第250話 名実159 (377~379 父子の関係)

 11月16日土曜日の午前中。西田は病室で大将を見舞っていた。この日は最低気温が氷点下7度を下回る様な、本格的な冬の訪れを感じさせる様な日であるだけでなく、最高気温も1度程度とほとんど真冬日に近い気温でもあった。ただ、この時期にしては珍しくまだ降雪もなく、道路も乾いて車も運転しやすい状態だった。


 大将の手術は、予定よりやや遅れて11月12日に行われていた。無事成功したことは、既に娘の美代からの連絡で、北見に戻っていた西田にも情報が入っていたが、一連の事件の事務処理で忙しかったこともあって、ここまで見舞いが伸びていたのだった。


 美代は毎日滝上から来ては居るそうだが、基本的に昼過ぎ辺りから来るということで、他の病室の患者に気を使う必要はあったものの、大将とは一対一で話すことが可能だった。


 西田は見舞いに持って来た、カットされた果物をベッドの上の大将と共に食しながら、今までのことを振り返りつつ、先のことについても、周囲に気を使いながら話していた。あの時は詳細に話せなかった、桑野欣也の従兄弟である小野寺道利が、今の大島海路になっていく過程についても説明した。


 大将の義理の父と同様、本物の桑野欣也と大島が機雷事故に巻き込まれていたことも伝えると、「稲の父ちゃんや俺と同じく、大島があの場に居たとはなあ」と、やはり大層驚いていた。


「先生からは、経過も考えて順調なら退院は25日の月曜だって言われてるんだわ……。一度家に戻って荷物を置いた後、そのまま逮捕してもらおうと思ってる。始末しておくべきことは美代と茂に任せてあるからな……。申し訳ないが、そうあっちに伝えといてくれ」

粗方西田から話を聞いた後、大将はそう要望した。

「ああ。普通の車で病院まで来て、そのまま普通に後部座席に乗ってもらって家まで行き、その後、遠軽署あっちまでただ乗せてくだけだ」

西田の言ったことは、パトカーは利用せず、手錠も嵌めないまま任意で連行し、遠軽署内で改めて逮捕ということで話が付いていることを意味していた。

「申し訳ねえな、気い遣ってもらって」

「それは気にしないでくれ」

西田は笑顔で返した。


「ところで、ちょっと聞きてえことがあるんだが、西田さん、正直に答えてくれるべか?」

リンゴを食べ終えた大将がそう口にしたので、

「……ああ、何でも答えるよ」

と、こちらはまだ食べていたリンゴが、喉につかえそうになりながらも返した。


「佐田のことなんだけどよ。……もし俺と出会ってなかったら、あんなことにならなかったんだべか?」

「ああ、そのことか……」

西田は、大将が自分の不埒な行動で引き起こされた悲劇について、米田青年以外にもあるのではないかと気にしていることに気付いた。

「否、それは無いと断言出来る。何故かと言うと、元々佐田が『志野山』に泊まっていたのは、生田原で色々調べる為だったからなんだ。その目的は、あの徹の手紙の中にあった、砂金の隠し場所が実在するか確認することで、証文や手紙の内容が事実かどうか、判断しようということだった。しかし、あの時には予定内にそれが確認出来ず、佐田はがっかりしていたところ、偶然にも湧泉で大将と出会った。そこでたまたま確証を得られただけで、遅かれ早かれ佐田はそれを確認して、伊坂を脅迫したのは間違いないと思う。勿論、それに対する伊坂達の行動も同じだったはずだ。だから、それについては気にする必要はないよ」

懇切丁寧に大将に説明した。

「そうか、それは安心したわ。じゃああの北見の病院の事件はどうなんだ? 何か新聞で色々書かれてる記事を見る限り、佐田の事件を隠そうとして起きた話なんだろ? 俺の店にも来てた、北見の刑事さんも巻き込まれたんだったな……」


