7月25日 勇気を出して

 信じられない。さすがに信じられない。ちょっとどうしても信じられない。


〈信じられないこと〉

・女中頭補佐がついに女中頭の地位を得た

・来月から宮廷女中が仕事場ごとに班分けされる

・同じ班にレジーナがいる

・同じ班にレジーナがいるために来月からは仕事があるときはほぼ毎日ずっと顔を合わせなきゃならない

・ベルシーがわたしのことを“センス・フーラー”だといった

・ベルシーがわたしを魔女同盟の集会に連れていこうとする

・ベルシーの不吉な予言が止まらない

・マシューが……


 ああ、もう!

 いったい何から書いたらいいの?


 よし、まずは、心を落ち着かせるために、わたしに訪れた刹那の幸せな三日間について記しておく。

 

 7月17日から7月19日における、わたしのはかない命を大いに揺さぶってくれた例の事件の後、わたしはまさかの“特別休暇”を与えられた。


 というのも、わたしにかけられていたさまざまな疑惑が晴れ(ほとんど賢明なマウロのおかげ)、完全に“異国の政変に巻きこまれたとびきり不運でツイてない宮廷女中”認定されたわたしは、心身を休ませるための休暇を得た。

 その特別休暇とは、ベテラン宮廷女中にしか与えられない特別な休暇で、なんと働かなくても働いている日と同じ賃金を支給されるという、もう、夢のような休暇で……!

 

 好きなだけ眠れて、好きなときに食堂に行けて、好きなだけぼんやりできて―――それなのにお金を得ることができるなんて。

 

 はあ。毎日が特別休暇だったらいいのに。

 

 本当に、最高の三日間だった。すべてマウロのおかげ。わたしの大事な友人で、最高にすばらしい異国の王は、なんとユービリア国王陛下に、


「宮廷女中のコレット=マリーは、恐ろしいことに巻きこまれたにも関わらず、捕まっている間ずっとわたしを励まし、しかも体を張って賊の剣からわたしを守ろうとしてくれました。彼女の勇敢な行動に感謝してもしきれません」


 というような心に響く言葉をじきじきに述べてくれたらしい(ロラン隊長からその話を聞いたときは、だいぶ体温下がったけど。だって……ねえ?五割増だったんだもの)。


 とにかく、たとえ事実がどうであれ―――大事なのはマウロのありがたい恩情を素直に受け取ること。


 彼がクロスタン国に戻ってしまったなんて、本当に残念。

 また来てくれないかなあ。


 そんな最高の休暇を終えたあとは、最低な現実が襲いかかってきた。


 昨日、宮廷女中としての仕事復帰の前日、ベルシーが新しい勤務表を手渡してくれた。

 

 で、目を通すと……なんと女中頭補佐が女中頭になり、班分けでまさかレジーナと一緒になっていて……。


 古の呪い。それしか考えられない。


 だって、例えるなら女補は細長い足をした陰険なクモのような人なんだもの。


 そこら中に見えない糸を張り巡らせて、わたしの失敗をいまかいまかと待ち構えてて……で、失敗したとたんわたしを喜々として捕まえては、休日出勤を命じるっていう……。


 レジーナにしたって、とんでもなく意地悪なヘビなんだもの!


 わたしが最高な特別休暇を送っていた最中、ベルシーと一緒に夕食をとっていたときのこと。


 他の宮廷女中たちが異国の政変に巻きこまれたわたしを哀れんだり労わったりしてくれていたとき(彼女たちの優しい言葉を耳にするために、わたしは心から本当に二度と寝坊をしないと決めた)、珍しくレジーナが近づいてきて、


「わたしはあなたが“スパイ”だなんて、これっぽっちも信じなかったわよ」


 おもしろがるように声をかけてきた。


「だって誰があなたをスパイとして雇うっていうの?ああでも、あらゆる物事をひっかきまわすために使われるっていうなら、納得するかもしれないわね」


 相変わらずレジーナの背後にぴったりくっついているお付きのシモーヌとリリアナが、こんなに滑稽なことはないという風に、レジーナの言葉にくすくす笑いながら、三人そろって去っていった。


 わたしはレジーナのあからさまな嫌味に、赤くなったり、青くなったりした。にぎったスプーンがめちゃくちゃ震えるほどだった。


 だって、だって言い返せなくって!


