4.

 君は、悲しくなるくらいヒトを大切に思ったことはあるかな?

 相手は誰だっていい。

  恋人でも、家族でも、友人でも。

 いや、別に、ヒトじゃなくてもかまわない。

 ペットの犬や猫なんかでも問題ないし、そもそも、イキモノである必要すらないのかもしれない。

 ただ、何かを、自分以外の存在を心の底から愛しく思って、それが何故かひどく悲しく思えてしまったことがあるのなら、どうか、その感情を忘れないでいて欲しいんだ。

 大切なのに泣きたくなる。

 嬉しいのに涙が出る。

 怒っているのに笑えてしまう。

 一見、不合理に思えるかもしれないけれど、その不合理こそがヒトの複雑さなのだと思う。

 その複雑さが沢山のモノを産み出したんだ。

 善いモノをも悪いモノも。

 美しいモノも醜いモノも。

 その複雑さがあったから、ヒトはあそこまで行けた。

 その複雑さがあったから、ヒトはあそこまで行ってしまった。

 行きついてしまった結果、ヒトは一度全てを失ってしまった。

 沢山の矛盾した感情たちが織り成すあのキレイなモザイク画はバラバラに砕け散ってしまった。

 もう、戻らない。

 欠片は全部、何処か遠くへと行ってしまったから。

 決して、戻ることは、ない。


 ※※※※


 自転車のペダルを必死に漕いで、学校の裏山の【戦闘機】墜落ポイントに着いた僕らが最初に見たモノは「大きな塊」としか呼びようのないモノだった。

 いたるところがへこみ、ひしゃげた大きな塊だ。

 全く用途の想像出来ない、いろいろな部品が複雑に絡み合っている。パッと見は前衛芸術のオブジェのようにも見えなくもない。

 これは、完全に原形を留めていないよな……。

 よく観察すると、表面がぬらぬらと光っているのが分かる。まるで、腐る直前の肉みたいに嫌な色だ。まぁ、「腐る直前の肉」なんて見たことないから、漠然としたイメージでしかないんだけど。体液とも血液ともつかない気味の悪い液体が漏れて、あちこちに水溜まりを作っている。

【戦闘機】は大半が有機素材で構成されていると聞いていたけど、これじゃあ、まるで動物の死骸だな。

 空から墜ちた、大きな動物の死骸。

「ヒデェ臭いだな……」

 鼻をつまみながら友人が言う。

「うん……」

 確かに、あたりには、酷い臭いが漂っている。掃除をさぼった夏場のゴミ捨て場だって、こんな胸の悪くなるような臭いはしていないだろう。

「さて、どうするかな。写真でも撮って皆に自慢するか?」

「あ、それ、いいね」

 さっそく【端末】の撮影用アプリを起動してシャッターを切っていく。

「これ、【組織】にバレたらヤバいんじゃねーの?」

 そう言う友人の声は気楽な調子で、全くヤバそうに聞こえない。

「まぁ、もしかしたら、強制的に画像データ消されるかもしれないけど、そのときはそのときでしょ」

 僕も気楽な調子でそう答える。

 あいつと一緒にいると、何だかこっちまでノリが軽くなって来るな。

 写真を撮りながら、【戦闘機】の残骸を更に観察してみる。

 大半が有機素材で出来ているからとはいえ、全く機械部がないわけではない。その少ない機械部である動力炉は、墜落の衝撃で暴走しないように、安全装置が働いて、まだ死んでいない有機部が寄り集まった厚い膜によって覆われていた。

 自己修復機能はまだ生きているようで、【戦闘機】の大きな残骸から伸びた触手状の修理ユニットが、周囲に散乱した小さな破片を求めてのたうっている。

 悪い夢に出て来る、狂った造形のモンスターみたいだ。

 この、肉と機械のキメラが、あの空で【ヤツら】と呼ばれる得体の知れない連中と戦っているのか……。

「おいおい、何だよこれは……」

 引きつったような笑いを浮かべて、友人が言う。

「ネットの情報で見たのとはだいぶ違うよね。まぁ、【組織】の検閲は入ってたんだろうけど……」

 僕がそう答えた瞬間だった。

 ひゅるんひゅるん、と妙に気の抜けた音をたてながら、残骸から無数の触手が僕ら目がけて殺到したのは。

 生身の人間が避けられるような速度ではなかった。

 僕らは、声をあげる間もなく触手の束に飲み込まれるしかなかった。

 触手に巻き付かれた友人が、今まで聞いたこともないような、情けない声をあげている。助けを求める悲痛な叫び声。

 その声を聞きながら、僕は自分と友人が、ここで死ぬことを直感した。

【機械】の感情制御のおかげなのか、不思議と恐怖はなかったし、友人のように叫び声あげる必要もなかった。そもそも、僕と同じ【機械】を埋め込まれているのに、アイツはなんであんな声をあげているんだ? 悲しいことなんてどこにもない筈なのに……。

 いや、それよりも、何のつもりなんだろうか、この触手の群れは。

 ああ、そうか。

 パイロットと呼べば聞こえはいいかもしれないけれど、実際は有機パーツ――主に【戦闘機】を制御するための生体コンピューター――として半ば無理矢理組み込まれた、かつてヒトだった何かが、墜落によって欠損した体の一部を求めているのかもしれないな。

