3.
もう一人の連れを待つ間、特にすることもないので、友人と並んで休憩所のベンチに腰を下ろし、僕は何となく日頃から気になっている疑問を口に出してみた。
「結局、あの【戦争】のワケの分からなさって、何なんだろうね?」
【組織】の連中が【ヤツら】と繰り広げている【戦争】の情報が錯綜している理由は諸説紛々らしく、統一された見解は今のところ出ていない。
有力とされる説を幾つか小耳に挟んだこともあるけれど、それも噂や憶測の域を出ないものばかりだった。
「【組織】お得意の情報操作ってヤツだろうな」
そう答える友人の表情は、見慣れた、いつものニヤニヤ笑いだ。チェシャ猫かよ。
「本当のことを知られると都合が悪いから、世間の連中が食い付きそうな作り話をでっちあげて、煙幕代わりしているんだ」
あの【戦争】は僕たちから沢山のものを奪っていった。それはもう数え切れないほどのものを。
そんな【戦争】に関する情報で信用できるものは殆どない。
ネットを中心に囁かれているらしい、都市伝説めいた荒唐無稽なエピソードから、ありきたり過ぎて誰も信用しない、というか、信用したがらない、【組織】によって綺麗に漂白された当たり障りのない公式発表まで、様々な「物語」が巷間に溢れている。
そして、そんな「物語」たちは今もなお増え続けている。
噂が噂を呼び、憶測が伝言ゲームの法則に則り、改変されて、人々の話題に上る。
始まりはささやか噂話程度だった小さな「物語」たちが、幾何級数的に増え続けた結果、【組織】の思惑どおり真実を覆う分厚いヴェールになったわけだ。
この世界に確かなモノなんて、片手で数えられほどしかないんだ。
「もう、何が正しいかなんて、誰にも分からないんだね」
「言っただろ、それが【組織】の目的だって」
誰も喜びそうにない、何処かの誰かが知られることを望まない「真実」と呼ばれる「物語」よりも、それぞれが好き勝手な「物語」に加担することによって得られる安寧。
他人が、他人の信じたい物語に干渉することはない。
そうゆうことになっている。
僕たちは【組織】によってそんなふうにされてしまったから。
「結局、アイツは来なかったな」
【端末】で時間を確認しながら友人が言う。
「そうだね。まぁ、向こうにも都合があるんだよ」
休憩スペースで五分ほど待ったけど、結局もう一人の友人は姿を見せなかった。【端末】の通信アプリを確認しても特にメッセージも来ていない。多分、すっぽかしたのだろう。
仕方がないので、予定どおり二人で【戦闘機】の墜落場所へ向かうことにした。
自転車のサドルに跨り、ペダルを漕ぎ出す。
ここまで来れば、目的地まではあと少し。
心臓の鼓動が速くなってきたのは、ペダルを漕ぐのに力を入れ過ぎたからだけではないだろう。
何かの根拠があるわけでもないし、それが僕たちにとって良いことをもたらすのか、悪いことをもたらすのかすらも分からないけど。
不思議なことに、確信だけはある。
僕は、これから、宝物を手に入れる。
そして、その瞬間は、もう間近まで迫っている。
運命的な一瞬までの道のりはあと少し――。
※※※※
感情。
不意に、そんな言葉が頭の隅を掠めていった。
懐かしい、一般に、懐かしいとされる情動を呼び起こす言葉だ。
僕たち【戦争】を通過した人類にとって、あまりに縁遠くなってしまった言葉。概念。
それは、【組織】によって奪われてしまったものの一つだ。
この、それなりに安定した、安定したとされる世界の代わりに差し出してしまったもの。
【機械】。
感情と引き換えに僕たちが手に入れた、まったく新しい【機械】。
【戦争】の口火を切ったとされる、とある軍事国家が開発した分子サイズの自動工作機械群と、【組織】の前身にあたるバイオ系企業を中心とした研究グループが持っていた脳科学と心理学のノウハウ。そこに、【戦争】によって結果的にもたらされた様々な技術を組み合わせ開発された。
人々に、平和を愛する穏やかな心を与える為に作られたとされる、革新的な道具。
細かい原理は組織によって秘匿されており、僕たち一般人には情報公開されていない。いや、検索すればある程度の情報を知ることは出来るのだが、それにしたって、【組織】によって操作された情報にしか過ぎず、どこまで信用出来るものなのか疑わしい。
この世界で生活する人々は、正体不明のブラックボックスとしか呼びようのないそれを、【組織】によって脳ミソに組み込まれている。
世界は、あの【戦争】で甚大なダメージを受けてしまった。修復不能とされるほどのダメージを。
それでも復興は果たされた。果たされてしまった。
どんな手段によってかは分からない。今となっては知りようがない。それは、誰も知らない、誰にも知られてはいけない情報だから。
それでも、何か言えることがあるとしたら、その復興の方法はとても強引な方法だった、と言うことぐらいか。
