第94話 名実3 (5~6)

 年賀状の束もドンドン薄くなり、残り僅かとなったところで、竹下からの年賀状が出て来た。竹下が警察を辞めたことは既出の通りだが、警察を辞職したのは、正確には96年の3月だった。新聞社への再就職の話がそれ以前からあったので、可能性については西田も考慮してはいたが、まさか翌年の春に辞めるとは思っておらず、沢井課長や同僚、そして北見署の向坂まで、共に強く慰留したものの、彼の決意は変わらなかった。


 竹下は直接言及したわけではなかったが、一連の捜査において、警察が事なかれ主義に陥ったことが、進路の変更に大きな影響を与えたと西田は確信していた。竹下自身は、「記者に転職するなら、やはり早い方がいいと思うに至りました」

とは語っていたものの、そういうことを突発的に決めるような、直情型の人間ではない。


 やはり、警察に「嫌気が差した」のが直接的な理由だろう。向坂の予言が期せずして的中してしまった形だ。最終的には、皆納得して、というよりせざるを得なくなって、快く送り出すことになり、大将の「湧泉」で竹下の前途を祝し、送別会が開かれた。


 そして竹下は、その年の7月に、五十嵐の斡旋もあって、見事「北海道新報」の社会人中途採用枠で入社した。刑事としての経験を買われたことと、五十嵐とその上司のデスクの強い推薦もあって(本橋の佐田殺害自供スクープに、竹下の情報が大きな寄与をしたことが影響した模様)、道警本部の捜査一課記者クラブに配属された。ただ、本人としては、実は「記者クラブ」配属は好ましいと思っていなかったようだ。


 警察記者クラブ、特に本部レベルの捜査一課記者クラブ配属は、マスコミの社会部所属としては、相当の華形なのだから、中途採用としては異例中の異例の厚遇だ。しかし、竹下は、警察と記者クラブの癒着自体が、事件報道を歪めている要因の1つだと、学生時代から認識していたらしく、配属後しばらくしてから、札幌に帰宅した西田と会った時に不満を漏らしていた。


 そして、98年の4月から、希望を出していた、社会部でも地味な社会問題担当に鞍替えした。皮肉だが、刑事の経験を活かして、記者クラブで短期間に成果を出したが故に、一気に希望が認められた形だった。勿論、形式上は「降格」だったことも、希望がすぐに叶えられた理由ではあったが。


 そこで、93年7月の、奥尻島を津波が襲った北海道南西沖地震から6年、95年1月の阪神大震災より4年経った、99年の1月から7月にかけて、「北海道南西沖地震」と「阪神大震災」の連携シリーズ記事・「奥尻、そして神戸」を、神戸を本社にする「兵庫新聞」の社会部担当と共同取材且つ共同掲載することに携わった。更にこの連載記事が評判も良く、後に新聞協会賞を受賞するという栄誉に輝くこととなった。


 西田も竹下の署名が入った記事が、道報に連載されていたのを、リアルタイムで喜ばしく思いながら見ていた。記事の中身は、ほぼ、同時代に起きた2つの震災を対比しながら、同時に社会問題を炙り出していく内容だった。


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 北海道南西沖地震では、その海底の地殻変動で発生した津波により、最大被害を生じた奥尻島を中心に、200名を超える死者・行方不明者が出た。ただ、地震、津波の規模と比較すると、過疎地域だったこともあり、被害は最小限に抑えられたとも言えた。一方で、社会に与えた衝撃は大きく、復興予算はもちろん、全国からも多額の募金などが集まり、奥尻島ではいち早い復興がなされた。


 その2年弱後に発生した阪神大震災は、南西沖地震以上に強烈なインパクトを、日本のみならず世界に与えた。燃え盛る街並みや横倒しの高速道路など、戦後日本が体験したことのない惨劇が、テレビを通じ全国にリアルタイムで流された。


