7 贈り物を胸に

 遠くでやかましく蝉のなく音が響いている。

 熱い日差しがコンクリートを溶かす勢いで降り注ぐ細い路地裏を、白いワンピースを着た、頭に大きな麦わら帽子姿の小さな子供と、それと同じワンピースを着て、同じ麦わら帽子姿の女性が手をつないで横並びに歩いている。

「ねぇ、ママ? どこいくの?」

 その小さな子供にママと呼ばれた女性は、子供にやさしく微笑む。

「ママの大切な人のところよ?」

 その女性は、ゆっくりと上り坂になっている路地を子供の歩調に合わせて歩く。

 それからしばらく進み、石の階段を上り、少し開けたところで立ち止まった。

「これはなーに?」

 少し風が吹いて飛びそうになった麦わら帽子を手で押さえながら、子供は再びママに質問する。

 ママと呼ばれた女性は、手をつないでいないほうに持っていた花束をそっと石段の上に置く。

「ゆうちゃん、これはね、お父さんのお墓よ」

「そっか、おとうさんのおはかなんだ」

 ゆうちゃんはそう言って目の前の大きな石碑をまじまじと見ている。

 ママと呼ばれた女性はゆうちゃんと手を放してから、帽子を外し、端を手に持って自分の前に下ろしてから、深々と石碑に向かって頭を下げた。

 ゆうちゃんはそれの真似をして、帽子を外して深々と頭を下げる。

「はい、よくできました」

 ママと呼ばれた女性はそう言ってゆうちゃんの頭を優しくなでた。

 頭を撫でられたゆうちゃんはすごくうれしそうにバンザイをした。

「全く、なーにがお父さんのお墓だよ、それじゃぁさ。ゆうちゃんからしたら、僕が死んだみたいになってるじゃないか、それとあのさー、麗子さん? ゆうちゃんと先に行くのは良いんだけどさ、ちょっとは荷物持つの手伝ってくれても良くないかい?」

 僕は愚痴をいう。

 ゆうちゃんは「パパ!」と言って抱き着いてきた。

 両手に荷物を持った僕は、なすすべなくゆうちゃんに抱き着かれぐらついて倒れそうになるのを、何とか踏ん張った。

「あら、宗ちゃん? まさか私にそんな重たいものを持てというの? 私は千川財団の社長、千川麗子よ?」

 体勢を立て直し、足にまとわり付くゆうちゃんを何とかあしらいながら、僕は石碑に近づく。

 あーあ、そういう時だけそういうこと言うんだよな。

「それに間違っていないでしょ? ここは私の……、私たちのお義父さんのお墓でもあるんだから」

 今年度から、麗子さんはめでたく令嬢から社長に変わっていた。それでいて、「社長!」 って呼ぶとふてくされるし。「私は、麗子さんでいいのよ? 宗一郎専務?」って笑わない瞳でにっこりと言ってくるもんだから、まったく困ったもんだ。

 心の中で愚痴る僕に、麗子さんはふふんと魅力的な胸を張り、勝ち誇った顔を見せている。

「まったく、相変わらずですね、麗子さんは」

「ふふふ、たくましい女性に男性はものなのよ? 未来ちゃん」

 僕の足にまとわりついてじゃれていたゆうちゃんは、新しくした声のほうを見てニコッと笑う。

 後ろから同じように荷物を持ってきた未来さんは、ゆうちゃんに向かって笑顔を送る。

「こんにちは、ゆうちゃん!」

「あー! ミキママまでいる!」

「宗一郎さん? もし麗子さんに嫌気が刺したら、いつでも私になびいてくれて良いですからね?」

 未来さんはいたずらっぽくウィンクを投げかけてくる。

 後ろから凍りつくような視線もあって、僕は曖昧な笑顔をしてしまう。

 あぁ、怖い、後ろは振り返れない、怖い。すごく怖い。

 全く、ひかれるっていうのは惹かれるじゃなくて、引かれるじゃないのか?

 そんな事を考えていてふと、未来さんの姿を見て、疑問に思った。

「それにしても、なんで三人とも同じ姿なんだ?」

 未来さんの姿は、ゆうちゃん、麗子さんと同じ白のワンピースに麦わら帽子、遠目に見たら逆に怖いものがある。

「ゆうちゃんが選んでくれたの!」

「ゆうちゃんが選んでくれたのよ!」

 未来さんと麗子さんの声が被る。

 なんだろうな、相変わらず仲は良いみたいで、よかったと思うべきなんだろうか?

