第252話 名実161 (382~384 辺境の墓標)

「まずタコ部屋労働で犠牲になった人達は、言うまでもなく、当時の警察含めた行政から、開拓の為に必要悪として、虐待や強制労働から保護されることもなく無視された存在だ。それどころか、警察側は、飯場から逃げ出した労働者を、むしろ取り締まることすらあったって話は知ってるだろ?」

西田の言葉に、竹下や吉村そして高垣も2度3度頷いていた。


「そして砂金掘りの仙崎と免出に高村。この3人は、それぞれ病死に殺人の犠牲者であり加害者でもあった。しかしそれはそれとして、北海道に戦前、アメリカの西海岸ばりにゴールドラッシュ騒ぎがあって、そのブームに乗っていた人間がたくさん居たという、今や完全に歴史の中に忘れ去られた人達でもある」

他の3人は興味深そうに西田の話に耳を傾けていた。


「最後の佐田は、言うまでもなく、警察の捜査が大島の介入で邪魔されたことによって、危うく永遠にただの失踪者として処理されかねなかった人物だ。これは完全に警察おれたちの職務怠慢だったと断言出来る」

竹下は腕を組んだまま黙っていた。


「こうして考えると、そこに悪意があるのか無いのかは別にして、この3つのグループは、世間から見捨てられたか、或いは忘れ去られた存在だったという共通点があるんじゃないかと思うんだ。大したこともでもなく、ただそれが言いたかっただけだがな……」

西田はそこまで言うと、頭を掻いてやや恥ずかしそうに年甲斐もなくはにかんだ。


 すると竹下が、

「西田さんの言ってることは、自分もよくわかりますよ。そして何より、それこそが大阪で西田さんと電話で話したことに、そのまま繋がってくるんですよ」

と言い出した。

「大阪?」

当然西田は、竹下の言った意味を掴めず聞き返した。


「『辺境の墓標の辺境って表現が、なかなか良い出来だ』って話したこと、西田さんは憶えてないですか?」

そう返した竹下の言葉で、

「ああ! そう言えば、大阪の久保山の事務所にお前が居て電話で話した時、そんなこと言ってたな……。良い言い回しだと言う割に、俺が言った辺境と竹下が評価した辺境の意味が違うとか言い出して、及第点しかもらえなかったって話だ!」

あの時の記憶が鮮明に浮かび上がった西田だったが、高垣と吉村は2人の会話の意味がわからないのは当然で、西田と竹下は簡単に説明してやった。


「それはわかったが、竹下の言いたいことは何なんだ?」

西田が改めて竹下に解説を求めると、

「話は99年に、兵庫新聞と道報の共同追跡取材で神戸に取材した時(作者注・伏線後述)に遡るんで、ちょっと遠回りします」

と切り出した。


 竹下は警察を辞めて道報へ入った後、99年の、阪神大震災(95年)のあった1月から北海道南西沖地震(93年)のあった7月に掛けて、両地震の後の神戸と奥尻を取材して記事を書き、グループとして新聞協会賞を受賞したのは、西田や吉村そして高垣も言うまでもなくわかっていた。


「普段よりわかりやすくお願いしますよ」

吉村が含みのある表現をしたが、竹下は意に介さず続ける。


「阪神大震災は、神戸周辺にとてつもない被害をもたらした一方、それ程距離が離れていなかった大阪辺りはほとんど被害もなく、かなり局地的な被害でした。そして何より、3月に起きた地下鉄サリン事件報道以降、世間の興味関心が無くなったことはなくても、かなり削がれたのは確かでしょう」

竹下の言葉に、西田達も当時の状況を思い浮かべていた。


「そんな神戸に4年後取材に行くと、事前にわかっていたこととは言え、明らかに復興から取り残された人達や孤立した人達を目にすることになったんです。孤立した人達については、当時のニュースでもある程度知ってるとは思いますが、震災前まで居住していた地域社会の割り振りを全く考えなかったことで、仮設住宅などで知り合いが近所に全く居なくなった老人などが出てきたせいでした。そしてそのまま亡くなっても誰も気付かないまま、数ヶ月放置される様なことも多発しました。当然、それまであんな事態は行政も経験していなかったんですから、孤独死みたいなことが発生するなんて予期出来る訳もなく、誰が悪いということじゃなかったにせよです。そして義援金も相当な金額が集まりましたが、大都市で人口過密地域ですから、1人当たりの金額にすると大した額にもなりませんでした。当たり前ですが、全壊や半壊、延焼した住宅のローンや自営業の店舗などの喪失で、生活再建に行き詰まった人もたくさんいたんです」