 冗談みたいにすっきりした頭でそんなことを考える。

 気が付くと、友人の泣き声が聞こえなくなっていた。

 もしかすると、友人の頭の【機械】は壊れていたのかもしれない。だから、あんな哀しい声をあげていたんだ。

 あの声は、【組織】の【機械】によって僕たちヒトが奪われてしまったモノなのか。忘れたくなかったけれど、結局、忘れてしまったモノ。哀しいけれど、とても大切なモノ。遠い過去に置き去りにして来たヒトの複雑さの欠片。失われたパズルのピースのひとつ……。

 不意にそんな考えが浮かんだけれど、今は何もかもがどうでもいい気分だった。

 もしかすると、【組織】のレスキュー部隊あたりがやって来て、何とかしてくれるのではないか。

 この期に及んで、頭のどこかでそんな都合のいいことを考えていた。

 本当は【組織】の連中が間に合わないことなんて分かりきっているのに。

 バリバリゴリゴリと骨を砕き肉を裂きながら強引に僕の体の中に入り込んだ触手が、僕と友人とまだ死に切れていない【戦闘機】の有機部を繋ぎ合わせようと無駄な努力を続けている。

 あの【戦闘機】はもうダメだ。完全に壊れて暴走している。

 もうじきやって来る【組織】に、取り込んだ僕らごとリサイクルにまわされて終わりだ。

 何しろ、この世界は恒常的なリソース不足だ。

 あらゆるモノが足りなくなった結果、ヒトが感情に払うコストすら管理の対象になっているぐらいにリソース不足なのだ。

 使えるモノは何でも使う。

 撃墜されて、コンピューターが発狂した【戦闘機】ですらリサイクルの対象だ。

 そんなモノを使っているから、この世界はおかしくなったのかもしれない。

 そんなモノを使わなくてはならないぐらいに、おかしな世界だったのかもしれない。

 修復用の素材を求めてうねり続ける触手に、体をボロ雑巾みたく引き裂かれながら、酷く冷静にそんなことを考えていた。

 死ぬほど痛いはずなのに、いや、実際、死ぬほど痛いのだが、それはあまり気にならなかった。これも【機械】のおかげ。まったく、【組織】様々だ。有り難くて涙も出ない。

 ああ、何だろうこの感じ。

 自分がもう死ぬことをはっきりと理解しながら、完全に他人事みたく思っている。頭の中で軽口を叩く余裕すらある。

 そうか、

 そうゆうことだったのか。

 やっと分かった。

 あいつだけじゃなかったんだな。

 僕も壊れていたんだ。

 いくら【機械】で感情が制御されているからといって、こんな時にここまで冷静でいられるのは明らかにおかしい。

 この状況で、自分のことを「おかしい」と、まるで他人事のように考えている僕が一番おかしい。

 空気を読めないくせにやたらとカンのいいあいつも、自分のことを他人のように感じてしまう、自分自身への共感性が欠けた僕のようなヤツも、この世界では過剰な存在なんだ。

 僕たちの住む世界には僕たちのような存在を受け入れる余裕がないんだ。

 あっはっ、はっ、はっ、はっ、はっ、はっ!!!

 そうだね。

 確かに、こんなおかしな連中はこの世界に生きている必要はない。

【機械】によるヒトの感情の調整にはやはり綻びがあるのだろう。

 どんな理由かは分からないけれど、僕や友人のように、【機械】が正常に機能しない個体が、常に一定数出て来てしまうんだ。

 だから、定期的に僕らみたいな出来損ないは、こんなふうに間引かれる。

 あの【戦闘機】に組み込まれたパイロットにしたってそうだ。

 あれも、きっと、僕らのように、何らかの理由でこの世界からはみ出してしまった不良品に違いない。

 撃墜されたのだって、僕らを間引くために、【組織】によって仕組まれたことなのかもしれないな。

 空の何処かで【ヤツら】と戦っている【戦闘機】のパイロットを、僕たちのような不良品を処理するために使うわけがない。

 だって、この世界は恒常的なリソース不足だ。

 不良品には不良品をぶつけてコストを軽減するのが上策だろう。


『【パイロット】と呼ばれる【戦闘機】有機素材の選別は、立候補者の中から行われる』


【組織】の説明を真に受けるつもりはなかったけれど、これは予想の斜め下過ぎる展開だ。

 この、どこまでもデタラメでロクデナシな現実を突き付けて来るクソのような世界。

 生まれ落ちてしまったが最期、死ぬまで、いや、場合によっては死んでからも、クソのようなルールに振り回されるしかないのだろうか。

 発狂した審判が汚物を塗りたくったルールブックで住人を殴り殺すような、この世界。

 何もかもが無責任な憶測と、曖昧な可能性によってのみ語られ、騙られる、ゴミ溜めの中から、たったひとつのゴミを選び取るような、この世界。

 臭くて臭くて鼻が曲がりそうだ。

 体を引き裂かれる痛みよりも、この臭いを我慢させられる方がよっぽどキツい。

 だけど、まぁ、その我慢も時間の問題か。

 今回の僕は、ここで死ぬのだから。

 もうじき、この悪臭にまみれた人生からも解放されることだろう。

 だけど、僕は頭のどこかではっきりと理解している。

 それは、同時に、体も魂――頭の中に【機械】を組み込まれた僕たちに、そんなモノがあるのなら!――もグズグズに腐らせるような、違った種類の、新しい、けれどもどこか懐かしい、嗅ぎ慣れた、しかし決して本当の意味で嗅ぎ慣れることのない悪臭にまみれた、次の人生の始まりでしかないことを。

 何も終わらない。

 この死に損ないの世界が、完全に死ぬその瞬間まで何も終わりはしない。

 死んでいく僕は、やっぱり酷く冷静に、そんなことを考えながら、今、この瞬間、死んだ。

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