第254話 迷信2 (3~4 思わぬ展開)
金華駅前に車を駐めてから、数百メートル歩き、慰霊碑のある小高い場所へと続く階段を2人は一歩ずつ上っていた。その間、乾燥した冷たい風が継続して吹いており、背を丸めながらの行程だった。
上がり切る前にレンガ造りの慰霊碑が目に入ったが、7年前に訪れた時と全く変わらない姿にしか見えなかった。そして、階段を上り切った後で慰霊碑の方へ向くと、前方の遠軽側からの強風、つまり強い北風が2人に襲いかかった。身を切るような寒風に、西田も吉村も改めて大きく身震いする程だった。
2人は慰霊碑のすぐ真下まで行くと、ツルハシを持ったタコ部屋労働者をモチーフにした像をじっと見つめ、そして黙ったまま目を閉じ手を合わせた。それから30秒程黙祷していただろうか、不意に階段の方から、何やら音楽が聞こえて来たのが耳に入り、2人は目を開き自然とそちらの方へ視線をやった。その曲はあの「人生劇場」であり、大音量を放つ古めかしいラジカセを持ったあの老人が、階段を上り切った後、
「またあの爺さんか……」
吉村は小さい声とは言え、おそらく相手に聞こえそうなトーンで呟いたが、老人は気にする素振りも一切無く、足取りも老人とは思えない程しっかりしたまま、すぐに並んだ2人の真ん前に立った。そしてラジカセの音量を聞こえなくなるまで下げると、笑顔で西田と吉村の顔を2往復ほど見比べた。
「元気そうですね。6月だったか、あの時はタオルありがとうございました」
何となく気不味い感じがしたので、西田は口火を切って、タオルをもらったことについて取り敢えず礼を言ったが、老人はそれについては反応しなかった。
しかし、いきなり並んだ西田と吉村の肩を、同時にそれぞれ左右の手でポンと叩き、
「いやあ、本当によくやってくれた! 二人共大したもんだわ! 警官の誉だわ!」
と言い出した。言うまでもなく、西田も吉村も何のことだかわからずポカンとしていたが、老人はそれには全く構わず、2人の裏へと回り、慰霊碑の前でラジカセの音量を再び上げてから、それを地面に置き手を合わせ始めた。その様子を見ていた2人は、何と声を掛けて良いかもわからず、1分程ボーッと見るだけだったが、老人はそのまま祈りの姿勢を維持していた。何かしら気になる様子ではあったが、かと言ってこのままずっと居ても仕方ないので、西田は吉村に目配せするとこの場を去ることとした。
そして、老人に背を向けて歩き出した直後、それまでかなりの音量で流れていた人生劇場のメロディが突然消えたので、思わず振り返った。すると、碑の前から老人は忽然と消え、置いてあったラジカセも消失していた。
唖然とした2人だったが、吉村がすぐに碑の裏の方に回り、そこに老人が隠れていないか探った。しかし、当然ながら跡も形も見当たらず、今度は碑の裏の山林に入り込んだ可能性も考えたが、あのわずか数秒で入り込める程近い距離でもなく、入ったとしても分け入った際に群生した笹をかき分ける音がするはずだ。つまり人生劇場の
「まさかこれが神隠しって奴なんですか……!? それとも幽霊……!? こういう場所だけに、タコ部屋労働者の幽霊じゃ?」
吉村が碑の裏から戻りながら、普段は見せない様な顔を強張らせながら喚いた。
「わからんが、ラジカセ持ったタコ部屋労働者の幽霊なんて、さすがに時代的に有り得んだろ? ただ、突発的に起きた神隠しの類ではないだろうなあ……。今までも色々と不思議なことがあった爺さんだったからな……」
西田も首を捻りながら、これまでの経緯を振り返りつつも、最後は絶句してしまった。
そのまま数分の間、様子を見ていたものの何事も起こらず、このままこの場に居続けても仕方ないので去ることとし、階段の方へ向けて再び歩き出した。だがその背中に向けて、来た時同様の強い北からの突風が2人に吹き付けて来た。条件反射的に「うぅ寒っ」と言う言葉を期せずして2人共吐いたが、すぐに違和感に気付いたのか、思わず見合った。
「うん? 何かあったか?」
西田自身その違和感が具体的に何かはわかっていたが、あまりに荒唐無稽だったため、わざわざ口にしたくなかったので吉村に先に確認した。しかし吉村も、
