Report・interval

グラン・ジャンと呼んでくれ




 美しさや完璧さを求めなくなったのはいつからなんだろうな。

 俺は公園の噴水の敷石にケツをおろし、斜に構えて裾のほつれたままの片足を石組みでできた縁に引っ掛けた。バロック様式の彫刻で表現された蛇のようなイルカのようなうねる海妖の像に頭を預ける。

 方形の噴水には水が無い。ケチな水道保全局サマは、夏時間が施行されるまでは一滴たりとも恵みを許さぬ心構えのようだ。

 公園には涼を求めてこの界隈の連中が集まっている。そのうち大体は子供連れか、あるいは子供同士でお手てつないでのお出かけといったところ。ただしーーーーー

 ただし、俺の半径10メートル以内には決して入ってこない。まるで見えない何かで強力な膜が張られているようだ。

 だがしかしそれも当然のことだろう。

 雲突く大男で、ボディビルなどしたことも無いくせに全身これ筋肉の特盛の大盤振る舞いで、ガムをくちゃくちゃ噛み締める、目つきのでは飢えた肉食獣以下のハスキー系犬人。

 ジャンカルロ=デッラ=レグルス。俺はいま、探偵としての業務とはまったく関係の無い用事のためにここにいる。



「おやまあ。なんて無愛想な子!」

 これは俺が初めて母親について田舎の母の実家を訪ねたときの祖母の感想だ。

 背の高い痩せた祖母は俺の見てくれについて率直にそう言ってのけ、俺から顔をそむけるように上背をねじり「おまけにとんだ不細工じゃないか。お前とあの婿殿から、よくまあこんな出来損ないが産まれたものだねえ」と付け加え、おまけにため息で口元を歪めた。

 まだ母親のスカートに隠れてしまうぐらいの幼さだった俺だって、悪意無い祖母が直截な意見を漏らしただけであることは見当がついていた。そして、母親が一切反駁はんぱくも弁解もしなかったことから、こう思った。

 ああ、自分は可愛くない子なんだなーーーと。

 俺の体格は、同い年の子供より少しばかり背が高いほかは健康な幼稚園児の水準となんら変わらなかった。が、顔の造作はこのように親戚にさえ酷評される有様だったから、普通ならどんな鬼子だって可愛い盛りのはずの時期に友達ができたことはなかった。

 サッカーやヒーローごっこで遊んでいる子供達のなかへ俺が仲間に入ろうとすると、決まってこんな言葉が返ってくる。

「レグルスくんは、やーだよぉー!なんかこわいから!」これに「ねーーー!」「もういこー?」と続くのだ。

 俺は次第に一人でいるようになった。さらに、砂場でも空地でも、先に遊んでいた奴らをひとにらみで追い出す眼力を身につけた。膂力も着実につけていき、小学校に上がる頃にはいっぱしのモンスターのさなぎに進化したのである。

 とはいえ、たかがガキの威信、本物のマフィアには遠く及ばないブリキの軍隊の王様気取り。しかし自分より力の弱い連中に頭を下げ、仲間に入れてくれと惨めったらしく情けを乞うような真似は、絶対にしたくなかったしできなかった。

 自分以外全部のガキどもから後ろ指さされようが、誰からも話しかけられなかろうが、俺は独裁者として君臨するほかしようがなかったのだ。


 小学校三年の秋の放課後、俺はボーイソプラノの呼び声で浅い眠りから起こされた。

「ねえ、キミ。…そこの灰色と黒の毛皮の、キミ」

 一回目の問いかけはこちらに放ったものではないと決め込んでいた俺は、「ああん?」とジャングルジムのてっぺん、そこだけ板張りになっている場所で身を起こした。

 下町の公園の片隅、砂場と小池とプールに併設されたジャングルジムは、放課後には誰も近寄らない場所だ。なぜかって?この俺様が陣取ってるからさ。もっといえば、ここを仕切っていた六年生のジッドのそばかす面に俺がヘッドバットを叩っ込んで顔の下半分を血まみれにしてやったので、見晴らしのよい約1,5㎡のスペースの使用権がすみやかに譲渡されるに至ったのだ。加えて、公園の新たな『帝王』に対する畏怖の念も。

