第192話 名実101 (242~243 神戸・六甲望洋墓苑へと向かう3名と震災話)

 本来であれば、無縁仏となるところだった日向子だが、仲間内で、それはさすがに可哀想だということになり、当時からヤクザとして頭角を現し、若くして羽振りの良かった本橋が、率先してほとんどの費用を出し、墓を立てることになった。


 本橋がどういう生業なりわいで金儲けしているか、よくわかっていた黒田達としては、本橋の気持ち自体は嬉しかったものの、ほぼ全てを出してもらうことには、内心忸怩たるものがあった。だが、さすがに日向子のことや自分達の経済状況を考えれば、その時は、本橋に甘えざるを得なかったという。


 そして、日向子が好きだった、夜景の綺麗な六甲山の麓にあって、神戸の街並みや神戸港が望める六甲望洋墓苑に、永代供養の墓を購入した。墓石も良質の花崗岩が採れることでも有名な、地元六甲山を産地とする最上級のモノを使用し、墓石には、天涯孤独だった日向子のフルネームを入れた。その後、他の仲間が関西地区を離れてしまったこともあり、本橋や黒田が責任を持って、これまで長年供養していたそうだ。


 黒田は、墓が立てられた後、本橋に少しずつ金を渡すことで、本橋の墓代への関与を薄めようとした。だが、本橋は、「これだけは俺のワガママを押し通させてくれ」と、頑として受け取らなかったという。当然、墓の名義も、当時は本橋のモノとなっていた。


 日向子について、久保山が一切知らなかったのは、旧友の2人の間でも、普段の会話では、出来るだけ日向子の話はしないようにしていたことが影響していたようだ。黒田の店の裏での先程の会話で出たような、「大切な思い出は、他のヤクザの前では喋らないようにしていた」ということに加え、やはり、どうしてもしんみりとしてしまうこともあり、特に酒席では、2人や昔の仲間内だけだったとしても、その話題は敢えて避けていたので、そういう場に呼ばれる久保山が知る由もなかったという訳だ。


 本橋は、日向子の死から連続殺人で捕まるまでの間、微罪で1年程の間刑務所に入ってもいたが、その際も黒田が1人で供養していたらしい。


 殺人で捕まってからは、最初に面会に行った時に、「今度ばかりは、裁判で無罪になるにしても、しばらくは出れんから、墓守の方を頼む。墓の名義もお前に変更するように、弁護士に委任状を出すから、お前もその指示に従ってくれ」と言われたという。


 しかし、その後、黒田達が面会に訪れても、元々、面会自体が認められ難いことに加え、本橋自身の意向により拒否されることが続き、1年後には、ついに面会自体を諦めたという。今になって思えば、実際に犯行を犯していたにも拘わらず、無実を信じて行動している旧友に会うのが辛かったのだろうと、黒田は語った。


 ただ、そうだとしても、本橋がついには殺人まで犯したことは、ヤクザとして悪事を行っていた本橋に対する、ギリギリの妥協や信頼を裏切られたというだけではなく、倫理的に到底許せない思いを黒田に抱かせ、それは今この時点ですら、何も変わらないという。


 その気持ちが、ヤクザを既に辞めていて、更に殺人については未遂で思い留まったていたことを、本橋の逮捕前に、既に知っていた上で付き合っていたとは言え、本橋との関係を強く思い出させる久保山を、前回の訪問時に追い返したり、今回最初に拒否した態度の理由だと、この時、黒田は久保山に伝えると共に謝罪した。


 そうであるならば、何故その気持ちが、少しとは言え、突然揺らいだのかと言えば、日向子の名前が本橋により手紙で語られたことを、竹下の言葉で知ったからだという。親類の居ない幼馴染に、わざわざ立派な墓まで立てた、本橋の当時の気持ちが思い起こされ、黒田の頑なな気持ちを多少溶かした様だった。