 100万都市神戸が崩壊した様は、あの地下鉄サリン事件が起こるまで、報道のほとんどを席巻していた。逆に言えば、3月末のサリン事件以降は、ある意味、記憶の片隅へと無理やり追われたような形になってしまった。


 当然、南西沖地震より桁違いの義援金や寄付金が集まったが、そこで問題になったのが、あまりに被災者が多いことだった。南西沖地震と比較して、1人当たりの金額がこれまた桁違いの少額になってしまい、被災者の支援としては、かなり物足りないものとなってしまっていた。また、全壊はともかく、半壊などの場合も、実質取り壊さざるを得ないなど、その被害認定もかなりの問題となっていた。


 そして、震災からそれぞれ数年経った奥尻と神戸。完全に立ち直りつつあり、新居や新設備が立ち並ぶ奥尻と、復興道半ばの神戸。多額の金が動くことで、きな臭い動き(後に奥尻町長が収賄で逮捕されることになる)が出た「過疎地奥尻」と、仮設住宅で、多くの身寄りのない老人が暮らし、中には孤独死する者も居た「大都会神戸」のパラドックスは特筆に値した。


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 西田も、当時竹下に電話で、「なかなか良い記事だな」と伝えていた。ただ、順風満帆で記者生活を送り始めた竹下が、その記事の出来故に、厚遇から不遇へと突き落とされるとは、自身も想像していなかったに違いない。


 2001年の1月に、その年の4月から「栄転」という形で、今度は札幌地検の記者クラブ担当となることを打診されたのだった。竹下としては、最初の記者クラブ担当は、ある意味仕方ないと受け止めたが、新聞協会賞受賞後のこの配属は、むしろかなり不満のあるもので、らしいと言えばそれまでだが、人事に強く異議を申し立てた。


 このことで、栄転が一転、社会問題担当は変わらなかったが、場合によってはサツ回りも含めたあらゆる担当をしなくてはならない、地方支局への異動を命じられた。直接的な左遷ではなかったが、一種の報復人事的な人事異動である。


 竹下としては、その結果に不満がないわけではなかったが、記者クラブ詰めよりは良いかと思ってはいたようだ。但し、道報に再就職後に、札幌で出会って結婚した、デパート勤務の女性とは、彼女が社内でそれなりの立場にあったこともあり、別居という形を採らざるを得なくなっていた。そして01年4月より、竹下は紋別支局へと「飛ばされた」のであった。


 そんな状況の竹下ではあったが、年賀状には、それなりに充実した日々を送っている様子が記載されていた。実際、昨年の夏に札幌へ出張してきた竹下と飲んだ時は、良い顔付きをしていたのは確かで、言葉だけでなく、事実として良い仕事が出来ているのではないかと、西田は推察していた。時として、人は肩書よりもその仕事の中身に生きがいを見つけることがある。竹下もそういうタイプだと西田も感じていた。


※※※※※※※


 02年3月25日月曜、西田は吉村と他数名の異動組と共に、北見方面本部捜査一課長、「三谷みたに 賢治」により、職員の前で紹介されていた。


「この度、共立病院銃撃事件の専従捜査について、総責任者として赴任して来た、西田敏弘警部、一課長補佐だ。95年11月の事件発生当時も、遠軽署からの応援という形以上に深く携わっていたそうだから、当時の情報については、ほとんど把握している。ただ、昨今新たに出て来た情報については、完全に把握していないだろうから、その点については、課長補佐に聞かれたらきちんと伝えるように!」

それを受けて、

「今、課長のご紹介に預かった西田です。まさか迷宮入りしていた事件に、7年後に再び携わることになるとは、この間思いもしなかったけれども、この立場を拝命した以上は、是非事件解決に向けて、全力を注ぎたいと思っている次第です。同時に皆の力なくして、事件解決はあり得ないことは明白であるから、是非、若輩ではあるが自分に協力していただきたい! よろしく!」