 その自分に話しかけるなんて、命知らずかただのバカか、あるいは地球のルールを知らない宇宙人だ。

「ねえ、早く降りてきてよ。少し話をしたいんだ」

 俺は目をこすりながら顔を出す。寝ぼけていて、鉄枠を握る指が滑ってあぶなくころげ落ちそうになる。

 声をかけてきたのは犬人の子供だった。上からだとよく分からないがコリーかベアドッグ系で、鳥打帽を被る額にキラキラと鏡のように反射するものをつけている。

「おっす!ちょっと降りて来いよ」

 …宇宙人、もとい余所者のほうだ。ぶかぶかの黒い短パンをベルトで肩から吊っていて、その開襟シャツはどう見ても兄か父親の着古し。服装はくたびれているが、住民のほとんどが肉体労働者で、その子供達は半分裸のような格好をしていたりするここらでは、ちょっと浮くほど堅い印象を与える。

「なあ、キミ!ひょっとして僕の言葉が分からないのか?」

 余所者にこの界隈の掟を(帝王には絶対服従)を叩き込むのも面倒だ、どうせ誰かが教えるだろう。シカトしてやるかとまた横になりかけたが、この言葉で気が変わった。俺に対して生意気な態度をとるやつは、即刻こてんぱんにしてやらねばならない。それが帝王の示すべき態度だ。

「うるっさいなこの!」

 吠えざま俺は二階分の高さをものともせず飛び降りる。着地の瞬間心の中で「ズシーン!」と地面の振動の効果音をつけ足した。気分は、そうさな、象が軽く四股を踏んだ感じーーーかな。いっとくが、まだほんの9才だったんだぜ?自分がターミネーターのように無敵だと確信していた頃だってあらあ。

「おい、お前がふざけたこと言ってたやつか?」

 そこで俺は初めて相手をまじまじと見た。

 磨かれた象牙のようにすがすがしい白さの毛並み。俺と同じ犬人の三角の耳、恐れげの全くないサヤエンドウ色の真ん丸な眼差し、笑ったように端の上がる口元にスキッとした顎。まぶしかったのは額にかけた飛行士のゴーグルで、その反射が俺の目を射抜く。

 そいつはこっくり頷き「僕はイグナシオ=コッレオーニ。キミの名前は?」と右手を差し出した。

 ほんのガキだというのに、もうこんな正式な自己紹介を咄嗟にできるというのが既に只者でない兆しを見せている。俺はどぎまぎして、「フん!」と鼻を鳴らした。物事が分からないとき、もしくは説明が欲しいときにこうすると、たいてい相手が引き下がるか勝手に教えてくれる。何より偉そうな雰囲気を出せることが気に入っていた。

 イグナシオと名乗った犬人はきょとんとして手を引っ込める。どうやらこちらの流儀に戸惑っているらしい。

「そんで、なんだよぉ?」

 そいつは笑った。屈託ない口元を飾る歯の白さでは、小学校で最も恐れられている嫁き遅れが理由で出家したシスター・イライザのパンツだってかなわないだろう。

「ほかの子も遊びたいだろうからさ、一番いい場所を1人で占領しないでやりなよ」

 ん、と見やると、そいつの後ろに半ば隠れるようにしてひなげしみたいなスカート姿がチラチラしていた。

 なるほど、妹の手前カッコつけている躾のいい家の良きお兄ちゃん、ってわけだ。

「余所者のお前には関係ないだろ。ここは俺んだもん!どっかいくのはそっちの」

「あはははははっ!」

 すごんでいた筈の自分が笑われた。俺は面食らい、それはすぐさま猛烈な怒りに変わった。

「な、な何だよっ!!」

「『もん』だって!なーんだ、っていうからどんなやつかと思ったら、てんでガキじゃんか」

 腹をおさえ、こみ上げてくる笑いに身をよじっている。他の連中の手前、余計に屈辱感が燃え上がった。

「こいつ!」

 俺はキレたチンパンジーのさながらに叫びつつ飛びかかった。相手を地面に押し倒し、馬乗りになってボッコボコ………には、ならなかった。

 相手は「よやさっ」と俺をいなして背中を押した。地面に倒れ伏したのは俺の方。遠巻きにしていた子供達から、わあっ!と喝采が沸く。観客に見栄を張る看板マジシャンみたいに胸の前で腕を折り、おどけて礼をした。

「まっまだ負けてねえ!」

 俺は何度もそいつに挑みかかり、そのたびにスカされた。

砂場に鼻面から突っ込んだ。ジャングルジムにぶち当たった。スロープのタイルで滑り、もんどりうって背骨を打ち付けた。ブランコに絡まってグルグル回された。

 そんな調子で20分後。ぜえはあ、と膝に手を当てて肩を上下させている俺とは対象的に、犬人は快適なリビングでゴルフを観戦するみたいに冷めた態度で自分の尻尾の毛をつまんでいた。

