百円市

 三日前になくした百円玉を、一也はまだあきらめきれずにいた。

 外でなくしたなら、それはもうしょうがないと断ち切れるだろう。でも、落としたのは家の中なのだ。うっかり小銭をばらまいてしまって、けれど、それが全部で何円あったかは覚えていたから、計算しながら拾い集めた。それで、百円足りなかった。ばらまいた小銭の中には、百円玉がもう一枚、確かにあったはずなのだ。

 それから今日にいたるまで、何回も何回も、部屋の隅々まで探したのに、どうしても見つからない。それでも、絶対どこかにあるはずなのに! と思うと、もういいやという気持ちにはなれないのであった。


 そんな折、先輩が一也のもとに、ある誘いを持ってきた。

「百円市?……って、なんですか? 何か、安売りのお祭みたいなもの?」

「ああ。まあ、そんな感じだと思うぜ。俺も、そういう百円市に行くのは初めてなんだ」

「そういう、ってことは、そういうのじゃない百円市ってのもあるんですか」

「あー、『百円ショップ』世代は知らねえかなあ」

 見た目だけなら一也と同世代の先輩は、そう言って物知り顔をしてみせた。

「ちょっと前までは、いわゆる百均つったら百円市のことだったんだぜ。スーパーや百貨店なんかで、その名のとおり、ときどき市が開かれてたんだ。催し物のスペース使ったり、駐車場の一画にテント張ったりしてな」

「へえー」

「まあ、今は百円ショップがあるからな。きょうびの百円市ってえと、商店街とか地域のお祭なのかね」

「それが、今日、近くであるんですか」

「ああ。おまえ、どうする? 一緒に行くか?」

「そうですね……」

 百円、という言葉はしばらく忘れていたかったが、百円市か。

 どんな市なのか、どういう物が売っているのか。よくわからないけれど、何かいい物が安く買えるかもしれない。そう思い、一也はこの誘いを受けることにした。



          +



 その日の夜。一也は、家に迎えに来た先輩と連れ立って、市へと向かった。

 月明かりの下を、二人並んで歩きながら、一也は先輩に話しかける。

「市が開かれてるのって、この近くなんですか?」

「ああ。もう、すぐそこのはずだ」

「それにしては、ここらへん人っ子一人通りませんけど……。市、まだやってるんでしょうか。もしかして、もう終わっちゃってるんじゃ……」

 心配になって、一也は先輩の顔を見上げた。

 すると、先輩は、目の前の道を指差した。

「見な。旧道だ」

 先輩が指し示した先へ目を向けると、二人の歩いている道は、少し先でアスファルトの塗装が途切れ、白い土の道と一つになっていた。


 その未舗装の道へと入り、二人はさらに歩く。

月 明かりだけが行く手を照らしていた。街灯も、民家の明かりもない道だった。道の脇にあるのは、林や田畑くらいのものであろう。今夜のように月が出ていなければ、明かりを持たずにこの道を歩くことはできないかもしれない。

 いくらか進んだところで、二人は四つ辻に行き当たった。

 二人が歩いてきた道と交わる、もう一つの道も、白い土の道だった。二つの道は、どちらも旧道である。ここは、この町にいくつかある「旧道の辻」の一つだ。


 月明かりに照らし出され、白々と夜の闇の中に浮かび上がる、十字の道。

 それを見て、一也は眉をひそめた。

 いつか聞いた、この月ノ辻町つきのつじまちの古い言い伝えを、思い出したのだ。

「先輩。『月夜に旧道の辻に入ってはいけない』って……俺、聞いたことあるんですけど」

 その言い伝えの由来は、確か、こんなものだった。


 月ノ辻町は、その昔、異世の土地であったという。生きている人間は、この土地に踏み入ることはできなかった。しかし、この町に住む旧家の先祖が、その家に祀られている神の力を借りて、土地を切り拓いたのだと。そのとき、「道」を司る力を持つ祀り神は、月の光によって新たな道を拓き、異世とこの世が交わる辻をつくり出した、という話だ。


 日の光は夜を拒み、夜に拒まれる。けれど、月のそれは違う。月の光は、日の光より幽(かす)かではあるが、夜に交わり、闇の領分を侵すことができる。だからこそ、月の光には、異界への道を開く特別な力が宿っているとされるのだ。