 大将の更なる質問には、さすがに西田は戸惑っていた。確かに、大島による佐田殺害関与を隠蔽する目的が引き起こした事件ではあった。そしてそれは、西田達が米田の殺害を暴いたことから始まり、結果として隠蔽する必要が生じたとも言えた。更に北村がその捜査に絡み、新たな展開が生まれていたと言う客観的な事実もあった以上、遠因として大将の行動が関わってないと断定するのは無理があった。


 一方で、95年時点での公共事業の将来的な縮小予想による土建業者の選別は、大将には一切無関係であった。その前提で考えれば、米田の殺害がなかったとしても、それを契機に松島が何らかの形で大島や伊坂の佐田殺害についての告白をする可能性も普通にあった。そこに北村や亡くなった北村の恋人の姉の看護婦がどう絡んでいくかは、単純に「関係あるなし」で言い切れるモノではなかった以上、「何がどうだったから何が起きた」と言った類の話は、簡単に断言出来る様なものではない。ひょっとすると、北村や看護婦は犠牲にはならなかったかもしれないし、場合によっては変わらない結果が生まれたかもしれない。その為西田は、

「それは正直わからないわ大将……。ただそれを言い出すと、佐田が行方不明になった時にちゃんと捜査しなかった警察にも問題がある訳だから、他にも色々と要素が出て来る、1つ言えることは、大将がそこまで気に病む必要はないと言うことだと思う。ただ、絶対に無関係だと言うつもりもない」

と率直に伝えた。


「そうか……。まあ自分が仕出かしたことで、確実に1人の生命が失われたのは事実だ。その重みはそれ以上でもそれ以下でもねえからな……」

大将はそう言うと深く悔いている様だった。


「あ、そうそう。大将に今日は他に重要なプレゼントと報告があるんだった!」

話を変える為、如何にも今気付いたかの様に装いながら、果物を取り出した後は窓際に置かれていた紙袋から、厚めのビニール袋に入った「物体」と胸ポケットから封筒を取り出した。


「大将、これ。退院後、家に寄った時に置いていくまで持っててくれ」

大将にそう言いながらあるものを手渡した。大将はそれをまじまじと見て、

「うん!?……何だこれは?」

と、しばらくビニール袋の中身を観察していた。そして、

「これはアイヌのテクンペ(作者注・後述)だべ? かなり汚れてるからわからなかったけどよ……。俺もガキの頃に、お袋に作ってもらったことがあるからな。まああの頃は、アイヌのモンなんて身に着けるのが恥ずかしくて嫌がったから、今にして思えば悪いことをしたが……。それにしても何でまた?」

と語ると、西田を不思議そうに見た。


「そう。あの時吉村が言ってたと思うけど、親父さんの遺体が、今から25年前の昭和52年に発見された時に、まさに身に着けていたものなんだ。埋葬されていた関係で、そんな風に土色に染まってるけどね……。当然発見時は誰だかわからないままで、免出だと知ったのは、俺が遠軽に来た今から7年前の95年のことだけどさ」

「え? 本当なのか? しかしよ、西田さん。だとするなら、このテクンペはお袋が作ったモンなのか? しかも、その遺体が俺の親父であることまでは、その時はわからなかったとしてもよ、免出だってどうしてわかったんだべか? その時はお袋と親父の関係もわからなかったはずだしよ」


 確かに、一方的に「父親の遺骨が見つかって、後からバラバラにされた」と吉村に言われただけでは、その根拠を聞かないとモヤモヤしたものは残っていたはずだ。あの時は話の流れ上、そんな疑問を挟む余地はなかったが……。