 うう、悲しいことに、わたしも自分がスパイとして疑われたとき、誰がわたしのような愚か者をスパイとして雇うっていうのよ、って思ったから。


 でも、自分で自分を皮肉るのと、意地悪なレジーナに揶揄されるのとじゃ、全然違う!

 

 腹が立つ!めちゃくちゃ腹が立つ―――――!!!


 追いかけていって後ろからスプーンでも投げつけてやろうかって思ったとき、隣に座っていたベルシーが、


「頭の悪い彼女も、たまにはもっともなことを言うのね」


 って淡々とつぶやくものだから、わたしはもう、どうしていいのか分からなくなった。(けっきょく、ベルシーはわたしをかばってくれたの?それともレジーナに賛同したの?ていうか、わたしを皮肉ったのか、レジーナの皮肉ったのか、はたまた両方なのか……ところで、わたしベルシーにどれほど取り返しのつかないことしちゃったの?彼女に慈悲はないの?)

 

 そんなことを悶々と考えながらベルシーと一緒に部屋に戻ると、彼女は思い出したように告げてきた。


「コレット=マリー。あなたって、“センス・フーラー”だったのね」


 その言葉に、体温が急降下したのを覚えてる。


「え……なに?」

「センス・フーラー。特異体質なの。生まれつき、死神を引きつけやすい。危険に遭遇しやすい。間が悪い。浪費家。臆病で、勇気がない。不運だけど、かろうじて悪運がある」


 ぞっとした。


 薄々感じていたのだけど、ベルシー=アリストンって、やっぱり……。


 あの路地裏にいた不気味で得体のしれない黒フードのおばあさんの血縁者かなにかなの?


 だって、そうとしか考えられない!


 センス・フーラーって、同じこと言ってるし!!


 そこでわたしは、ついに、いままでずっと聞けなかったことを彼女に訊ねた。


「ベルシーのおばあさんって、もしかして路地裏で黒フードを被って占いか何かやってる?」


 彼女はあからさまに怪訝な顔をした。


 わたしはこの日記帳のこと(中身はもちろん見せてない!見せるわけにはいかない!)と、ここに来る前に黒フードのおばあさんに出会ってこの日記帳を手に入れた経緯を話した。


「そんなおばあさんのこと、聞いたことないけど」


 彼女はしれっと答えた。


「あとその日記帳、いまも城下町で買えるわ。三年前に主都オリエントで少し流行ってたの。価格は五百リギー」


 察して。


 この絶望感。
















 

 あんの―――あんの詐欺師めぇぇぇぇぇ!!


 あの黒フードの不気味で得体のしれない詐欺師めぇぇぇぇ!!!!

 

 よくもよくも……よくもまあ、わたしの臆病心をもてあそんでくれたわね!!!


 絶対許さない。絶対に。


 人から五万リギーもまきあげておいて、無事でいわれると思ったら大間違いよ!!!


 今度会ったら、絶対に生かしちゃおかない。


「でも、魔女アリメラはいまもどこかで生きているって話だから」


 ベルシーが付け足した。


「それが彼女だった可能性もあるわね。センス・フーラーは魔女が注目している珍しい体質なの。彼女が老婆の姿であなたに近づいてきたとしても、不思議ではないわ。アリメラは異世界の生き物を召還する技術に長けていたというし、魔魂をその日記に宿して、あなたのことをいまも研究しているのかもしれない」


 だからわたし、同室のベルシーって大好き。オカルトめいた冗談が、とっても上手なんだもの。


 しかも、不意に思い出したことがある。わたしの真実の日記に、こんなことが記されていた。


 6月24日。ベルシーのがぶつぶつと独り言をつぶやいていて……。


 そう。“ヘビ”と“暗闇”。


 もしかしてもしかすると、彼女、何もかも予知してた?


