5.

 壊れてしまったモノがあった。

 元々、壊れていたモノもあった。

 そうとは知らずに、あるいは、そうと知りながら、無理矢理使い潰そうとしていたのだ。

 無理があった。考えれば分かる筈のことだった。

 多分、皆、混乱していたのだろう。当たり前のことを、ついうっかり考え忘れてしまうぐらいに。

 あまりにも当たり前過ぎたので、頭から抜け落ちてしまった。

 せっかく手に入れた新しい脳ミソは全くの無駄だった。

 新し過ぎて、ピカピカ過ぎて。皺が足りなかったので、こんなことになってしまったのかもしれないな。


 ※※※※


 ゆっくりと壊れていったとも、元々壊れていたとも、あるいは予め壊れるように作られていたとも言われるあの旧い世界。 誰と戦っているのかも、何のために戦っているのかも分からない、正体不明の【戦争】が原因と言われているけれど、実際のところは分からないし、分かったところで今更どうしようもない。

 とにかく、【戦争】によって駄目になりかけたあの世界で生きていくために、あるいは、あの世界を抜け出し、星の海を渡り次の世界を探す過酷な旅に耐えるために開発された、新しい体があった。

 それは、【組織】の保有するナノテクの粋を集めて作られた、とても柔らかな体で、その柔軟さを持って宇宙のあらゆる環境に適応するとされた。

 そして、その新しく柔らかい体を制御するために開発された、新しい脳ミソ。

 当初、【組織】は新しい体にヒトの旧い脳ミソを移植して使おうと考えたらしい。

 しかし、ヒトのカビの生えた古臭く硬い脳ミソは、かつてのモノとは全く異なる質感を持った新しい体に馴染むことが出来なかった。結果、実験は失敗。旧い脳ミソを積んだ新しい体は暴走してしまう。リミッターの外れたナノ・マシンの自己拡張機能は、研究所及び、近隣の施設や、そこで働く人々を取り込んでいった。

【組織】によって何とか暴走は抑えられたようだが、被害はあまりにも大きかった。当然のように【組織】は非難の矢面に立たつことになる。【組織】はイメージ回復のために奔走することになった。本来なら、そこで研究を一度凍結すべきだったのかもしれない。しかし、自分たちの権威の失墜を危惧した【組織】の一部構成員が強引に実験を続行。更なる非難の集中砲火を何とかくぐり抜け、新しい体に適合する新しい脳ミソの開発に成功する。

 それは、あの暴走した実験体からサルベージされた被験者の脳ミソを使ったモノだった。

 悪夢のような体験を乗り越えた強い脳ミソ。その経験をフィードバックすることで、新しい体に次の世代の脳ミソたちを慣らそうとしたのだ。

 その試みはなかなか巧くいったようだ。

 まぁ、そのあともいろいろなトラブルやら何やらがあって、新しい体と脳ミソが本格的に実用化するまでもう少しドラマがあったりするのだが、それは割愛する。興味のある人はお手元の【端末】で検索してみればいいと思う。そこには、不特定多数の人が囁き続ける根拠のない噂や、【組織】によって編纂された、【組織】によって都合のいい物語や、それをよしとしない一部の反【組織】勢力によって騙られる、彼らにとって都合のいい物語が溢れかえっているから。

 その中にひとつぐらい、あなたのお気に召す物語があるのかもしれない。

 全てが、不確定な噂話の海に沈んでしまったこの世界で、自分にとっての唯一無二の物語を探し出し、選び取る。誰もそれに干渉しない。皆が好き勝手に個人の物語を生きる優しい世界。