「その点については、大将に送られた佐田実の手紙に同封されていた、佐田の兄貴の徹が書いた手紙の内容と、25年前に遠軽署によって、その当時は身元不明と処理されていた3体の遺骨発見がカギになってる。手紙の中で、親父さんの免出重吉が高村という男に殺されたということはわかってると思うけど、全部で3名の遺体が常紋トンネルの付近に埋葬されたことになってただろ? それで、昭和52(1977)年に発見された3体のうちの2体は、状況から見て殺人の被害者だったんだ。丁寧に埋葬された2体のうちの1体には、頭部に殴られた可能性のある痕跡があり、乱雑に埋められた1体も同様で、これが殺人の被害者2名だろうという根拠になった。そして丁寧に埋葬された2体のうち、特に死因がはっきりしなかったものは、骨から推測される年齢から見ても、おそらく病死した仙崎だろうということを、95年の時点で佐田の兄の手紙を見ていた俺達は確信したんだ。当然、乱雑に埋められたのは、報復で殺られた高村と推測出来る。そうなると、残る1体の丁寧に埋葬された殺人の被害者が、必然的に親父さんの免出重吉になる。しかも、95年時はわからなかったけど、まさにアイヌのお袋さんと付き合っていたとなると、このアイヌのテクンペをはめていたことは、それを補強する材料にもなる」

この西田の説明に、

「そうか。確かにあの手紙の話にも合うな」

と大将は納得していた。


「だからこのテクンペは、親父さんのモノであると同時に、さっき大将が言ってたけど、間違いなくお袋さんの作ったものだろう。それを親父さんが普段から身に着けてたからこそ、埋葬された時にもはめたままだったはずだ」

その西田の説明に対し、

「これがお袋の作ったテクンペか……。ガキの頃に作ってもらったテクンペがどんなもんだったかはっきり憶えちゃいねえが、まあそうなんだろうなあ」

としみじみ言いながら、確認するかのように色々な角度から見ていた。会ったこともない実父と、愛する母から送られたであろう品は、土中で汚れて傷んでいるとは言え、大将にとっては抱く思いも一入ひとしおだろう。


 そのせいもあって、西田は話し掛けるタイミングを測っていたが、

「最近札幌で、アイヌ文化を専攻している大学の教授に会う機会があってね。ずっと気になっていたもんだから、このテクンペについて色々聞いてみたんだ」

と切り出した。


 言うまでもなく、「メム」についての裏を取りに、翔洋大学の田口の研究室を訪ねた際、テクンペについても「もう1つ聞きたいことがある」と、色々と聞いていたのだった。


「大将が知っていたら余計なお世話かもしれないが、アイヌの女性にとってこのテクンペは、自分の意中の男性に手作りで贈り、男はその気持ちを受け入れた時に初めてこれを身に着ける風習だった(作者注・後述1)そうだ。だから親父さんもその意味と思いは、おそらくよくわかっていたと思うし、お袋さんと大将を置き去りにした後もこれを身に着けていたんだろうということは、やっぱり2人への思いはちゃんとあったんじゃないかと思う」

西田はそこまで一気に言うと、一度大将を見た。大将は相変わらず神妙な面持ちだった。

「伊坂大吉も生前に、免出が恋人とその間に出来た息子を置き去りにしたことを後悔していたと、政光に語っていたそうだし、似たようなことを大島も桑野から聞いていたって話だ。それらの証言からも、この考えは補強出来るんじゃないかな? 残念ながら、免出は大将とは生きて会うことは出来なかったけど」

西田がそう説明すると、大将はじっとテクンペを見つめたままで

「そうか……」

とだけ絞り出す様に言った。


 更に西田はその様子を確認しながら、封筒から紙をゆっくり取り出して言う。

「実はね、札幌で大学教授に会った後で、そのテクンペを知りあいの別の大学教授に送ったんだ。その人は血液のDNA……、遺伝関係について研究している専門家なんだ。それでテクンペに付いてた血痕から採取したものと、大将の止血に使ったハンカチより採取した血から採取したものとを照合してもらったんだ。そのせいで、形見であるテクンペの一部がちょっと切り取られてるが、それは勘弁して欲しい」


