五、ハミカゼ

 「はあ? どうして?」

 白いベッドに横になり、顔を背けたままの木崎さん。

 彼女にの背中に向かって、駅前でティッシュ少女を見つけたことと、少女に会わなかったことを伝えると、懐かしさすら感じる怒声が病室に響いた。

 これくらい元気なら本当に明日には退院できそうだ。

 良かった良かった。

 「どうしてって、それは心配だったからです。それと……」

 時刻は夜の八時四十五分。

 この病院の面会時間は夜九時までらしく、駆け込みでギリギリ病室に入ることができた。

 消灯間近の緊急病棟ということもあり、部屋には僕と木崎さんしかいないようだった。 

 「そうじゃなくて、どうしてやっとティッシュ少女を見つけたのに私のところに来たの? バカなの? 怖じ気づいたの? まだ懲りずに女々しいの?」

 「はい。もう一つ、大事な理由があるんです」

 「あるわけ無いでしょ。だいたい私なんてこの通りピンピンしてるんだから明日にだって会えるのよ?」

 「今すぐじゃなくちゃダメなんです」

 「あのね……好きなんでしょ? ティッシュ少女のこと」

 「だからこそ今、言わないといけないんです」

 声のトーンを落とす。

 「なにそれ、どういうこと」

 「要するに、その.……本当にありがとうございました。おいしかったです。雑炊」

 白いシーツの上に垂れている木崎さんの左腕が、ピクッと動いた。

 ほんの数秒間、僕と木崎さんの時間が止まった気がした。

 「……あ、ああ。あれね。あんなのいいのよ別に」

 「はい。この前もありがとうございました。でも、僕が言いたいのはその日よりも……」

 「……より、も?」

 「僕が倒れた日にも作ってくれていたんですよね? だからそっちの日も、本当にありがとうございました」

 さらにもう数秒。

 沈黙が流れる。

 「……な、なーんだ。てっきり気づいてないのかと思った」

 声を詰まらせる木崎さん。

 「実は僕もさっき気づいたんです。味が同じだったこと、教えてもいないのに僕の家を知っていたこと……もっと早く気づければ良かったんですけど」

本当にどうして気付かなかったんだろう。

 「あの日は……非通知からいきなり電話が来て、事情と住所を勝手に言われて、だまされたと思って駆けつけてみれば、赤田って表札があって、玄関が開いてるから覗いてみたら、赤田君が汗かきながら苦しそうに寝てるんだもの」