「なあ、もうやめようぜ。キミが根性あるのは分かったからさ」

 なにおぅ、と食い下がるつもりが「グゲホッ」とむせてしまった。

 いわんこっちゃない!と当時の俺が聞いたことのない科白を口にして、犬人は俺の背中をさする。

「きみ、もう限界じゃん。こんなケンカやめようよ。な?」

こいつ、敵に情けをかけるつもりか。ああそうだよ、俺は負けてるよ。皆の声援はそっちに送られてるし、俺と仲のいいやつなんか一人もいやしない。それでも、それでも俺は……

「もうやめてさ、仲直りしよう。良かったら僕の友達に」

 悔しくて悔しくて泣きそうになった時、俺の視界に相手のゴーグルがクローズアップした。

 鉤爪を伸ばして力の限り引っ張れば、クリップ部分が外れバチン!という音とともにゴーグルが俺の手の中に収まった。案外簡単にその意味ありげな持ち物を奪えたことで形勢逆転を確信する。

「………やっりい!ざまぁ!お前の大事なもんとーっぴーっ!」

 ランラランララーラ。勝利のファンファーレを口ずさみ、ぴょんぴょん跳ねる。二回目のジャンプ、つまり「ぴょんぴょん」の「ぴょん」で、俺は股間をガキン!と蹴り上げられて、目玉が漫画みたいに前方に20センチは飛び出した。

 くっきょん!と哀れな一声。俺は股ぐらを抑えて地面に悶絶する。気絶できたほうがいっそましなぐらいの、意識の芯を切り刻まれるような痛み。あまりにも思いきりよく綺麗に決まった金的蹴りを見て、周りの子供達も唖然としている。

 イグナシオは俺が取り落としたゴーグルを悠然と拾い上げ、しっかり額に装着すると拳骨にした右手を突き上げた。その瞬間、一斉に皆が駆け寄って胴上げを始める。

 自分が玉座を追われたことを知らせる歓声。だが、俺は股ぐらの痛みのせいでそれどころではなかった。ただ、イグナシオが俺を見下ろし、怒ったのでも軽蔑したのでもない複雑なしかめ面をしたことだけを覚えていた。というのも、この嫌われ者は当然誰も助け起こしてくれなかったので、次に頭がはっきりしたのは皆が帰ったあとになってのことだったからだ。



「…ヤコポは東軍の大将役、ヴェロニックは救護斑のチーフ役だな。こっちの西軍は僕が大将で、救護斑はフェデリコ、ナポレオーネ、偵察役は…」

 俺が倒された次の日。広場に円陣を作り、陣地とり遊びの班けに采配を振るうイグナシオの姿があった。ズボンもスカートもオムツも、かつて俺の支配下にあったこの界隈の子供が分け隔てなく役を割り振られるのを待っている。あたかも横暴をきわめた専制君主を打倒した英雄を見る目付きだ。

 で俺はというと、そんな様子を広場の入り口からこそこそと身をかがめて覗いている。

「…ジェルトリュードはまだ走れないから、大将旗の見張り番だな。相手が攻めてきたら大声出せよ。分かったか?」

 オムツ丸見えのキューピー頭の女の子が、「ん!」と頷く。イグナシオはニッと片眉で笑いその頭を撫でた。

「よしよし、みんな役はできてるな?誰かあぶれてるやつはいるか?」

 いなーい!!虫歯やすきっ歯、乳歯の生え換わっていないたくさんの口が叫ぶ。

「あれ、一人足りないんじゃないか?」

 いいなあ。あの仲間に入りたいなあ。

 俺は隠れていた門柱の陰でうつむいた。

 喧嘩に負けたのは悔しかった。だが男たるもの、背を丸めてみみっちく逃げ出すもんじゃない。タイマン張って上下の序列が一度決まったら、潔く従ってそれを態度に示すこと。これは言葉少ない自動車修理工の親父が物心ついた頃から俺に叩きこんだ哲学だった。親父はいつもこうしめくくっていた。

「…それができないやつは真性ほんものの、どうしようもない、性根の曲がった臆病者だ。一生他人から隠れ潜んで裏道を歩くようになる。いいかジャンカルロ、そんな情けない男にだけは、なるんじゃあないぞ」