と挨拶した。


 吉村達もそれぞれ挨拶した後、西田は、既に挨拶していた刑事部長の「小藪こやぶ 一郎」に部長室に呼び出され、朝方は所用で遅れて不在だった、北見方面本部長「安村やすむら 卓見たくみ」に紹介されることになった。(作者注・本編では大藪でしたが、95年当時の刑事部長が「大友」だったので、小藪に変更します。変更ミスがあるかもしれませんが、以降は小藪ということで)



 部長室を出て、本部長室へと向かう廊下をゆっくりと2人は歩き始めたが、

「西田、さっき安村本部長が出勤してきたから、今から挨拶に行こうと思うが、事前に一言言っておきたいがいいか?」

と小声で小藪が口を開いた。

「何か問題でも?」

訝しげに上司を横目で見た西田に、

「いや、大したことじゃないんだが、本部長はかなり若くてね」

と切り出した。


「若いと言いますと?」

「実は……知っていると思うが、本来、道警の方面本部長職は、基本的には道警プロパー(作者注・地方自治体採用の地方公務員としての警察職員。キャリアは警察庁採用の国家公務員)のポジションなんだが……」

「ええ、そういう認識でいましたが」

「今の安村本部長は、東大法学部出で、まだ43歳なんだ」

「へえ! 43ですか? ということは42で方面本部長に就任したんですか!? そりゃ凄いですね。本部長クラス(作者注・方面本部長は、全国都道府県警の本部長会議にも出席することになっている)で40そこそこだと、ほぼ最速レベルじゃないと無理ですよね?」

西田は率直に驚いたが、年齢はともかく、どうして本庁採用のキャリアが、北見方面本部長なのかが気になった。ただ、よく考えると、それ以前の問題として、北見方面本部の刑事部長職は、基本的に察庁(警察庁の略語)キャリアポジションなのだから、小籔も一応はキャリア組のはずだ。


 小藪の年齢は確認してはいなかったが、これまでの発言内容と「見た目」を考えれば、ほぼ間違いなく、彼の方が方面本部長より上だろう。これはまたマズイ発言をしたなと、西田はかなり肝を冷やした。しかし、小藪は特にそれを聞いて何か反応する素振りを見せなかったので、西田は急いで話題を変えようとした。


「それはそうとして、察庁のキャリアがまたどうして方面本部長に?」

「それについてはだ……、一昨年の12月に、旭川警察署の署長が急死したのを知ってるか?」

「いや、ちょっと記憶にないというか……」

「そうか……。結構道警内部で話題になったらしいんだが……。俺はその時、道警こっちに居なかったから、昨年こっちに来た時に聞いただけだがね。それで、実は愛人宅でやらかしちゃったそうだ……。というわけで、本来なら、その署長が昨年の1月から、定年退職する前任の後を受けて北見の本部長に内定してたもんだから、どうするかって話になったところで、『不祥事』を嗅ぎつけた察庁が介入してきて、キャリアの安村『君』が送り込まれてきたって話だ」

小藪の「君」付けに、彼なりの年長者としての屈折したプライドを西田は感じ取ったが、それを表に出さないようにした。


「なるほど……。そういうドロドロした話でしたか」

「そう言うことだ。まあいきなり会って、若いことにびっくりしないように、事前に言っておいた方がいいかと思ってな。単にそれだけの話だ」

西田はそれを聞き終えると、倉野も人事上関わっていただろう話だけに、「どうせなら教えておいてくれれば良かったのに」とも思ったが、よく考えれば、西田にわざわざ伝えておくべき話でもないと思い直し、

「いや、気を遣ってもらってありがとうございます」

と礼を述べた。


 そして本部長室を小藪が数回ノックすると、

「どうぞ」

と短い答えが返ってきたので小藪はドアを静かに開けた。目の前に開かれた、窓から入ってくる光越しの視界に、上半身だけ見える分には、聞いていた年齢より若い、と言っても30後半程度には見えたが、安村のシルエットが入ってきた。

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