「わたしがえらびました!」

 そんな二人の様子を見ていたゆうちゃんはそう言ってえっへんと胸を張る。

 あちゃぁ、そんなところに麗子さんの影響を受けてしまって大丈夫だろうか?

 そんなことを思いながら手に持ったたくさんの荷物を置き、僕は石碑に向かって手を合わせる。

 未来さんも同じように横で手を合わせた。

 僕と未来さんの様子を見ていたゆうちゃんも、それに続けて手を合わせる。

「マスター、まさかこんなに早くにいかれるとは想いもしませんでした」

「お父さん、いろいろあったけど、私、今も昔も幸せだよ。本当にありがとね」

 手を合し終えた未来さんは隣で同じように手を合わせていたゆうちゃんの頭を優しくなでる。

「はい、よくできました」

 ゆうちゃんはさっきと同じように大喜びでばんざいをする。

 こういう素直に喜びを表現するところは、未来さんの影響かな?

 僕は手を合わせ終え、その様子をしばらく眺めてから、持ってきた色々な荷物をその場に広げる。

 折り畳みの机と椅子、それにパラソル。ブルーシートを敷いてからその上に買ってきた食べ物を並べていく。

「今年でマスターの三回忌ですものね、さぁ、今日はみんなで楽しく飲みましょう」

 麗子さんはオレンジジュースの缶を開けて、ゆうちゃんに渡す。

「ありがと! レイママ!」

「どういたしまして、でもゆうちゃん、まだ飲んじゃダメよ?」

 その様子をほほえましく思いながら、僕は缶ビールを三本開けて二本を石碑の前において、残りのお酒を手にもった。

「それじゃ、マスター、賢治、そっちでも楽しく飲んでくれ」

 みんな飲み物を持っているのを確認して、自分の缶ビールを空に向けてかざした。

「カンパーイ!」

「「カンパーイ!」」

 ゆうちゃんは周りをみて、みんなの真似をして両手でそらにジュースを掲げる。

「かんぱーい」

 僕はゆうちゃんの頭をなでてにこやかにほほ笑んだ。

「はい、よくできました」

 ゆうちゃんは、うれしそうに笑っていた。



「それにしても、宗一郎さんが救急車で運ばれたって聞いたときは本当に心配したんだからね」

 お酒が程よく入った未来さんは饒舌にあの時のことを話し出す。

 麗子さんも笑いのツボに入ったらしく目に涙をためて思い出し笑いをしている。

「だから、本当にあの時はもう死んだもんだと思ってたんだってば!」

 そう、あの時遠のいていく意識の中で、決死に麗子さんに告白して、僕は気が付いたらベットの上にいた。

「でもまさか、過呼吸って! 過呼吸! 私がストレス与え過ぎたみたいじゃない!」

 麗子さんは怒っているのか笑っているのかわからない顔で言葉を続ける。

「もうパニックになったんだから! あの時、救急車呼んでから、どうしたらいいのかわからなくなって、思わずその場で膝枕して、頭を高くしようと必死だったんだから!」

 もうやめて、ほんとに、恥ずかしいから、やめてその話はおねがいだから。

 僕の膝の上にいるゆうちゃんは何の話だろうと首をかしげている。

「あぁ、ゆうちゃんはかわいいなぁ」

 僕は現実逃避するように、膝の上のゆうちゃんの頭をなでる。

 それがお気に召したようで、ゆうちゃんは嬉しそうに目を細めている。


 目を覚ますと真っ白の天井が目に入った。

 僕は上半身を起こし足があるのを確認した。

「あ、あれ? 足がある? 生きてる?」

 窓からの柔らかい日差しが、まだ午前中だと知らせている。

「足がある! って、宗ちゃん、まだ寝ぼけてるの?」

 声のするほうに目をやると、麗子さんが涙を浮かべながら笑っていた。

「いやだって、てっきりあれで死んだものだと思って、胸苦しかったし、目の前真っ白だったし、呼吸ができなくなっていったし」

 麗子さんは僕の反応がおかしかったのか、吹き出して笑いだした。

 いやね? そこまで笑わなくてもいいじゃない? 本当に最後の別れだと思ってたんだよ? 僕は、だからあんな恥ずかしいセリフを、あぁ、思い出しただけで恥ずかしい。

「あはは、宗ちゃんの愛情は確かに受け取ったわよ」