 だから俺は一晩明けての今朝がたからそわそわと公園の真ん中、今まさにあのイグナシオがしゃがんでいる場所で待っていた。一番最初に姿が見えたのが一年生になったばかりの鼻垂れヤコポ。人一倍うるさくて、感じたこと思ったことを頭より先に口走るバカの見本みたいなやつ。

 それこそ俺がいるだけで座りションベンを漏らすようなビビリだ。なのに、残像も消えるくらいの早さで隠れたのは俺の方だった。

 そうこうしているうちに少しずつ増えていく子供の数。今出て行くぞさあ行くんだ!…といくら自分を鼓舞しても尻尾から下が動かない。

 そして親父が言った通りになった。初めの一人から逃げ出したら、もうどうしても怖くなった。

 それからキョロキョロしながらあいつがやって来た。「昨日はお前が勝ったから、今日からボスはお前だ」と、ひとこと言えばおさまりがつく。頭では分かっているのに、俺は己の勇気の無さを思い知らされた。

「おーい、まだ役が決まってないやつ!」

 自分が出て行ったら、きっと皆逃げてくだろうなあ。それとも囃し立てるだろうか。皆が集まる方を背に柱にもたれて溜息をつく。

 あいつはどうするかな。やり返しに来たのかと笑うかな。絶対そうだ。そんな風に馬鹿にされたら、また暴れてしまう。ガマンなんかできない。どうしたらいいんだ…

 俺はただ、他の皆みたいにあいつと………遊びたいだけなのに。

「おいっての!」

 背後から、げし!とベルトのあたりを蹴られた。俺は心底驚いて「うわ!!」と声を出してしまった。

「いつまでこんなとこでシンミリしてるんだよ。さっさとこっち来て仲間にはいれよ!」

 俺を負かした犬人が苦々しく睨んでいる。言葉が出てこず、体が硬直してしまう。

「うわぁ!ジャンカルロだあ!ジャンカルロが、仕返しに、戻って来たあ!!」

 俺の姿にショックを受けたヤコポがわざとらしいほどセンテンスを区切って叫ぶなり、滝のように小便をぶちまけ、たちまち奴の足元の地面に黄色い水たまりができた。「わあっ!」とはじけるごとくに皆が逃げて行く。

 そして誰も残らなかった。俺と、目の前でその様子を涼しい顔で観察している犬人を除いては。

「おおー、すごいな。恐れられてるんだなあ、キミ」

 俺は首を振る。「違う。嫌われてるんだよ」

「ふーん」イグナシオは唇をとんがらして口笛を鳴らす。「ま、どーでもいいや」

「で?」と、イグナシオ。

「え?」と、俺。

「あいつらが言ってるように、僕にやり返しに来たのか?」

 俺は首が痛くなるぐらいブンブン振り回して否定した。ズボンに爪を立て,生まれて初めて勇気を振り絞り、言う。

「おっ、お前がボスだから!」

「は?なに?」

 相手が面食らうのも構わずまくしたてる。

「お前が勝ったんだから、お前が上だ。そうだろ?ちっ、ちっ、ちゃんとケジメつけるんだよ。そのために、来たんだよ。仕方ないからさ、俺、今日からお前の子分になってやる!!」

 こんなに誰かとしゃべったのは初めてだった。それも、相手に目も合わせずまくしたてるなんて。

 自分は一体何に怯えているんだろう。イライラして、頭が熱くて、脇の下が汗で冷たい。

 イグナシオは俺のありったけの気持ちを言葉にまとめてをぶつけた科白に、ただ「ふーん」と相槌を打った。「そうなんだ」

「そうなんだ、って……」

「僕は、子分はべつに欲しくない。足手まといはいらないからさ」

「え」

 俺はがっかりして(この感覚も初めてだ)面を上げる。

「子分は要らない。でも、友達なら欲しいなあ。だれかいないかなあ?強くて、泣き虫じゃないやつがいいな」

「………」

「君にいてんだけど?」

「え?俺?」

 そう、と頷かれても、遠回しな表現は理解の足りない俺の頭を混乱させるだけだ。

 俺には、お前なんかいらないよと言っておいて、なぜ今そんなことを尋くんだろう?