「……否、何でもないです。課長補佐こそ何か?」
と返してきたので、西田もまた、
「俺も別に……」
と流れで言葉を濁してしまった。
「とにかく、寒さで凍えてる上に、こんなことがあったら心まで余計に冷え切った以上、さっさと温泉に浸かりに行きましょう!」
吉村は西田を急かすと、2人は足早に階段を下り、車を駐めてある金華駅まで急いだ。
そして金華駅から25分程度で、温根湯温泉のホテル松竹梅へと着き、2人は早速源泉かけ流しの温泉を、季節柄空いていたこともあって、7年ぶりにゆっくりと堪能した。慰霊碑の前での不可思議な出来事も、温泉でリラックス出来たせいか、この時ばかりは記憶から、そこそこ抹消することに成功していた。
ようやく身体の芯から温まることが出来た2人は、ホテル内の和風レストランに入ると昼食を摂った。西田が山菜そば、吉村は和風ハンバーグとお汁粉という組み合わせだったが、相変わらず吉村の方が先にさっさと食べ終えていた。
その後お茶を啜りながら、この後もう一度温泉に入ろうかどうしようかと話し合っていると、オーナーの松重がレストランに入って来たのがわかった。7年前より若干老けてはいたが、おそらく年齢は50代半ば辺りになっていただろうが、それよりは十分若く見え、総合的にはそれ程見た目の変化は感じられなかった。一仕事終えて昼食を摂りに来たのだろう。そして入って来るとすぐに西田を見つけて、
「ああ! ……えっと西田……さんでしたか? どうもお久しぶりですね!」
と声を掛けてきた。さすがに客商売のプロだけあって、捜査している側と違い、相手はそれほど印象に残っていないだろうに、西田のことをよく憶えていた。
「同席してもよろしいですか? もう1人の方のご都合もあるかと思いますが……」
松重にそう尋ねられた西田は、そうなると温泉に入るのが遅れるなと、やや渋い表情を浮かべかけた。だが、どうせ時間はたっぷりあるので、しばらくぶりの再会ということもあり、30分ぐらいは付き合おうと覚悟を決めた。吉村の方はと言えば、直接的な面識が松重となかったとは言え、吉村としては一方的に松重を知ってはいるだけに、相手に知られていないことに複雑な様子ではあった。そうは言ってもさすがに嫌な顔は出来ず、
「ええ、俺は気にせずどうぞ」
と伝えた。松重は気を使ったか、すぐに出来るものが何か従業員に確認し、和風チャーハンを頼み、実際10分掛からずにテーブルへと運ばれて来た。
取り敢えず西田は松重に吉村を紹介した。一方の松重はチャーハンを食べながら、西田達が今何をしているのか、余り詮索はしない様に注意しつつも、上手く尋ねてきた。必要以上に隠す必要もないと考え、今年の春から北見方面本部で、相棒の吉村と共に勤務していることを説明すると同時に、吉村も7年前に遠軽署で一緒に勤務し、このホテルにも宿泊したことがあると伝えた。そして、大きな仕事が一段落したこともあり、たまたま時間が出来たので、日帰り入浴しに来たことも説明していた。
「そうですか……。今は北見で勤務されているんですか」
松重はそう言った後、
「大きな仕事ということは、昨今騒ぎになってる例の大島海路の件、ひょっとすると西田さん達が絡んでるんですかね? ニュースで見た程度ですが、確か大島は複数の殺人事件と関わっているとか……」
と切り出した。
「ああ……。さすが松重さんですね、全てお見通しでしたか……。報道されてる通り、7年前私共が捜査していた事件が、どうも大島とも関わっていたと考えていたんですが、残念ながら色々あって詰め切れず、再びその捜査に当たる為に、こちらに再び赴任して捜査していたんです。そしてようやく結果を出せました」
西田は松重の勘の良さを褒め、あっさりと白状した。
「あの頃西田さんとご一緒されていた、北村さん? が殉職した病院の発砲事件にも、大島が関与してたそうですね……。そういう意味では、御二人は元の同僚の敵討ちも見事に果たされたということですよね?」
再度話を振られた西田は、
