第3話 ゴールデンとシェパード

 学校帰りに秋音と一緒になり、歩き足りないとばかりに秋音が僕を引っ張って、建築予定地の空き地へと向かって歩いている。

 この空き地は建設予定の札が立ってからも随分とそのままで、今では空き地が原っぱのようになっている。

 膝までの草が緑色に埋め尽くし、所々にクローバーや何かよく分からない雑草地が点在していて、子供の遊び場としては最適な場所だった。

 昔、膝までの草よりもクローバーやらが多かった頃には、姉たちに連れられてよくここに来ていたのを思い出す。

 クローバーの白い花で花冠を作る夏海や、四葉を探す僕と秋音、危ないことをしないように見張り役の春香姉。


「懐かしいなぁ……。

 秋姉、ここに来るのも久しぶりだよね」

「うん。

 ここで冬樹が怪我してから来なくなったもんね」

 あれ?

 怪我って──覚えてないぞ。

「怪我っていつ、どんな?」

 身体を見回しても、酷い怪我の痕は見当たらない。

 大体記憶にないんだから、訳が分からない。

「いつだったかなぁ、ガラスの割れたのが落ちてて、それで手を切ったんじゃなかったかな……。

 冬樹の手が真っ赤になってたのを覚えてる。

 なのに冬樹ったら泣かなくて、大丈夫だよって言ってたのよね。

 私たち皆、それ見て泣いて──。

 それからここに来ちゃダメって春香姉さんが言ったんだったかなー」

 ──まったく覚えてない。

 両手を見ても傷の痕は薄っすらとも見えなくて、首を傾げる。

「怪我って結局どのくらいの?」

 秋音に思い出してもらおうとすると、いきなり笑い出されてしまった。

「それがさぁ、思い出したんだけど、ほんのちょっとの切り傷で、あのいっぱい出てた血は何だったんだーって感じ」

 うん、そうだろうね。

 だって傷の痕なんかまったく見つからないし。

「ひょっとして汗か何かでちょっと出た血が広がってただけとか」

「ああ、雨の後だったから水溜りとかもあったかもねー」

 それで酷い怪我に見えたのか。

 それから行っちゃだめって……僕って過保護にされてたんだなぁ。

「それなら海で秋姉が貝がら踏んで、足を怪我した時の方が酷い怪我だったんじゃないか?

 あの時は傷を縫ったよね?」

 でも、あの時は父さんたちが一緒だったから、対応が違うのかな?

 子供たちだけで遊びに行って、の怪我と。

 両親と一緒に行って、の怪我との差?

「そういえばそうだよねぇ。

 あの時は──そうだよ、病院で何針か縫われたし。

 麻酔無しの方が早く治るとかで痛かったなー……

 抜糸も麻酔無しだったしさー」

 医者で傷を縫われた秋音の足には今でも少し痕が残っている。

 足の裏だから、本人もまったく気にはしてないけど、それでも残るような傷だったのにやっぱり変だよなと考える。

「春香姉さんは長女の責任感があったからかもよ、冬樹の事は昔から可愛がってたし」

「えっ?」

 春香姉……さんにはちょっと苛められたって記憶しかないんだけどなぁ。

 いつ可愛がってもらってたんだろうか。

「あの時も、冬樹の傷は自分のせいだって、結構気にしてたし」

 ひょっとして、構ってくれてるのに、僕はずっと苛められてると思ってたんだろうか?

 後から首を絞められて落ちかけたのなんて何度もある。

 あれが可愛がってたのなら……後から抱き締めてたって事か?

 ──だとすれば、春香姉の愛情表現は過激すぎる。

 姉妹揃ってバカ力なんだから加減してくれないと!

「そっか……可愛がってくれてたんだ……」

 ぽつりと呟いたら、それを聞いていた秋音がにっこりと笑う。

「なんてったって、春香姉さんは一番上のしっかり者長女で、冬樹は末っ子だからねー」

 そういえばよく、ほかの二人にはナイショだからね、とかお小遣いでお菓子を買ってもらったこともあったなぁ……。


「さっすが昔と違って草ぼーぼーだねー」

 秋音が空き地の柵の前で懐かしそうにしながら、びっくりしたように言う。

 建設予定と書かれた看板も古くなっていて、草も膝どころか肩くらいはあるかというような雑草があちこちに群を作っていた。

「うわぁ、アキノキリン草だらけー。

 これって喘息とかに悪いんだったよねー」

 カバンを置いて、スカートなのに柵を乗り越えて空き地にずかずかと入って行く秋音。

「秋姉、ちょっと待って」

 慌てて僕もカバンを置いて、柵を乗り越えて後を追う。

 一足ごとに草の匂いが濃くなって、何か動物でも住んでるんじゃないかってくらいに、うっそうと繁る草で足元がよく見えない。

「痛っ……」

 右足に痛みを感じて立ち止まる。

 草で切ったかと思ったけど、ズボンの布ごしにそれは無い、有り得ない。

 もし草だったらどんな硬い葉なんだ、と思いながら足元を見る。

 確かにこのあたりの草なら皮膚なら切れるよなと、昔はこういう草で手足を傷だらけにして遊んでたなとか、細長く葉の縁が赤茶色になっているのを見ながら、そんな事を思っていたら、くるんとした丸い目と目が合った。