 木崎さんは、こんなにも鮮明に覚えてくれているのに……。

 「でも、どうして隠したりしたんですか?」

 「そりゃ赤田君がティッシュ少女に作ってもらったんだーって、あんなに嬉しそうだったから、だったら別にこのままで良いかなって。それだけ」

 「そう、ですか……」

 それなのに、僕としたことが……。

 くそ。

 「で、そのお礼を何で今わざわざ言いに来たわけ?」

 でも、今ならまだ、間に合うはずだ。

ティッシュ少女に再会していない今なら。

 「実はあの倒れた日、お粥を食べながらちょっとだけ違和感を感じていたんです。あまりにも出来過ぎてるなって」

 「それで?」

 「その違和感の正体にやっと気づいたんです。だからそれを確かめてからじゃないとティッシュ少女には会えないな、と」

 「ふーん。で、その違和感を頼りにここに来て、晴れてあの雑炊は私が作ったってことが分かったわけだ」

 「はい」

 「なら一件落着ね。行ってらっしゃい。今ならまだ間に合うかもよ」

 だから、ちゃんと正直に話さないといけない。

 男として、きちんと。

 「……行けません」

 「え?」

 「やっぱり王子様だとかお姫様だとか、そういう話は出来過ぎてたんです。それに……」

 「それに?」

 「僕が好きな少女の一部は木崎さんだったって分かったんですから」

 「なによ、それ」

 「でもそうでしょう? それに木崎さんだって二回も僕に作ってくれたじゃないですか。そこまでしてくれる人には嫌でも興味がわきますよ」

 「なんか途端に上目線になってない?」

 「すみません。正直、一歩どころか三歩ぐらい踏み出してるので、自分でも訳が分からなくなってます……」

やばい。足が震えてきた。

 「……で、結局のところ何が言いたいの」

 「さすが、言わせるんですね」

 「そりゃ、私は女の子ですから。女々しい乙女ですから」

 なんだそれ。

 僕よりもずっと男前なくせに。

 って、いつもなら言い返しているだろう。

 けれど、そんなことを言えないくらい、彼女の声は本気じみていて。

 「……わかりました。」

 僕自身も本気になっていた。

 「でも、その前に一つお願いがあります」

 だから、彼女にも正真正銘の本当を見せてほしくて。

 彼女にも心の壁を取り払ってもらいたくて。

 「なによ」

 「素顔を見せてもらえますか」

 僕は言う。

 「どうしてそうなる」

 「まだ対等な立場になってないからです」

 「なにそれ」

 「他にも理由がありますけど、言いますか?」

 「あー言わなくていい言わなくていい」

 「なら、外してください」

 「嫌だ」

 「なんでですか」

 「がっかりするから、絶対」

 「しませんよ」

 「じゃあ言うけどね」

 「どうぞ」

 「ハミカゼなんて信じてないのはもちろんのこと、慢性鼻炎だっていうのも全部……全部、嘘なのよ」

 「そうなんですか?」

 「そうよ、マスクをしている理由はただ一つ。鼻の低さがコンプレックスだから。どう? そんな個人的でしょーもない理由なの。がっかりしたでしょ」

 「しません」

 がっかりするはずがない。

 「どうして!」

 「むしろ本当のことを話してくれたので、ますます興味がわきました」

 「なによそれ!」

 だから……。

 「外してください」

 「あーはいはいはい!」

 「とってくれますか?」

 「取るなら勝手に取れば!!」

 「なら、外しますね」

 「うん……」

 そして――

とうとう彼女の素顔があらわになった。

 「え……」

 「どう? がっかりしたでしょ?」

 「いえ……」

 「何よ」

 「こんなことが……」

 「え?」

 マスクの向こう側は、とても可愛らしかった。

 彼女が低いと嘆いている鼻も含めて、愛らしい。

 心からそう思えた。

 けれど、それよりも。

 その驚きをも超えてしまうくらい……。

 その顔は見覚えのある顔にあまりにもそっくりで。

 僕は動揺を隠せなかった。

 「赤田君?」


 ガチャ――

 その時を見計らったかのように、タイミング良く病室の扉が開いた。

 「ティッシュ少女……さん?」

 振り返ると、扉の前に立っているのも、あのティッシュ少女だった。

 正確に言えば僕の目の前に横たわっている木崎さんとは違う、僕にティッシュをくれた背格好の低い本物のティッシュ少女だった。

 「ティッシュ君、やっと見つけたよ」

 「え……ティッシュ少女って? 赤田君これは……ど、どういうこと?」

 困惑する木崎さん。

 僕だって、わけが分からない。

 「それは、ハミカゼは一人だとは限らないということです」

 その問いに、少女は答えた。

 「どういう意味ですか?」

 「姉さんなら、分かりますよね」

 「一香いちか……」

 「木崎さん、これは?」

 「ご、ごめん赤田君。私も動揺してるから正確には分からない……けど、ハミカゼっていう伝承はね、俗に言うカマイタチのことだといわれているの」

 「カマイタチ……知らないうちに体が傷ついているっていう、あの?」

 「そう。だから私、カマイタチについて少し調べたことがあるんだけど、カマイタチは人を倒す妖怪と、手足を奪う妖怪と、出血止めをする妖怪の三種類のことを言うって」

 「つまりそれはどういう……」

 「それは……」

 「それは、血止めはの役目だということです」

 ティッシュ少女はそう言うと僕に近づき――

 


 「ちゅっ」

 僕の鼻を奪った。




 END

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カゼの少女 青石憲 @aoishi

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