 僕の顔を見て昨日の記憶が僕によみがえったのを察したのかそう言いだす。

 僕は麗子さんの顔を真っすぐ見ることができなかった。

「それにしても、僕、笹塚宗一郎は千川麗子を——」

「あーもー、お願いだから、やめてください麗子さん」

 僕は麗子さんの声をかき消すように声を上げる。

 麗子さんはそれで満足したのか普段の上品な笑顔とは違い、満面の笑みで僕のほうにずいっと寄ってきた。

「宗ちゃん? 私の答えがまだだったでしょ?」

 近い、すごく近い、まさに目と鼻の先に、麗子さんの顔がある。

 僕は自分の顔が上気していっているのがわかる。

 ふと、唇に柔らかい感触がした。

 一瞬のことで、何が起こったのかわからなかった。

 呆然としている僕に麗子さんはいたづらっぽくウィンクをしてくる。

「宗ちゃん、これが答えよ」

 その後、お互い気まずさからか、目を合わせられないでいた。

「なーにが、、よ!」

 僕と麗子さんが慌てて声のするほうを見ると、病室の入り口に、未来さんが立っていた。

 明らかに不機嫌そうに、ジトッとした目をこちらに向ける。

「ふーん、へー、そーう、それが答えなんですね? へー、そーなんだー?」

 言いながら未来さんはこちらに向かって歩いてくる。

「救急車で運ばれたっていうから心配してお見舞いにすぐ来たっていうのに、へーそうなんだ? そうやってイチャイチャ、病室プレイするのが答えだったんだ? へー」

 ちょっと、未来さん? 病室プレイとか言わないでくれません? 年頃の女の子がそういうこと言うもんじゃありませんよ? そもそも僕はまだ何もしてないんですけど? むしろされるがままに唇を奪われただけなんですけど?

 っとは、言えるわけもなく、僕は自分でもわかるくらい張り付いた笑顔を作っていた。

「まぁ、いいでしょう、この際、が答えならばが答えでいいでしょう?」

 未来さんはそう言いながら、麗子さんと反対側のベットの端に腰かけ、僕のほうに顔をぐっと寄せてきた。

 え?

 これもまた一瞬の出来事だった。

 あとに残るのは唇に柔らかい感触。

「私だって、……お返ししたかったんですからね?」

 未来さんはあっけにとられている僕に、何とも複雑な恥ずかしそうにした笑顔を送る。

 反対側のベットの端から、とてつもなく怖い、冷たい視線を感じるんですよ。

 もうね、振り向いたら死ぬって、思うんですけどね。

「宗ちゃん、いい度胸ね? 彼女の目の前で堂々と浮気するなんて、いい度胸してるわね?」

 振り向かなくても心がすり減っていくのがわかる。

 もうね、やめて、お願いだから、やめて胃が痛くなるから。

「宗一郎さん、私に鞍替えしていいんですからね?」

 だから未来さん、そういうこと言わないで、油注がないで、お願いだから。

 あぁ、怖い、怖いよ。

「まぁ、いいわ、宗ちゃん、これ、全部今日中にサインしておいてね?」

 どさっと、僕の膝の上に何かの資料が置かれる。

 契約書? うん? 何の資料?

「この一か月間の視察に出た施設の資料と、改定案、それと、改造計画書よ」

 はい?

 よく見るとそこにあるのは温泉やらプールやらの資料と、計画書の見直しや、改定案の資料だった。

「あぁ、そうそう、あと、宗ちゃんは今日から視察部の部長だから。よろしくね?」

 は? はい? え? 何? どういうこと?

 全く何を言っているのかわからなかった。

 麗子さんは置いてけぼりの僕に説明をしてくれる。

 この一か月の休みは休みじゃなかったこと、千川財団の部門の一つにお客様目線に立つ部署を一つ作ること、その部署が視察部という部署でそこが今日からできること、その部署のトップとしてとりあえず僕が配属されること、そもそもその部署に人員は僕しかいないこと、本当はその部署には賢治と二人で配属する予定だったらしいことなど、っていうか人事を勝手にいじっていいのでしょうか? 社長令嬢?

「そう言うわけだから、宗ちゃん? 今日の15時までにすべてサインしてね?」

 はい?

 僕は慌てて時計を見る。

 時刻は11時すぎ、わーお、3時間しかないじゃない?