 俺はもう一度だけ、もう半ばやけくそになって言った。「そんなやつ知らないよ。だってここで1番強いのは俺だったし、泣かしてないやつ、いないし。俺は、普通より力は強い…よ。俺じゃダメなの……かな……あの、あのさ、俺もお前と…とな、い、いっしょにぁ…」そびたいよ。舌が空回って、音節が地面にぼとぼと落ちていく。

「…つまり、どういうことだよ?」

 イグナシオが続きを待っている。でも、俺は完全にテンパってしまい引っ掛かったような「あー、うー」を繰り返すばかりだ。もどかしくて、しまいにだんだん腹が立ってきた。なんだかんだ言って、こいつ、俺をからかってるんじゃないの?

 ちらっと目線を飛ばす。相手は、ただただ冷静に俺の出方を待っていた。

 俺は頭をバリバリかいた。スニーカーで地面をザリザリとこすった。仲良くなるって、どうすりゃいいんだよ?

「んー。やっぱダメか。キミ、相当の強情っぱりだね」

 ふー。ため息を吐き、降参したというようにイグナシオは眉を下げて苦笑すると、いきなりこちらの肩に腕を回してきた。

「んじゃハッキリ言うわ。僕と友達になろうぜ」

「え!?」

「それでさあ、誰がボスとか上とか下とか、もうやめないか?僕たちまだまだ子供なんだからさ、子供らしく仲良くしようよ。な?」

「うっ、ううううんっ!」

「あははは、どっちだよ。分かんないよ」

「だから、うん!うん、の、うんだよ!!」

 うん、だからね!顔を寄せられた俺は興奮の有り余った加減なしのシャウトをした。イグナシオは敏感な犬人の鼓膜を何度も叩かれ、顔をしかめる。

 驚きと焦りが過ぎ去ると、今度は喜びがまさってきた。俺は力の限り相手の肩をつかんで揺さぶる。

「いいんだ!?俺、お前と友達になっていいんだね!?」

「いいとか悪いとかないだろ。僕は強いやつが好きなんだ。それにキミ、面白いしな」

「あ、でも…」

 俺はひっそり閑と静まる公園を見回した。

 俺がみんなから嫌われているせいで、こいつまで巻き込んでしまった。文脈でなく本能で判断する。思わず口をついて出たのは「ごめん」だった。

「んー?」イグナシオは俺の様子を吟味した。「何に謝ってるのか意味分かんないよ」

「みんな逃げちゃっただろ。俺が来たから…」

 おずおずと重ねるような「ごめん…」。誰かに殊勝に謝るなんてことは、そのときまでついぞしたことがなかった。

 イグナシオは象牙色の毛並みを波打たせ、ゆっくり首を振る。「いいじゃん。ビビりなやつは勝手にさせとけば?それよりさあ」一層きつくグッグッと腕に力を入れた。

「君の名前を教えてくれよ。僕はイグナシオナチョでいいからさ」

「俺……、俺は、ジャンカルロ!ジャンカルロ=デッラ=レグルスだよ!!」

「じゃあJ…頭文字だけだとアニメキャラみたいで却ってダサいな。えーと、ジャンカルロだから……カルロ…ジャン…うん、こっちがいい」

「それって…あだ名?」

「そう。あっ、いっそのことグランジャンってどうだ?カッコいいだろ!」

ウソだろ。憧れていたんだ。フルネームじゃなく、互いに気軽に呼び合えること。

 それって、それって、友達ってことじゃん!!

「よろしくな、グラン・ジャン!」

 俺は身体の芯から痺れるような歓喜にうち震えた。こいつは、ほかのやつらと全然違う。俺を恐れない。そして俺をちゃんと認めていてくれるんだ。それに何より、俺を「友達」と言ってくれた。

 ーーー「友達」だって!!

「うん!…イグナシオ、じゃなくてナチョ!」

 俺と、ナチョはニヒッと笑みを交わす。

 そして、四散したのではなく実は隠れて成り行きを見守っていた子供達が、だんだんと戻って来ていた。


 それまでの孤独という飢えを満たすように、俺はがつがつと、飽きることなくイグナシオと一緒に時を過ごした。

 誰かといるのがこんなに楽しいものだとは知らなかった。それにまたこの俺の初めての友達は、俺に我慢する方法も教えてくれた。

 ドイツ製の瞬間湯沸かし器もかくやの俺にとって、周りの子供たちをやっつけて良いかいけないか判断しがたい場合が多かったが、そこはナチョがどう評価するかに従えばいい。とにかく、頭に血が昇ったからといって、人や物をやたらめったら殴りつけるのは良くない。のだと教えてくれた。