 たまにそこからはみ出した人間が間引かれることもあるが概ね平和な世界だ。

【組織】の開発した【機械】がそれを可能にした。

 ここに至るまでの道のりは決して穏やかではなかったけど、テクノロジーの支援を受けて構築された、まずまず理想的な社会と言えるのではないか。

 いろいろなモノが切り捨てられていったりもしたが、まぁ、それも仕方がないことなんだろうな。

 いろいろなモノが致命的に足りてないから、効率化せざるを得ない。

 管理出来るモノは全て管理し、使えるモノは何でも使う。

 ヒトは【組織】によってのみ生かされる。

 自分の心の在り方すら他人任せだ。

 感情なんてただの幻想。魂なんて高尚なモノは何処にもありはしない。ここは、ゾンビのような人々が暮らす、出来損ないの箱庭のような場所だ。

 死んでいるのか生きているのか、それすらもはっきりしない人々と世界を収めた、棺桶。

 それが僕たちの生きる世界の正体だ。


 ※※※※


 墜落した【戦闘機】に取り込まれて死んだはずの僕と友人は、【組織】によってリサイクルされて甦る。そうゆうことになっている。なっていた筈だ。

 壊れたモノも死んだヒトも【組織】の再生システムで何度でも利用される。何度でも生まれて、生きて、死んで、リソースとして使い潰され続ける。

 ここは自分の排泄物を食べて生き永らえる、老いた巨大な怪物のようなグロテクスさに満ち満ちている。

 宇宙を旅するための新しい体に使われたナノテクと、新しい脳ミソの機能を発展・応用させ、そこに出所不明のアレやコレやを盛り込んだ、悪趣味なパッチワーク。まるで、フランケンシュタインの怪物のような所だ。

 自分たちの体を作り変え、頭の中をいじくりまわしてまで、星の海に向かって飛び出した一派とは、また違った方法で生き残ろうとした連中がいた。

 ここで暮らすヒトビトはその連中の成れの果てだった。

 そして、ここで繰り返されるリサイクルには、結局、無理があったのだろう。

 無限とも思えるループの中で看過しかねるほどの誤謬が生まれた。

 僕や友人、【戦闘機】の有機素材にされたパイロットのように、【組織】の制御を受け付けない個体を生み出してしまったのだ。

 そして、また、そんな壊れた個体をリサイクルにまわしている。

 もう限界が近いのだと思う。

 かつて、ここに在ったはずの旧い世界みたいに、早晩、壊れてしまうのだ。

 ひょっとすると、また、あの、【組織】と呼ばれる、今となっては何だったのかよく分からない連中が、新しい世界を作り、支配・管理するのかもしれないな。

 あの【戦争】だって、【組織】が世界を自分たちの都合のいいように改造ために起こしたことなのかもしれない。あの空で【戦闘機】が戦っている正体不明の【ヤツら】だって、本当に存在するのか怪しいところだ。


「それだって、【組織】お得意の情報操作だろ」


 あの懐かしい声が何処かでそう言ったような気がした。

 ああ、今となっては、あの声以外、全部どうでもいい。

 不完全な情報で憶測を重ね続けていくのにも、ゴミ溜めで悪臭にまみれながら、少しはマシに思える、宝物だと勘違い出来る、けれども結局はゴミでしかない何かを探すのにも、もう飽きた。