だから、足りなくなってしまったのだ。この世界を構築するための様々なリソースが。
限られたパイを皆で奪い合うわけにはいかない。平等に分配しなくては不公平だ。
そのためにも、生き残った人々は互いに手を取りあい、繋がりあい、協力しあい、愛しあいながら、生きていかなくてはならない。
何処かの、誰かが、そう言った。
そして、それを支援する為に差し出されたツールこそが、【組織】の作ったあの【機械】だ。
この世界の復興の立役者である、気が付くとそう言うことになっていた【組織】に異を唱えられるものなどいなかった。何よりも彼らは、このボロボロになってしまった世界をどうにかするだけの力を、必要とされる資源と技術を持ち合わせているのだ。
だから、【組織】によって開発された技術で人々は感情の操作を受ける道を選んだ。選ばざるをえなかった。【戦争】で疲弊し、【組織】によって再度組み立てられた世界で生きていく為には、選択の余地などありはしなかったのだから。
この世界はヒトが感情をアウトソーシングする場所だ。
作られた「優しさ」や「愛情」で穏やかに管理されている。
僕たちは、まるで壊れた人形みたいに、【組織】から与えられた作りモノの感情モドキで、ヒトのふりを続けているんだ。三文芝居じみたグラン・ギニョールは当分終わりそうにない。
いや、もしかすると遥か昔にショーは跳ねていたのかもしれない。
客席に誰もいないことに気付かず舞台で蠢き続ける取り残された役者たちの影。
それが僕たちなのかもしれない……。
「俺は、ゴメンだね!」
友人が後ろから大きな声でそう言った。
まるで、僕の思考でも読んだかのような反応だ。何だよ、まるでエスパーみたいじゃないか。
「何の話!?」
先導する形で前を走る僕も、負けじと大声で聞き返す。
「一度さ、ちゃんと確認してみろよ! この世界に住む人間たちの表情を! あんな薄ら笑いを貼り付けてさ!」
「仕方ないよ! ここで生活するには【組織】の処置を受けなきゃいけないんだし! それに、そのおかげで、この世界の平和が守られているんだぜ!?」
自転車を漕ぎながらの会話だから、ついつい大きな声が出てしまう。
「仕方ない、か! そう考えること自体、【組織】の連中に管理されている証拠なのになあ!!」
「お前さー、あまりそう言うこと大っぴらに口にしない方がいいと思うよ! どこで聞かれてるか分かったもんじゃないし……。」
「はは、頭の中に、【組織】の作った【機械】を入れているんだぜ!? 始終監視されているようなものじゃないか!」
「【機械】は監視用のツールじゃないって【組織】の連中は言ってるけど!」
「その発言を本気で信じているわけじゃないだろ!?」
「それはどうだろうね!」
表向き、【組織】の開発した【機械】は、あくまで人間の感情をセーブ――閾値を越えた情動を抑制して、諍いや反社会的な行為に発展させたりしないためのものであって、【組織】がこの世界に住まう人々を監視するためのものではない。
ただし、それも単に【組織】がそうだと言っているだけで、本当のところは誰にも分かりはしないのだが。
「さすがに疲れてきたなー! まだ着かねーの!?」
「もう着くよ! てか、【端末】に地図送っただろ!」
「悪い、テキトーにしか見てねー!」
まったく、こいつは。
悪いヤツじゃないけど、時々、凄くいい加減なヤツなんだ。
エスパーみたく、やたらとカンのいい反面、妙に空気の読めない所があったり。
おかしいなぁ、【組織】の【機械】で、そうゆうところは調整されている筈なのに。
今のところ、大きな問題があるワケでもないし、お目こぼしをされているのかもしれないな。
あるいは冗長性と呼ばれるものかもしれない。【組織】の構築したシステムにトラブルが発生したときの保険。あらかじめ、システムに幅を持たせておくことで、致命的な事態を回避するためのバックアップ。
あるいは、何の意味もないのかもしれない。
ただ、この書き割りじみた世界を円滑に回していくために、【組織】が設定した性格を演じているだけなのかもしれない。
本人は無自覚のままに。
まぁ、別に、何だっていいさ。こんな考えはただの憶測でしかないのだから。どのみち「真実」は【組織】によって隠蔽されている。「真実」だなんてモノがあるとすればの話だけれど。そんなモノは、あろうが、なかろうが、問題はないんだ。長い付き合いの中で、あいつの良いところも悪いところも全部理解しているから。
【組織】がもたらしたあの【機械】のおかげで。
例えそれが、他人よって強制された理解だとしても、何もないよりはよほどマシじゃないか。
特に、こんな、何もかもが、深く濃い霧に覆われてしまったような、不安な世界で生きていくのならね。
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