 怒りが爆発しかけても、拳を握ってエネルギーをそこに集める。俺が凶暴な様相でそうするだけでも効果は絶大。で、それでも退かないような、ナチョが「こいつは悪党だ」と判断した場合には………「ジャン、やっちまおうか?」これがGOの合図サイン

 もっぱらの相手は歳上の悪いやつだ。他人のものをちょろまかす奴は反省するまで、威張り散らす奴は改心するまで、女の子をからかったり歳下をいじめたりする奴は泣くまでブン殴ってOK。

 相手が大人なら、俺とナチョは二人がかりでイタズラに知恵を絞った。やってもいない万引きをした、とヤコポを警察に引き渡した雑貨屋の薬瓶に、死んだ鼠を突っ込む。公園で子供達が騒ぐのがうるさいと市に訴えて遊具を撤去させた議員の妻の洗濯物には猫の蚤やシラミをたんまり仕込む。遊びが仕事の小学生である自分達に宿題ばかり出す男の先公の白髪染めを、ショッキングピンクのヘアカラーに入れ替える。

 特に最後のイタズラは化粧室の窓の外で聞き耳を立て、鼻歌まじりにセットしていたターゲットが「AAAHHH!!」と叫ぶのを確かめ、お互いの口を抑えて笑をかみ殺した。

 俺とナチョの相性は抜群だった。だから、ナチョの魅力に惹かれていつのまにか周りにいる連中も増えたが気にはならなかった。だって、ナチョの親友は俺だけだから。有象無象の凡人が何人いたって知ったこっちゃない。まあ、もし馴れ馴れしく俺たちの間に入って来るようなことがあれば、その瞬間に俺の拳で地獄を見ていただろう。

 そりゃもう大の仲良し。気に入ったなんてもんじゃない。変な言い方だが、俺は半分ナチョに惚れていた。しゃべり方もできるだけ真似をし、同じ番組を観て、時期をそろえて自転車に乗り始める。

 ただ、いくら汗水流して励みに励んでも、頭の回転や運動神経であいつに追いつけないことは早いうちから分かっていた。ある種残酷な事実ではあったが、俺はそれも当然だと受け止めた。唯一、純粋に腕力にかけては俺はあいつより抜きん出ていた。それは親友として、あいつの隣に座を占める者として誇らしいことだった。

 ナチョはあっというまにクラスを仕切り、学年の、いや小学校、しまいにはパレルモの街というコミュニティの重力の中心的存在になっていき、俺はといえば異様なスピードで成長を重ね、中学に上がる前から腕は丸太に胸板は冷蔵庫並みになったが、その他の部分、特に気性の荒さと人望の無さは相変わらず。

「イグナシオは間違いなくひとかどのリーダーになるだろうな。ジャンカルロはどちらに転んでも無頼漢にしかなれないだろうな」

 来年度は小学校卒業という頃、俺達をよく知る駄菓子屋の爺さんは、入れ歯をこぼしながらそう評した。セブンアップのキャップをひねり、俺達は無言のまま目線で語った。

 ナチョは「大丈夫だ、僕がついてる」と片眉を上げた。俺は、さも当然だとばかり頷いた。

 おもむろに二人して笑い、爺さんに見送られて肩を抱きながら帰った…


 ナチョは俺と自分に上下はない、僕達は対等だとはじめから言っていた。だがそれは特別なカリスマを持つやつの余裕で、俺からすれば過小評価にあたる。

 あいつと俺には確かな友情があり、それはささやかな誓いや意地で繋がったまっとうな関係だった。親友以外の何物でもない。しかし、どうしようもなく俺の方が釣り合いに欠けている。ナチョがそれを気にかけなくとも、俺は絶えることなく無意識にその物悲しさを抱いていた。

 それでもそばにいるだけで満足していた。そういったことを振り返るにつけ、思うのだ。まるであれは片想いのロマンチズムのようだった、と。

 妙なニュアンスに聞こえてしまうかもしれない。あいにくと俺の国語辞書には他に表現する語彙がないから仕方がない。気持ちの悪い想像をするなよ、お前ら。もしンな考えしてるんなら俺がやさーしく折り畳んで排水溝から下水に流してやろう。