※※※※※※※伏線後述


竹下が兵庫新聞と道報の共同記事で神戸に取材に行っていた話は、


名実3

https://kakuyomu.jp/works/4852201425154922648/episodes/1177354054880719410


名実101

https://kakuyomu.jp/works/4852201425154922648/episodes/1177354054884267634


でそれぞれ触れていました。


※※※※※※※



「あったな、孤独死や孤立死……。そしてあの地下鉄テロ。あの年は本当に激動の1年だった……」

高垣も1つ1つ思い返す様に喋った。


「ええ。本当にそうだったと思います。更に自分や西田さんや吉村にとっても、一連の事件捜査で、更に激動の1年でした」

西田と吉村も竹下と同じ思いだった。


「一方で、93年の7月に、地震に伴う大津波でこちらも壊滅状態となった奥尻島は、人口もそれ程無い小さな島に義援金がたくさん集まったことで、1人当たりの義援金の額は、その後の生活再建には十分過ぎる程でした。無論亡くなった人の、総住民当たりの多さは別として、その後の復興はそれ程過酷な道程ではなかったのも確かです。人口が100万を超える大都市の神戸のど真ん中で、震災後にたくさんの孤独死が出たり、生活に行き詰まった人がたくさん出たのと、ある意味対照的でした」

その発言を受け、

「奥尻島は過疎地の離島である故、世間の注目が集まって援助が行き渡ったことで、大きな不幸ではあったが、生活再建ということだけを考えれば、不幸中の幸いだったと言えなくもない。あくまで大きな不幸という前提だが」

高垣は「大きな不幸」を繰り返したが、大都市と過疎地の大自然災害の顛末の大いなる皮肉を指摘した。


「高垣さんの仰る通りですね。そして自分は、100万都市・神戸のど真ん中にある仮設住宅での孤独死を取材しながら、この北海道の大自然の山中にある『辺境の墓標』のことが、何故か自然と思い出されたんですよ。その理由を考えると、周囲の景色は全く違う様相であるのに、どちらも人知れず亡くなった人がたくさん居るという共通点故だろうと……。ただ、その時はあくまでその程度の認識でした」


 竹下のここまでの発言を聞く限り、まだ彼が何を以て「辺境の墓標」の、特に「辺境」という表現を褒めたのかまでは、3名は理解出来ずに居た。吉村がすかさず、

「相変わらずですね、竹下さんの回りくどさは」

と言って苦笑したが、このパターンでのいつもの通りに竹下は無視し、

「その後、北海道に戻って、たまたま辞書で『辺境』という言葉を目にしたんです。別に辺境の意味を調べていた訳じゃないですけどね」

と続けた。


「辺境ってのは、周囲に全く人家もないような、人里から遠く離れた大自然のど真ん中みたいな意味じゃないのか? 生まれながらの道民からすりゃ、この場所に使うにはオーバーな表現だという反論は理解は出来るが」

西田は先回りして答えたが、

「確かにそんなイメージのある言葉ですが、実はそういった周辺の環境面は余り関係ないんですよ。辺境の意味は、『首都や大都市の様な、その国や地域の中心となる場所から、遠く離れた地域や場所』みたいな、距離的な意味の方が強いらしいんです。国境沿いの地域という意味もあるみたいですね。まあそういう場所は何となく西田さんが言った様なイメージがつきまといますし、アメリカなんかではそういう捉え方(作者注・いわゆるフロンティア)もされてる様ですが……。言い換えれば、最果てって表現が合うかもしれません」

と軽く訂正された。


「そうか……。そうなると根室や稚内辺りのそれなりの人口があっても、辺境と言えるんだな」

西田はそう言って納得した。

「その通りだと思います。面倒な言い方をすれば、国や地域の首都や中心となるような大都市からの、『物理的・地理的距離』の相当ある場所を指す言葉なんですね。自分にとっても、ちょっとイメージしていた意味とは違いました」

竹下は苦笑いしながら解説してみせた。


 だがこれまで以上に真剣な面持ちになると、

「ただその時急に、あの神戸の仮設住宅と辺境の墓標のあるこの場所の、表向きの景観や環境の違いを越えた、西田さんも説明した『忘れ去られた存在』という共通点に、辺境という言葉が実はとてもよく当てはまるんじゃないかと、95年から数年を経てやっと気付いたんです。それまでは、西田さんも言った通り、『この場所を辺境って言い方で表現するのは、道民からすりゃ明らかにオーバーじゃないか』と考えていたんですが」