 祀り神のつくった辻――。それが、今では「旧道の辻」と呼ばれる、この場所なのである。

 そして、月明かりを浴びた「旧道の辻」は、今でも時折、この世ならぬ世界への入り口となることがあるという。それゆえに、「月夜に旧道の辻へ入っていはいけない」のだ。この世ならぬ世界に迷い込めば、再びこの世に帰ってこられるかどうか、わからない。


「先輩。ほんとに、この辻、渡るんですか……」

 思い切り不安げな、消え入りそうな声で、一也は尋ねる。

 それに対して、先輩はあっけらかんとした調子で言った。

「ああ、平気平気。この道の先を知ってるから、心配すんな」

 先輩は、辻に踏み入り、一也を手招いた。

 一也は少しの間、辻の前で立ち止まって迷ったが、

(……まあ、この人がそう言うなら……)

 と、先輩のあとについて、月の色に染まった辻へと入った。




 辻を渡って間もなくすると、緩やかに曲がった道の先に、明かりが見えた。

 たくさん灯っているその明かりは、ぼんやりとやわらかく、丸みがあって、電灯のそれではなさそうだ。お祭の夜に見たことのある、提灯の明かりのようだった。明かりのある場所からは、がやがやと喧騒が聞こえてくる。

 そこへ近づくにつれ、辻から続く道は、だんだんとその道幅を増していき、そして、やがては広々とした大路となった。

 大路の真ん中から、七方へと広がって伸びる、紐に吊り下げられた提灯の列。

 その明かりの下で、「市」は開かれていた。


「おー、賑わってんな」

 大路に集う人々を眺めながら、先輩は、周りの騒がしさに掻き消されぬよう、いくらか声を張り上げた。

 道の両側には、地面にムシロを敷いたり、箱や机を置いたりしたお店らしきものが、ずらりと並ぶ。その間を、大勢の人々が行き交っている。

 たしかに、市は盛況のようだ。

 ただ、ここに集っている人々は、なんだか妙だ、と一也は感じた。着物姿の人が多いのは、お祭と考えれば、おかしくはないのかもしれない。けれど、その着物がどうも……やけにしっくりきすぎていると言おうか。着物のデザインを見ても、着こなしを見ても、祭のときだけそれを着てくるというような、そんなものではない気がする。着物でない人も、ぼろぼろのマントと帽子を身に付けていたり、何か獣の毛皮らしきものを頭からかぶっていたり、托鉢の僧のような袈裟姿で首から大きな数珠を掛けていたりと、変わった格好の人ばかりだ。一也たちのように普通の洋服で来ている人は、数少なかった。


 一也は、ふと地面に目を落とした。

 月明かりと提灯明かりが、人々の影を大路に映す。

 重なり合い、絡み、ほどけていくその影を、よくよく見てみれば。

 首から上のない影。尻尾のある影。頭から二本の角が生えている影。片手だけが異様に巨大で、その手に鋭く長い爪のある影。赤い影。青い影。穴だらけの影。中には影のない者もいるかと思えば、影だけあって、その姿がどこにもない者もいる。


 顔を上げ、あたらめて周りを見渡せば。

 風もないのに髪の毛をなびかせ、いや、うねうねと生き物のようにのたくらせている者。瞬きもせず、目の中の黒目を微動だにさせない者。着物の袖から、じっとりと濡れた青黒い手を覗かせている者。笑った口の中に、黒い牙が並んでいる者――。

 一也のほうに歩いてきた、白い猿のお面を付けた者が、すれ違いざまに一也に顔を向けた。そのお面の、目と口が歪んで、にやっと一也に笑いかけた。


 一也は、息を殺して目を伏せて、横にいる先輩に、思わず背中をくっつけた。

 旧道に踏み入ったときから、一応、心構えはしていたつもりだ。でも、いざこうやって目の当たりにしてみると、さすがに平静ではいられなかった。そういえば、あの旧道の辻の先は、本当なら、ずっと細々とした小道が続くばかりで、途中で大路になんかなることなく、また次の旧道の辻に行き着くはずなんだよな……と、一也は今更ながらに思い出した。

 先輩は、当然、知っていたのだろう。

「さあて。じゃ、回るか」

 と、周りの者たちのことを気にする様子もなく、心躍らせた顔で、店の品がよく見える道の端へと寄っていった。

 一也は、そんな先輩の陰に隠れるようにして、身を縮めながらあとに続く。込み合う大路であるが、間違っても、そばを歩く者たちに肩をぶつけたりはしたくなかった。


(それにしても……。この「市」って、一体、何を売ってるんだ?)

