで歩きながら確認する様に言う。
「本当に、このまま何もせずに大人しく見ているお積りなのですか?」
「何をする必要がある?事態はもう、決している」
「しかし……」
不満そうな杜陽の態度に、周藍は足を止め、そこで不思議な笑みを浮かべる。
「そうだね。何も出番がないというのは、少し物足りないのだろうな。お前にも……彼女にも……」
「……周藍様?」
「そういう事ならば、ひとつ暴れてみるか?」
周藍が指を二本揃えて、徐に杜陽の額に触れた。瞬間、そこに氷の様な冷たさを感じて、杜陽は身を固くする。だが、それも一瞬の事で、次の瞬間には、体中が熱を帯びた様に熱く感じた。意識がぼやけていく中で、喘ぐようにその名を呟く。
「周藍……さ……ま……」
「会いたくて堪らないのだろう?剣を交えたくて堪らないのだろう?あの者と。ならば、その思いのままに暴れてくればいい。誰もお前を止める事は出来ないのだから……」
……あの者?……
「星換術……」
周藍のささやく様な声が途切れた瞬間、風に巻かれて体が押し潰されそうな感覚に襲われた。
息苦しさに気が遠くなっていく。
そんな中で、澄んだ金属音が響いた。
それを合図に、杜陽の意識が現実に引き戻される。そこで、二人の男が剣を交えていた。
……ここは、どこだ?……
いつの間にか、壮麗な宮殿の中に佇む自分に、杜陽は呆然とする。恐らく、周藍の八卦で、どこかに送られたのだろう。だとすれば、ここは……
……燎宛宮、か……
又、耳に剣を交わす音が聞こえた。それにつられてそちらを見ると、忽ちそこで死闘を繰り広げている男たちの、闘気に感情が嬲られる。彼らは殺し合いをしているのに、その剣の動きは、実に艶めかしくて美しく、それを見る杜陽を高揚させていく。体に震えが走った。抑えきれない激しいものが、その内側から湧き上がってくる。
……この感覚は……
覚えがある。前にもこれと同じ感覚に包まれた事がある。それに身を任せてしまえば、楽になれるのだろう。だが、そう思うのと同時に、気持ちのどこかにそれに対する危機感があった。
……杜陽。お前は、いずれ大きな力を手にする……その力は諸刃の力だ。その力を御する事が出来なければ、お前はその力と共に滅する事になろう……
兄、杜亮の声が戒める様に、その心に響く。
「……これが、その力か」
自分はまだ、その力を御する事は出来ない。今はまだ。だから、それを使う訳にはいかないのだ。だが、そんな思いとは裏腹に、心の中から、誘う様な甘い声が響いて来る。
『恐れる事は無い。何も心配はいらぬ。そなたを傷付けようとするものなど、この私が全て薙ぎ払ってくれようぞ』
「くっ……」
四肢の感覚が次第に曖昧になっていく。抗いようのない力に抑え込まれて、自分という存在が分からなくなっていく。
「うわああああああぁ」
その絶叫を最後に、杜陽の意識は途切れていた。
物凄い絶叫と共に、炎の渦が噴きあげた。何事かと思う間もなく、朱凰は火球に呑み込まれた。
「劉飛様っ……」
全てが深紅に染まる世界で、伸ばした手の先に、劉飛の姿があった。その体が橙色の光に守られる様に光っているのを見て、朱凰は安堵して目を閉じた。
……良かった……まだあの星は輝きを失ってはいない……
そう思いながら遠退く意識の中、名前を呼ばれた気がした。逞しい腕に守られる様に抱かれている様な気がした。そこに、この世界で一番好きな人の匂いを感じたのは、叶わぬ夢想が見せた幻だったのだろうか……
東の空に、突如、にわかには信じ難い様な火柱が噴きあげたのを、その時、多くの人々が目撃した。
西へ向かう人々も、岐山のこちら側にいた河南軍の兵士達も、そして岐山の上に陣取っていた皇騎の兵達も、ただ茫然と魅入られた様に、その炎を見据えていた。高台にいた皇騎の兵達は、更に、その火柱の下で、巨大な火の玉が膨れ上がり、それが華煌京を呑み込んでいく様を、つぶさに見る事が出来た。
一体、何が起こったのか。だがその問いに答える事が出来るものは、誰もいなかった。
その炎は三日三晩燃え続け、そこにあったものの痕跡をすべて消し去ってようやく、収まった。
その業火の後――
皇帝も燎宛宮も、最早、どこにも存在せず、一つの帝国があっけないまでの幕切れと共に、この地上から姿を消した。
――大陸歴二百六十八年、初秋の事である。
【 七星覇王伝 第三部 完 】
七星覇王伝3 抹茶かりんと @karintobooks
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