「仕方ないから、サインするだけの物はこっちで選定してあげるから、宗ちゃんは渡したらサインだけしていってね? あとハンコもお願いね」

 僕は頷いてからとりあえず目の前の資料に目を通す。

「あー、なんか大変そうだね? とりあえず飲み物買ってくるよ。コーヒーでいい?」

 置いてけぼりだった未来さんはそう言うと逃げるように部屋から出て行ってしまった。

「はい、宗ちゃん、これ、サインとハンコね」

 しばらくそんなやり取りが続いて、最期の一枚になったとき、僕は固まってしまった。

 うっすらと茶色のかかった文字で書かれた用紙の上に名前を書く欄が二つある。

「宗ちゃん、いったでしょ? サインとハンコだけでいいって」

 僕が固まっているのを見て、にやにやとしながら、麗子さんは見ている。

 僕は麗子さんに何とも言えない視線を向ける。

「あ。怒った? やっぱり勢いじゃだめだよね?」

 そう言って僕の手元にある用紙を取ろうとする。

 僕はため息をついてから、その手をぐっと引っ張り、ベットの上に麗子さんを引っ張った。

「そ、宗ちゃん? な、なにするの?」

 僕の上に乗っかる形で麗子さんがいる。

 僕はそっと麗子さんの唇に僕の唇を重ねる。

が、答えなんでしょ?」

 唖然としている麗子さんにそう言って、最期の一枚に名前とハンコをする。

 麗子さんの頭を軽く撫でながら、耳元にささやく。

「麗子さん、僕は、麗子さんを愛してるよ」

 麗子さんに最後の一枚、婚姻届けを渡した。

 

「でも結局、なんで死ななかったんだろうな?」

 病室で起きたのは白饅頭しかり、あの性格の悪い天使が宣告してきた最期の日だったはずだ。

 その日に僕は死んだはずなのに、なぜだろう?

「あー、それはあれよ宗ちゃん、きっとあの日の最後に書いた紙のせいよ」

「はー、そういうことですか、私がお二人のために飲み物を買いに行っている間に、また二人してイチャイチャしてたんですか」

 イチャイチャは、してなかった、ような、気がしないでも、ないような?

 僕は曖昧な笑顔を作ってしまう。

「そもそも未来ちゃん、コーヒー買いに行ってくるって言って、あの時書類全部終わるまで帰ってこなかったじゃないの」

 最後の用紙、あぁ、そういうことか、

 確かに笹塚宗一郎は死んだな。あの時に、

「いいんですよ。宗一郎さん。あの時も言いましたけど、いつだって私は待ってるんですからね!」

 未来さんはそう言って僕の腕に手を絡めてくる。

「だめよ未来ちゃん、宗ちゃんは私の物なんだから」

 反対の腕に、麗子さんが腕を絡めてくる。

 どうしたものかと、困っていると、僕の膝の上で小さい王女様が唸った。

「だめ! パパはゆうちゃんのなの!」

 あぁ、そうだね。

「そうだね。パパはゆうちゃんのだもんねー」

 僕の返事にゆうちゃんは満足そうに胸を張った。


 そんな様子を遠くの空で見ている白い影が一つ。

 その白い影は、背中から羽が生えていて、ブロンドの肩まで伸びたツインテールの髪、頭の上には輪っかまである。右手に弓を持っていて、首には何か名簿のようなものをかけていて、見た目は小学生低学年くらい、自称天使で、通称白饅頭、でも正真正銘の天使である。

 本名は千早美優ちはや みゆ、自分で自分に着けたアイドル名がチャミュ、冥土の世界と人間の世界で幸せを振りまくアイドルになろうと日夜試行錯誤する性格の悪い天使。

 幸せは、その人自身で手に入れるものと宣言し、頼んでもいない間違ったプレゼントを人間に渡しては困らせている。

 その天使はふわふわと漂っていた。

「あなたの幸せをお届けするラブリーエンジェルギフト、このお方の幸せはまさしく生命を懸けて手にするものでした。これから貴方が幸せに賭けれるものは何でしょう? それが定められた時、またどこかでお会いしましょう」

 そう言うと天使は、満面の笑みをブルーシートの一団に向けてから、空を見上げた。

「あー! ねぇ! パパ! ミキママ! レイママ! 空に天使がいるよ!」

 その声が聞こえてないふりをして、天使は満足そうに空へと去っていった。



END……

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誰かの歪な贈り物 時俊(ときとし) @fumuyu

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