※※※※※※※


 札幌から北見へ戻った翌日の10月22日に、西田は例の半纏の端布のDNA鑑定をしてもらった、両国大学の末広教授にあることを問い合わせていた。札幌訪問で、大将と免出重吉が父子関係である確信を持った為、更なる科学的根拠が欲しいと考え、免出の遺品であるテクンペから、DNA鑑定に使える試料となる「痕跡」が抽出出来ないか問い合わせていたのだ。


 テクンペは手甲てっこうとして、野良仕事や山仕事などで手の甲を保護する目的に使用されるので、手に怪我などをすれば、免出本人の血液や体液などが付着している可能性があると西田は考えていた。ただ、埋葬により30年以上も地中にあった為、仮に付着していたとしても、試料として有効なレベルにあるかは疑問符が付いていたのも事実だった(作者注・後述2)。そうなると、日本で最先端のDNA検査技術のある末広に聞くしか無いという結論だった。


 末広の回答は、「仮に血液が付着していたしても、30年も地中にあると相当厳しい」というものだったが、「取り敢えず現物を見て、抽出出来るかどうか判断する」という結論だった。当然西田はその低い確率に懸けてテクンペを送付していた。そしてその翌日、大将の自殺未遂でたまたま止血の際に使った西田のハンカチを、大将自身のDNA試料として、テクンペから抽出出来るかどうかの結論を待たずに、末広に再送付していたのだ。


 テクンペを送付してから5日後、末広が血液のシミらしき痕跡を発見して、布の内側に染み込んだ血痕からDNAを抽出出来るかトライすると連絡があり、11月の3日には、見事試料から見事DNAを抽出していた。その後ハンカチの血液から抽出したDNAと鑑定を行って、父子関係が証明されたと連絡があったのが11月13日。そして前日の15日に、鑑定書と共にテクンペは北見へと返送されて来た。その鑑定書の紙には、テクンペから抽出されたDNAとハンカチの血液から抽出されたDNAは、99.99パーセント父子関係が認められると記載されていた。


※※※※※※※


 西田から手渡された鑑定書を見た大将は、

「難しいことはよくわからねえが、このテクンペをはめていた遺体の主は免出重吉であり、鑑定の結果、俺の親父だったってことでいいんだよな?」

と西田に尋ねた。

「ああ。状況証拠的に間違いないとは思ってたが、科学的にもそれが証明されたってことだよ」

西田も追認した。大将は改めてテクンペを手で触れながら、いたく感慨深そうだったが、西田は遠慮がちに、

「ちょっと聞きたいことがあるんだが、いいかな?」

と言い出した。

 


※※※※※※※作者注・後述


後述1

テクンペ

http://www.jtco.or.jp/japanese-crafts/?act=detail&id=108&p=5&c=16

http://www1.hokkaido-jin.jp/zukan/story/03/02.html(最後の方)


資料中にも「男性への贈り物としてアイヌ女性に手作りされた」とあります。

ただ、テクンペは元々アイヌ文化の中にあったものではなく、和人文化の手甲の影響を受けているという説もあり、純粋な意味でのアイヌ文化由来の装束であったかについては、諸説あるようです。


後述2

一般的に地中に長期間あった血液試料などからDNAが抽出されることは、2002年当時は勿論、現在の技術でも(まだ)無いとされています。あくまで小説上のこととなります。また、抽出に掛かる時間はこのような劣化試料の場合、相当時間掛かると思いますが、小説上それも短縮していますので、ご了承ください。


尚、北朝鮮拉致被害者の横田めぐみさんが、「既に死亡している」と北朝鮮が(おそらく)適当なことを言って、その証拠として「高温で荼毘に付した」遺骨を日本に送付してきました。墓は洪水で流されたと言いつつ、一部の遺骨を提出してくる時点で、その遺骨がめぐみさんのものである点については、ほぼあからさまな「嘘」だとわかっているのですが、ここで日本政府もとんでもないアホなことをやらかします。


