四、カゼ

 つまりは、お礼をしなければいけない。

 ということになるのだが、僕としたことが連絡先はおろか名前さえ聞くことを忘れてしまっていた。

 「なにその、ザ・女々しい話。奇跡の再会から、膝枕に、毛布に、挙げ句の果てにはお粥まで!? 今どき少女漫画のヒロインでもそんな高待遇受けないわよ? それでいてお礼の一つもできてないとか、もう最悪なクズヒロインねアンタ」

 木崎社員のお説教はごもっともすぎて、僕は男だからヒロインではないと即座に突っ込むことすら出来ない。

 「で、どうしたいの」

 「なんとか見つけ出してお礼をしたいです」

 「一応、脱クズしたいとは思ってるのね」

 なんて言われようだ……。

 「そうですね。できればヒロインからヒーローにも昇格したいですね……」

苦し紛れにボソッと自虐的主張を混ぜてみる。

 「駅前のティッシュ配ってたところには行ったの?」

案の定スルーされた。

まあこんなところだろう。

 「……行きましたけど、いませんでした」

 「ユミクロには?」

 「もちろん行きましたが、だめでした……」

 「ちゃんと店員にも話し聞いた?」

 「聞きましたよ。けど、ティシュ配りだけの短期契約だったみたいで……あとは何も教えてもらえませんでした。名前すらダメでした」

 「そりゃそうよねー。女性専門店に男が入るってだけで怪しさ倍増だしねえー」

 「ですよね……」

 そう。そういう肝心なところでは、ちゃんと男扱いされてしまうから困る。

 って、いやいや。だからといって女扱いされたいというわけではないけれど。

 「ま、今回は諦めなさいよ。あっちも名乗らなかったのならそれまでってことでしょ」

 「そうかもしれないですけど……」

 「なにー。あ、あー! もしかしてティッシュ少女に惚れたの?」

 「はぁあ!? ぼ、僕はただお礼をしたいだけで!」

 「はいはいはい。わかったわかった」

 「なんですか、そのあからさまなあきれ顔は……」

 「いやーほんと女々しいなーって」

 「……」

 だめだ、何も言い返せない。

 「で、正直どうなの?」

 「そ、そりゃー助けてもらいましたから……興味ないこともないです」

 「あそ」

 「聞いておいてその反応はないでしょう!」

 「はいはい、じゃあそうねー。女々しいクズ赤ちゃんにもそういう一般成人男性じみた感情があるんでちゅねー」

 「ひどい!」

 今までで一番心に突き刺さる嫌みを言われた気がする。

 「で、他に手がかりはないの?」

 「……って、協力してくれるんですか?」

 「まさか、私は赤ん坊の成長を促すだけ。立って歩くのは一人でやってもらうわよ」

 「それだけでも助かります!」

 なんという飴と鞭。なんだかんだで木崎社員っていい人なんだよな。

 「……にしてんだか、私は」

 「どうしました?」

 「なーんでもないわよっ! で、手がかりはないのかって聞いてるの」

 「すみません。手がかりですか……」

 ティッシュ少女に関する情報で手がかりになりそうなものと言えば……。

 「そういえばハミカゼっていう妖怪の話を聞きました。なんでも病人の赤く火照った鼻を食らうとか。僕にティッシュを渡してくれたのも、その伝承が理由だったみたいです」

 「あーそ」

 「考えてみたら、木崎さんが僕にマスクを貸してくれたのもそういうことだったんですよね?」

 「……まあね、この街の常識って言うかさ。別に信じてるわけじゃないんだけど。私自身が生まれもって慢性鼻炎持ちだから、街の人にガミガミ言われたりジロジロ見られるのが嫌で、こうしてずっとマスクしてるってわけ」

