第255話 迷信3 (5~6 老人が西田達の前に出現した意義)

「さっきの消えた老人の話ですが、ひょっとしてこの人じゃないですか?」

ファイルの様なものはアルバムだった様で、その中の1ページのとある写真の中の人物を松重は指していた。

西田と吉村は腰を軽く浮かすようにしながら、そのカラーとは言え、古めかしい写真を覗き込んで確認すると、二人共思わず「あっ!」と声を上げた。それを聞いた松重は、困惑した表情を浮かべつつも、

「やっぱりそうでしたか……」

と言ったまま、更に唸った。


「これは誰なんですか?」

焦って尋ねた吉村に、

「この人はですね……。水上 喜作きさくという方でして、常紋トンネル調査会の初期のメンバーでした。確か亡くなったのが、今から20年近く前でしたか……。昭和57(1982)年頃だったと思うんですが……。とにかく既に亡くなってることだけは、どうにも否定し様がない事実なんです。この写真は亡くなる前の、最後の遺骨収集に参加された際の、夜にウチで夕食会をした時の写真だったかな……」

と答えた。当然ながら、あの老人の存在が心霊現象である可能性については、西田も吉村も内心は十分考えていたものの、現実にその事実を突き付けられると、2人は面食らったというのが正直なところだった。


「ってことはやっぱり、あれは幽霊で間違いなかったってことなんですかね?……」

西田にお伺いを立てる様な言い方になった吉村に対し、

「あれが幻ならともかく、俺もお前も一緒に目の前で見たんだから、そういうことなんだろう……。未だに信じられん部分もあるが……。ただ、これまでの出来事を考えると、幽霊だというのは辻褄が合う部分があるのも事実だ」

と、ボソボソと自分の言っていることを一言一言確かめる様に喋った。


「私も常紋トンネルに関わっている以上、様々な人から、常紋トンネルの心霊現象の様なことは、実際小さい頃から数多く聞いてはいるんですが、私自身は一切それらしい体験すらないんです……。正直な話、世の中の心霊現象の類のほとんどは、話半分どころか作り話や迷信ぐらいにしか考えていなかったんですよ。しかし、先程お二人の話を伺った限り、どう考えても、亡くなった水上さんがお二人の目の前に現れたとしか思えない」

喋る言葉そのものは落ち着いた表現だったが、口調から明らかに松重は興奮気味だった。


 初めて幽霊たる水上と出会ったのが、95年の米田青年の殺人事件捜査で北見から戻る最中に、初めて慰霊碑を訪れた時だった。そして2度目が、大友刑事部長や倉野捜査一課長から、北見共立病院銃撃殺人事件での捜査協力をしなくて良いと告げられた12月の吹雪の中だった。あの時、吉村が車で轢きかけたが、年寄りとは思えない動きで避けたと吉村が語っていた。同時に、何故か西田達が警官だと知っていた。3度目が、今年の6月に金華駅前でタオルを渡してくれた時だった。そして4度目の今日、2人に「よくやった!」と告げ忽然と消えたのだった。


「今までに何度か遭遇ったということでしたが、いずれも金華駅かあの追悼碑の前だったそうですね?」

松重が確認してきたので、

「ええ。そうです。4度会ったと思いますが、その全てがあの場所か周辺でした」

と西田は答えた。


「まさに水上さんは、元々あの金華地区の、生田原寄りにあった開拓農家というか、林業を営んでいた家で、明治34(1901)年生まれだったかなあ……。とにかくそのぐらいに、生まれたと御本人から聞いてます。それで丁度物心ついた辺りで、常紋トンネルや鉄道敷設の工事(1912年から1914年)があって、よくタコ部屋労働者が逃げ出して来て、峠を下った辺りの水上さんの実家に逃げ込んでくる様なことがあったそうなんですよ……。逃げて来る労働者のほとんどが、傷だらけだったり或いはかなりやつれたり、足取りもおぼつかない様子で、まあ子供ながらにとんでもない目に合っているというのがよくわかったそうです。それで水上さんの父母が、握り飯持たせて逃がすことがあったそうなんですが、飯場の方から追手がやって来たり、本来なら助けるべき警察が取り締まっていたりで、結構捕まって戻されることがあったらしいんですよ……」

そこまで一気に喋ると、松重は視線を下げ表情を曇らせた。だが、既に起きてしまったことは、どんな悲劇であれ取り返しが付かないと思い直したか、話を再開した。


「逃げて来たタコ部屋労働者の話では、工事中も虐待で死者が続出したのは勿論、逃げても捕まって戻された人は半殺しの目にあったり、中には見せしめで殺されたとか、そういう次元の扱いだったそうです。何より、警察も弱者の味方どころか、虐待している方に加担してたことが、子供ながらにショックだったと言ってましたね……。まあ話を聞いてた私自体も、その当時父親に連れられて遺骨収集してたとは言え中学生ぐらいでしたから、その当時の水上さんと大して変わらない年齢でしたが……」

