番外編4 太一と…… 後編
それから夏、秋、冬、と季節は廻った。
堤さんと最後に話した春から、月日がだいぶ経っていた。
彼が体調を崩していないか心配になる反面、早く風邪を引いてこちらの病院に来てくれないかな、と不謹慎なことを思い始めた。
けれど、彼は私の前に姿を現さなかった。
そして次の春。
誕生日が近付くと、桜の開花が待ち遠しくなった。
早く日中の星を見たい、と。
そのうち、私は二十三歳になった。
桜が開花すると嬉しくて、降ってくる花びらを取ろうと、両手をお椀の形にして桜に向かって伸ばす。
花びらを上手にキャッチできた日は、男性患者の冷やかしまでスルーできた。
桜の木に緑が目立つようになると、私は爪を桜色に染めた。
アクセントとして、白色の桜を染めた爪に乗せた。
もちろん、堤さんがいつ患者として来ても良いように、毎日の化粧に念を入れる。
マスカラは控えめに、チークとリップは春の象徴でもあるピンク色を選ぶ。
私の変化は、女性の先輩が一番先に気付いた。
「桜さん、最近綺麗になったね」
「本当ね。もともと可愛い方だったけれど、急に大人になったというか……あれかな? 恋しているんじゃない? あの人に」
私は無意識に「恋」という単語に反応した。
化粧が「濃い」という言葉に無理やりにでも変換できたら良かったけれど、それは私の脳が許さなかった。
「な、何を言っているんですか!」
「えー、じゃあ、あのときテラスで何を話していたのよ? あの患者さんと!」
このときは受付開始前で、朝の外来患者が少なかったせいかもしれない。
十人ほどの先輩が私のもとに集まってきた。
「あの、もうすぐ受付開始時間ですよ」
「そう言って、誤魔化せるとでも思っているの?」
「いや、そうじゃなくてですね……」
間もなく受付が開始し、私は外来患者の対応にあたった。
その間も、答えを求める先輩の視線は刺々しかった。
得体の知れない恐怖で背中や腋は汗まみれ、それでも患者への笑顔を忘れることは許されなかった。
それが辛く思ったそのときだった。
「……え?」
堤さんが、担架で運び込まれてきたのだ。
「救急です! 堤太一、二十五歳、男性。意識あり。左腕と左足に骨折の疑いがあります!」
救急隊の人が硬質な声で叫んだ。
私は慌てて受付を離れた。
「堤さん!」
「って……いやあ、参りましたね」
「呑気なことを言わないでください! 今、外科の先生をお呼びしますから、黙っていてくださいね!」
私は生まれて初めて、誰かに助かってほしいと思った。
ただ夢中で走り、外科の診察室へと辿り着いた。
「先生、お願いです! 助けてください!」
その様子に、先生は目をパチパチと何度も瞬きをした。
私が早口で説明をすると、先生は咄嗟に椅子から立ち上がり、堤さんの治療にあたった。
救急隊の予想通り、彼は左腕を骨折したという。
後に彼に訊くと、階段から落ちそうになった生徒を庇ったと答えてくれた。
私は勇敢な彼を心の中で称賛したけれど、一方で彼の腕の中に入りたかったという嫉妬が生まれていた。
それに自覚したのは、女子生徒が入院中の堤「先生」を見舞いに来たときだった。
そのときに初めて、私は堤さんに惹かれていると確信した。
私がそんな感情を抱いているとも知らずに、彼は毎日病室にて私を温かく迎えた。
「お見舞いは嬉しいけれど、お仕事、大丈夫なんですか?」
「はい。先輩が厚意で許可してくださるので」
彼は、生徒が騒ぐかもしれないという理由で個室を与えられた。
その個室で彼と二人きりになるのが、私の至福のときだった。
梅雨入り前になると、彼はようやく私の爪に気付いた。
「桜、よほど好きなんですね。爪、綺麗ですよ」
私はそこで勢い付いてしまった。
後になって思うと恥ずかしいけれど、この衝動がなければ未来の私も彼も存在しなかっただろう。
「……違います。本当は桜なんて、名前も花も好きではなかったんです。あなたに出会うまでは」
「どうしてですか? 素敵なのに」
彼は私の感情などお構いなしに小首を傾げた。
「あなたがそう言ってくれたからです。今まではからかわれるしかなかったこの名前を。好きになってしまったんです。自分の名前も花も含めて、あなたを!」
すると、彼はきょとんとした目で私を見た。
私の顔面に熱を感じると、彼もまた赤面した。
「え……そういう意味だったんですか?」
「他に、何があるんでしょうか?」
私は赤面どころか充血までしていたかもしれない。
それほど真っ赤になった私は、彼を睨み付けた。
「いや、奇遇だと思いましてね。教師って多忙な仕事だから、体調を崩しやすい割には中々病院に行くことができないんですよ。だから、あなたのことをずっと考えていました。今、何をしているのか。男性患者に冷やかされて泣いていないか。そんなことばかり」
「嘘」
「嘘ではありませんよ」
「堤『先生』は口がお上手なだけではありませんか?」
「酷い言われようだなあ。思ったことを口にしただけなのに」
彼は苦笑いをした。そうして、私と彼は両想いだと初めて知った。
それから四年の交際を経て、私が二十七歳、彼が二十九歳のときに結婚した。
彼はどこまでも優しくて、私より大変な職業に就いているというのにも関わらず、私のことを気遣ってくれる。
彼と過ごす時間が季節を廻った。
そして次の春。
アーチのような桜は満開だった。
まるで見守っているかのように。
私と彼。
そして、私の腹部に宿った小さな二つの星を。
了
星よ 加藤ゆうき @Yuki-Kato
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