迷信

第253話 迷信1 (1~2 新たな展開) 

 残った2人はそれからしばらく、往時のタコ部屋労働者の苦境に思いを馳せながら、常紋トンネル近辺の石北本線沿いを散策していた。高垣は本を書くのにイメージを膨らませている様だったが、

「ちょっとトンネルの中に入ってみるか?」

といきなり言い出した。

「いやあ、それはマズイんじゃないですか? 単線で狭いトンネルですから、列車が入って来たら避けられない恐れもあるんですよ?」

竹下は乗り気がしないこともあり、事故の危険性を主張して注意したが、

「今の時間帯にここを走る列車はないはずだから大丈夫だろ」

と取り合うつもりもないらしい。

「時刻表じゃわからない、貨物列車もありますよ」

竹下は竹下で尚も止める様に促す。


「奥まで行くつもりはないって! 入り口から50mぐらい入ってみるだけなら、列車が近付いてきたら、前から来ようが後ろから来ようが大丈夫だろ? それとも幽霊怖いか?」

高垣の言い分では、前から来た場合は引き返せる可能性は高いとしても、後ろから来た場合にはどう考えても危険としか思えなかった。但し、さすがにここまで言われると、竹下もおとこの沽券に関わるので、

「仕方ないですね、わかりましたよ……。じゃあ、ちょっとだけですよ」

と半ば呆れながら、2人は常紋トンネルの入り口から進入した。


 その昔(昭和45年)、地震でトンネル壁面のレンガが崩れ、修復作業の最中、その中から人柱にされたと見なされる、タコ部屋労働者らしき全身の白骨遺体が出て来たという話が伝わっているが、その明確な真偽については今は確認することは出来ない(作者注・事実である可能性は高いとは思いますが)。


 ただ確かなことは、この500m程のトンネルと周辺の鉄路が、多くの犠牲によってあがなわれた血と汗の産物であるということだ。それは疑う余地のない史実である。そして現在は、壁面はレンガではなく、完全にコンクリートで覆われている。その壁面には蛍光灯が一定の間隔で設置されており、スイッチが入れば完全に真っ暗という訳ではない。しかしやはり、このトンネルの逸話も絡み、薄気味悪いことに変わりはない。


 恐る恐る歩いて、おそらく30m以上は入った所で、突然前方に人らしき影が見えた。最初はJRの保線員かと思って、勝手に立ち入ったので怒られるかと思ったが、何も言わずにゆっくりと歩いている様だった。暗がりのせいでなかなかどっち向きに歩いているのかわからなかったが、そのうちこちらへ近付いているとわかった。


 先頭で様子を見ながらも、徐々に歩を進めていた高垣は「あっ!」と声を上げた。竹下もすぐに「えっ!」と、こちらも普段は出さない様な大声を上げた。その姿がおぼろげながら見えた時点で、おそらく「現在」の人が着ているような服装には見えなかったからだ。


 正直なところ、竹下は走って出口まで逃げ出したい所だったが、足が思う様に動かず、大袈裟に言えば立ちすくみ、ただ前から近付いてくる人影を凝視したまま何も出来ずにいた。ただ不思議なもので、最初に大声を上げた後は、特に声は普段のトーンのままで2人は会話していた。

「なんだありゃ?」

高垣は暗闇に目を凝らしていたが、竹下は、

「人は人だと思いますが、今風の服装じゃないですね」

と冷静を装いながら観察しつつ、正体が何なのか、ここに至っては覚悟を決めて確認しようとしていた。


 そして近付いて来た人物は、遠目から見えていた様に、足首にゲートルを巻きヨレヨレで泥に汚れた、白黒映像などでよく見る、明らかに戦前のスタイルの作業着を着た男だった。どう考えても同じ時代を生きている人間ではないと2人は改めて認識し、同時にその正体が一体何かも確信していた。ただ、この期に及んで何を言ったら良いのかわからず、と言うよりは、声そのものが既に出なくなっていたのかもしれないが、2人は黙ったままで相手の動きを観察していた。


 しかし相手も、これまた泥に汚れた顔の表情を全く変えることもなく、2人をじっと見つめたままで、およそ2m程の距離まで近付くと、その距離を挟んだまましばらく対峙していた。その間の時間がどれくらいだったかはよくわからないが、恐ろしく長い時間に感じた。しかし突然、その男は表情を緩め、一言はっきりとはわからなかったが何か言うと、2人は急激に意識が遠のいて行くことだけは認識したまま、相手は目の前から消えて行った。


