第251話 名実160 (380~381 墓参)

 11月20日水曜の、龍川勾留再延長最終日の夕方。吉村と道警本部組の捜査員は、大阪伊丹空港から新千歳空港を経て札幌まで戻っていた。他の北見や遠軽の捜査員は東京まで行き、翌日羽田から女満別ルートを採っていた。そして吉村は、札幌で宿泊してから、21日にオホーツク3号で遠軽の大将の元を見舞いに訪れ、夕方になって北見方面本部へと顔を出した。


「長期間大変だったな!」

三谷や西田から出迎えられた吉村だったが、疲れこそ見えたものの、大将が元気になったのを見たせいか、割と明るい表情だった。ただ、

「結局奴は落とせませんでしたから」

と、龍川の自供を得られなかったことを、表向きは嘆いてみせた。


 言うまでもなく、龍川がゲロすることは想定すらしておらず、あくまで形式上の大阪派遣だったのだから、北見方面本部首脳は勿論、西田も吉村もその点について本格的に悔いているはずもない。しかしながら、悔しい思いが全く無いということもまたあり得なかった。その両面の折り合いを付けた結論が、取り敢えずは嘆くことだったのだろう。


 そしてこれより3日前の11月18日。突然竹下から電話連絡があった。高垣が今回の件の週刊誌での執筆取材も兼ねて、急遽20日に北海道にやって来るらしい。都合が合えば取材も兼ねて、西田達にも会いたいということもあり、何時なら会えるかという確認の電話だった。病院銃撃事件や佐田殺害に関連した取り調べや起訴などの絡みで忙しいことも確かだが、一時の様な朝から晩まで忙殺されるという状況でもなく、22日の夜にでも会えると伝えていた。おそらくは西田達から話を聴きたいのだろうが、一方で純粋に会いたいという気持ちもあるはずだ。


※※※※※※※


 11月22日夜。今年の春、竹下と会った時にも使った焼き肉・野付牛豚鶏のつけうしとんけい屋の個室で、西田と吉村、そして竹下と高垣が集い、久し振りに全員で顔を合わせた。


 竹下も「取材」と称し午後から既に北見へ入っていて、高垣は20日から道警本部の知り合いに取材しつつ、北見で西田達に会って取材する為に当日の午後に北見入りしていた。ただ、西田と吉村への取材が済んだら、一度竹下の住む紋別に寄ってから、空路で東京に戻るつもりらしい。


 ある程度の捜査情報は、竹下に記事を書かせたい西田は、既に電話やメールで彼に伝えていたが、直接面と向かって話すのは初めてでもあった。そういう意味では、高垣同様、竹下もある意味取材を兼ねていた会食とも言えただろう。そして竹下は、12月辺りから本格的に、佐田実殺害から病院銃撃事件までの背景や過去の問題について掘った記事を、道報に連載記事として書いていくことが決まっていた。


 本来であれば、公判前に余り情報は与えられないが、竹下も高垣も西田から見れば十分に信用が置ける相手でもあり、龍川以外はほぼ自供が終わっていることもあって、オフレコの前提はあるものの、これまで伝えたこと以外も、割と詳細に話すつもりだった。


 今回は高垣が「祝勝会」ということで奢ってくれるらしく、高垣の音頭で乾杯から始まり、かなり盛り上がった。だが、やはり事件について語る段になると、自然としんみりとした雰囲気になっていた。そして高垣は、大島の政治家としての苦言に特に注目した様だった。高松が喧伝する「改革」とやらの行く末の危険性について、図らずも大島と意見が一致した部分があったことに驚いた様子だった。


「俺も昔、談合について色々と取材して本まで書いたが、一見公正な入札が、真の意味で公正な結果を必ずしも生み出さなかったことは、正直当時はほとんど予見してなかった……。そういう意味では俺も間違いを犯したと言える」