 竹下も本橋との関係や、ここまでやって来た理由や状況について、先程より詳細に黒田に説明すると、

「ようわからんが、幸夫があんたらに何を託したんか、俺も気になってきよった」

と素直な感想を述べた。そこで竹下は、

「大変申し訳無いんですが、おそらく、本橋さんは日向子さんの墓の中に、何か大切な証拠を隠しているような気がします。もしかしたら、蓋(作者注・正式名称・排石はいせき)を上げて、中の納骨スペース(正式名称・納骨棺=カロート)を確認させていただくかもしれませんが……」

と断りを入れると、

「それは仕方ないが、しっかり墓参りが終わってからにしてくれや……」

とだけ言って、仏頂面ではあったが、その計画を受け入れてくれた。


 また、久保山は、本橋が葵一家から形式上破門された後、殺し屋をやっていたことを捕まるまで全く知らなかったが、本橋には、破門後、たまに大型の「回収」を手伝ってもらうことがあり、その時に、成功報酬として、まとまった金は融通していたので、生活面では困ることはなかったと考えていたらしい。逆に言えば、それが理由で、本橋が別途「裏稼業」をしていることに気付かなかったのかもしれない。


(作者注・一般的な墓の構造について http://www.naitou-sekizai.co.jp/kouzou/)


 そんな話をしているウチに、やっと車は西宮ICあたりに差し掛かっていた。すると、竹下の携帯電話が鳴った。留守電のメッセージを聞いた西田が、連絡をしてきたようだ。


「聞いたぞ! で、その黒田って奴には既に会えたのか?」

すぐに切り込んできたので、

「今、その黒田さんと久保山さんと共に、神戸に向かってます」

と伝えた。

「神戸? と言うことは、ロッコウはやっぱり六甲山で良かったのか?」

はやる気持ちを抑え切れず、西田は問うてきた。

「やはりそうでした。そして、ヒナコというのは、本橋さんと黒田さんの知り合いの、芝谷日向子という女性のことでした。ところで、事件の真相については、黒田さんが直接知っているわけではなくて、どうも、その日向子さんが真相を知るカギを握っているという意味だった様なんです」

「なるほど。それで、その女に今から会いに行くのか?」

当然、竹下の表現を聞いただけの西田としては、そういう話の流れになる訳だが、

「それがですね……日向子さんは、もう数十年前に亡くなっていまして……」

と喋ると、案の定、西田は言葉を一瞬失った様だった。


「死んでるのか……。そうなると、これからどうすんだ?」

何とか続きの言葉を探した西田に、

「本橋が殺人を犯した時点で既に、かなり以前に日向子さんは亡くなっていた訳ですが、六甲というのは、その墓地がある場所のことを指しているようで、今そこに向かってます」

と言った。

「そうなると、それこそこっちの辺境の墓標じゃないが、墓に何か埋められてるってことでいいのか?」

さすがに、西田も竹下の考えを察した様で、

「多分そうじゃないかと思ってます。既に墓の所有者である黒田さんにも、探ることについて了解を取っています」

と伝えた。


「そうか……。今はそれに賭けてみるしかないだろうな……。もし、何かあったら電話くれ。えっと、それでだ。話は変わるが、さっきは、北見から来てる担当検事との会議中で出れなかったんだ。明日の10月7日、正式に、大島を病院銃撃事件の殺人の共謀共同正犯で起訴することが決定してな。教唆でも、法律上は可能な量刑は変わらんが、一応大島が「主導」の立場をはっきりさせようってことで、共同正犯性を前面に出した形になった」


※※※※※※※


 ここで西田が言ったことは、教唆犯も共謀共同正犯(自らの実行行為を伴わない共同正犯。尚、一般的に使用される、複数犯という意味での「共犯」は「共同正犯」のことを指す)も、殺人罪の量刑が適用される点では同じであることを前提としていた。


 但し教唆の場合、「指示」関係上は上の立場の場合でも、扱いとしては実行犯に従属している(いわゆる従犯)という側面がある為、裁判上では、実行犯よりも量刑が軽くなる傾向が強い。更に、求刑面においても、従犯という扱いの為、法律上は正犯より軽い印象を与えてしまうというので、大島に犯罪企画の主導的責任を負わせる意味を込めるために、そういう扱いをしたという意味があった。