「まあそういうことになりますか……。昨年の7回忌(6年目)には間に合いませんでしたが、何とか今年の命日には、彼の墓前に良い結果を報告することが出来ました」
と答えた。
「あの若さで、しかも不慮の事態で亡くなったんですから、色々思い残すこともあったんでしょうが……。ただ、事件が無事解決したことは、私としても嬉しい限りですよ。それにしても、やはり相手が相手だけに、色々あったみたいですね……。詳しいことはわかりませんから、報道程度の知識で知った様な口を利いて申し訳ないんですけど、7年掛かったというのはそういう部分もある?」
大島の政治力故に、捜査がより難航したことを松重も認識している様だった。
「そういう側面もないとは言えませんが、当時はわからなかった事件背景の複雑さなどの方が、今から思うと影響していたのかなとも考えてます。当時は圧力の方が影響大だったと思ってたんですが、今となっては捜査情報が足りなかった部分や、勘違いしていたことも多くて……」
細かいことは説明しようがない上に、部外者に余り話せない故、西田としても煮え切らない様な発言になったが、さすがに「大人」の松重はそこまで突いて来ることはなかった。
その後は世間話やよもやま話をしながら、松重が食べ終わるのを待っていたが、ここ最近の積雪の無さと、そのことで空気が乾燥して、むしろ体感温度が寒く感じると言った天候の話になった。これまで余り会話に入っていなかった吉村が、
「松重さんのところの温泉で、身も心も十分に
と喋ると、松重は
「あんなこと? って何かあったんですか?」
と尋ねてきた。
「こりゃ参ったな」
吉村同様に西田も同じことを口にしていた。特に吉村は、「あんなこと」と言ってしまい、相手に気になる切っ掛けを与えたことを悔いている様だった。あの消失騒ぎについて語る必要性が生じた以上は、明らかにオカルト染みたことを説明する必要があり、どうにも「大人同士の会話」としては話し辛いと2人は思ったからだ。
ただ、吉村は西田程忌避感は無かったのか、
「ちょっと
と念を押しつつ、あの慰霊碑の前で今日起きたことを普通に説明し始めた。既にチャーハンを食べ終えていた松重も、茶を口に含みながら、吉村の「インチキ臭い」話を笑顔で聞いていた。西田も吉村だけでは信頼されず可哀想だと思い、7年前からの「因縁」含め補足していた。松重も当初はおそらく愛想笑いだったのだろうが、途中からは何故かその笑顔が消え、松重は色々と質問を挟む様になった。そして2人が話し終えた頃には、松重はかなり真剣な顔付きになっていた。
「御二人はここを何時ぐらいに出ればよろしいんですか?」
突然そう問われた西田は、
「4時前までに戻れば良いとして、3時過ぎに出れば十分でしょう。これからもうひとっ風呂浴びようかって話してたところですよ」
と返した。それを受けて松重は時計を見ると、
「今1時半か……。大変申し訳無いんですが、入浴は諦めていただけないですかね? 勿論、食事代は私が出させていただきますが、ちょっと付き合ってもらいたいんです」
と言い出した。余りの突然の申し出に2人は困惑したが、松重の真剣な表情から
「そこまでおっしゃるなら……」
と受け入れた。その時の吉村はややしかめっ面になったが、さすがに文句を挟むことまではしなかった。
「それじゃあ、本当に申し訳ないですが、私の部屋まで案内させていただきますから、付いて来てください」
そう2人に伝えた後、若い女性従業員に「このテーブルの伝票私にツケといて」と言い残し、2人をレストランから連れ出した。
それから、ホテル1階の奥まった場所にある、事務室の中の更に奥の社長室の応接セットにまで2人は案内された。ソファで事務員からお茶を出されている間、松重はキャビネットを開けたり、キャビネットの上のダンボールをや探ししていたが、
「あ、これこれ! やっとあったか……」
と独り言を言うと、何やら分厚いファイルの様なもの数冊持って、2人の前にやって来て座った。それから、テーブルの上に持って来たファイルを置いて、パラパラと開き始めた。
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