その高熱で処理された遺骨をDNA鑑定しようとしたのです。北朝鮮の言ってることが嘘であることを「科学的」に証明しようとしたんですね。そんなことしなくても明白であるにも拘らず、わざわざ余計なことをしようとしました。


当然ながら、700度以上の高温で焼かれた骨からDNA試料なんて、当時も今もこれからも抽出出来る訳がない(DNAそのものが破壊されるので)のですが、それが何故か「出来て」しまった。それにより横田さんのご家族のDNAとの照合(母である横田早紀江さんからのミトコンドリアを利用した模様)で「別人」という結論を出したのです。しかもその後の再鑑定は、「試料が鑑定で無くなったので出来ない」と言う不可解なものでした。


しかし、それに科学雑誌ネイチャーの記者が当然異論を唱え、国会でも問題になりました。何しろそのいわくつきの鑑定を行って「結果を出した」人物を、時の政府が科捜研の法医科長に「登用」してしまっていたからです。つまり謎の人事が行われ、その理由が「政府の思惑通りの鑑定結果を出したからではないか」という疑惑が当時あった訳です。


昨今見られる様な、政府におかしな都合の良い結論を出す人間には「報奨」を与えるという構図が、小泉政権の2004年(鑑定時)に既に出来上がっていたという1つの事例です。今から振り返ると、こういう芽が既にあったんですね、我々がさして意識していない頃から。


しかし、明らかに嘘であるものにわざわざ「(インチキ)科学的」な否定根拠などを与える必要はない。まさに蛇足の典型だと断言します。というかハッキリと結果の捏造なんですがね。


参考資料

https://www.excite.co.jp/News/entertainment_g/20160201/HealthPress_201602_dna_18.html?_p=3 (この一連の記事の3から5まで)


https://shinka3.exblog.jp/1779707/


※※※※※※※


「何だべ? 聞きてえことってのは」

大将は探るように西田を見た。

「大将の店の名前の『湧泉』って、大将が育った湧別の『湧』と、名前の『泉』から取って付けたって、初めて大将の店に行った時に聞いた記憶があるんだけど?」

「ああ、そうだ」

大将は短く肯定した。

「でも、本当は違うんじゃないか? 否、そうだったとしても、別の由来もあるんじゃないかって……」

西田にそう問われた大将は、一瞬軽く目を剥いた様な表情を浮かべたが、それ以外は反応しなかった。西田は仕方ないので、そのまま話を続ける。


「よく料亭とか割烹とか、それどころか普通の定食屋みたいな店まで、自分の名字や名前とか付ける店あるでしょ? 大将で例えれば、割烹『相田』やら食事処『相田』とかさ。そういう意味じゃ大将の店の『湧泉』ってのも、そのまま大将の名前の方を一部利用してるとも言えるけど」

「ああ、そうだな」

大将は西田をじっと見ながら頷いた。


「それでちょっと考えてみたんだが、お袋さんが免出という名字から、大将に泉と名付けた理屈を考えると、湧泉って名前自体を逆に変換して行けば、それこそ免出、つまり大将が本来なら名乗るはずだった、親父さんの名字を意味してるんじゃないか? ちょっとそんな気がしたんだ。親父さんには、子供の頃から色々思う所もあったとは思うが、一方で大将も、自分の父親が誰か知った後は、内心強く意識してたんじゃないか? 北大路魯山人も、いわくつきの自分の本来の名字に後に戻した。大将もそういう感覚を持っていたとしても、そうおかしくはないかなと……」

西田はそこまで言うと、大将の返答をじっと待った。しかし大将は否定も肯定もせず、手にしたテクンペを軽く握り締めていた。そして徐に、

「西田さんよ……。クイズの(正解の)賞品として、何時になるかわからねえが、俺が娑婆しゃばに戻ったら、本格的な会席料理(作者注・大昔は懐石料理と意味はほぼ同じだったようですが、現在は若干違いがある様です)を振る舞ってやるよ。小料理屋じゃ腕の振るい甲斐があんまりねえから、多少鈍ってるかもしれねえけど」