「……おいおい……」

 僕の右足に噛み付いている大きな犬──首輪は見えないってことは、野犬の成れの果てだ。

「痛たたたっ、カンベンしてくれよぉ」

 野犬の霊だから実際には傷は無いし、血も出ない。

 けど、牙が食い込む痛みは本物みたいで──。

「秋姉──ちょっと」

 いつまで経っても離してくれそうにないみたいなので、秋音に取ってもらうことにして秋音を呼んでみる。

「なーにー、何かいいものでもあったー?」

 のんきな声が返って来た。

 仕方ないので犬を引きずりながら声のした方へと歩いてみる。

 霊には重さがないとか、嘘だろってくらい重い。

 なんで犬一匹でこんなに重いんだ!

 足元をもう一度まじまじと見ると、どうみてもゴールデンレトリバーくらいの大きさで。

 まだピレネー犬の大きさでないだけましなんだろうか、なんて思っていると左足にも痛みと重さを感じた。

「……嘘だろ?」

 犬が、増えていた。

 右足にゴールデンレトリバーっぽいの、左足にシェパードっぽいの……だろうか?

 一歩踏み出すごとに重いし痛い。

 よくよく足に注意を向けると咬まれた激痛というよりは、鈍痛といった感じで、犬の顔を見ると二匹とも楽しそうにガブガブと僕の足を咬んでいた。

「……甘噛みのつもりなんだろうか、でもおまえらの図体考えろよな」

 でっかい犬が遊んでるつもりなのかも知れないが、歯だってでかいし、咬まれてるこっちは痛いんだって!

 しかも、重すぎる。

 なんで霊のくせにこんなに重いんだ!

 たった一mかそこらがこんなにも遠く感じるとは。

 足を引きずりながら少し開けた場所に出ると、クローバーの花を摘んでいる秋音が居た。

「秋姉―、頼みがあるんだけど」

「なーに?

 やたー、出来たー!」

 花冠を作っていたらしく、手の中に白い花の輪っかを持っている。

 意外に器用なんだな、知らなかった。

 でも花冠と秋音……似あわねぇ……言わないけど。

「夏姉さんにお土産にしようっと。

 で、冬樹、頼みって?」

 花冠を腕にかけて秋音が立ち上がる。

「僕の両足に犬が食いついてるから、取ってくんないかな」

 犬? と口にしつつ僕の足元へと顔を向けるが、相変わらず視えてない秋音には、僕の足しか分からないだろう。

「んー、このへん?」

 秋音が右手を伸ばすと、嫌々をするように犬の顔が振られ、牙が食い込んだ。

 ちょうど首の後ろを秋音の手が掴んで、ぽいっと投げる。

「飛んでっけー」

 ああ、ゴールデンレトリバーっぽい、でっかい身体が風船のように投げられていく。

 秋音にとっては、あんなに重い犬も軽々だな。

「左足のも頼む」

 秋音の伸ばした手が今度は左足に伸ばされて、シェパードらしき犬の背中を掴む。

「こっちも飛んでけー」

 心なしか寂しそうな犬の目と目が合う。

 すまん、重いし痛いし、うちには猫がいるんだ。

「あっ」

 秋音の投げた犬が放物線を描いてゆっくり落ちていき、空き地の側を通り抜けようとしていた車に吸い込まれていった。

 通り過ぎる車の後部座席から、犬が僕を見て寂しげに鳴いた、ような気がした。

「ここ捨て犬とか多かったのかな……。

 さっきの首輪もしてなかったし、元は血統書付きのペットに見えた……」

「さぁ、どうだろうね……」

 よくわかんないと言って秋音が背中を向けた。

 夏海の土産の花冠だけを持って、空き地から出て歩き出すが、行きと違って帰りは二人共口数も少なく、少し気持ちも沈んでしまっていた。

 僕のズボンにも犬が居たという証はなく、牙の痕すら残ってなかった。

 ただ、遊んでと言っているような二匹の目と、車に乗って遠ざかっていく犬の悲しそうな目をしばらく忘れられそうになかった。

 秋音は秋音で、元はペットだったらしい捨て犬の話で気が重くなったみたいで、柄にもなく落ち込んでるみたいだった。


 そして帰宅した僕は、癒されようと虎を撫でさせてもらおうと近寄っていったのだが──。

『……冬樹、犬臭い』

 帰宅してから虎に嫌そうに、あっち行けとばかりに尻尾でしっしっとされながら言われてしまった。

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視える僕と、助言する猫 蒼月 紅 @kou-a

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