 慢性鼻炎か。聞いたことがある。

 読んで字のごとく、風邪を引いていなくても常に鼻の調子が悪い病気のことだっけ。

 「ああ! だからだったんですね」

 その病気とこの街特有の伝説のせいで、木崎社員は毎日マスクをしていたのだ。

 なんだろう。木崎社員最大の謎がやっと解けたような気がして、かなり嬉しい。

 「じゃなかったらこんな暑苦しいものとっくに取っ払ってるわよ。もう慣れちゃったけどねー。今じゃ無い方が落ち着かないくらいで、後に引けなくなったというかね」

 なんだか途端に共感が持てるようになってきた。

 「慣れって怖いですよね」

 「本当にね……。って、そんなことはどうでもいいの。要するにティッシュ少女がハミカゼを知ってるって事は、彼女が地元の人間っていう事になるんじゃない?」

 「言われてみればそうなりますね」

 さすがの推理だ。これで一気にまた会える可能性が高くなった。

 「……うーん。他には?」

 「他は何も……」

 「あーあーもうだめね、まあ地元の人間って事はそのうちまた会うでしょ。そのときにお礼言えばいいわよ」

 「そうなっちゃいますか……」

 結局ここで足止め。あとは運命に任せるしかないということになった。

 「まあ運命なんてもの、存在しないんだけどね」

 「それ言っちゃいますか……」



        ※     ※     ※



 そうはいうもののなんとなく諦めが付かず、僕はそれから二ヶ月間、バイト終わりに欠かさず駅前とユミクロと丘の上の公園を巡回した。

 「運命か……」

 白馬に乗ってお姫様はやってこない。棺の中でスヤスヤと眠っているのか、はたまた硝子の靴をどこかに落としたまま身を潜めているのかはわからないが、いずれにせよ僕自身の足で探し続けなくてはいけないという結論に至ったのだ。

 別に調子に乗って王子様を気取っているわけではない。

 そもそも勿論あのティッシュ少女が僕にとってのお姫様であるかどうかすら定かではない。

 けれどもその可能性はなきにしもあらずなわけで、それをきちんと確かめなくては気持ちの整理が付かなくなってしまったのだ。

 そんな話をそっくりそのまま木崎さんにしたら、突然。

 「今夜、赤ん坊の家で鍋パやるから」

 と溜息交じりに勝手なことを言われ、その後のバイト中は何を話しかけても無視されるというよく分からない事態になってしまった。

 結局その日は木崎さんと一度も会話をしないまま退勤し、いつもの巡回を一人であっけなく終えて、家でゆっくりテレビを見ていると、鳴るはずのないチャイムが響いた。

 「あけろー」

 インターホンのモニターには、馴染みの白いマスクとキリッとした細目がでかでかと映っていた。

 


       ※     ※     ※

 


 「本当に来たんですか」

 「赤ん坊こそ、今日も懲りずに巡回してきたか」

 「ああ、はい、まあ」

 「笑わせるわねー。何が王子様よ。ここまで女々しい例え話、久々に聞いたわ」

 確かにその通りだった。

 例え話だとしても王子様だとかお姫様だとかなんておとぎ話は、本来は夢見がちな乙女が使うものだろう。

 「それにティッシュ少女とはティッシュを渡されたところから始まってるわけで、赤ちゃんは棺はおろか揺り篭から這い出たばっかりの赤ん坊ってところでちゅよ」

 これもその通り、きっかけは少女の方から始まっているのだ。

 奇跡的な二回目の再会にしたって、僕が丘の上のベンチという棺……もとい揺り篭の上で寝っ転がっていたら、いつのまにか少女が王子様よろしく看病してくれていたということになる。

 そんな僕が王子様になるなんて言えたもんじゃない。情けないこと極まりない。

 「でもまぁ、次こそは自分からっていうのは進歩ではあるんじゃないの。結果が出ない限り評価はしないけどー」

 まさに僕には結果が求められている。この世界はハッピーエンドが約束された王道ファンタジーではないのだ。現実社会は厳しい。



             ※     ※     ※



 「はい、できたー。シメの雑炊」

 「シメも何も、まだ肉も野菜も食べてないんですけど」

 「贅沢言うんだったら、材料くらい買っておきないさいよ」

 「本当に来るって思わなかったので……」

 「結構、失礼な言い訳ね」

 「鍋パするって言われてから仕事中ずっと無視された身にもなってください」

 「とりあえず、食え」

 「はい」

 「どうよー」

 「あ……」

 うまい。なんだろうこの素朴でありながらコクのある味付け。すごいツボだ。

 「普通にすごいおいしいです」

 「普通なんだか、旨いんだか、どっちなんだ」

 「うまいです。料理上手だったんですね木崎さんって」

 「そりゃ伊達に仕事でキッチン入ってないわよー。それに私、三姉妹の長女でさ。よく妹たちに作ってあげてたからねー。っていうか感想それだけ?」

 「感想ですか。そうですね……木崎さんに妹が二人もがいたなんて意外でした」

 「そこはどうでもいいわ」

 「どうでも良くはないですよ。始めて知りましたし」

 「あそ、まあ美味しいならいいや。じゃ、明日は仕込みがあって朝早いし、そろそろ帰るから」

 「え? 食べないんですか?」

 「いらない。じゃねー」

 木崎さんは急に冷たい態度になって、足早に帰ってしまった。

 僕は何かマズいことを言ってしまったのだろうか……。

 まあいい。きっと明日の仕事のことで頭がいっぱいなんだろう。

 「そういう僕も早く寝なくちゃな」

 きれいさっぱりおかゆを平らげて、僕はぐっすりと寝床についた。

 