「あー、ジャンおじさんてば、こんなところでまた寝てるよー!コラッ!起きなさいっ」

 子供の掌でべしんと額を張られた。俺はハッとして、背中を持たせていた石像に頭を打つ。

「おじさんドジだなあ、あははははは」

 こちらを指差しケラケラ笑う犬人の小僧を襟足からつまみ上げ「おせぇんだよグズが!」とがなり飛ばす。

 親友ナチョの忘れがたみ、アルフレード=コッレオーニ。まだまだまだひよっ子未満、さなぎにさえなっていない…まあそうさな、これはある部分については言い得て妙かもしれない…小僧が、放せとばかり手首に齧りついた。

「うぉっち!」

「へへーんだ!びろびろびろばぁ!」

 アルフレードは己の尻をこちらに向けてペシペシ叩き、尻尾で空中に“バカ”と描いた。俺のドタマのてっぺんから機関車のように蒸気がポアーと噴き上がる。

「てんめえブッ殺すぞ!!」

「やだっ」

 ぴうと風を切って逃げを打つ小僧。

「あっ待てこのやろっ」枯れた噴水の縁を跨いで中に入り込むチビ。「人を待たせといて何しやがる!今日という今日は許さねえ!」

「だって、発表会の練習が長引いちゃったんだもん!」

「そんなんブッチで来やがれ、てめえの父親の大事な日だろうが!」

 尻尾を捕まえてやろうと追いかけるが、水が出てくる孔である鯨のモニュメントの周りを小僧と一緒になってグルグルと回る格好になってしまう。

「ようよう、やれやれー!」「トムとジェリーみてえだなあ」「坊主うまいぞ。ほれそこでジャンプだ!かわせかわせ!」

 無責任なギャラリーどもがやんやと囃し立てる。俺は思わず足を止め「やかましい!見世物みせもんじゃねえや‼」と吠えた。

 その背中に、噴水の中を勢いで一周してしまったアルフが激突。顔面を潰され「んにゃ!」と叫ぶ痛恨のドジだ。逃す手はない。

「捕まえたぞ糞餓鬼」反抗できないように尻尾を掴んで逆さ吊りにしてやる。「ぐへへ、たっぷり仕置きしてやんなきゃなあ」まあ、我ながら悪役めいた言葉遣いだとは思う。だがこれが俺と小僧の日常だ。

「ヒドイ!だ!」

「妙な言葉使うな。どうせ意味も知らないくせに」

「知ってるもんっ」

 自分より力が弱いひとや動物をいじめることでしょ?とこまっしゃくれた知ったかぶりで人差し指を伸ばす。

「じゃあ覚悟はできてるってことだな?おおせのとおり、この俺様の超合金の右手でフルボッコだ」

「いぃ、イヤだイヤだイヤだイヤイヤイヤぁ!」

 もちろん冗談だ。ガキ相手にいちいち立腹していて、興信所の所長…つまり探偵が務まるか?まあ、殴るのは一発だけさ。

「こら、暴れんな…」

「ジャン!何をしてるの!!」

 町を吹き抜けてくる海風に髪を乱した銀毛の狐人の女が、噴水の縁石に手をかけ身を乗り出していた。

 ステラだ。なんで、こいつまでここにいるんだ?

 しゃべろうとしたとき、唐突に俺の肘下を叩き付けて、塊のような水が噴出した。俺はてっきり石の鯨がゲロを吐いたかと思った。

 水流は孔の上にかざしていた小僧の小さな身体を俺の手からもぎとり、小僧をまるで玉をストローで吹き上げる玩具みたいに弄ぶ。

「うわっ、ぷぷっ、ひょっ、きゃっ」

 下から衝き上げてくる噴水の威力はものすごく、トトは浮遊して降りられずもがいた。

 一部始終を見届けるつもりで居座っていたギャラリーから、おおお、と声が漏れる。おまけに拍手まで伝染して広がった。それこそ大道芸じゃあるまいし、小人の水芸…玄人はだしの立派な見世物だ、こりゃあ。

「ちょっとジャン!ぼうっとしていないでアルフを降ろしてあげなさい!」

 ステラに言われるまでもない。暴れるなよ、と声をかけて水の檻から助け出してやる。

 俺の肩にしがみつき、ひぷしゃぷクシャミをするアルフを見ているうちに、なんだか可笑しくなってしまい、笑い出してしまった。濡れ鼠になってしまった本人はといえば、こちらも「えへ、えへへあはっ」と笑いがこみ上げる。