 何か、自分も買いたくなるようなものがあるのだろうか、と、一也は大路の端に並ぶ店の、その品々に目をやった。

 そこにあったのは――。


 ムシロの上に雑然と置かれた、百円玉。

 机の上に整然と分けて並べられた、汚れた百円玉と、ぴかぴかの百円玉。

 大小の瓶の中にじゃらじゃらと入れられた、たくさんの百円玉……。


「さあー、安いよ安いよ! 古い百円玉も新しい百円玉も揃ってるから、見ていってよ!」

「自販機の下に落ちてたものから、神社の賽銭をくすねてきたものまで、いろいろあるよー」

「カラスの巣や、カササギの巣から集めてきた百円玉は、いらんかねー」

 露天商たちの呼び込みによくよく耳を傾ければ、そんな言葉が聞こえてくる。


 一也は、無言で先輩の顔を見上げた。

 先輩は、片手で額を押さえ、ぽつりと一言、

「……俺が思ってた百円市と違う」

「あ、よかった。先輩も、これは想定してなかったんだ……」

 胸に湧いたこの気持ちを、分かち合える相手がいるとわかって、一也はちょっとホッとした。

 一也は先輩の袖を引き、小声で訴える。

「ねえ、もう帰りましょうよ、先輩」

「んー、でもなあ……。せっかくここまで来たんだし、せめて、ぐるっと一回りしてから帰らねえか? 何か掘り出しもんが見つかるかもよ?」

「こんな市で掘り出し物もクソも……。ここで帰ろうが全部の店見て帰ろうが、別になんも変わんないでしょうよ。売ってる物、ぜんぶ百円硬貨なんですから」


 ひそひそ揉めつつも、二人は人の流れに押し流されて、大路の奥へと進んでいく。

 雑踏の中、あちこちで飛び交う、露天商たちの呼び込みの声。

 店の前で足を止めた買い物客は、店に並べられた百円玉を品定めし、そうして気に入ったものがあれば、果物や、魚の干物、櫛、鏡、布、色紐などを店主に渡して、それと引き換えに、百円玉を買っているようであった。

「おっちゃん。その籠の中の瓜と引き換えに、この百円玉はどうだい」

「そこの、蛇細工の指輪を嵌めた、お姉さん。その指輪で、うちで買い物していかない?」

「おや、おばあさん、大きな巾着袋だこと。何が入ってるの? よかったら、うちの店、見てってくださいよ」

 店の前を、めぼしい「お代」を携えた客が通り掛かれば、露天商たちはそんなふうに声を掛けて、欲しいものと引き換えに百円玉を売ろうとする。


 手ぶらで来ている先輩も、どうやら露天商たちの目には「良さそうな客」と映るらしく、たびたび店の前で呼び止められた。

 一方、一緒に歩いている一也のほうは、先輩のように、何これを買っていけ、と声を掛けられることはない。かといって、露天商たちに見向きもされない、というわけでもなかった。一也の場合は、

「よお、珍しい髪色の兄ちゃん。後ろに連れてるその人間、どっかから攫さらってきたのかい? そいつで、何か買ってってよ」

 などといった具合に、先輩の手持ちの「お代」扱いされるのである。

 そういう台詞が飛んでくるたび、先輩は、軽く笑って受け流し、その店の前を離れるのであるが、一也はいちいち肝が冷えて仕方なかった。


 いくつもの店の前を通り過ぎ、気がつけば、二人は大路のだいぶ奥へと入り込んでいた。

 そこで店を出していた露天商の一人が、二人を見て、声を掛けてきた。

 ただ、その露天商が他と違っていたのは、

「そこの、変わった髪色をお持ちのお方……の、お連れの方」

 と、先輩ではなく、一也のほうに呼び掛けたことだった。

 一也は驚いて振り向いた。

 その露天商は、目深にかぶった頭巾の下から、大きな目玉でぎょろりと一也を見上げた。


「百円玉は、いらんかね……。人がなくした百円玉。どこかに絶対あるはずなのに、いくら捜しても、捜しても、見つからない。一体どこにいってしまったのか、まったく不思議極まりない。そんな百円玉は……」