※※※※※※※


「――い! おーい! お、気が付いたか! 竹下さんよ、大丈夫か?」

上体を強く揺さぶられているのを感じながら、竹下はようやく目を覚ました。

揺すっていたのは高垣で、かなり心配そうな表情から、安心した表情へと変化したのが認識出来た。

「……高……高垣さん? さっきトンネルに入って……」

竹下は先程までの記憶を辿りたどたどしく確認すると、高垣は黙って頷いた。そして竹下は、今は自分が車の運転席に、高垣が助手席に座っていることをようやく理解していた。あのトンネルで意識が飛んでから、この駐車スペースまでの記憶が全く無かったのだ。


「あれって、タコ部屋労働者だったんですかね?」

竹下が自分ではわからないが、おそらく青ざめていたままの表情で尋ねた。

「よくわからんが、あの姿格好からして多分そうだろうな……。この世の者ではなかったと思う……。俺も今の今まで、心霊現象なんざほとんど信じちゃいなかったが、正直言って驚いたよ……。こんなことがあるんだな、本当に……。まあ、ここはそういう場所だということはわかっていたが、どっかに迷信の類だろうという思い込みがあったのも事実だ。しかしなあ……。こればかりは、自分で実際に体験してみないとわからんということだろう」

高垣はそこまで言うと、その先は何も言わなかった。


「自分もここの幽霊話はよく聞いていたとは言え、元々心霊現象なんて信じていなかったんですが、いやあ恐ろしい経験をしました」

竹下も身体の微妙な震えを感じながら、正直な感想を語った。


 しかし高垣はここに来て、意外に柔和な雰囲気になりつつあった。竹下としてはその理由がわからず、

「高垣さんは、怖くないんですか? 40になる男がこんなことを言うのも情けないんですが」

とためらいがちに言った。

「竹下さん。あんたあの時、あの男が何か言ってたのを憶えてるか?」

予想もしない言動に竹下は面食らったが、

「確かに何か言ってたとは……」

そう言いながら、必死に思い出そうとした。そしてようやく1つの答えを出した。

おぼろげですが、『後は……頼んだ』? とか何とか言ってたんじゃないかと」

自信なさげな口ぶりだったが、高垣は

「ああ! おそらくそう言ったと俺も思う。2人の意見が合致したんだからそうなんだろう。これは俺の勝手な思い込みかもしれないが、あの幽霊は、俺達に託したんじゃないだろうか? 『自分達と同じ目に合う人間を出すな』と。そして『その為に働けと』ね」

と言い出した。

「そういう解釈も、十分可能かもしれないですね」

竹下も高垣の発言に一定の理解を示しつつ、

「しかし、自分は恐ろしさの方が先に立っちゃって、そんなことまで考えが回りませんよ。高垣さんは、さすがにフリーランスとして修羅場潜くぐってるだけあるなあ」

と自嘲してみせた。

「そんなこたあない。俺もさすがに最初は恐ろしさに加えてびっくりしたって!」

そう言って豪快に笑ったベテランのフリージャーナリストだったが、

「でもな。……これは使い古されて今更感のある言葉だろうが、『生きてる人間が一番怖い』と、俺は常々思ってるんだ。だからな、ただの害の無い幽霊なんて、よく考えりゃ大して怖くないって奴よ。おまけにアイツは、どうも俺達を応援してくれる立場? みたいだろ。ある意味守護霊みたいなもんじゃないか?」

と真顔で言った。

「なるほど。確かにそうかもしれません」

竹下は深く頷いた。


 高垣の口から発せられた「生きてる人間が一番怖い」という言葉は、物書きとしては余りにも陳腐な表現だったかもしれない。ただ、高垣の東西新聞記者から始まり、東西新聞を辞め、そしてフリージャーナリストとしてこれまで歩んできた道程を考えれば、その新鮮味のない言葉にこそ、むしろ重みを感じさせる迫真性が宿っていると竹下には感じられていたのだ。


「だからこそ、俺達は怖がってる暇なんてなくて、あの幽霊の為にもやるべき仕事をひたすらやり続けることだけ考えてりゃいいんだよ! そしてその中には、今の社会的辺境に取り残された人達をどう取り上げていくかということがある。さっきあったことは、それを再確認させる出来事だったってことで、今は理解すりゃいいんだ」