 頭からびしょ濡れになりながら、なんで喧嘩をしていたかも忘れ、俺とアルフはステラに叱られながら水から上がった。

「バッカなんじゃないの?あんた達は」とステラは語尾を荒げ、近所から借りてきたタオルで小僧を拭いてやる。

 俺はびたびたに水を吸い込んでいたシャツを絞って裸になった肩にひょいとかけ、「オラ、行くぞ」と毛布から頭を出しているアルフを促した。

「着替えぐらいしてから行きなさいよ」アルフはもう俺の隣に来て足の毛皮をわしょわしょとぬぐい、最後にぶるるっと雫を切った。「アルフも。そのままじゃ風邪を引いちゃうわよ」

「へっ、男ってもんはなあ、こんなもんじゃ風邪なんかひかねぇんだよ」

「あらそう。ウイルスの取り付く島がないくらい頑丈な神経ならそうでしょうけどね。その理屈をこの子にはあてはめないで」

「ハハハそうかもなあ、そんでもって無菌室で過保護に育てたらどうなる?玉無し野郎になっちまうだろ!!」

「いきなり下品なことを言うんじゃないわよ!たくましく育つのと大雑把に育つのは意味が違うでしょ‼」

 そのふたつのどこがどう異なるのか相違点を見出せと言われたら、俺は白紙回答をするしかない。

「ステラさん、僕、平気。男の子だもん」

 珍しく男らしい気骨のあることを言ったアルフに、ステラは「まあ、あんたまで感化されちゃって…」と憐憫の眼差しを投げかける。

「じゃあな。後でこいつのタオル返しに来るぜ」

 先に歩き出して拳を上げ、指をチョイとしゃくると何も言わないでも小僧はついてくる。

 ふわり。雪のような白銀の髪が、俺に並んだ。眉に険のメイクを施したステラが、つかつかとヒールで舗装を踏み抜きそうな勢いで歩いている。

「なんだよ」

「…なんだよとは何よ。文句でもあるわけ」

「いや…そうじゃねぇ、けど」

 そもそも、なんであの公園に、この昼間に、こいつがいたんだ?

 まさか小僧が呼んだのか、と目配せする。アルフはかぶりを振る。

「イグナシオの命日でしょう。私だって憶えているわよ」

 うん、まあ、そうだけどよ。俺は口が重くなる。

「どうしてそんなに渋るわけ?」

「別に渋っちゃいねえ。あいつだって、お前にも来てもらいてぇだろうからな。顔見せてやれ」

 気まずい。

 会話は続いている。俺とステラの間にアルフが入ってきて、クラス発表でやる劇のことや楽器の演奏について「フルートはつまーんないの。シンバルが良かったな」だの「科白のスペルが難しいんだ。まだ習ってない言葉が出てくるの」だのと、かしましくくっちゃべる。

 俺もそれに相槌を打ち、ああだこうだと言う。ステラはたまに口を挟む。もしかしたら、俺達は家族に見えているのだろうか。俺と、アルフと、ステラは…

 ぶるる。首を振る。二人は顔を見合わせ、今日の俺はいつにも増して変だぞと言った。

「俺がまるでいつもいかれてるみたいに言うんじゃねえ!」

「だぁって、ねーアルフ」

「ねー。ステラさん聞いてよー、ジャンおじさんてば朝からそわそわしてたんだよ。パパに花とかお供えしたら女々しいかなーとか、タバコとお酒とだったらどっちかなーとか、ぶつぶつぶつぶつ」

「あっ、聞いてたのかお前!」

「うん。ジャンおじさんの声、大きいからつつ抜け」

 小癪な脳味噌をしまう頭をこじってやろうかと伸ばした指を、小僧の手で逆に握られた。

「心配しなくても、パパはジャンおじさんが大好きだから、来てくれたっ!て喜ぶと思う」

「………」

「そうね、柄も人相も出来も悪い男でも、あんたはイグナシオのとっときの幼馴染なんだから」

 調子を合わせるステラにも、いつもの皮肉が感じられない。

 俺は道すがらにリカーショップでジンをひと瓶買い、飲み口を握り締めて墓地の丘を登った。

 黒大理石に金文字で刻印されたナチョの墓石の前で、俺達は三人一列になり、厳かな黙祷を捧げる。

 ちょっとだけ、ほんの、ほんのちょっぴりだが。

 ナチョ、お前が居てくれたらもっと良かった筈なんだろうが、完璧には程遠い形にしか見えないだろうけどよ。こんなこと科白にすんのも口はばったいけども、よ………

 俺は今、こうして3人でいることに、まるで家族のような絆を噛み締めていた。

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ボスサイド・ストーリーズ Report:1  鱗青 @ringsei

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