             ※     ※     ※



 それからレストラン彩鳥々は、年末という忙しい時期に突入した。

 作業効率を上げるために、木崎さんはキッチン、僕はホールを専門で担当するようになり、仕事内容がきっちり分けられたことから何となく疎遠になる日々が続いた。

 休憩室で何度か話をする機会もあったけれど、内容は仕事の話ばかりで、ティッシュ少女の話や鍋パ……もとい雑炊を作ってくれた日の話は一度も話題に上がることすらなかった。



             ※     ※     ※



 ティッシュ少女の動向をつかみきれないまま、三ヶ月が経った。

 僕を含めたレストラン彩鳥々のスタッフは、歳末年始という一年で一番多忙な日々を乗り越え、くたくたに疲れ切っていた。

 その矢先に事件は起こった。

常にこの店の皆勤記録を更新し続けていた元気印のあの木崎社員が仕事中に倒れ、救急車で運ばれたのだ。

 ショックだった。

 その日、僕は配膳中三回も飲み物をこぼし、内二つのグラスを盛大に割って散らかすという自己ワースト記録を作ってしまった。

 夕方になると病院に同行した店長から電話が入り、倒れた原因は貧血に近い一時的なものだったということが判明した。

 長時間点滴をしてでぐっすり寝たら回復したようで、今日は大事を取って入院するけれど、明日には退院できるとのことだった。

 「よかった……」

 ホッと胸をなで下ろし、バイトを終える。

 今日はミスが多かったから反省をしようと、地面を見つめて考えながらいつもの巡回をスタートした。

 まずは、駅前からだ。



            ※     ※     ※



 「明日から、福袋第二弾が始まりまーす」

 まさかと思いながらその声に顔を上げる。

 すると、数十メートル先の駅前改札に向かう階段の中に立つあの子の姿をとらえた。

 「よろしくお願いします!」

 待ちに待った、ティッシュ少女の横顔。

 捜し物も見つかるときは、すんなり見つかるものだという言葉を聞いたことがあるが、こんなにもあっさりと見つかってしまうだなんて……。

 「お願いしまーす!」

 帰宅ラッシュの人混みの中、少女は一生懸命ティッシュを配っている。

 こんな夜遅くに、たった一人で。

 一つ一つ丁寧に。

 僕はその場に立ち尽くしてしまった。

 まるで、出会ったあの日のように。

 あの日と違うのは、少女と僕の距離が数メートル離れていることと、風邪を引いて倒れた日の毛布にくるまれたような暖かい感覚に包まれていることぐらいだ。

 「って、結構違うじゃないか……」

 そう。あの日から僕は色々なことを経験した。

 だから、違って当たり前なんだ。

 自分で言うのも何だが、成長したとさえ思う。

 けれど何故だろう。

 近づくことができない。

 会えなかった日々が長かったせいだろうか。

 いや、そうじゃない。

 日々を重ねる中で、彼女に会うということが、どういうことなのか自分で分かってしまったから。

 だから一歩が踏み出せないのだ。

 本当に踏み出しても良いのだろうかと思いとどまってしまうのだ。

 要するに、本当に彼女のことが好きなのかどうか。

 それを今一度、冷静になって確かめなければならない。

 会いに行くのはそれからだ。

 こんなことを考えている今の状況を木崎さんに言ったら

 『何を今更考える必要があるんだ』

 とか、

 『だからいつまで経っても女々しいままなんだ』

 と、けなされてしまうだろう。

 けれど慎重になることすらやめてしまったら、それはもはや今まで一歩を踏み出せなかった自分を否定してしまうことにもなってしまうのだ。

 僕にだって、男のプライドってものがある。

 だから、僕は少女について今一度、反芻する。

 衝撃の出会い。

 彼女が僕にしてくれた親切。

 あの笑顔。

 そして、最後に残してくれた、あのお粥の味を。

 「お粥……雑炊……あれ?」

 鮮明に記憶をたどり、その言葉を口にすると、体中の血管と脳の神経が一瞬で繋がったように、さっと血の気が引いていった。

 「そうだったのか……」

 やっぱり踏みとどまってよかった。

 やり残したことが一つあったんじゃないか。

 『本当に女々しいわね』

 それに、そもそも僕はティッシュ少女を目の前にして、少女ではない他の女性を思い浮かべていたじゃないか。

 「なんで気づかなかったんだ……!」

 僕は走り出した。


 ティッシュ少女に背を向けて――

 



            ※     ※     ※




 「301号室になります」

 「分かりました」

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