と口を開き、西田に微笑みかけた。西田もそれを受けて、

「そいつは実に楽しみだな。俺だけじゃなく、吉村とか竹下にも作ってやってくれよ」

と返すと、

「仕方ねえな」

と言いつつ、満更でもなさそうだった。


 そして西田は腕時計を確認し、

「じゃあ、そろそろ北見に戻らんといかんから。吉村が北見に戻って来たら、一度お見舞いに寄越すよ。その時は俺はちょっと無理だと思うけど……」

と伝えた。

「よっちゃんもあっちで頑張ってんだろうな……。どうだ西田さん。奴も良い刑事になったかい?」

大将の問い掛けに、

「どうだろうな……。40近いのに、未だに餓鬼っぽい所が時折出るのは治ってないしねえ……。ただ刑事として成長しているという以上に、むしろ人として成長してる部分が大きいと思うよ。俺よりもね」

と答えた。

「人として?」

大将は西田の言葉を繰り返したが、吉村の説得が無ければ、大将の生命はおそらく尽きていたことは、一切説明していなかった事もあり、

「まあ色々とさ」

と適当に言って誤魔化した。


「それはともかく、戻る前にちょっと頼みがあるんだが、時間いいべか?」

直後に、今度は大将が唐突に言い出したので、

「何?」

と、西田は椅子から立ち上がりかけて再び座り直した。


「ニュースで夏にみた限り、伊坂の息子は捕まってるんだよな、まだ北見で? 西田さんは面会とか出来るんだろ?」

「え? ああ、まあ出来ることは出来るけど……」

「だったらこれを渡してくれねえかな?」

そう言うと一通の封書を渡して来た。

「これを政光に?」

「そうだ。伊坂家に俺が思い違いで逆恨みしていたことで、とんでもねえ迷惑を掛けたから、それに対する詫び状だ。親父の分の砂金ももらう資格はねえと。それどころか脅し取った金も弁償しないと……。そうは言っても、あの金額をどうやって弁償すりゃいいのかわからんけどな」

大将の反省の弁を聞いた西田は、

「そうか……。確かに伊坂には謝罪しておくべきだろうな。わかった。ただ俺は読まないが、本人に渡す前に中身は確認されるから、まだ大将の件が『処理』されてない段階では渡せないんだ。だから大将が退院してからになるから、その点は理解しておいてくれ」

と告げた。警察関係者が検閲する以上、大将が逮捕される前に、罪の内容が書かれた手紙を渡すことは出来ないのだ。


「わかった。とにかく西田さんに任せるわ。それから米田のお袋さんにも詫び状書かないといけないから、そっちの住所も後で教えてくれよ」

「米田の家にも書くつもりか……」

西田としては、米田の殺害そのものについては、あくまで悪い意味での偶然の産物という意識があったので、大将が直接謝罪する必要は必ずしも感じていなかった。だが大将がしたいというのであれば、拒否する必要もまたない。改めて

「ああ、そっちもわかったよ。明日にでも電話で連絡する」

と返した。すると大将は安心したのか、

「悪いな……。ちょっと疲れたから横にならせてもらう」

と途切れがちに言った。ベッドとは言え、長い間上体を起こして西田と話していたので、術後間もないだけに疲労感が出ていたらしい。

「長々と悪かったな」

そう謝った西田に、

なんなんも。お見舞いまで持ってきてもらって、こっちの頼み事まで聞いてもらったんだから仕方ないべや。こっちが礼を言わないとな、むしろ」

と喋った。ただ、さすがに少し呼吸が荒くなっていたので、

「じゃあ行くから。手紙の件はちゃんと渡すから心配しないでくれ」

と言い残し、西田は病室を出た。

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