松重の話は、西田と吉村が思いもしない方向へとドンドン進み始めていた。


「その後、水上さんが北見の学校を卒業して進路を考えた時、まだ当時は林業は普通に主要産業でしたから、家業を継ぐことも考えたそうですが、兄が居たのと、元々正義感が強い部分があったので、警察官として弱い人達を救いたいという思いがあり、警察官になったそうです。勿論その根底には、子供の頃のタコ部屋労働者への、当時の警察のやり方への義憤もあった模様ですが……」

「え? 警察官だったんですか、その水上さんは?」

吉村が驚いて確認すると、

「そうです。長年刑事をやっていて、退職される最後は、確か十勝の池田署の副署長にまでなっていたそうです。そして退職後に北見に家を買って戻られて、そしてウチの調査会みたいな存在があると知り、亡くなるまで参加してくださったんですよ。実家自体も、その当時既に留辺蘂から北見へと移転していたはずです。お兄さんが山を売って、北見でなんかの店か何かをやっていたとか何とか……。詳しいことはちょっと憶えていないんですがね。とにかく西田さん達の先輩なんですよ。『よくやった』って言うのは、そういうことも含めた言葉だったんじゃないかと思います」

と説明した。


「まさに全てお見通しで、俺達を叱咤激励していたということなのか……」

西田は思いもしなかった事実を聴き、それ以上言葉が出なかった。

「まあそういうことなんだと思います……。ただ、水上さんは警官になった後、どうにもならない現実を目の前にして、忸怩たる思いを抱くことが多かったとも語ってましたね……。なにしろ当時の警察ですから、口を割らない容疑者が居れば拷問紛いのこともしますし、権力者や有力者には、捜査すべきことでも介入せず、媚びへつらう様なこともよくあったそうです。それを悪いこととは思っても、組織の中に居る以上、そうそう反旗は翻せない。交番の警官から刑事、そしてそのまま何となく昇進し、最後は副署長まで登り詰めたものの、そういうことを正せなかった後悔というのは、退職するまで心に引っかかったままだったと言ってましたよ。勿論、ある程度指示を出せる立場になってからは、出来るだけそういうことがないように努めたそうですが、やはり限界はあったと……。その話を聞いたのは、出会ってからはかなり経った、私が大学生になって、札幌から帰省して遺骨収集に参加した時に、夜の懇親会か何かで酒が入った時だったと思いますが。さすがに子供には話せないが、ある程度大人になった私ならと、気を許したのかもしれません。それとも大人になったからこそ伝えたかったのか……」

「そうだったんですか……」

吉村が松重の話に対し、俯き加減に珍しく重々しく吐き出した言葉は、既に幽霊騒ぎという次元は通り越していたことを意味していた。


「それで、さっきもちょっと触れましたが、水上さんが調査会に参加することになったのは、タコ部屋の犠牲者の遺骨収集をするグループが留辺蘂で立ち上がったと、退職後に住んだ北見で聞き付けたからだそうです。自らの警察官として歩むことになった切っ掛けの出来事に対する慰霊。そして結果的に、その時に芽生えた志に反してしまった反省と償いも兼ね、参加してくださったそうです。遺骨収集の時には、熊避けと称して、よく人生劇場を大声で歌ってましたよ……。」

そう言った時の松重は、個人を偲んだか目をしばらく閉じていたが、気を取り直し話を続ける。


「それから10年も経たない内に、持ち運び出来る大きさのラジカセ……、当時はまだスピーカーが1つの、いわゆるモノラルタイプだったんでしょうが、それが発売されたんで、早速購入して、これまた当時出始めたテープで人生劇場を流してましたね、自分でも歌いながら。まだ当時はどちらもかなり値段はしたんじゃないかと思いますが……。それに、何度もリピートする上に、ちょっとメロディが間延びしてるのが気になりましてね」

松重は、あたかも今聞いているかの様に、軽く笑い声を漏らした。

「おそらく、普段から掛けまくっていたんでしょう……。テープは何度か買い替えたんじゃないかと思います。普通のメロディに戻ってる年が何度かありましたから。私も収集時にはしつこいぐらいに聞いてたから、年に1回ぐらいの収集でも自然と覚えてしまって……。後年には、更にステレオタイプの2つスピーカーが付いている奴を買って使ってました」

この間ずっと懐かしそうに述懐していた松重だった。そして西田と吉村が見たラジカセは、その新しい方ステレオタイプのモノだったのだろう。


「何でも、人生劇場の特に1番の歌詞が、水上さんの心に響くものだったそうです。『やると思えばどこまでやるさ それが男の魂じゃないか 義理がすたればこの世は闇だ。なまじ止めるな夜の雨』でしたか」