と言い出した。一方の西田は、竹下のみならず吉村含め、沢井以外の当時の遠軽署の刑事達が、「辺境の墓標」という表現にイマイチな感想を訴えていて、西田自身も何となく気恥ずかしい部分があったのを振り返っていた。


「それでその理由わけは?」

吉村が相変わらず急かす。

「つまり、辺境という言葉が内包する、『物理的距離』という部分の物理的を『心理的』、地域や場所を『立場』……。もっと正確に言えば、『社会的立場』と言い換え、『世間の関心事の中心から、相当な心理的距離感のある社会的立場』と辺境の意味を捉え直せば、まさにぴったり合うんじゃないかと言うことだよ」

竹下はゆっくりと吉村に答えた。その回答に対し、

「なるほど心理的距離感か……。つまり、相当な心理的距離感が『忘れ去られた』ってことと結び付くって話だな?」

高垣が納得しつつ確認した。

「そうです。それが意図的或いは悪意を含んだ無視による結果なのか、悪意のない無関心の結果なのかは別にして、その世間の関心が行き届かない所に取り残された人達の絶望感を表現するのに、辺境という言葉のフィットする感じは、なかなか他の言葉では得られないと思うんですよ。その意味で解釈し直すと、辺境の墓標という表現は、さっき西田さんが言った様な、ここに埋葬されている人達のそれぞれの境遇を踏まえると、結果的にかなり的確なものだったんじゃないかと思えたんです」


 この竹下の見解を聞いて、西田はあの、大阪の久保山の事務所に居た竹下との会話の答えをやっと理解した。西田が元々発言した意味では及第点レベルだが、その意味の竹下による「変換」を以て初めて「秀作」だと評価された訳だ。

「そうかわかった。そう捉えれば『辺境の墓標』には違う意味が出てくるし、その解釈なら確かに適切な表現になったと思えるよ」

西田は周囲を見回しながら、竹下の発想を抑え目に褒めた。そして吉村が一切口出ししなかったことが、むしろその納得具合を表していたのかもしれない。


「しかしそう考えると、その意味での辺境……言わば社会的辺境は、人のまばらな田舎よりもむしろ、人が溢れた都会に頻出することになるな」

高垣は思案げに言った。

「……そうかもしれませんね。周囲に人が溢れている環境では、一々他人に気なんか使っていられない。これは個人個人が悪いというより、そんな所で他人に気を回していたら、負担が大きく精神がやられてしまう。お互いに存在を無視し、無関心を装うしかない。田舎は人が少ない分、逆にお互いに関心を向けざるを得ないところがありますから」

竹下も頷いた。

「そしてこれから、日本社会は超高齢化と少子化に襲われることは確実だ。そうなれば、誰にも看取られることなく、神戸の孤独死の様な死を迎える人が、東京や横浜、名古屋や大阪、福岡、そして札幌の様な大都会で大量に見られるはずだ。『辺境の墓標』が皮肉にも、その表向きの言葉とは程遠い、日本や地方の中心として扱われる大都会の街中に乱立することになる。俺自身が福島の田舎育ちだけに、田舎の人間関係の濃さ、しがらみの面倒臭さを真正面から肯定するつもりは微塵もないが、都会のドライな人間関係が、果たしてこの先日本社会にどういう結末をもたらすのか……。どうにも悲観的にならざるを得んのだ」

最後は悲壮感さえ漂う表情で、高垣はその語感とは真逆の「展望」を語った。


「ちょっと二人共! 大島の話を最後まで聞いていた時も、かなり暗い気持ちになったけど、ここでもそんな雰囲気にしないでくださいよ!」

吉村はもう懲り懲りだという態度を露骨に出したが、それは考えること自体を拒否しているのではなく、考えたが故に懲り懲りだと言う意味なのだろう。西田もまた、日本社会がこれから迎えるだろう、多数の「悪意によらない」辺境の出現を思いやった。

 

 但し、少なくとも「悪意による」辺境は、西田達の所属る警察が真剣に向き合えば、かなり多くが阻止出来るのではないかと感じていた。

「しかし、タコ部屋労働や佐田の様なことは、俺達がしっかりすれば防げるはずなんだよ」

ボソッと言った西田に高垣が反応して、

「そうだな。警察や行政が防げる社会的辺境がある。でもそれはあんたらだけの仕事じゃない。俺達の仕事も、社会的辺境を防ぐ独自の役目が本来あるはずなんだ! 事件や事故を追っている方が、如何にも目立つジャーナリズムらしいっちゃらしいかもしれない。だが、ただ人の関心が向かないだけの、社会的辺境に取り残された人に目を向けるのも、俺達報道に携わる人間の仕事だからな。なあ竹下さん、そうだろ?」