そう言及してから、高垣は溜息を吐いた。それから、

「公正な競争こそが、世の中を正しく押し進めるというある種の教義が、果たしてどこまで正しいのかと言う点において、俺も今ではかなり疑問に思ってる。政治的主義主張もそうだが、どれかが一方的に正しいなんてことは、おそらくあり得んのだろう……。共産主義より資本主義が生き残ったのは、共産主義が教条主義で凝り固まったままだったのに比べ、資本主義は、当初の資本家による剥き出しの搾取という構図から、福祉から民主主義まで上手く結び付いて、柔軟に自己変革が可能だったことが理由だと思うんだ……。逆に言えば、資本主義が独り勝ちして、むしろ先祖返りしつつある今、むしろ破滅に向かっている恐れすらある」

と吐き捨て焼酎を煽った。そしてコップをテーブルに軽く叩き付け、

「一度成熟しちまった国家の政治ってのは、良くも悪くそんな簡単に変われるもんじゃない。ありとあらゆるモノが雁字搦がんじがらめになっているからな……。仮に表向き一気に変えて最初は上手くいったとしても、サッチャーのやったことの様に、大きなひずみが後から露見する確率が高い。もし本気で上手く行く様に一気に全てを変えるとするならば、悲しいかな、一度外的に、表向きどころか、社会の有り様の土台から壊滅させられるしかないかもしれん。日本で言えば敗戦がそれに近いか……。まあそれでも土台ごととはいい難いな、色んなモノが残留したままだったから……。とにかく、それを避けて自発的に変わろうとするならば、永遠に終わることのない、小さな変化の繰り返ししかない様にも思える。そして大島が言う通り、今の内実として無定見な大規模な変革、しかも表からははっきりと見えない、悪い意味での土台を残したままでそれを求める機運は、むしろ内的な大崩壊という、危険な前兆なのかもしれん」

眉間にシワを寄せた厳しい顔付きのままで、最後はかなり悲観的な言い方になった。

「その土台ってのは何ですか?」

吉村が問う。

「一言では言い表しづらいが、社会における暗黙の文化やその社会の人間の価値観の傾向とでも言っておけば良いかな。例え制度だけいじっても、この部分が変わっていないと、変えた制度が形骸化したり、或いは良かれと思って導入した新しい制度が悪い方向へと向かうことがある。当然だが、その土台は本質的に見て、概ね正しい傾向にあるか、間違っている傾向にあるか、どちらの場合もあり得るがね。概ねとしたのは、価値観はある程度時代背景により揺らぎがある場合があるからだが。そしてさっき『悪い意味での土台』と言ったのは、まさに『無定見』という言葉とも関わるが、何を目的に変えるのか、そしてそれ以上に、その結果どうなるのかまで深く考えず、取り敢えず変えることそのものが目的化しやすい国民性と言える。同時に、これは俺自身にもその傾向がなかったとは言えない。目的は税金の適正使用や利権潰しではあったが、その結果についての思慮が浅かった」

と言葉を選びつつ説明した。

「なかなか難しいところですね」

吉村は解った様な解ってない様な、煮え切らない態度だったが、竹下もまた、

「確かにこれは難しいところです。変革の必要性はあるからこそ」

と口にしたので仕方ないところだろう。


「ただこればかりは、実際に『結末』を経験しないとよくわからん部分はある。余程の慧眼けいがんを持った人間以外にとってはな……」

最後にそう付け加えた頃には、何かを悟ったかの如く、静かな口調になっていた。


「高垣さんでもわからんもんですか?」

吉村がやや驚きながら問うと、

「はっきりとはな……。ただ今言った様に、この流れがどうも正しいとは思えんことは確かだ。俺以上に大島は、自分の長年の経験から何かを察知しているんだろう。しかしそれならば尚更、大島は政治家として、きちんと自分の考えを有権者に伝えられる環境を維持しておくべきだったはずだ」

と答えた。奇しくも最後の言及は、西田と吉村が大島から話を聞いた時に思ったことと全く同じだった。また一連の殺人については勿論、ある意味事件の発端となった大将の話題にも軽く触れた西田だったが、余りの皮肉な結末には高垣も嘆息していた。


 吉村も思わず、

「大将は結局、親父さんの『墓参り』をすることなく、このまま逮捕されるんですかね……。何とか逮捕前に墓参りさせてやりたかったんですが……」

と愚痴った。それを受けた西田は、

「遠軽署が協力してくれるなら、退院して家に一度戻ってから遠軽署で逮捕する前に、生田原の『辺境の墓標』に墓参してもらってからってことも可能は可能だと思うぞ。遠軽署で任意取り調べの直後に逮捕って形でな」