高垣の言葉は竹下に強く響いた。

「それはそうと、色んな意味で身体の芯から凍えたのも事実だから、この山の中からさっさと海沿いまで出て、熱い海鮮ラーメンでも食いに行こうや!」

高垣は清々しい表情のまま話題を突然変え、昼飯に何を食べるか提示すると、竹下の肩を軽く叩いた。

「ですね! 腹が減っては戦は出来ぬ。何事もまずは腹ごしらえからです!」

竹下も心からの笑みを浮かべ、シートベルトを締めて車のエンジンを掛けた。そしてサイドブレーキを戻し、シフトレバーをニュートラルから1速に入れた。それと同時に、

「それから、常紋トンネルの本の題名もたった今決めたぞ!『辺境の墓標』にしようと思う。どうだ?」

と、高垣に意見を求められた。

「なるほど! それでいいんじゃないですか? 自分が西田さんと沢井さんに許可取っときますから、その点は任せといてください」

竹下はそう言ってアクセルを軽く踏んだ。

「そうか! そいつは心強いな。是非頼むぞ竹下!」

初めて高垣から呼び捨てにされたが、妙に嬉しさの方が勝っていた。

「ええ。安心して思う存分執筆してください! しかし、別れた後こんなことがあったと西田さんと吉村に教えたら、気が触れたかと思われるだろうなあ。黙ってる方が良いですかね?」

そう尋ねられた高垣は、

「少なくとも2人は信じてくれるんじゃないか? そういう関係だと傍から見て俺は思ってるよ。だから普通に言えばいい」

と返した。

「うーん。どうだろうなあ……。ただ、今から悩んでも仕方ないのもおっしゃる通り。余り考えずに、高垣さんの言う通りにしましょう!」

竹下は溌剌としながら軽く叫ぶと、砂利を弾き飛ばしながら車は加速した。


※※※※※※※伏線


95年の時点で、過去の話ではなく、実はまだ常紋トンネルの心霊現象は実際にあるというJRのベテラン運転士・高宮が湧泉で会った西田に証言


明暗27 後半部分

https://kakuyomu.jp/works/4852201425154922648/episodes/1177354054880320860


※※※※※※※


 一方、西田と吉村の車は、生田原市街地まで大将達が乗った遠軽署の車の後を付いていた。そして、松野住職を弘安寺まで送り届ける為に、国道242号を生田原駅方向へと進んだ遠軽署の車と途中で分かれると、国道242号を北見方向へ向けてスピードを上げた。しかし留辺蘂町との境である金華峠へ向けて登っている最中、西田の携帯に連絡が入った。電話の相手は、これから会うはずだった今田検事で、出勤前に身重の奥さんが産気付いた為、本日の打ち合わせはできれば明日以降にして欲しいということだった。


「予定が狂っちまったなあ……。これから中途半端な時間が出来た。家でゆっくりって程でもないし」

西田は「ツイてない」という態度を隠さなかったが、

「だったら、この寒さですから、勤務前に温泉にでも入って温まって行くとか、どうです?」

と吉村が言ってきた。

「温泉? 日帰り入浴って奴か? まあ勤務時間内と言えなくもないが……」

本来であれば、釧路地検北見支部に直行だから、温泉に入っていたら勤務時間に掛かってしまうが、そこが完全に空いたのだから、勤務時間外と言えなくもない。突然のキャンセルだから、好き勝手に空いた時間を使ってもバチは当たるまいという感覚もあった。

「そうです。確かあの温根湯温泉のホテル松竹梅が、日帰り入浴もやってて、タオルとか浴衣とか貸してくれるはずですよ。7年前に大島の指紋取りで泊まった時の記憶ですけど。いいじゃないですか? 相手の都合でキャンセルなんですから」

高垣から提供された大島の指紋が、桑野欣也の血判と一致しなかったので、わざわざ目の前で大島の指紋を入手して最終確認しようと、大島がホテル松竹梅に支援者と共に宿泊した時に西田達も宿泊したが、その時に得ていた情報らしい。


「そうか……。じゃあ行ってみるか」

西田はその提案を結局は受け入れた。

「ダッシュボードの小物入れの所に、6月に突然の風雨で車内が水浸しになった時、金華駅の前であの爺さんにもらった、ホテル松竹梅のタオルが入ってます。確かそこに電話番号載ってたはずです。念の為、今でもやってるか確かめてから行きましょう」

「しかし、あの時は北見(方面本部)の車だったろ?」

西田の問いに、

「タオルが新品同様だったもんですから、あの後自分の車の方で使ってるんで、丁度運良く番号がわかるはずです。多分ここからでも携帯の電波届くでしょ?」

と答えた。


 吉村のこの話は、今年の6月に遠軽署から大将の所に寄って戻る際、機雷事故の慰霊式典で配布された冊子に、大島海路の実体である小野寺道利の名が、死亡者として載っていたことに気付いた時のものだった。その直前に、突然の暴風雨で車内が水浸しになり、金華駅前に駐めて車内や濡れたモノを拭こうとした時、丁度「人生劇場」の例の爺が現れて、タオルを差し出されていた。