と、最後は竹下に同意を求めた。

「そうかもしれません……。というよりは、そうでなくちゃならないでしょう! 光の当たらない人達に光を当てる。地味だが重要な役割が、自分達に課せられているはずですね、確かに」

先輩ジャーナリストからの振りにそう言い直した時の竹下は、思いを新たにしたか、やけに眼光の鋭さを西田に感じさせた。


 丁度その時、西田の携帯が鳴り、大将達一行は駐車スペースまで到着したとのことだった。そして程なくしてから、線路の向こうから人影が近付いてきた。松野住職は年齢のせいもあったか、やや歩みは遅かったが、大将は割と足場の悪いところを、刑事2名と遜色ない足取りで向かって来た。


 そして大将は西田達の前まで来ると、

「ここまで気い遣ってもらって本当に申し訳ない。まさか親父の墓参りを、逮捕より先に済ませられるとは思ってなかったから、心底ありがてえ話だわ」

と、付き添ってきた遠軽署の刑事が何か言う前に頭を下げてきた。同時に高垣を視認したか、軽く会釈したので、高垣も

「部外者がお邪魔します」

とだけ言って返した。


 そのやり取りが終わったのを確認し、

「いやいや、それはいいんだ。俺よりも遠軽署の厚意だから」

西田は大将にそう伝えた上で、付いてきた刑事2人に頭を下げ、、

「住職にもご足労お掛けしまして」

と松野にも感謝を口にした。


「とんでもない。実は9月に本来は来なくてはならなかったのですが、秋はずっと体調崩していまして。むしろ私の方が来なくてはならなかったところですから、渡りに船というと言葉が悪いですが、ありがたいぐらいで」

松野はそう返したが、血色も良くつい最近まで体調不良だったというのはおそらく嘘で、9月には来ていたのだろうと西田は察していた。実は今回の墓参絡みの布施についても、事前に遠軽署に頼んで聞いていたところ、固辞されていた。


 それから墓標の周りを改めて皆で掃除した上で、大将の父である免出に対する墓参と、他の死者達に対する簡易的な慰霊式が、松野の読経と共に始まった。

 

 7年前は、あくまで捜索による「ざわつき」を事前に詫びることを主目的とした慰霊だったが、今回は純粋な慰霊目的の墓参であり、黙祷する西田、竹下、吉村も純粋に死者を悼むことに集中出来ていた。おそらく高垣もそうだったろう。そして、この墓標に眠る人達だけではなく、一連の事件で亡くなった人全てを西田は悼んでいた。同時に、さっき竹下が言及した「辺境」の意味を噛み締めながらの祈りでもあった。


 大将も、会ったことは勿論、写真で顔すらも見たことのない父に、強い思いを馳せながらの墓参だったはずだ。皮肉にも大将の脅迫のせいもあり、本来きちんと分けられていた父・免出重吉の遺骨が、他の死者と混ぜられてしまったが、その点をどう考えているのかは、直接聞いてみなければわからない。ただ、祈っている姿をチラッと目を開けて確認した限りは、自分自身のごうとしてそのまま受け入れているのではないかと思えていた。


 全てが終わり、改めて大将は皆に礼を言いつつ頭を下げた。そして、

「禊が済んだら、また来るからよ、父ちゃん。悪かったな、俺のせいで」

と墓標に向けて軽く叫んだ。それを聞き終わると、

「じゃあ行きましょうか?」

と加賀刑事が大将に促し、

「はい」

と大人しく従った。


「じゃあ俺達も北見へ戻らんとならんから、大将達と一緒に戻ろう」

西田が吉村に言うと、

「そうですね」

と応じた。

「高垣さんはどうします?」

竹下が改めて伺いを立てると、

「(タコ部屋労働の)本を書くのに、もうちょっとこの周辺を歩き回りたい。ただ、皆が帰るならそれを見送ってから、またこっちに戻って来よう」

と提案した。

「わかりました。じゃあ駐車してるところまで、取り敢えず皆と一緒に行くこととしますか」

竹下も高垣に合わせることにした。


 そして、まず大将と住職が乗った遠軽署の車を見送った直後、西田と吉村は竹下と高垣に軽く挨拶してから車を発進させたのだった。





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