と奇策を披露した。


「なるほど、その手がありますか……。ただデカイ問題は、遠軽署がそれ受け入れてくれるかってことだと思いますけど?」

吉村は半信半疑というよりは、如何いかにも「厳しいんじゃないの?」という受け止め方だったらしい。

「しかし、龍川の取り調べの件で、遠軽組を参加させた貸しは、色々配慮してもらってるとは言え、まだ残ってると言うのは都合が良すぎか?」

西田が反論すると、

「まあ、それは遠軽の桝井課長が、どう受け止めるかでしょうが……」

と、多少は理があるかと思ったか口ごもった。


「退院は何時でした?」

竹下が話に入って来たので、

「順調なら11月25日の月曜だったはずですよ」

吉村が答えてみせた。

「今年は気温が低くなってる割に、この時期まで雪が積もってないというのは幸いだけど、25日か……。微妙だな天候の面では」

竹下はそれを聞いて渋い顔をしたが、確かにここまでは、この時期としては奇跡的に積雪がないという幸運があった。しかし気温面を考慮しても、何時一気に雪が降り積もるかわからない。しかも経験則的にこういうパターンでは、積もる時には数十センチぐらい一度に積もることが多く、そうなると、ましてあの山の中では「墓参り」どころではなくなる雪量の可能性が出て来る。だが計画を立てるならその日しか無い。


「とにかく、天気のことを考えても仕方ない。刑事課長の桝井さんに連絡とって、逮捕前の墓参りが可能かどうか聞いてみるしかないだろ? あと寺川……さんだったかな、地主は。7年前は『いちいち許可取らんでいい』とは言われたが、やっぱり連絡はしといた方がいいだろう」

西田が改めて提案すると、

「それと、遠軽の弘恩寺の岡田住職とか、生田原の弘安寺の松野住職とかにも連絡取っておかないと」

吉村が重要なことを補足してくれた。

「うっかりしてた! お経あげてもらわんと意味がないよな……。まあ色々やることあるわ。さっそくまずは遠軽署に電話してみよう」

西田はそう言うと携帯を取り出した。


※※※※※※※


 11月25日月曜の午前9時過ぎ。未だに気温は氷点下だったが、幸い降雪も積雪もほぼ無い生田原の常紋トンネル付近の山中に、西田と吉村の現役刑事2人、そして竹下と高垣というジャーナリスト2人が、手袋をはめた上、マフラーに厚手のコートを着込み居た。


 本来であれば、部外者である竹下と高垣は、西田が認めたとしてもこの場に居られないはずだった。しかし、西田の知り合いであり、一連の事件解決の功労者であったことを理由に、この「墓参り」についての情報を一切口外しないという約束の下、辺境の墓標に共に参ることを、遠軽署側から許可されたのだった。


 また、竹下はともかく、高垣については、大将は一切面識もなければ存在すら知らないはずなので、病院を出発する時点で大将に「同席」しても良いか確認することを遠軽署側に頼み、大将が不服であれば、高垣はその場から離れることとなっていた。だが、この時点で連絡が全く無かったということは、大将も納得してくれたということなのだろう。


 竹下と高垣は、特別この墓参りに参加したかったという訳ではないが、西田は大将のみならず、捜査に協力してくれた2人と共に、1つの節目として辺境の墓標の前で手を合わせたかったのだ。


 当然のことながら、竹下と高垣もそれを拒否する理由もなかった。竹下の紋別の家に泊まっていた高垣は、休みを取った竹下と共に竹下の車で、西田と吉村は北見から出て来て、この場所で落ち合ったのだった。


 西田と吉村は、本日は許されて午後からの出勤予定だったが、昼過ぎから4時ぐらいまでは、北見の検事との伊坂の公判について打ち合わせがあることから、北見方面本部ではなく、直接釧路地検北見支部へと出向く予定だった。ただ現時点では勤務時間外なので、吉村の自家用車でここまで来ていた。