松重は自然と覚えたという人生劇場の歌詞を、軽くメロディの乗せてそらんじてみせた。そして、

「やはり男たるもの、本来は筋を通して正義を貫くべきだったという、警察官時代の体験に対しての深い後悔があったからこそ、水上さんは、この歌詞に強く惹き付けられたんでしょう」

と語った。


 確かに、一人一人の多くの人間はまともだとしても、社会の有り様は、そのまともさと必ずしも一致しないのが、今昔にかかわらない現実だ。誰もが筋を通して生きたいと願っても、自分や家族の生活や組織の存亡の前には、思う様には行かないと言う現実の壁は高く厚い。だからこそ、歌の世界だけでも、その腐った現実を忘れさせてくれる歌詞に魅了されることは、西田にもよく理解出来たし、吉村もまた同じ思いだろう。


「そして、水上さんが子供時代を過ごした金華地区にある、昭和52年に廃校した金華の小学校(留辺蘂小学校に統廃合)跡地に、常紋トンネル工事殉難者追悼碑を有志と共に建立することを決め、昭和55年の晩秋に大望を果たされたんです(作者注・追悼・慰霊碑が昭和55年に地元の有志により立てられたのは事実ですが、個人名は当然無関係です)。それから2年ぐらいした後に亡くなったと思いますが、最後にやるべきことをやり、取り敢えずは安心したんでしょうかねえ……。お孫さんにも恵まれ、基本的には良い人生だったんじゃないかと思います。ただ、本来自分が抱いた青雲の志とは違う生き方を警察官時代にしてしまったことで、それ自体は亡くなってからもずっと引っかかっていたのかもしれません……」

亡くなってからしばらく経って、水上がわざわざ現世に現れた意味を、松重自身も探っている節が見えた発言だった。


「失礼ですが、さっきも伺いましたが、今回の大島の件など、ニュースや新聞で見る限り、色々警察に圧力が掛かって、捜査が難航していた部分があるんですよね?」

松重の更なる確認に、

「まあ残念ながらそういうことです。警察組織は、それこそ水上さんが現役だった昔も今も、大きな課題を抱えているのは否定出来ない事実でしょう」

と西田は率直に返した。

「やはり、西田さんにとっても思う所はあったんですよね?」

「ええ……」

今度は西田も躊躇ためらいがちだったが認めた。


「やはりそうなると、水上さんの子供時代、そして警察勤務時代の経験から出た強い悔いと、何とかしたいという思いが、西田さん達の苦闘を前にして、どうしても応援したいという方向に作用したんじゃないですかね。自分の経験した後悔を後輩に味合わせたくないと、あの追悼碑の前にたまたま現れた西田さんや吉村さんに、何か伝えたいと思ったんじゃないでしょうか? それが直接的な言葉ではなかったとしても……。何度かお二人の前に現れた理由は、そんな所だったんじゃないですか? そして今日、いよいよ満足して戻って行った理由ではないかと考えています」

松重は言葉遣いこそ遠慮がちだったが、今度は明らかに確信している様だった。そして西田も吉村もまた、その松重の考えが正しいと確信していた。


 その時、西田はあることを思い出し、吉村に

「おい吉村! あのタオル! あれ持って来て、松重さんに見せてみろよ!」

と大袈裟に指示した。

「ああ! そうですね! わかりました! すぐ車から取ってきます!」

吉村は素早く席を立つとすぐに部屋を出て行った。


「何ですか? タオル!?」

松重は突然の展開に、何が何だかわからず、事態を把握しかねていたので、

「さっきの話ですが、3度目の遭遇で、水上さんに今年の6月に金華駅前で会った時、直前の突発的な暴風雨で、吹き込んだ雨で濡れた車内を拭くのにタオルをもらいましてね。それで、そのタオルに印字されていたことが、ちょっと気になるんですよ。それで松重さんに確認していただきたいんです」

西田は大まかに説明した。

「正直よく状況を把握出来てませんが、わかりました」

松重は困惑しながらも、これ以上何か聞いても意味がないと思ったか、一応納得してくれた。そして西田と2人で吉村が戻ってくるのを待った。


 ものの数分で吉村は息を切らしながら、タオルを鷲掴みにして戻って来て、テーブルの上に置いた。

「おお、スマンな、急がせて」

吉村を軽く労いつつ、それを手に取った西田は

「それでこれなんですが」

と言いながら、タオルを広げて松重に見せた。そこには「温泉旅館 湯元 松竹梅 電話0157-△△-4126」と印字されていた。西田が車中から掛けて間違い電話だった番号でもある。

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