 ただ、この事件で有罪が認められるなら、仮に教唆で起訴していたとしても、悪質性から見て、裁判官の量刑に影響はしないのではないかと、一方の竹下は考えていた。尚、共謀と言っても、共犯同士の立場上は同列である必要はなく、一方的に指示する側、される側であっても成立する。ヤクザの親分・子分の関係が典型である。


※※※※※※※


「そうでしたか。取り敢えずはおめでとうございます。一旦、区切りが付きましたね」

竹下は率直に祝ってみせた。

「まあな。少なくとも大島には、殺人の主犯としての責任を取らせることが出来そうだ。裁判がどうなるかは、未だはっきりしとらんが、何とかなってくれるだろう」

裁判でも色々と揉めそうなことを考えたか、口の動きは一瞬止まった様だったが、

「今までの証拠でも、大島と中川の主従関係性に加え、自分の主たる事務所を、長期間潜伏先として実行犯が使用できたという点で、大島の関与は、何とか立証出来るだろうと踏んでる。だがな、そいつに加えて、北見の部下の捜査のおかげで、95年の11月上旬に予定されていた、大島の事務所での、支援者の懇親会を兼ねたカラオケ大会が、当時、急遽中止になってたことがわかったんだ。今でも年に2回はやってるそうだが、95年10月の終わり辺りに、突然大島直々に、北見の当時の後援会長に連絡が行ってたという証言を、その元・後援会長へのしつこい聞き込みで掴んだそうだ。これで、大島が、事務所を実行犯のアジトに使わせていたこと、もしくは、最悪でも、使わせていたことを了承し、それを支援したという方向に持っていきやすくなった。まあ、大島の方が、中川のボスなんだから、どう考えても前者だろうが……。とにかく、銃撃事件に直接関与しているというこっちの見立てについての補強材料が、新たに出て来たってわけよ! 後は、佐田の殺害関与について、立証出来るかどうかが重要になってくる。そういうわけで、竹下もそっちでしっかり頼むぞ! これからはすぐに電話に出れるからな」

と、竹下の調査に相当期待している様子だった。


「なるほど。大島の関与の立証は、中川の証言でもない限りは、状況証拠積み重ねて行くしかないですからね。その新証言は、新たに加わった良い兆候でしょう。とにかくわかりました。何かあるにせよ無いにせよ、報告させてもらいます!」

「何か、無い事態は考えたくないな」

そう反応した西田に、

「皮肉なことに、7年前は信用出来なかった相手を、今は信じるしかないですね。じゃあまた後で」

とだけ言って、電話を切った。


 ただ、その直後、本橋が久保山への手紙の中で、もっとも立証が難しいと思われている瀧川についても、わざわざ言及していたことを伝え忘れたことに気付き、失敗したなと顔を歪めていた。とは言え、今から掛け直すぐらいなら、改めて連絡するついででも良いと、敢えて放置した。


 そんな中、

「今の電話の相手が、さっき繋がらなかった、片割れの西田っちゅう刑事か?」

と、久保山が早速確認してきたので、

「そうです。メッセージ聞いて掛けてきたようです」

と伝えた。


「どんな人間なんや?」

今度はいきなり人物像を聞き出そうとしてきた。

「どんなと言われても……。まあ特別何か変わったようなこともなく、普通の刑事じゃないですかね……。勿論、優秀な刑事の部類ではあると思いますが」

そう言い終えた後、重要なことを言い忘れたと気付き、

「ただ、上司としては間違いなく信頼出来る人でしたよ」

と、竹下は7年前を振り返りながら、端的にそう付け加えた。

「ほうか……」

久保山は短く言うと、それ以上何か聞いてくることはなかった。


 そして車は、既に芦屋辺りを通り過ぎようかとしている所だった。


「あれから7年経ちましたが、神戸中心に、復興はほぼ終わりましたか? 3年前でも、かなり復興はしていましたが、取り残されていたような箇所も、まだ残っていたと思いますが……」