 一方の大将と生田原にある弘安寺の松野住職は、遠軽署の刑事であり、大阪へも派遣された多田野と加賀という若手刑事の車で送られてくるはずだったが、松野住職の問題で、予定より30分程遅れてくるという連絡が西田の携帯にあった。因みに、遠軽・弘恩寺の岡田住職は予定が入っていたので、残念ながら参加は出来なかった。


 辺境の墓標は、やはり大量の落ち葉が周囲に降り積もっており、大げさに表現するなら「埋もれた」状況にあったので、4人は手袋の上から更に軍手をはめ、軽く手で掃いたりしていた。掃除道具や手桶などは、住職が用意してくれる手はずだった。


 この時点ではまだ本格的な清掃は出来ないので、そのまま寒さを紛らわす為に周辺をうろついたり、世間話などで時間を潰していた。高垣は7年前のこの時期にも、竹下のアイデアで北見へ来た上、この辺境の墓標や常紋トンネルを訪れていたが、その時の思いが蘇ったか、かなり感慨深そうだった。


「あの頃から考えていて、ついに7年も経っちまったが、焼き直しとは言え、俺もこの常紋トンネルのタコ部屋労働についての本を書かなきゃいかんな。むしろ現在いまだからこそ」

と高垣は言い出した。

「焼き直し?」

西田が尋ねると、

「ああ。昭和50年代前半に、小池喜孝って人が書いた『常紋トンネル 北辺にたおれたタコ労働者の碑』(作者注・以前に触れましたが、書名も作者も史実。当小説も参考資料としてかなり利用させていただいております)という作品で、この常紋トンネルとタコ部屋労働の件は一気に世間に知られる様になった。つまり俺が今書いても、所詮は二番煎じでしかないが、この時代だからこそ、もう一度焼き直す意味もあるんじゃないかと思うんだ。労働者がただのコマとして扱われて行きそうな時代だからこそ……。派遣労働もバブル崩壊後に拡大し、これからなし崩し的にどんどん解禁、改悪されていきそうな勢いだし、敢えて触れておく必要があると思う。更に外国人労働者の問題もある。特に研修制度が悪用されて、研修とは名ばかりの、低賃金長時間労働も農業や縫製で横行しとるしな」

そう深刻そうな表情で語った。竹下も黙ってはいたが、思う所はあっただろう。


「詳しいことはわからんですが、大島の話とも繋がるんでしょうね」

西田が話を繋ぐ。

「そういうことかな。労働者をコストとしてしか見ない世の中になりつつある。しかしそのコストが巡り巡って、再び企業収益になるという発想がない。更に労働者の切り捨ては社会不安に繋がり、結果的に社会コストが大幅に増える。そういうことがわからん人間が『上』に急激に増えている」

高垣は「上」を強調すると、辺境の墓標を見やった。


「それにしても、タコ部屋労働で犠牲になった人は、この現代の無関係な事件に巻き込まれて、長い眠りから覚まされたんですから、酷く迷惑したんだろうなあ」

その直後、少し離れた場所から西田達の元に歩いて寄って来ながら、吉村はそう発言した。

「迷惑はさすがに言い過ぎじゃないか?」

竹下がやんわりと否定したが、

「そうですかね? だって佐田の遺体を隠すのに、別に安置されてた大将の親父さんや仙崎とかの砂金掘りも含めて、全部遺骨をごちゃまぜにされたんですから、いい迷惑でしょ?」

と反論してみせた。


「うーん、確かにそう言えなくはないが……」

西田はそう前置いたが、しばらく考えた末に、

「俺が犠牲者の代弁をする訳じゃないが、そうは思ってないんじゃないだろうか?」

と言い出した。

「それはどういう意味だい? 西田さん」

興味深そうに高垣も話に入って来た。


「そこまで真剣に聞かれると言いづらいなあ……」

西田は苦笑したものの、

「ここに葬られた、タコ部屋の犠牲者も砂金掘りも佐田実も、一見三者三様の無関係に見えて、共通項があるように思える」

と口にした。その発言に、

「もうちょっとわかりやすい様に言ってくださいよ」

吉村が、何となく試すような視線を投げ掛けながら要求してきた。

「じゃあそうしようかな」

西田は「受けて立つぞ」という決意表明をするかの様に、少し背筋を伸ばした。



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