「あの時のタオルを、わざわざ自分の車に詰め込んでるのか」

西田は案外モノを大切にしていることに驚きながらも、小物入れからすぐにタオルを見つけ出し、そこに書いてあった電話番号に掛けてみた。


 ところが、掛かった先は、同じ温根湯温泉のホテル「湯の里」で、ホテル松竹梅ではなかった。ひょっとして名前が変わったのかと思ったが、電話の相手は、「ホテル松竹梅は別にちゃんとある」と西田に返していた。西田はタオルに書かれていた番号と掛けた番号を比較して、符合していることを確認すると、

「おい! これよく見たら、ホテル松竹梅じゃなくて、『温泉旅館 湯元 松竹梅』ってなってるぞ! 市外局番こそ一緒だけど、別モンじゃないのか? 今掛けた所は、ホテル湯の里とか言ってたぞ。名前が変わったということもなく、ちゃんとホテル松竹梅は別にあるってよ!」

と部下に文句を言った。(作者注 伏線後述)


「えっ? でも市外局番も一緒で、松竹梅なんて同じ名前で、しかも温泉絡んでたら、温根湯温泉のあのホテル松竹梅しか思い浮かばないなあ……。普通にホテル松竹梅のことじゃないんですか? あれ正式名称はホテル松竹梅でしたっけ?」

とぼけた様な返しだったが、本人には悪意は一切無い模様だ。


「どっちにしろ、この電話番号が合ってないんだから違うんだろう。もういい! 俺が自分で調べるから」

捨て台詞気味に言うと、西田は携帯で検索してみた。するとやはり正式名称は、温根湯温泉という言葉こそ付いたが、「ホテル松竹梅」であった。電話番号は、0157-□□-1126となっていた。

「やっぱり違ったわ! それにしてもこのタオル、一体どこの旅館のもんなんだろうな」

西田はブツクサ言いながら、正確なフロントの電話番号に掛けると、やはり日帰り入浴が可能な上、レンタルの入浴セットも用意されているらしい。


「日帰り入浴と入浴セットについて『だけ』はお前の話で合ってたわ」

西田は会話を終えると、一言そう嫌味を言ったが、

「やっぱりそうでしょ? そういう記憶がはっきりありましたからね」

と、吉村は真意は無視して自分の記憶を自賛した。

「まあいい……。とにかく時間はあるから、ゆっくり冷えた身体を温めていこうや」

西田は吉村の脳天気さを半分羨ましく思いながら、気持ちは完全に温泉の方に向き始めていた。


 車は金華峠を無事に越え、生田原町から留辺蘂町に入り金華地区の集落に差し掛かった。すると、

「折角ですから、慰霊碑の方にも寄ってみますか?」

と吉村が車をスローダウンさせながら言い出した。

「慰霊碑?」

西田が怪訝な口調で尋ねると、

「ほら? 金華のタコ部屋労働の犠牲者の慰霊碑(正式名称は『常紋トンネル工事殉難者追悼碑』)ですよ。国道沿いの」

と説明した。

「ああ。あの慰霊碑か……。そうだな……。今日は辺境の墓標に墓参したし、こっちにも寄って手を合わせて行くか。1つの区切りとして……」

そう西田が同意したすぐ後、フロントガラスの視界に、「常紋トンネル工事殉難者追悼碑入口」の白く細長い標識が立っているのが入って来た。

「反対車線側の駐車スペースが狭いから、駐めるのに遠軽向きにしないとマズイんで、それなら金華駅前に駐めて歩いた方がいいだろ? 大して距離も歩かんし」

西田はそう提案してみせた。

「そうですね。自家用だからぶつけられるのも嫌なんで、そうしましょう」

吉村もそう言いながら、慰霊碑入り口をちょっとオーバーしてから金華駅前への横道へと左折した。


※※※※※※※伏線後述


暴風雨の後で金華駅前に寄り、そこで「人生劇場」をラジカセでかけている爺さんと再び遭遇し、タオルももらった件については、名実27の後半に記述しています。


https://kakuyomu.jp/works/4852201425154922648/episodes/1177354054881136881


尚、常紋トンネル留辺蘂側に実際に建立されている、歓和地蔵尊での慰霊の動画があったので貼り付けておきます。これはJRが毎年6月下旬に慰霊式典を行っているとのことです(当小説では、生田原側に別途墓標を設定しましたが、実際には留辺蘂側にしかありません。また、このお地蔵さんがあるのは、追悼碑とは完全に別の場所(常紋トンネルから留辺蘂方向に1キロ程の場所)です。


https://www.youtube.com/watch?v=oAiVy_C7Lbo


※※※※※※※


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