竹下は99年に、神戸にある兵庫新聞と北海道新報の共同連載記事である、北海道南西沖地震と阪神大震災のその後を追った「奥尻そして神戸」の執筆の為、2度、延べ3週間程、神戸周辺で取材をしていたので、その時の記憶が蘇っていたのだ。


「まあ、表向きは7年も経てば、元に戻りつつあるんやないかな? さすがに完全に戻ったとは言えんやろうけど……」

神戸で修行していたという黒田がそれに答えると、

「あん時は、ヤクザ界隈は、被災した連中を助けたみたいなことが言われとる一方、裏じゃ相当儲かったと言う話ですわ。復興費用として、国からバンバン予算が付いたから、西成にしなり辺りでホームレス拾うて、取り壊しやら瓦礫がれきの始末やらするだけで、ガッチリ金が入ってきたと聞いとります。何しろ奴らは日雇いやから、大した金払わんでもええし、アスベストやら何やらも気にせず作業しよるから、中抜きも凄かったらしいですわ。その手の業者の中には、『また近くで地震起きんやろか』なんちゅう不謹慎なことを、酒席で平気で言い寄る輩もぎょうさん居ったとか……。人の不幸は蜜の味なんちゅう言葉がありますが、あんなもんはまだマシですわ! 『人の不幸は金になる』、そういうのがヤクザの世界。こっちも兄貴のおかげで、早目に足を洗えて良かったですわ……。まあ街金は街金でクズと言われりゃその通りやけど……」

と、久保山は吐き捨てるように言った。その『業界』に居た経験のある者が、高利貸しの方がマシと言うのだから、それなりに真実味があった。


「仮設住宅は、2000年の1月に解消されたんでしたっけ?」

竹下が、その後ニュースで聞いていた話を出すと、

「何時かははっきりせんが、確かに、その辺りで入居者が居なくなったような話は聞いたと思うわ」

と、黒田が返した。


「私が取材で99年にこちらに来た時は、仮設住宅の孤独死やら孤立死が既に……、正確に言うなら、震災後1年後ぐらいから問題になっていて、それに関して取材したことがあって……」

そう切り出すと、

「北海道の記者が、わざわざ神戸に取材に来たんかいな!? しかも4年経った99年に」

と、久保山は口を開いたが、おそらく呆れたというより驚いたのだろうが、言い方の問題でそうは聞こえなかった。


「ええ。色々あって、2週間程」

細かいことを説明しても仕方ないという思いもあり、竹下はそれで誤魔化した。

「孤独死なあ……。こっちでは一時期ようニュースでもやっとったな」

黒田がそう反応すると、それを聞いた久保山は、

「そんでも、あの年は、例の地下鉄サリンやら何やらで、春先からそっちがニュースのメインになって、全国的には急速に震災の印象が薄れたんちゃいますか? 結局、ある意味忘れ去られたと言うとあれやけど、かなり割り引かれたっちゅうか……」

忌々いまいましそうに言った。


 確かに、カルト教団のテロ事件は、阪神大震災から、関西以外の人々の耳目をかなり奪ったことは事実だろう。新しい派手なニュースの方が、人々の関心を呼ぶことは否定出来ない事実だ。


「せやけど、あの事件が無かったとしても、時間が経てば忘れ去られるんやないかな、被害を直接受けなかった人間には……。所詮は他人事やから……。まあ、今でも見た目の復興はともかく、見えない所で苦しんどる人が居るという話は、神戸の知り合いから色々聞くわ、今でもな……」

黒田は、「今でも」を繰り返した


「こっちでも色々言うとりますが、あの1月17日ですら、大阪もそれなりに揺れとったけども、被害なんかほとんど無かった。大阪から神戸の知人に、支援物資持って行った奴が言うとりましたわ。『こっちじゃ何事も無かったかのように、パチンコやったり酒場で今まで通り騒いどるのに、たった40km向こうは瓦礫の地獄や……。神戸や西宮と大阪の間には、途中で信じられん程どデカイ壁がある』と……」

黒田の話に続いて、そう久保山が語った直後、車は摩耶まやICで阪神高速から離脱して、一般道へと下りていった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る