 露天商は、ムシロの上に並べられた百円玉のうちの一枚を、骨がないかのような薄っぺらい指でつまみ上げ、一也に見せるよう掲げた。

「ほぉら、これなんか……。三日前、誰かさんが、家の中でうっかり小銭をばら撒かして……この一枚だけ、どうしても、どうしても見つからなかった、百円玉だよ……」

 露天商の言葉に、一也はハッとする。

 三日前に、家の中で小銭をばら撒かした……それって……。


 へえ、と声を上げ、先輩は一也のほうを向いて言った。

「ちょうどいいじゃねえか。おまえ、買ってけよ」

「え……。いや。ちょうどいいって言いますかね、こういう場合……」

「ん? 欲しくねえの? だって、あの百円って、おまえがさんざん愚痴ってた……」

「いや、そりゃわかってますけど。でも、あの百円、買わなきゃいけないんでしょう? 俺、今、手頃なお代なんて持ってないし、かといって手頃じゃないもの支払ってまでは……」


 言い交わしているところに、「お代なら」と、露天商が声を交える。

 露天商は、メモ用紙にペンを走らせ、書き終えたその一枚を束から破り取った。

「こんなものでどうかね」

 露天商は、紙の真ん中をしっかりと指で押さえて、それを一也に見せた。


 そこには、大きな文字で「七分間」と書かれていた。


「お客さんの人生の中から、これだけの時間を支払うなら、この百円玉をお客さんに売ろう」

「……」

 紙の上の文字を見つめて、一也は考えた。

 七分間。それくらいなら、百円の代価としては惜しくないかもしれない。七分で百円。ということは、アルバイトだったら時給八百円以上にはなる。


「あの……もし、時間を支払ったら。えっと、つまり、どういうことになるんですか?」

「そうだね……。たとえば、お客さんが、今ここで三日間の時間を支払えば、ふと気がつくとそこは三日後の世界、ということになる。肉体は、三日分、ちゃんと歳を取ってね……」

 なるほど、と一也はうなずいた。そういうことなら。三日とか支払って百円を買うつもりにはなれないけれど、七分くらいなら、問題ないだろう。

「じゃ……その百円、買います」

 一也が言うと、露天商は、ニィ、と口元を歪ませた。

「はい、まいどあり。それじゃあ……ここに書いたお代を、いただきますよ」

 そして、露天商は、一也に差し出した、百円の値段を書いた紙の真ん中から、指をどけた。

 その指の下から、小さな「百万」という文字が現れた。

 「七」と「分間」との間にある、「百万」。

 これがお代だよ、と、露天商は笑う。

 一也は絶句した。

「……えっ。……ちょっ」

 やっとそれだけ声を絞り出し、一也はふらりとよろめいた。

 真っ白になりかける頭の中に、ぐるぐる、ぐるぐる、数字が回る。

「えっ、え? な、七百万分?……って、え、あ……。ええーと……一時間が六十分だから、一日だと、分に直したらえーと……あ、あれ? 六十、掛けるんだっけ? 六十で割るんだっけ? どっちだこの場合?」

「落ち着け、現役高校生。えーっと、七百万分ってえと……」

 先輩は、露天商のメモとペンを勝手に拝借し、一也に代わってちゃちゃっとそれを計算してみせた。

「うむ。……だいだい、十三年くらいになるな」

「じゅっ……!」

 先輩が出した計算結果を聞いて、一也は再び倒れそうになる。

「この市では、いったん成立した取り引きは、決して取り消せないよ」

 と、露天商はすかさず言った。


 一也は青い顔でうつむいた。祭の喧騒が、しんと冷えた頭の中にぼんやり響く。

 しばらくして顔を上げた一也は、涙を溜めた目で先輩を見た。その視線には、助けを求めて祈る気持ちが半分、よくもこんなところに連れてきやがって、という恨みの気持ちがもう半分、こもっていた。