 だってヘビは……サレービテルのことでしょ?


 そして“暗闇”は……秘密の通路のこと?それとも、閉じ込められてた薄暗い地下倉庫のこと?


 まずい。わたし完全に、オカルト主義を信じかかっている。

 そんなことあるはずない。きっと全部……偶然よ。

 

 だって、ありえないもの。


 とにかく、その妙な会話の流れで、ベルシーはわたしを来月の魔女集会に誘ってくれた。死神を一時的に退けたセンス・フーラーに会いたがっている魔女崇拝者の方々がいるらしい。


 ちょっと待って。一時的ってなに?

 もう、完全に退けたんでしょ?違うの?


「あなたがセンス・フーラーでいるかぎり、それは難しいわ」


 でも、だって、すべて終わったのに。

 死神は……女中頭と、サルバのことで……。

 女中頭はもう捕まって、これから裁判にかけられるというし、サルバは……。


 もう、なにも心配いらないはず。そうよね?


「どうかしら」


 ベルシーはまたも平然とやわたしの心の声に答えてくれた。とても楽しそうな顔で。


 からかってるのよね?そうよ。そうに決まってる。


 お願い。誰かわたしを助けて。本当に。誰でもいいから。


 もう。ニーノだけ。ニーノが同室なら良かったのかも。彼だけは、嫌味も皮肉もオカルト主義も抜きで、わたしの身だけを純粋に案じてくれていた。


「コレットがスパイかどうかなんて、どうでもいいよ!」


 7月21日に、食堂でニーノに会ったとき、彼は目を潤ませて、心から安堵したようにわたしの両手をぎゅっと握ってくれた。


「無事で良かった……本当に心配してたんだよ。おかえり、コレット」


 その言葉にうるっとして、わたしはニーノと手をりあったまま厨房の隅っこでぐすぐす泣いていた。あのおっかない顔をした料理長は、驚いたことに、わたしたちをとがめたりはしなかった(じつは、ものすごく善良な料理長なのかも……ああでも、いつ見ても心臓がドキリとするくらいおっかない)。


 そして……マシュー。マシュー=ガレス。


 7月20日の出来事があってから……なんと、信じられないことに、彼は……。


 いたって平然としてるんですけど。


 ん?ちょっと待って。おかしい。これはおかしい。ベルシーの不気味な予言に匹敵するほど奇妙なことよ。


 だって、彼……わたしの右手にく、口づけとかしておいて!


 7月20日の話に戻ると―――わたしたちはあの後、ほんの少し甘い雰囲気に包まれていた。そう、さながらバラの香油を垂らしたお湯につかっているような、とても素敵で、うっとりするような雰囲気に。


 二人っきりだった。今度こそ、もう誰も入ってこない。


 だから、もし、もしかりにだけど、目の前にいたマシューが腕を回して、わたしを引き寄せたとしても、拒もうとは思っていなかった。ていうか、想像するだけで変な汗が出て、動悸も止まらなかったけど、それってすごく、すごく素敵なことだったんだもの。


 マシューがわたしを見て微笑んだとき、あ、いよいよだって思って、胸がきゅっと締め付けられて―――。


「そろそろ戻ろうか」


 あれ?


「え……戻る?どこに?」

「どこって、コレットは宮廷女中棟に。おれは兵舎に」


 ええええええええ―――――!!!


「戻るの!?」

「そりゃ、戻らないと……疲れてるだろ?」


 もちろん、マシューの言う通り、疲れていないわけじゃなかった。

 でも、でも、せっかく二人っきりなのに!


「マシューは……戻りたいの?」


 とんでもないことを口走ってしまって、わたしは真っ赤になって後悔した。

 だってこれじゃ、あきらかに引き留めてるみたいじゃないの、彼を。


 マシューは翡翠色の目を丸くして、ほんのり赤くなった。


「いや、その……だって、まずいだろ」

「まずい?」

「あ、だから……ええと、とにかく、そろそろ休まないと、倒れるから。うん。戻ろう。戻ったほうがいい」


 マシューはそういうと、わたしの手をとって、まるで何の未練もなく部屋を出た。そのまま何の未練もなくわたしを宮廷女中棟まで送り届け、まったく何の未練もなく兵舎へ戻っていった。


 なんで?