 古びたボルトみたいなガラクタを拾い集め、それを愛でる日々にもサヨウナラだ。僕の人生を支えてくれたファンタスマゴリアの胡乱な影はもう消える。

 新しい宝物が増えるとか思ったけど、冗談じゃない、僕は宝物だと思い込もうとしたあのガラクタを全部棄てることに決めた。

 結局、僕のカンは、あいつのカンほどにはアテにならなかったワケだ。

 僕は、ここで降りるよ。

 友人が、あいつが、待っているんだ。

 僕は、あの懐かしい声のする場所へ行く。


 ※※※※


 物語の終りが近づいている。

 語る/騙ることを放棄されようとする世界の縁に、あいつが腰をかけて待っていた。その先には大きな黒い穴がぽっかりと口を空けている。

「よう。久し振り」

 あいつが、いつもと変わらない調子で声をかけて来る。

 この懐かしい感じ。

 懐かし過ぎて涙が出るよ。

 友達と再会出来て嬉しい筈なのに、何故か涙が出る。

 その複雑さが嬉しい。そして、懐かしい。

 それが、また嬉しくて、なのに悲しくて、やっぱり、僕は泣いてしまうのだ。

 一度は失った筈の大事なモノがそこにはまだあったから……。

「やぁ、久し振り。また、会えたね。」

「お前、なんで泣いてるんだよ。何か嫌なことでもあったのか?」

「むしろ逆かな。嬉しいから泣いてる」

「そうか、ここでそんなふうになれるのは幸せなことなのかもな」

「うん、そうだね」

 僕はあいつの隣に腰を下ろす。

「僕は、もう、降りるよ」

「そうか。だったら、俺も一緒に降りる」

 二人とも、【組織】によって穏やかに支配されるのも、その中で生きているのか死んでいるのかも分からないゾンビになるのも、もうこりごりだった。

 あんな悪臭が立ち込める、ゴミ溜めでしかない場所に、帰るつもりはなかった。

「……昔、夢の島って呼ばれたゴミの処分場があったらしい」

 僕の思考を読んだかのように、あいつが言う。

 世界の終わりのエスパー少年。

 唐突に、そんな言葉が浮かんで、消えた。

「ゴミが人の夢なら、この世界も夢の島なのかね」

「そんな夢なら、僕はゴメンだな」

「ああ、そうだな。俺も、ゴメンだ」

 何となく、空を見上げてみた。

 いつか見たような、けれども見たことないような、よく晴れ渡った冬の青空が、どこまでも、どこまで、無限に思えるほどに拡がっている。とても綺麗な、深く澄んだ青が、キャンバスいっぱいに塗り込めらているみたいだ。

「ここから先は何もないどん詰まりの場所だから、あんなに綺麗でいられるんじゃねーか?」

「そうだね。失くすモノすら失くすと、どこまでも純粋になれるんだろうね。【組織】の連中や、あの世界で暮らすヒトたちみたいに」

「かもしれねーな。でも、もう、俺たちに関係ないだろ」

 あいつが立ち上がりながら言う。

「そろそろ行こうぜ」

「そうだね。少し長く話し過ぎたかも」

 世界の終わりを意味する、大きな黒い穴。それを見下ろせる場所に、あいつと一緒に並んで立つ。

 世界の終わり。

 語る/騙ることの終着点。僕たちのように運良く壊れたヒトだけが辿り着ける場所だ。

【組織】によって強制的に繰り返される生を自分の意思で終了させられる、文字通りシステムの【穴】のある場所。

 これからも、ここにやって来るヒトは増え続けるだろう。

 一度は壊れたモノを強引に再構築し、今、また、壊れようとしている世界。死んだ筈なの、まだ生きているふりを続けている、生きているのか死んでいるのかすら、深い霧の向こうでぼやけている、そんな世界。死に損ないのメモリーたちを、雑に詰め込んだ棺桶みたいな世界。その棺桶はもう限界だ。ゾンビたちがそこから溢れ落ちようとしているのだから。

 地獄の門は開かれた。向こう側から化け物どもがやって来る。カーニバルの始まりだ!

 けれど、それすらも【組織】にとっては織り込み済みなのかもしれない。

 使えなくなった素材、耐用年数を越えてしまった素材の、自殺スポット。

 この場所にはその程度の意味しかないのかもしれない。

 でも、まぁ、そんなことは、もう、どうでもいいんだ。

「行くぞ!」

「うん!」

 二人で手を繋いで穴に向かって飛び込んだ。

 あいつと一緒なら怖いモノなんてない、どこにもない。

 世界が引っ繰り返って、あの冬の青空が視界いっぱいに広がる。

 ああ、心も体も、何もかも皆、全て、解放されていくような快感!

 忘れていたこの感じ!

 思い出した、

 全部、全部、思い出したよ!

 懐かしい!

 ひどく懐かしいんだ!!

 意識も体もあの大きな黒い穴に飲み込まれていく。

 いいぞ、全部持っていけ!

 こんなモノは、あのガラクタどもと一緒に全部くれてやるから!!

 ただ、この懐かしさだけは。あいつと繋いだ手の温かさだけは。

 これだけは誰にもやらない。

 これだけは、僕のモノだ!

 これだけが、僕の宝物なんだ!!

 最後の最期で、僕はやっと本当の宝物を手に入れたんだ!!!

 そして、僕とあいつは、この、ありとあらゆるものが生きながら死んでいる、ゾンビのように腐った生を押し込めた、壊れた世界から、壊れた棺桶のような世界から、今、まさに、この瞬間、脱出した。


【了】

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世界の棺桶 砂山鉄史 @sygntu

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