 先輩は、決まり悪そうな表情で一也から目をそらし、少しの沈黙のあと、口を開いた。

「なあ、ご店主。取り引きの『取り消し』はできねえってことだが……『付け足し』ってことならどうだ?」

「……と、いうと?」

 露天商の問い返しに、先輩は、親指で一也を指差して言った。

「見ての通り、こいつはまだ若い。十年一日に思える七百万分ならともかく、一生のうちで、相当いろんな出来事や変化があるだろう時期から七百万分を支払わせるってのは、いくらなんでもあんまりだぜ。どうだい、ここはひとつ……」

 先輩は、メモ用紙にペンで、何やら走り書いた。

 書き終わると、先輩はメモの端をいくらか破り取って、露天商の前にひらりと落とした。破り取った部分には、さっきの計算の跡があった。

「関係ない文字があると紛らわしいからな」

 そう言って、先輩は、手元に残ったほうの紙片を露天商に見せた。文字を隠していないことを示すためか、紙の隅ぎりぎりを、爪の先で挟むような持ち方で。


 その紙には、「二十年後」と書かれていた。


「これが支払の期日ってことで、どうだ?」

「……ふむ」

露天商は、紙の上の文字を見つめたあと、そのぎょろりとした目を一也に向けた。

「まあ、いいだろう。そのお客さんは、体は健康そうだし、悪運も強そうだ……。あと三十、四十年やそこらで死ぬようには、見えないからね」

「そうかい。じゃあ――」

 先輩は、にやりと笑った。

 そして、爪の先で持った「二十年後」と書かれた紙片を、


 紙片は、上の端の部分が折られていたのだ。先輩が先ほどメモの一部を破り取っていたことは、折ったぶんだけ紙の縦幅が縮んでいることを、上手い具合に気付かせぬ目くらましとなっていた。

 露わになった折り目の向こう。すなわち、「二十年後」という文字の上には、隠されていた「千」の一文字があった。

 露天商は、まん丸い目を、こぼれ落ちそうなほどひん剥いた。

 その目の前で、ひらひらと紙片をはためかせ、

「それじゃ、約束どおり―― 千二十年経ったら、お代の七百万分、取りに来な」

 先輩は、得意げな笑みで露天商を見下ろした。

 露天商は、丸い大きな目を歪めて、喉の奥でぐうと悔しげな声を漏らした。



          +



 帰り道。

 市で「買った」百円玉を、掌に乗せて月明かりに照らしつつ、一也は溜め息をついた。

 その横で、先輩の上機嫌な声が響く。

「いやあ、買い物って楽しいなー」

 こんな買い物なら、今度からは一人で行ってくれ――と、一也は心の中で呟いた。


 二人は、しばらく歩いて、辻を渡り、やがて旧道を抜け、また街の景色の中に戻ってきた。

 月明かりに慣らされた一也の目に、街灯の明かりや、車のヘッドライトや、信号機の光が、次々に飛び込んでくる。人が作った電気の光の色は、月の光のそれよりも懐かしく感じられて、一也はなんだかホッとした。


 夜に入り混じる光の群れ。

 その中で、先輩の髪色は、相変わらず黄昏時の色だった。

 あの百円市の露天商たちにも「珍しい」と言われていた、いつ見ても、どこで見ても、まるで夕暮れの街角にでもいるように見える髪の色。


「先輩の髪の毛の色って、なんで、そういう色してるんですか?」

 これと同じことを、もしかしたら、前にも尋ねたことがあっただろうか。そんな気もするけれど、一也は思い出せなかった。

 先輩は言った。

「それはたぶん、俺が、辻で生まれたからだろう。黄昏時ってのは、昼と夜とが交じり合う、時間の辻だからな」


 そして、先輩は、靴の爪先の向きを一也と違え、笑って一也に手を振った。

 手を振りながら、先輩は、大きな交差点を渡っていった。

 横断歩道の上を歩く先輩の、その髪色は、夕暮れの、車のヘッドライトに照らされた色で、夕暮れの、青と赤の信号の光を映した色だった。

 辻で生まれ、その髪色に、光と闇の交わる辻を宿す人。

 今、あの人のあとを付いていったら、きっと、この世ではない道に迷い込んでしまうんだろうな、と、一也は思った。




 -終-

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異世見草紙 ジュウジロウ @10-jiro

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