 どういうこと?

 

 一生に一度の、大変身だったのに。せっかく自分に自信を持てる姿にしてもらってたのに。

 

 いまじゃもう、宮廷女中服を着たただの冴えない丸鼻の赤毛なのに。

 

 けっきょく、マシューの未練のなさが衝撃的すぎて、その夜は眠れなかった(かまうものか。わたしには特別休暇があった。特別休暇があれば、もう何もいらないわよ)。


 なんだか……どこまでも運に見放されてるとしか思えないんだけど。


 傷心を抱えたまま、城内で自称とびきり良い男のトマス=レオルトとすれ違ったとき、


「やあ、コレット=マリー=ガレス嬢」


 なんて能天気にふざけたことを言うものだから、これまでの感謝の気持ちと一緒に井戸に放り投げてやろうかって思った。


 つまり、とにかく……はあ。マシューとは、あれ以降進展なし。


 食堂でばったり会ったときも、本当に、呆気にとられるほどいたって平然と、


「あれ?寝癖ついてるけど」


 ってからかってくるし。あまりにも腹が立って、わざと三つ編みを手でつかんで逆立ててみせて(うう、我ながら子供っぽい)、そのまま一言も話さずに食事をのせたトレーを持ってテーブルにつくと……。


 向かい側の席に当たり前のように座ってくるし。


 なんなのよ、もう!


 わたしがもくもくと食事を始めると、マシューはしばらくわたしをじっと見つめてから、


「……例のやつ、つけてないんだ?」

「はい?何の話?」

「だから、きみが異国の王にもらってた……」


 いきなりを何を言い出すかと思えば。

 マシューが言っていたのは、マウロからもらった柘榴石の首飾りのことだった。


「仕事中はつけないでしょ」

「じゃあ、城下町に行くときはつけるのか?」

「つけないってば。大事なものだし、誰かに盗られたら困るし……」


 正直、わたしのことだから、あんな珍しい高価なものをつねに身につけていれば……すぐにやっかいな何者かに目をつけられるはず。そんな気がしてならない。


「だから、ちゃんと大事にしまってる」

「ふーん。そっか」

「……なんでそんなにあの首飾りに執着するの?」

「べつに」


 なんでもなさそうに肩をすくめた。

 マシューの考えてることが、ちっとも分からないんだけど。


「でも出かけるときは、やっぱり帽子を被ったほうが良いよな。陽射しも強くなってきたし」


 わたしはその言葉で、6月19日にマシューに買ってもらった素敵な帽子を思い出した。

 

 そういえば、あれを被って城下町に出かける機会、なかったなあ。

 せっかくもらったのに。


「……でさ、今度、城下町に行く用事があるんだ」


 マシューの言葉に、わたしは思わず顔をあげた。彼はいたずらっぽく笑った。


「その帽子が必要になると思うよ。もし、コレットがおれと……二人で出かけてくれる気があるのなら、だけど」


 その遠まわしなお誘いに、吹きださずにはいられなかった。


「じゃあ、勤務表を確認しなきゃね」

「時間が合わなかったら、抜け出すしかないな。そういや、秘密の通路があるんだっけ?」

 

 二人して、くすくす笑い合った。


 まあ、そうね。いまのところは、こんな感じだけど。

 次の休日になれば―――なにか、劇的な変化があるのかも。


 そうよ。だってまだ、宮廷女中の仕事はあと三か月も残ってるんだから。

 その間に……ねえ?何も、変わらないはずがない。


 よし!とりあえず、休日出勤だけにはならないように、しっかり働こう。

 最低限、寝坊だけはしないように……!



〈明日の目標〉

・時期女中頭に目をつけられないように、しっかり宮廷女中の仕事をこなす


〈今後の目標〉

・勇気を出して、マシューがわたしのことどう思ってるのか、訊いてみる!

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宮廷女中コレット=マリーの日記 秋春 @aki-haru

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